第35話 自警団

文字数 5,068文字


帰宅するや否や、リビングにいた母親が強い口調で俺に詰め寄る。

「仁、あんた遅いじゃ無い。夜間の外出を控えるようにって連絡網が回ってきてるのよ。どこかで遊んでたんでしょ。連絡しても返事もしないで何考えてるの。テスト勉強してる?」

案の定ではあるが、母はこの現状にピリピリとしていた。連絡網が回ってくる程、保護者の方にも強い注意喚起がされていることを重く受け止めなければならない。

「ごめん、家に携帯忘れてたんだよ。図書館で勉強してたら遅くなった。」

「勉強はいいけど、ちゃんと日が暮れる前に帰ってくるように学校から言われてるでしょ?まだ通り魔が逮捕されていないってことも知ってるでしょ?」

母の言葉にヒヤりとするが、動揺しないように取り繕う。まさにその通り魔らしき人間に追いかけ回されていたと知ったら母は卒倒するだろう、そして今も大女がこの辺りをうろついている可能性も捨てきれない。

「ごめんごめん。明日からは早く帰るって。それより今日は晩飯なに?」
必死に話を変えようとするが部屋に充満する刺激的な香りから今晩もカレーライスであることは明らかだった。

「カレーだよ。残り物だけど一晩寝かせたから昨日より美味しくなってるから。」

「おお、楽しみ。昨日も美味しかったけどね。とにかくめちゃくちゃお腹空いたよ。」
何とか話を変えることに成功したようで、母が上機嫌になる。食卓に運ばれたカレーライスを味わって食べながらも、頭の中には今後どうするべきかが気になって仕方がない。

「ご馳走様、俺自分の部屋に戻るわ。」
 食器を片付けてリビングを出るが、母はソファに座り特にこちらに何か言うこともなかった。

 自室の勉強机の上に置き忘れていた携帯電話を確認すると、ちょうど5分ほど前に片桐から全員に電話できるかとメッセージが来ており、もう既にグループ通話を始めていた。

「もしもし。」

「おお、永瀬か。あとは工藤だけか。」
 通話に参加すると、工藤以外のメンバーが早くも集まっている。

「なんだよ急に全員集めて。またなんかあったんか?」

「ゲームしたいから早くしてくんね?」
上野は心配そうに、佐野は面倒くさそうに不平を述べる。ここからどう切り出すのか、片桐に全てを委ねたかったが、俺の気持ちを汲み取ってか片桐が口を開く。

「まぁ工藤が来たら詳しく話すけどさ、明日から全員武装しようと思うんだ。」

「はぁ?何言ってんのお前。隣町の中学と喧嘩でもする気か?」
片桐の突拍子もない発言に上野が驚くのも無理はない。いきなり武装をしようと言っても何のことだかわからないのは当然だった。

「武装ってなんだ?武器とか持ち歩くってこと?」

「そうだよ。護身用の武器をな。」

「あー、なるほどな。要は大女に対して武器を持って戦うってことか。大きく出たな、勝てるのか?」
俺はそんな感じだと答えると、佐野にしては話の飲み込みが早く即座になんのための武装なのかを理解したようだ。

「まぁ、戦うってよりあくまで自分の身を守る為の物だからな。言っとくけど自ら大女を探して殴りに行く訳じゃないぞ。」
片桐が頑として自己防衛である点を強調する。
佐野は少し話を履き違えているようで、俺たちが大女を討伐しに行くと勘違いしていた。

「ちょっと待て、あんなデカブツに対抗できる武器なんて持ってねえぞ。逃げれば済む話じゃないのか。」
電話口からも上野が急な提案に困惑する様子が窺える、これから逃げれば済む話ではないと言うことも説明しなければならない。

「お前らさっきからなんの話してんだ。人が勉強してる間に、武装だの戦うだの物騒な話しして、ちゃんと説明しろよ。」
 いつの間に参加していたのか、話に割り込んできたのは工藤だった。メンバーの中でも1番の平和主義者だが、既に武装の話に対して難色を示している。

「おお、工藤やっと来たか。片桐、説明してやってくれよ。」
 俺は片桐に話を振る。他のメンバーも急に武装を始めようと言い出した片桐の言葉に聞き入っていた。

「まぁ単刀直入に言うと俺と永瀬は帰り道で大女っぽいやつを見た。」

「おいそれほんとか?ちゃんと通報したんだろうな?」
 間髪入れずに工藤が電話越しに怒鳴る。

「いや、それが一瞬大女っぽい奴が走ってるのが見えただけだから通報はしてないよ。」

「それどの辺で見たんだ?ほんとに通報しなくて良かったのか?てか警察は何やってんの?まだ捕まえられず野放しにしてるのかよ。」
続いて上野が深刻な声で俺たちに質問を投げかけてきた。

「俺と永瀬の家の近くだ。一瞬だったし、見間違いかもしれないから通報はしなかったんだ。」

「そうだ、距離も遠かったしな。もしかしたら違う人かもしれない。」
俺が片桐にフォローを入れるが、他のメンバーはまだ不審がっているのか口々に疑問の声を上げている。

「おい、疑わしきは通報だろ。」

「そうだよ、たとえ違ってても通報しちまえよ。」
工藤と上野が立て続けに通報しなかったことを非難する。いい言い訳が思いつかなかった俺の代わりに片桐が反論を始める。

「まぁ待てお前ら。黒くてデカい何かが数百メートル先を横切っただけで通報とか神経質すぎるだろ?こっちが襲われて怪我したとかじゃねえんだぞ、もうちょい考えろ。」

「なぁ、だったらわざわざ武器を持ち歩くほどなのか?だいたい武器ってなんだ?」
口数の少なかった佐野から思わぬ反撃を受け、片桐がそれは、と言い淀む。

「佐野の言う通りだ。矛盾してねえか?通報はしないのに、大女と戦うつもりってどういうことだよ。はっきりしてくれよ。」
工藤が佐野に便乗するかのように、少し震えた声でこちらの真意を伺う。

「片桐とも話したんだけど、もし俺らが見たのが大女なら場所も場所だし、身を守るものが必要だってことになったんだ。だからまぁ、別にこっちから攻撃を仕掛ける訳じゃない。」
俺はそれらしい理由を説明するが、他のメンバーたちはどうも煮えきらない様子で、それぞれが思い思いに話を広げ収拾がつかなくなり始めていた。

「まぁ落ち着けお前ら。いきなり大女に奇襲されて、通報できると思ってんのか?最悪の場合は大女と戦闘になる、上手く追い払ってそこから通報する、この流れが必要だって俺は言ってんだよ。」
大きめの声で片桐が全員を制する、うーんと言いながらも納得したのか、上野がまた尋ねる。

「それはそうかも知れねえ。だけど勝てんのか?あいつめっちゃデカいぞ?武器だって何を用意するつもりだよ。」

「それなんだけど、俺と永瀬と佐野はバットがあるだろ。工藤も少年野球の時のバットあるよな?奴の武器は毎回短えもんばっかだから、リーチで上回るしか無いんだよ。」

「えーやだよ、大女と至近距離で戦うとか無理だって。しかもバットは野球辞めた後すぐ従兄弟にあげちゃったよ。」
 工藤がバットを持っていない事を俺たちに打ち明ける、これは予想外だった。リーチが長く、身近な物という安直な点だけでバットの力を妄信していた俺たちは、他にろくな武器を思いつかなかった為、何も言えずにいた。

「俺もバットなんか持ってないし長い武器なんて何も無いぞ。ていうかそんなもの持ち歩いていいのか?ましてや学校に行くのに絶対怪しまれるぞ。」
そう言った上野は俺がもう一つ懸念していた、周りの目という点に触れる。

「帰りにバッセンに行くとでも言うしかねえな。仮にも野球部だった俺らはそれでいこう。」
俺の説明にまたも一同が大丈夫かと言う不安の声をあげた。だが言い切るしかなかった、自分でもおかしな事を言っていることは百も承知である。

「なぁ、上野ってパチンコ持ってなかったっけ?それで良いだろ。工藤もエアガン買ったって中二の時散々自慢してたよな。」
またしても意外な武器に目をつけたのは佐野だった。遠隔武器ではあるが、どちらもそれなりに強力な武器であることは間違いなかった。

「ある!夏祭りのくじ引きで当たったパチンコ、探せばあるはずだ!」

「エアガンか、よく覚えてるな。今でも持ってるよ、壊れてないと良いけど。」

「よしそれだ。それなら持ち物検査でもされない限り鞄に入れて学校に持ち込めるな。」

片桐が嬉々とした声を上げる。思わぬ急転直下のスピードでそれぞれの武器が決定される運びとなった。

「いやでもちょっと待って。バットで殴ったら死んじゃうんだよ?君達わかってる?パチンコもエアガンも目に当たると最悪の場合失明よ?」
そう言ってまだ大女と交戦に踏み切れない工藤が不安そうに声を荒げた。だがもはやそんなことを気にしている場合ではない。

「いいだろ、やられる前にやるんだよ。甘いこと言ってるとこっちが殺されちゃうぞ。」

「これは正当防衛だぞ。お前は無抵抗のまま大女に殺されたいのか?」

「お前らなんでそんな過激な発想になるんだよ。」
 俺と片桐で説き伏せようと説得するが、なかなか工藤は聞く耳を持たず、話が平行線のまま進まない。やはり、本当に大女の恐怖を肌で味わっていない工藤には伝わらないことを実感する。

「おい工藤、お前は後ろからエアガン撃っときゃいいんだよ。後方支援に徹しろよ。前線で戦う俺らの身にもなりやがれ。」

「馬鹿か、ゲームの世界じゃねえんだぞ。お前らが刺されても知らない、俺は逃げるからな。」
 佐野も佐野でまだゲーム感覚のつもりなのか、腑抜けた事を言っており、工藤に一蹴される。
 とは言え、確かにバットを持つ野球部3人と後方からの援護射撃を行う工藤ではリスクの差が大きい。

「いや待て、佐野が言ってる通りだ。それか俺らがなんとかしてバットで応戦するから、その間にお前か上野が通報してくれてもいいんだよ?」
 片桐が佐野の言葉にヒントを得たのか、通報する役割を務めるように提案する。その口調は慎重で、なんとか全員の協力を得ようとの発言だった。

「それいいな、こいつらに囮役やってもらってる間に通報しちまえば話が早いもんな。でも全員でいる時じゃないと厳しそうだなぁ。一人の時だとちょっと無理だぞ。」
上野は悩ましげにそう言ったが、確かにこの作戦は人数がそれなりに揃っていないと成立しない。
一人で襲われた場合は無抵抗で逃げ惑うしかなかった。

「帰り道に一人になるタイミングがあるとすれば俺か片桐か。まぁ大丈夫っしょ。最低二人いればさ。」
俺はそう言った後に昨日片桐と二人でも逃げるのに精一杯だった事を思い出したが、しっかりと対策を立てれば大丈夫だと自分に言い聞かせた。

「ふーん、そんな上手く行くのかねぇ。そもそも中学生の自警団気取りが、化け物みたいな女と戦えるのか?俺は見たことないけど、相当デカいんだろ?」
やはりまだ工藤は大女と戦うという最悪の事態を直視できていない様子だった。普通に考えてみて無理はない。走るスピードからして、大女は身体能力も圧倒的にこちらを上回っていた。

「デカいと言っても相手は女だぜ?しかもこっちは5人いんのよ。多少の犠牲は出ても負けはしないだろ。」
片桐は妙な興奮状態になっているのか、いやに好戦的で笑ってそう言っている。

「お前の自慢の早撃ちで撃退しろよ。」
上野もそう言って工藤を揶揄う。確かに中学二年生の頃、工藤は俺たちにエアガンを自慢しながら俺の早撃ちは的確だと何度も豪語していた。

「あのね、のび太くんじゃないんだよ俺は。本当にいいんだな?さっきも言ったけどお前ら怪我しても知らないぞ?」

「ハハハ。頼りなさはのび太だろ。」
佐野の気の抜けた言葉に一同が大笑いをするが、工藤は呆れてもういいよ、やってやるよ、と確かに繰り返した。
 工藤の言質も取れたところで、この電話での会議もお開きになりそうだった。

「明日から各自武器忘れないようにな。上野、ちゃんとパチンコ探しとけよ。」

「いいよ、無かったら弟のエアガン持っていくわ。」

 
 上野がそう言い終わると、そのままそれぞれが別れを告げ、グループ電話は解散を迎えたが、この時まだ俺たちはこの武装作戦に致命的な欠点があることに気づくことはなかった。



 今思えば、ここで引き返せたのではないか。
そう思うと悔やんでも悔やみきれない。









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