第5話 雪だるまの灯り

文字数 2,144文字

「一樹さん、見てー」と桜は日が落ちてからも外で雪だるまを作っていたようで、顔も手も真っ赤にして部屋に入ってくる。
 冷たい外気を纏っているかのように、一瞬、部屋の温度が下がった気がした。
「桜、ずいぶん冷えたんじゃない?」
「あ、確かに。骨の中まで冷えたかも…」
「お風呂沸かすから、待ってて」
「あ、でも…見てほしいです」
「分かった。お風呂沸かして、それから見に行くから待ってて。暖房の下に行って」と一樹は浴槽にお湯を貯めた。

 雪合戦をした後、また桜は雪だるまを作りに玄関の方に行った。妻のことを思い出して後悔している一樹をそっと置いて出ていった。そんな桜が作った雪だるまを見に行く。外はすっかり日が暮れて、真っ暗だろうと思っていたら、どこかに買いに行ったのか、キャンドルカバーの中で蝋燭が点灯していた。牛乳配達のためのボックスの上に置かれた蝋燭の柔らかい灯りが雪だるまを照らしている。まるで一樹を何とか助けようとしてくれる桜のようだった。ただそれをこの雪の中、買いに行った桜の気持ちを思うと苦しくなった。
 一樹はそのキャンドルを手にして、家に戻った。
「桜…ありがとう。すごく素敵だった」
「えぇ。お礼なんて。私が作りたくて作ったんですから。だって…作ったことなくて」と桜は手を擦り合わせながら、一樹を見て笑う。
「キャンドル…買いに行ったの?」
「あ、そうなんです。スーパーの隣に雑貨屋さんがあったのを思い出して」
「あんなところまで…」
 この雪の中だったら二十分くらいはかかったかもしれない。
「お買い物もしたくて…。晩御飯、あったかいシチューを作りたくて」
「桜…。先にお風呂入ろう」
「え?」
「体が冷えすぎてる」
「シチュ…」
「後でいいから。一緒に作ればいいから」と一樹は桜の手を引いてお風呂場に連れて行く。
「え? あの…一樹さんも一緒に入るんですか?」
「だめ?」
「いえ。あの…」と桜が躊躇している間に、一樹はさっさと服を脱いでしまった。
 桜は後から恐る恐る入ると、すでに一樹は湯船に浸かっている。
「あの先に体洗うので、ちょっと後ろ向いててください」と桜が言うと、一樹は笑いながら大人しく後ろを向いた。
 本当に冷えていたので、シャワーを体に当てると溶けていくような気持ちになる。タオルにボディソープを泡立てて、体を洗う。
「…ごめん」
 後ろを向いたままの一樹に謝られた。足の指先をタオルで洗いながら「何が…ですか?」と聞く。
「まだ引きずってて」
「…はい」と言いながら、踵も洗う。
「桜」と言って振り返るので、思わず桜はシャワーを一樹にかけてしまう。
「もう、後ろ向いててって言ったじゃないですか」
「…あ、はい」と大人しくまた後ろを向く。
 しばらく黙ったまま洗い終えて、シャワーで泡を綺麗に落とす。
「一樹さん、交代しないんですか?」
「もうそっち見ていい?」
「…はい」と言ったものの、恥ずかしくて桜は背中を向けて湯船に入る。
 後ろから抱きしめられた。
「すっかり冷えてる。本当にごめん。ちょっと思い出してしまって。…妻が子供を欲しいって言ったこと」
「奥さん…子供が欲しかったんですか」と桜は少しショックを覚えた。
 勝手に想像していたけれど、バレリーナだと言うから、自分の夢に邁進している女性だと思っていた。
「…でもその時、僕は…今以上に野心家で…。演奏活動について、もっともっとって思ってたから…」
 桜にはその気持ちが分かる気がした。
「でも彼女に寄り添えてたら…違ったのかな、とか。色々…やっぱり僕が悪いんだけど」
「…どっちが悪いとか…そういうのはないと思います」
 桜は一樹の方を向いた。
「たくさん悩んで…後悔して…奥さんが生き返るんだったら、止めませんけど」と言って、桜は一樹の頬を摘んだ。
「それは…」
「過去は私の手の届かないところだけど、今の一樹さんはこんなに近くにいるんですから」と桜は抱きついた。
 桜はそれでも一樹が時折、後悔するだろうと分かっていた。
「だから…ごめん。桜が近くにいてくれるのに…」
「本当です」
 キスをして「それで、奥さんとは子作りしたんですか?」と聞いてみた。
 ちょっとだけ一樹を困らせてみたいと桜は思った。
「…してない」
「え?」
「いや…した」
「ええ?」
「最終的に…養子をもらおうって言われた」
「え」
 桜は驚いて、体を少し離した。
「色々…複雑で」
 線の細い体を桜は思い出していた。儚げな笑顔と細くて長い首…きっと性格も繊細だったのかもしれない、と想像した。
「それで養子を得る手続きとか色々大変で…僕は…反対したんだ」
「奥さん、養子でも子供が…」
「ちょっとのぼせてきたから、出ていい?」と一樹が言うので、頷いた。
「髪の毛、私が洗いましょうか?」
「え? そんなこと」
「いいですよ」
 桜も一緒に出て、一樹の髪を洗う。柔らかくて、ふわふわの毛だった。シャンプーをあわ立ててゆっくりマッサージするように洗う。養子でも子供が欲しいという奥さんの気持ちを考えながら、桜は彼女の切実な思いが胸の裡に広がっていった。
「こんな話、嫌じゃないの?」と一樹に聞かれた。
「少しも…。だって私は一樹さんのこともっと知りたいですから」
 そしていつかは綺麗に心も綺麗に洗ってあげられたらいいなと思って、ゆっくり指を動かす。
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