第20話 不首尾ーアナザーサイドー
文字数 3,444文字
目が覚めるような一言だった、佐野修平が私の気持ちを全て代弁してくれた。彼も渡霞なんて少女の存在を知らないようだ。
私は次の展開に期待する。少女は酷く傷付いたような表情に見えたが、本心はわからない。
すぐさま上野君が二人のもとに駆け寄り、何やら弁解のようなことをしている。余計なことをするなと思う反面、彼もまた渡さんのことを知らないのかな?と考える。
「急に佐野君どうしたんだろ。」
柚子が佐野修平の奇行を見て怪訝な顔をする。だが私からすればもっとやれ、と内心は彼を応援していた。
「お前こそ何言ってんだ。こんな女いなかっただろ今まで。上野も知らないって言ってただろ?」
佐野修平が遂に核心に迫ること発言をする。
よく言ってくれた。上野君も知らないと言っていたのか、と言うことは他にもクラスメイトの中に渡霞を知らない、もしくは覚えていない人間が存在するかもしれない。ただ上野くんは演技をしているのか誤魔化そうとしているように見える。
「どうしたの、佐野くんも上野くんも…。」
渡霞は消え入りそうな声で不安な表情を見せ、だんだん周囲もざわつき始める。
他のみんなからすればクラスの一員にいきなりお前は誰だと詰めかける危険な男にしか見えないかもしれないが、彼こそが私の救世主だった。
そこからは上野君と佐野修平が言い争うような形になるが、上野君は結局どういう立ち位置なのか真実がよく見えてこない。
「霞ちゃんかわいそう、佐野君酷くない?」
「そ、そうだね。なんかまずい雰囲気だね。」
争い事やイジメなど柚子が最も嫌う行為だ。私は二人に加担することもなく、ただ傍観者としてその様子を見守る。彼らなりの作戦かもしれないと考えた為、私が錯乱して乱入することはこの謎の真相を遠ざける事になるかもしれない。
だがその半分は厄介ごとに巻き込まれず、野次馬を貫き事の顛末を見届けたいという気持ちも少なからずあった。
気がつくと少女が涙を流している、流石にこれはやりすぎかなとは思ったが、私からすれば佐野修平が正しいことを言っているように見えたので、あの涙は嘘泣きにしか思えなかった。
少女の涙に佐野修平も流石に心を痛めたのか、どうしていいかわからないという顔をして狼狽えている。
「ちょっと何やってんの!」
その場に我がクラスの委員長である清乃が割って入るまで時間はかからなかった。
正義感の強い清乃はいてもたってもいられない様子で飛び出してきており、相方の栞が少女の涙を拭いてあげている。三年三組の秩序は清乃によって守られているといっても過言ではないけれども、新学期初日からこんな事件が起きるなんて思ってもいなかった。
佐野修平が清乃と正面衝突するかと思ったが、清乃の淡々とした口調に全く歯が立たずどんどん言葉がしどろもどろになっていく。
「いや、え?どう言うことこれ。」
「ふざけないでよ、新学期早々女の子虐めてそっっちがどう言うこと?もうあっち行ってよ。」
少女が泣いたのが余程予想外だったのか、佐野修平は動揺し劣勢になっており、さっきまで威勢よくお前誰だよなどと言っていた人間とは思えないほど小さく萎縮している。上野君のフォローも虚しくクラス中から大ブーイングが聞こえ始める。
どうやら渡霞はこのクラスで人並み以上に人権があり、私がこの場で自分も知らないなんて言うと異端者となってしまいそうだ。佐野修平はその事実を認めないと言わんばかりに小声でぶつぶつ不平を言っているが、その姿がとても悲しい。
それからすぐこの事態の収拾がつかなくなってきている所に突然、クラスで権力のある片桐君が登場して状況を説明し始める。
「みんなごめん!俺が悪いんだ。佐野が記憶喪失になったフリして、渡さんにちょっかいかけようっていうことになって。渡さん、本当にごめんな。ほら佐野も謝れ。」
佐野修平の伸び始めた坊主頭を掴み無理やり下げさせているが、私にはこれがふざけた男子のノリには思えなかった。だって私も本当にあんな少女知らなかったのだから。
片桐君の必死の弁明で清乃の怒りが鎮まる、男女問わずクラスの人気を集める彼の顔を立てるということで一応は話が丸く収まってきた。いつの間にかすっかり少女の涙も止まっていた。
片桐君も少女の存在を知らなかったのか、今はまだグレーな所なので判断ができない。
「さすが片桐君、でも遊びだとしても今回のはやりすぎだよね。」
柚子がそう呟いたので私もうん、と答えるがこれは行き過ぎた遊びの一環ではないと私は確信している。
その理由が何故かというと二つあったのだが、まず第一に大前提として私もあの少女を知らない人間は彼だけではなく、私も知らないという点。
私の世界線では渡霞なんて名前のクラスメイトは存在しない、佐野修平の言っていることは私にとっては大変同意することばかりだった。
その次に、佐野修平にあんな演技ができるわけがないということだった。彼とほとんど話したことはないが、普段の様子を見てあそこまで真に迫った芝居ができる人間ではないことは分かる。
あれは全て本心から出た言葉だろう。
とにかくモヤモヤした気持ちを抑えられなかった私は、佐野修平と一刻も早くこの気持ちを共有したかった。彼もまた、この居心地の悪い空間にいつまでも耐えられないだろう。
「ねぇ柚子、佐野君の連絡先わかる?知ってたらでいいんだけど後で佐野君の連絡先教えてくれない?」
男子とsnsのやり取りなんてほとんどしたことはなかったが、居てもたってもいられなくなった私は躊躇することなく柚子に頼み込む。かなりびっくりした様子で柚子が答える。
「え、一応修学旅行の班一緒だったから知ってるからけど。それにしても急だね、まさかさっきので好きになったの?」
「あ、いやいやそれは絶対あり得ないんだけど、佐野君が夏休み明けに私が通ってる塾に体験授業受けにきたいって言ってたの思い出したから、教えて欲しいなって。」
かなり強引だが、口から出任せの勢いで押し切る。無理は百も承知だったが、とにかく今はそれらしい理由が必要だった。
「そういうことだったのね、いいよ。後で連絡先送るね。」
「ありがとう!助かるよ。」
なんとか柚子を説得することができて、一安心だった。元からあまり人を疑ったりしない柚子は、私の突然の申し出にも特に不信感を感じてないようだ。
一方で教室の後ろの方では、和解というかさっきまでの殺伐とした空気がなくなり、それぞれヒートアップしていたクラスメイトたちもすっかり落ち着いていた。
「おっす、遅くなったな。全員席についてー。そこはどうした?何かあったか?」
全てが終わったところへタイミングよく岸田先生が教室に現れる。後ろの方にあった人だかりを少し気にしている様子だが、何もないとわかり全員を着席させる。
よかった、騒ぎが大きくなって帰宅が遅くなるところだったので、まさに間一髪だった。
ただ提出物を出している間も、教室の中には確かに形容し難い違和感がずっと流れていた。先程勃発したちょっとした事件のせいで、ぎこちない空気が蔓延している。
岸田先生はそれを感じ取っていないのか、その後一通り不審者の話やテストの話をするがみんな一様に落ち着かない様子だった。
程なくして、岸田先生が帰りの挨拶をする。
さぁ、家に帰れば私も行動開始だ。すぐにでも走り出したい気分ではあったが、佐野修平に連絡してそこから次のことは特に考えていなかった。
とにかくこの気持ちを共有したい、それだけが私の原動力になっていた。問題を解決することよりもはやく同じ不安を分かち合えればそれでよかった。
「環、もう帰るのね?後で佐野君の連絡先送るから、でも無理せず今日はゆっくりしてね。」
自分の席を後にしようとしたところ、柚子が後ろから話しかけてくる。
「あ、うん。ありがとね。今日は部活がないからもう帰る。柚子は部活?」
「そうだね、ブラバンあるから帰れないや。通り魔のこともあるから、ほんと気をつけて帰ってね。」
私は柚子に礼を言うなり、教室を出る。家に帰って連絡先をもらい次第、佐野修平にすぐコンタクトを取らないと。歩調がこれまでになく速くなり、誰よりも家路を急いだ。