第9話 少女

文字数 2,231文字

 歩行者用信号が青に変わった時、当たり前ではあるが既に少女の姿はなかった。他の生徒たちに紛れ、どこにいるか分からない。
 もう校舎が見えている。少女は校門を既に通り抜けたのだろうか。

「誰だ?あの女。本気で見覚えがないんだけど。お前は見たことあるか?」
タイヤ痕が至る所に残る横断歩道を横切りながら俺が片桐に聞く。

「いいや、無いね。でも向こうは俺らの事知ってるみたいだな。」

「あぁ、そうみたいだな。こっち向いて笑ってたけど、あれって俺たちに向けてだよな?」
正直先ほどの微笑みが自分たちに対するものだったとすれば悪い気はしない。どこに出しても恥ずかしく無いほどの美少女だったからだ。

「そうだと思うよ、俺ら以外周りにいなかったしな。」

「やっぱりな、なんだろ今の。何組のやつかも分からん。」
 話してもただ謎は深まるばかりだった、知らない同級生というだけでも十分だが、いきなり見せたあの微笑みは何を意味するのか。

「転校生の線が一番あり得そうだな。登校初日にちょっと男子をからかってやろうとしたわけだ。それか夏休みで生まれ変わった元地味女説、幽霊説、俺たちが部分的に記憶喪失になった説もあるけどさ。」
頭の回転の速い片桐が次々に説を挙げる。即座に色々と思いつく想像力に俺は感心した。

「なんか非現実的なやつばっかりだな、一番最後の説ならかなり辻褄があうけど。」

あれこれ議論をしながら、ありそうな説を模索するも答えが出ない。他の人間の回答が必要だった。そうしているうちに中学校の正門の前まで着いた。周りに見知った顔が結構いて安心する。
校舎に入ろうとした時、後ろから声がした。

「片桐さん、永瀬さん、おはようございます!お久しぶりです。」

振り返ると野球部員の一年後輩である福本と大西が綺麗に刈られた坊主頭から水を滴らせながら話しかけてきた。

「おお、おはよう。お前ら久しぶりだな。新チームの調子はどうよ?」

「ドルジは元気か?」
その懐かしい面々に俺たちも少々興奮気味になり、会話に花を咲かせる。

「まぁまぁですよ。昨日のシートノック中に大西と俺がドルジを怒らせて全員外周させられましたよ。」

「ドルジは先輩たちに会いたがってますね。よく今のは佐野なら取れてたとか言ってますよ。」

 ドルジと言うのは、野球部顧問の戸口泰秀のことを指しており、苗字の語感と恰幅の良い見た目が相まっていつの頃からかそう呼ばれている。
 先ほど見た少女の事は一旦忘れ俺たちは数分間、昇降口にて福本と大西と話し込んでしまった。
 話も程々に、二人と別れ俺たちは自分の教室に行くために上履きに履き替えた。
 我らが三年三組は校舎の最上階である三階に位置し、道のりは長くその間にたくさんの友人が俺たちに声をかけてきた。

「知ってる奴がいると安心するの俺だけ?」
俺は階段を登りながら片桐に言った。

「分かる。なんか昨日と言い今日と言い変なことばっか起きてるからかな。」

昨日の大女にさっきの謎の少女、立て続けに起こるにしては濃い出来事ばかりが連なっており脳の整理が追いつかない。
やっと自分たちの教室の近くまで来た頃には8時10分になっており、だいたい自宅から20分で到着するということを体が思い出してくる。

「みろよ、あいつら何か騒いでるぞ。」
 片桐が急に三組の教室の外の扉の前にできた人だかりを指差す。人だかりと言っても上野、佐野、工藤の代わり映えのない三人が居るだけだが、あきらかに唯ならぬ雰囲気を醸し出している。

「あ、ほんとだ。朝から何やってんだろ。」
俺と片桐が教室の方へ近づくとこちらに気づいた三人が早足で俺たちを取り囲む。

「遅えよ、大変なことが起きてるんだぞ。」
工藤がひどく慌てており、口から大量の唾が飛ぶのが見えた。片桐が露骨に嫌な顔をして工藤を払い除ける。

「うわ、汚えなこいつ…。虫歯がうつるだろ。」

「虫歯じゃないし今はそんなことどうだっていいよ。早く来てくれよ。」
工藤の狼狽ぶりが尋常ではない、上野と佐野も緊張しているのか落ち着かない様子だ。当然事態の飲み込めない俺たちはその場に立ち尽くす。

「とにかく早く教室の方来てくれ。俺たちがおかしいのかもしれないから。」
上野がグイグイと俺と片桐の制服の袖を引っ張る。

「なんだよ、焦らず説明してくれないと分かんないから。」
俺はそう宥めたが、こちらにも話したいことがある。それはもちろん先ほどの見知らぬ少女の話だった。

「知らねえ女が居んだよ、クラスによ。」

佐野が思わぬ先制攻撃を俺たちに放つ。それと同時に全身の鳥肌が尋常じゃない程に聳った。ゆっくりと俺と片桐が顔を見合わせた。

「それ本当か?」
 俺が聞き返している間に片桐は既に先に走って教室の後ろの扉の方へ走る。すぐさま俺もその後を追い、扉越しに教室の中を俯瞰した。

 教室の中は夏休み前と変わらない様子だった。
クラスメイトたちが各々、久しぶりの再会を分かち合っていたり、自分の席で必死に宿題を書き写していたりする者もいる。
 そんな中で窓際の列の最後尾、一人少女が椅子に座り何食わぬ顔で文庫本を読み耽っている。その少女は先ほど俺たちに微笑みかけた少女と同一人物であり、さも当たり前かのようにそこに存在した。

「あの女じゃん…。」

眉を潜めた片桐がたったそれだけ呟いた。





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