第12話 警鐘

文字数 2,184文字


「え〜全校生徒の諸君、お久しぶりです。おはようございます。」

 体育館の壇上に登場した還暦間際の好好爺、箕輪三郎校長の挨拶により始業式が始まる。
 我が校の箕輪校長はその役職からは想像できないほどフランクな人物で、生徒との距離も近い気の良い人物であった。またこう言った場面でも校長特有の長話をほとんどしない人間でもあり、生徒からの人気も高い。柔和な表情と毛根が一切死滅した禿頭がトレードマークの腰の低い男である。
 
しかしいつもにこやかな箕輪校長の様子がどこかおかしい。表情が硬いと言うか、全体的に緊張したような雰囲気を感じる。

「皆さん、いかがお過ごしだったでしょうか。長かった夏休みも終わって今日から新学期ですね。生憎の雨ですが心機一転頑張っていきたいですね。」
 口調自体はいつも通り柔らかく、当たり障りのない挨拶が続くも、校長の顔が強張っている様子を見て嫌な雰囲気を察知する。

「なんか校長機嫌悪いのかな?なんか怖い。」
工藤が少し振り向いて小さくつぶやく。校長の異変を感じ取っているようだ。それほど校長の緊張感が伝わる。

「どうしたんだろうな。誰か生徒が死んだのか?」
縁起でもない発想だが、それくらいの雰囲気を醸し出している。それから校長が取り止めのない話を続けるが、声色が急に力強いものに変わった。

「え〜それとですね、誠に遺憾で誠に残念なことなのですが、この地域で小動物の変死体が見つかると言う事件が起きています。さらには、昨日小学生児童が何者かに襲われると言う大変ショッキングな事件も起きました。」

一層大きくなった校長の声が体育館に響く。違和感の正体はこれだったか。少女のことに気を取られていたが俺たちは今、もう一つ気がかりなことがあったのを思い出した。

「犯人はまだ捕まっておりません。いついかなる時もおかしな人物を見かけたらすぐに通報し、大人に頼るようにしてください。」

 校長の鳴らす警鐘にギクリとしてしまった、工藤が一瞬こちらを振り向く。俺も片桐の方を見るとこちらを見るなと言うような手振りをされる。

「また、登下校も出来るだけ人の多い道を大勢で通るようにしてください。皆さんが怖い思いをしない為にも大切な事です。」

 校長がそういうと生徒達が少しざわつく。

「襲われたの私の弟のクラスの子らしいよ。」

「不審者の身長2メートルあったんだって。」

隣のクラスにもにわかに信じ難い怪情報が飛び交っている。俺達が見た女は流石に2メートルは無かったとは思うがそれに迫る体躯をしていたのは確かだ。


「はい、皆さん静かに静かに。詳しくはこの後各クラスでもお話があると思います。」

 箕輪校長が落ち着きを失った全校生徒達を諫める。俺達はあの後通報するべきだったのか、パニックで脱走しあとすっかり忘れてしまっていたが今更になって罪悪感が募る。
 逃げた後に通報したところで意味もなかった気がするが、それでも大人に話したほうが良かったのか。己の保身に走ってしまったおかげで多くの人間が危険に晒されることになってしまわないか、自己嫌悪に陥り目眩が襲う。

「永瀬くん気分悪いの?顔色悪いみたいだけど。」

背の順で隣に並ぶ保健委員の鈴木柚子が心配そうにこちらを気にかける。首を傾げる鈴木の以前より短く切ったショートヘアがふわりと揺れる。

「大丈夫だよ、ありがとう。」
昨日の寝不足もあってか、横になりたい気持ちもあったがなんとか耐える。

「ほんと?ヤバかったら先生呼ぶからね。」
鈴木の気遣いが心苦しかった。俺たちが昨日通報していれば、大女も逮捕されてクラスの友達が危険な目に遭わずに済むかもしれないと考えると動悸が高鳴る。

 それからすぐ、一転して部活動でチームや個人で良い成績を収めた者の表彰状の授与が始まる。これは全校生徒座ることができるので非常に助かった。
 俺たちのメンバーはもうとっくに部活も引退しているので関係はなかったので、しばらく三角座りで深呼吸をして心を落ち着けた。

 その後生活指導の教師であるドルジこと戸口が壇上に上がり、校長の代わりなのか眠くなるような話をしてくる。野球部でも感情が高まりすぎてミーティング中はなにを言っているかわからないことが多々あったが、全校生徒の前になるとそれが特に顕著に表れており、無駄に熱い中年男性の言葉に耳を傾ける者は少なかった。
 
 長いドルジの講話も終わりを迎え、生徒は教室に戻ることになった。この間も行きと同様クラスごとに列を組み元に戻るが、教師達は一度職員室に戻り会議があるとのことだったので、教室に着くと一旦生徒達に自由時間が与えられる。自由時間といえど、軽くトイレ休憩を取るぐらいしか許されていない。
 戻ってくるなり、片桐が炭焼き小屋のメンバーに召集をかけ教室の外へ出る。

 「よし、一回踊り場いって話すぞ。」
 片桐が全員に言うと皆もおう、と廊下の向こうの階段の方を目指す。隣の四組の教室の前を通りかかった時だった。教室の扉からいきなり一人の小柄な女子生徒が俺たちの目の前に踊り出て、おもむろに片桐の腕を掴む。

「なお君、どこ行くの?」

片桐の愛する恋人であり、炭焼き小屋メンバーの天敵である稲川未来が行手に立ちはだかった。


 
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