第43話 命拾い

文字数 3,559文字

「ちょっとキミキミ、大丈夫か?」

 誰かが俺の肩を揺する。優しく大きな手だ、ここはどこだっけ、確か大女と交戦してそのあとどうしたんだろう。もう少し休ませてくれないか、その想いとは裏腹に段々意識が明確になってゆく。

 ゆっくりと目を開くとそこには二人の警察官と、泣きそうな表情で俺を見つめる未来が心配そうに立っていた。場所は先ほどのトンネルか、湿った空気があたり一面に満ちている。それと同時に先ほどより周りが暗くなっていることも分かった。

「あれ、ここは…。」

「ナオ君!良かった!私たちここに倒れてたんだよ!」

 未来が俺に駆け寄り、強く抱きしめてくれる。
なるほど、誰かが通報してくれたんだな。渡か?すると渡と会ったのは夢じゃなかったのか。


「大丈夫かい?私は千葉県警の北川です。ここに中学生二人倒れてるって通報があってね、立てる?熱中症かも知れないからゆっくりでいいよ。」

 先ほど俺を起こしてくれた方の警官がそう声をかける。北川と名乗ったの年配の男に俺は礼を言ってゆっくり立ち上がる。少しふらついたが、未来が支えてくれた。
 

 後ろでもう一人の後輩らしき20代前半くらいの眼鏡の警官が無線で何かやりとりをしていた。時刻は17時8分、警官の会話から現在の時間が聞き取れる。結構な時間ここで気絶していたらしい。
どうやら本物の警察が来てくれたようだ。自分たちが命拾いしたことを理解したと同時に、なぜ急に大女が立ち去ったのかという不気味な謎が昨日にも増して俺を強く襲う。

「ナオ君、大丈夫?シャツが赤いけど血じゃないよね?」

「ああ、これかぁ。これは血ではないと思う…。」

 未来が心配そうに俺のワイシャツに付着した赤い液体を指差すが、顔の方はハンカチで拭き取りすっかり乾いたのか指摘されなかった。そして左目の方も少ししみるが見えない、ということもなくしっかりと開いた。

「あと目もすごく充血してるよ。」

 未来にそう言われ慌てて携帯電話の内部カメラで自分の瞳を確認する。確かに左目が真っ赤になっている、十中八九あの女の飛ばした液体のせいだろう。
幸い目は痛むが見えなくなってはいなかった、失明などしたら洒落にならないが今のところ大丈夫そうだ。


「落ち着いてからでいいんだけど、とりあえず何があったか教えてくれるかな?」

 北川が俺にゆっくりとした口調で尋ねる。さすがにバットで大女と殴り合ったことを話すと事を荒立てることになりそうなので、それは黙っておこうと瞬間的に思った。バットは未来が閉まってくれたのか、ケースの中に収まっている。

「ええ、良いですよ。その前におまわりさん、俺もひとつ聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

 俺はどうしても確認したいことがあったので、そう尋ね返すと北川は少し驚いたような顔を見せる。

「ええ、大丈夫だけど。どうかしましたか?」

「その、どんな人が通報してくれたかとかって分かります?」

 渡がここに来ていたがどうか、そして通報してくれたのかどうか確かめたかった。俺が意識を失う直前に見たものは幻覚だったのかどうしても気になった為、俺はそれを尋ねる。

「えっとね、一応通報してくれた人が匿名希望で個人情報を明かさないでほしいとの事だったのでごめんね、それは教えられないや。」

「そうでしたか、ありがとうございます。」

 北川はその様なことを聞かれると思っていなかったのか、少々戸惑った様子だった。それはともかく、匿名での通報とあればこれ以上は何も聞くことができない。渡でないにせよ単純に考えて通報した人間が自らの情報をペラペラ話したりはしないか、聞くまでもない取り越し苦労だったようだ。

 そこから俺たちの身に何が起きたのか、北川及び後輩警官の広田から任意の事情聴取を受けた。
俺が見たものを事細かく説明し、さらに掘り下げるような質問を警察側からされると言う形であったが、メモを取っていた広田の方は少し小心者らしく大女の話が出ると顔が青ざめていた。

 そして一通り俺は起きたこと全てを話した。下校中、このトンネルの中で待ち伏せしていた大女らしき人物に襲われ姿を見た未来はあまりのショックでそのまま昏倒。俺は顔に何かを吹きかけられて気絶した。
と、大女と直接戦闘に至った点を隠した以外は全てを正確に話した。

 奇妙な事に未来は大女に会ったことすら全く記憶にないらしく、気がついたらこのトンネルの中に倒れていたの一点張りだった。実際に未来はあの女に奇術を掛けられたかのように卒倒してしまったので無理もない。
 
 結局、直接大女との殴り合いになった話が一切無く9割は俺が状況を説明することができた。

 これに関して警官たちは少し不審に思った点もあるようだったが、俺が物的証拠として顔を拭いたハンカチ、更には液体が付着した白いワイシャツを見て大女に襲われたのは真実であると理解してくれたようであった。
取り調べが一通り終わると北川がこう切り出す。

「なるほど、ありがとう。どうする?話を聞く限りだと一応傷害事件として被害届を出すこともできるんだけど。」

「是非お願いします。」

 俺は考えるまでもなくそう答える。あいつを野放しにしておくのは当然危険だ。現に今も逃走中だろう。

「分かった、じゃあ署の方まで来てもらいたいんだけどその前に片桐君。君はその女に液体をかけられているから病院に行っておいで。保護者の方にはこちらから連絡しておくから。」

「よろしくお願いします。すみません、色々ご迷惑をかけてしまって。お言葉に甘えて病院で診断を受けてきます。」

「保険証やお金は持ってるかい?」

「はい、持ってます。」

 北川からの提案に自分でも驚くほど冷静にそう答えた。このトンネルを抜けて5分ほどのところに確か眼科があったのを覚えている。まだ午後の診察はやっているはずだ、今日は運良く財布に現金も保険証も入っている。

「そうか、恐らくここからだと谷口眼科さんが一番近いはずだからちょっと行っておいで。交番の場所は分かる?」

「はい、眼科の近くの交番で間違い無いですか?」


「そうだね、そこで大丈夫だよ。来る前に連絡してくれれば色々スムーズに進むんだけど、何か連絡手段とかも持ってる?」

「はい、それも大丈夫です。携帯があるので。」


それから北川と今後の段取りを話し、一旦病院へ向かう運びとなった。だがここで先ほどから大人しくしていた未来が急に横槍を入れ始める。


「ねぇ、待って。病院なら未来もついて行くよ!」

 ある程度覚悟はしていたがやはり未来は病院につきそうつもりらしい。まだ事の重大さを理解していないのだろうか。凶器と薬品のような物を所持した通り魔がうろうろしていることを忘れているような未来の言い草に俺は危機感を覚えた。

「だめに決まってるだろ?まだあの女がそこら辺にいるかもしれないんだぞ?今日のところは帰って大人しくしてろ!」

 いつもより強い口調で俺は未来を諭す。とてもじゃ無いがこんな危険な状況でいつまでも外出させておくわけにはいかない。

「で、でも。心配なんだもん!」

「ありがとう、それは分かるけど早く帰った方がいいよ、未来だって倒れてたんだし。頼む、今日は安静にしててくれ。」

 そこからはしばらく俺と未来の押し問答が続く。最初は警官二人もそれを微笑ましいという目で俺たちを見守っていたが、だんだん痺れを切らし始めたのか、とうとう北川が俺たちの間に割って入る。

「まぁまぁ、お兄さんの言う通りだよ。私たちがお家まで送るから今日は家にいなさい。」

 未来は少し黙ったあと、不服を露わにせず素直な声で答えた。その意外なほど大人な対応に俺は少し感心する。

「分かりました。ナオ君は病院行った後、ちゃんとどうなったか教えてね?」

「勿論教えるよ。だから今は家で安静にしててくれ。」

「うん、絶対だよ。」


 俺は未来の手をぎゅっと握りながらそう諭す。警官二人の手前少し気恥ずかしさがあったが、そこは空気を読んでくれたのか北川も広田も少し距離を置いた場所でこちらから目を背け話し込んでいた。

 そして心の中ではまた別のことを考えていた。それは炭焼き小屋のあいつらのことだ。
 渡を追いかけていたのなら、奴らもそれを追ってここにきていてもおかしくはない。だが一向に姿を見せる事もなく、どうも引っかかる。やはり俺が見た渡は幻覚だったのだろうか。

 消えない心のモヤモヤを引きずりながらも、俺は自分の両眼の状態を確かめるべく一先ずは眼科へ向かうことにした。
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