第11話 不協和
文字数 3,298文字
三組の人数は全員で38人である。今日は始業式だと言うこともあってか欠席はいなかった。それどころか、知らない少女が一人紛れ込んでいる。
岸田を含めクラスの人間は誰一人それに言及する素振りを見せない。これから出席を取るのだが、ちゃんと彼女の存在が公的に認められているなら、そこで少女の名前が判明するはずだ。
いつもは出席確認など自分の番以外聞き流している物だが、今回に限っては少女の名前の番がいつ回ってくるかに全神経を集中させる。
「じゃあ出席取るぞー。一番、朝倉慎吾。」
出欠確認が始まるが、他のメンバーも集中していることがピンと伸ばした後ろ姿からわかる。
「ハイっ、元気です!」
大きな声で返事をした朝倉が、自身の短く刈り上げた後ろ頭を触りながら立ち上がる。
「朝倉〜それは小学生の返事だろう。ハイだけでいいぞ。」
教室内に笑いが起きる、夏休み明け一発目の掴みは完璧だと確信したのか出席番号が最初でひょうきんものの朝倉がニヤニヤとはにかむが、早く次の名前を読み上げてほしい俺は少々苛立ちを覚える。
「次、幾田環。」
「はい。」
「磯なぎさ。」
「はーい。」
それからしばらく馴染みの名前が読み上げられ、上野と片桐の番までまわり、彼らも平静を装った当たり障りのない返事をする。
「工藤淳。」
「ハ、ハイーッ。」
工藤は緊張しているのか声が上ずったまま返事をし、それによりまたクラスメイトたちがドッと笑う。さりげなく窓辺の少女の方をチラ見すると少女はまた窓の外を眺め絶え間なく降る雨の方を気にしていた。
それから佐野と俺の名前も呼ばれ、いよいよ残ったクラスメイトも半分を切っていた。ここから先、いつ少女の名前が判明するのか、ビンゴゲームでリーチになり最後の数字をひたすら待っているかのような気分になってきた。
だがなかなか呼ばれない、は行の最後の古岡龍平が呼ばれ終わると、少女を含め残り9名。10人を切ったが未だ名前が呼ばれる気配がない。やはりこのクラスの人間ではないのか?最後に転校生として紹介するサプライズか?
なんてことを考えているうちにあと3名になった。本来なら残りは出席番号37番矢島美晴と最後の38番である山際優貴の2人で終わりのはずが、今このクラスには確実に生徒が1人多い。まさか岸田には少女が見えていないのか?いやその可能性は低い、他のクラスメイトたちは彼女の存在を認識しているのだから。
「山際優貴。」
「はい。」
岸田が最後の出席番号である山際の名前を読み上げる。本来ならここで終わりだ。片桐や工藤もずっと体を硬直させ岸田の言葉に集中している。
「じゃあ最後、渡霞。」
信じられないことだが、岸田が存在しないはずの39番目の生徒の名前を呼ぶ。わたりかすみ、そう呼ばれた少女の名前に聞き覚えなど一切ない。
「ハイ。」
教室の後方、窓際の最後尾から透き通りよく響く声が聞こえた。例の少女が平然と答えたのだ。俺はゆっくり顔を上げ仲間たちに視線を送る。全員が顔を見合わせ、困惑の表情をしているのは当たり前だった。
次に俺は少女の方を直視する。少女は依然、当然の如く居座り、クラスの連中も担任も誰も気に留めることはない。
「じゃあ始業式まで少し時間があるから、しばらく教室待機で。先生はその間一旦職員室に行ってくるから、それまで静かに待つように。」
岸田が俺たちに告げて教室を後にした。
俺は渡と呼ばれる少女の方を凝視する。どうなっている?少女はこちらに気づくこともなく文庫本を読み始める。
「永瀬君、どうしたの。渡さんの方ばっかり見て。見惚れてたの?」
不意に水間が俺の方を見てフフフと笑う、間違いなく渡霞がクラスに存在したと言うことを確信した。
「馬鹿、違うよ。なんとなくあっちの方見てただけだから。」
「なんだなんだ、仁ちゃんお前もしかしてあいつのことが好きなのか〜?」
それを聞いた俺の斜め前の席の難波卓郎がこちらを向き、俺を囃立てる。難波は白く大きな歯をチラつかせながら、黒く大きな目でこちらを見据えている。不味いことになった。
「違うって、卓郎もやめろよ。違うから。」
「へぇ〜永瀬君ってそうだったんだ。霞ちゃん美人だもんね、ライバル多そうだけど頑張ってね。」
今度は隣の席の磯なぎさが涼しげな顔で俺を冷やかす。磯も噂話好きの女子生徒ではあったが、こいつらの中では渡は当たり前にクラスメイトとして存在するのか。水間、磯、難波は席が近いこともありよく話す連中だが俺とこいつらの何が違うのか。
「違うって言ってんだろ、勝手に水間が言ってるだけなんだって。マジで違うから、ほんといい加減にしろ。」
何を言っても無駄なのか、面倒な展開になった。本気で否定すればするほどドツボにハマるような気がする。客観的に見れば俺が本当に渡という少女に惚れているような雰囲気になってしまっていた。
「え、その反応、本当に好きなの?冗談だったんだけど、いつから?夏休み中?」
水間が俺の顔を覗き込み、こちらの反応を楽しんでいる。俺は弁解を続けると同時に、必死で渡という存在を思い出そうと頭の中の記憶を辿った。だがやはり、俺の人生において渡という女子生徒に関する思い出はない。それ以前に、そんな人物は聞いたこともなかった。
「え、ていうかあんな女いたっけ?俺らのクラスに。」
そう自然に口から出ていた。自分で言った後にこれは不味い、と思ったが墓穴は既に深く掘られていた。
「おいおい、そりゃ無いだろ。好き過ぎて自分の中から抹消しちゃったのか?」
難波がやや不審そうな顔になり、それを聞いた磯も俺の退路を無くすかのように言う。
「なにそれ。照れ隠しなの?」
「いやいや、なんでも無いんだ。ちょっと久しぶりすぎて顔を忘れてただけだよ、だから見てただけ。もういいだろ、な?」
苦しい言い訳だが、その場を諫めるために口から出まかせを続けた。
「クラスメイトを忘れるなんて最低だなぁ。」
水間の表情は先ほどのニヤケ顔から疑うような表情に変わっていた。
間違いない、このクラスでは俺は異端な存在となっている。俺たちからしたら渡の方が完全にイレギュラーな存在なのだが、渡霞を知らないと言うことだけで、俺は確実にこの空間に不協和をもたらしていた。
他のメンバーも同じだろう。
今すぐ片桐たちに助け舟を出したかったが生憎奴らも周りの生徒と喋っていてこちらに気づかない。
「そろそろ体育館に行くから廊下に整列しろー。」
助かった、まもなく始業式が始まる時刻となる為岸田がクラス全員に声をかけた。
ひとまずはこの場から脱することができそうだ。
岸田も岸田でバタバタと教室と職員室を行ったり来たりして忙しない、何かあったのかと勘ぐってしまう。
廊下に出ると、他のクラスの連中も同じように教室の外で列を組み始めていた。身長順に並ぶのだが、170cmの俺は三組男子の平均身長よりは少しだけ高かったので後ろの方へ並ぶ。いつものメンバーの中では佐野が一番小柄で、次に上野が低く工藤、俺、片桐はほぼ同じ身長だった。
その為整列すると工藤と片桐に俺が挟まれる形となるわけだ。
列を組みながら俺は前後を確認する。
「おい、これはどう言うことだ。渡って誰だよ。」
工藤が振り向きながら小声で俺に言う。
「分からん、名前を聞いても全然記憶にないんだが。」
俺はため息をつき歩き始める。
「周りの奴らの反応がおかしいな。やっぱり今日は集まって会議しよう、これはただ事じゃねえぞ。」
背後から同じく極めて小声で片桐が俺と工藤にささやく。ああ、と答えるが俺たちの少し前を平然と歩く渡の存在がどうしても気になってしょうがなかった。体育館に続く外の通路の屋根に大気の雨粒が打ち付けられている、先ほどより雨が強くなっているのか。
体育館に入ると他クラスも集まり始めていた。
全校生徒が集合し、これから校長のありがたい話が始まるわけだ。
岸田を含めクラスの人間は誰一人それに言及する素振りを見せない。これから出席を取るのだが、ちゃんと彼女の存在が公的に認められているなら、そこで少女の名前が判明するはずだ。
いつもは出席確認など自分の番以外聞き流している物だが、今回に限っては少女の名前の番がいつ回ってくるかに全神経を集中させる。
「じゃあ出席取るぞー。一番、朝倉慎吾。」
出欠確認が始まるが、他のメンバーも集中していることがピンと伸ばした後ろ姿からわかる。
「ハイっ、元気です!」
大きな声で返事をした朝倉が、自身の短く刈り上げた後ろ頭を触りながら立ち上がる。
「朝倉〜それは小学生の返事だろう。ハイだけでいいぞ。」
教室内に笑いが起きる、夏休み明け一発目の掴みは完璧だと確信したのか出席番号が最初でひょうきんものの朝倉がニヤニヤとはにかむが、早く次の名前を読み上げてほしい俺は少々苛立ちを覚える。
「次、幾田環。」
「はい。」
「磯なぎさ。」
「はーい。」
それからしばらく馴染みの名前が読み上げられ、上野と片桐の番までまわり、彼らも平静を装った当たり障りのない返事をする。
「工藤淳。」
「ハ、ハイーッ。」
工藤は緊張しているのか声が上ずったまま返事をし、それによりまたクラスメイトたちがドッと笑う。さりげなく窓辺の少女の方をチラ見すると少女はまた窓の外を眺め絶え間なく降る雨の方を気にしていた。
それから佐野と俺の名前も呼ばれ、いよいよ残ったクラスメイトも半分を切っていた。ここから先、いつ少女の名前が判明するのか、ビンゴゲームでリーチになり最後の数字をひたすら待っているかのような気分になってきた。
だがなかなか呼ばれない、は行の最後の古岡龍平が呼ばれ終わると、少女を含め残り9名。10人を切ったが未だ名前が呼ばれる気配がない。やはりこのクラスの人間ではないのか?最後に転校生として紹介するサプライズか?
なんてことを考えているうちにあと3名になった。本来なら残りは出席番号37番矢島美晴と最後の38番である山際優貴の2人で終わりのはずが、今このクラスには確実に生徒が1人多い。まさか岸田には少女が見えていないのか?いやその可能性は低い、他のクラスメイトたちは彼女の存在を認識しているのだから。
「山際優貴。」
「はい。」
岸田が最後の出席番号である山際の名前を読み上げる。本来ならここで終わりだ。片桐や工藤もずっと体を硬直させ岸田の言葉に集中している。
「じゃあ最後、渡霞。」
信じられないことだが、岸田が存在しないはずの39番目の生徒の名前を呼ぶ。わたりかすみ、そう呼ばれた少女の名前に聞き覚えなど一切ない。
「ハイ。」
教室の後方、窓際の最後尾から透き通りよく響く声が聞こえた。例の少女が平然と答えたのだ。俺はゆっくり顔を上げ仲間たちに視線を送る。全員が顔を見合わせ、困惑の表情をしているのは当たり前だった。
次に俺は少女の方を直視する。少女は依然、当然の如く居座り、クラスの連中も担任も誰も気に留めることはない。
「じゃあ始業式まで少し時間があるから、しばらく教室待機で。先生はその間一旦職員室に行ってくるから、それまで静かに待つように。」
岸田が俺たちに告げて教室を後にした。
俺は渡と呼ばれる少女の方を凝視する。どうなっている?少女はこちらに気づくこともなく文庫本を読み始める。
「永瀬君、どうしたの。渡さんの方ばっかり見て。見惚れてたの?」
不意に水間が俺の方を見てフフフと笑う、間違いなく渡霞がクラスに存在したと言うことを確信した。
「馬鹿、違うよ。なんとなくあっちの方見てただけだから。」
「なんだなんだ、仁ちゃんお前もしかしてあいつのことが好きなのか〜?」
それを聞いた俺の斜め前の席の難波卓郎がこちらを向き、俺を囃立てる。難波は白く大きな歯をチラつかせながら、黒く大きな目でこちらを見据えている。不味いことになった。
「違うって、卓郎もやめろよ。違うから。」
「へぇ〜永瀬君ってそうだったんだ。霞ちゃん美人だもんね、ライバル多そうだけど頑張ってね。」
今度は隣の席の磯なぎさが涼しげな顔で俺を冷やかす。磯も噂話好きの女子生徒ではあったが、こいつらの中では渡は当たり前にクラスメイトとして存在するのか。水間、磯、難波は席が近いこともありよく話す連中だが俺とこいつらの何が違うのか。
「違うって言ってんだろ、勝手に水間が言ってるだけなんだって。マジで違うから、ほんといい加減にしろ。」
何を言っても無駄なのか、面倒な展開になった。本気で否定すればするほどドツボにハマるような気がする。客観的に見れば俺が本当に渡という少女に惚れているような雰囲気になってしまっていた。
「え、その反応、本当に好きなの?冗談だったんだけど、いつから?夏休み中?」
水間が俺の顔を覗き込み、こちらの反応を楽しんでいる。俺は弁解を続けると同時に、必死で渡という存在を思い出そうと頭の中の記憶を辿った。だがやはり、俺の人生において渡という女子生徒に関する思い出はない。それ以前に、そんな人物は聞いたこともなかった。
「え、ていうかあんな女いたっけ?俺らのクラスに。」
そう自然に口から出ていた。自分で言った後にこれは不味い、と思ったが墓穴は既に深く掘られていた。
「おいおい、そりゃ無いだろ。好き過ぎて自分の中から抹消しちゃったのか?」
難波がやや不審そうな顔になり、それを聞いた磯も俺の退路を無くすかのように言う。
「なにそれ。照れ隠しなの?」
「いやいや、なんでも無いんだ。ちょっと久しぶりすぎて顔を忘れてただけだよ、だから見てただけ。もういいだろ、な?」
苦しい言い訳だが、その場を諫めるために口から出まかせを続けた。
「クラスメイトを忘れるなんて最低だなぁ。」
水間の表情は先ほどのニヤケ顔から疑うような表情に変わっていた。
間違いない、このクラスでは俺は異端な存在となっている。俺たちからしたら渡の方が完全にイレギュラーな存在なのだが、渡霞を知らないと言うことだけで、俺は確実にこの空間に不協和をもたらしていた。
他のメンバーも同じだろう。
今すぐ片桐たちに助け舟を出したかったが生憎奴らも周りの生徒と喋っていてこちらに気づかない。
「そろそろ体育館に行くから廊下に整列しろー。」
助かった、まもなく始業式が始まる時刻となる為岸田がクラス全員に声をかけた。
ひとまずはこの場から脱することができそうだ。
岸田も岸田でバタバタと教室と職員室を行ったり来たりして忙しない、何かあったのかと勘ぐってしまう。
廊下に出ると、他のクラスの連中も同じように教室の外で列を組み始めていた。身長順に並ぶのだが、170cmの俺は三組男子の平均身長よりは少しだけ高かったので後ろの方へ並ぶ。いつものメンバーの中では佐野が一番小柄で、次に上野が低く工藤、俺、片桐はほぼ同じ身長だった。
その為整列すると工藤と片桐に俺が挟まれる形となるわけだ。
列を組みながら俺は前後を確認する。
「おい、これはどう言うことだ。渡って誰だよ。」
工藤が振り向きながら小声で俺に言う。
「分からん、名前を聞いても全然記憶にないんだが。」
俺はため息をつき歩き始める。
「周りの奴らの反応がおかしいな。やっぱり今日は集まって会議しよう、これはただ事じゃねえぞ。」
背後から同じく極めて小声で片桐が俺と工藤にささやく。ああ、と答えるが俺たちの少し前を平然と歩く渡の存在がどうしても気になってしょうがなかった。体育館に続く外の通路の屋根に大気の雨粒が打ち付けられている、先ほどより雨が強くなっているのか。
体育館に入ると他クラスも集まり始めていた。
全校生徒が集合し、これから校長のありがたい話が始まるわけだ。