第15話 入籍

文字数 2,367文字

 山崎の家に行くと、ご馳走が用意されていて、葉子も嬉しそうに待っていてくれた。
「おめでとう」と早速、ペンを持って紙に記入しようとしている。
「ちょっと待って、まだ白紙じゃない。二人に先に書いてもらいましょう」と睦月が言った。
「それはそうだな」と山崎がご馳走の一部をキッチンに下げて、書くスペースを作ってくれた。
 最初に一樹が欄を埋めていく。
「桜ちゃん、おめでとう」と葉子と睦月に祝福された。
「結婚まで…スピード過ぎるけど、大丈夫?」と山崎は心配する。
「何? どうしてそんなこと言うの?」と睦月が山崎に聞く。
「まぁ…だってさ。出会って…数ヶ月で結婚までってなったら、俺は…拒否しちゃうけどな」
「拒否? ってもしかして葉子のこと考えてるの?」
「だって、睦月さん、葉子に出会って数ヶ月で結婚って言われたら、流石に、無理だよ」
「…確かに。気持ちは分かるけど。でも大丈夫よ。あなた、桜木さんのこと好きでしょう?」
「え?」ととぼけた顔を作る。
「だから…桜ちゃんに取られるのが嫌なの?」
「いや…そうじゃないよ。桜木君は好きだけど…、まぁ、知ってるから…いい人なのも。でも出会って数ヶ月だよ?」
「時間をかけても分からないことってあるし…。いいじゃない。素敵な二人が結婚を決めたんだから」
「まぁ…そうなんだけど。桜ちゃんのご両親は大丈夫?」
「お母さんは喜んでくれてますけど…。お父さんはやっぱり少し拗らせちゃって」と言うと、一樹は手を止めて「え?」と桜を見た。
「あ、でも…最終的には納得してくれてると思うから…。私がすごく…好きなの分かってくれて…」と顔を赤くして桜が言うので、みんなはもう何も言えなくなった。
「あー、暑いわねぇ」と睦月はそう言って、少し窓を開ける。
 雪は止んだが冷たい空気がスッと部屋に入ってきた。そして桜が記入する。
(桜木桜)と書くと、変な気持ちになった。

 桜と名前をつけてくれた両親はまさか桜木さんと結婚するなんて想像もしていなかったに違いない、と思って、ちょっと胸が詰まった。春に生まれたわけでもないのに、桜と名付けられて、不思議だった。
『お腹に赤ちゃんできたの分かって、丁度…桜の季節に女の子だって分かったの…。産婦人科から歩いて帰ってた時、桜が満開で風でふわっと花びらが飛んで、それが綺麗で、まるで祝福してるみたいだったから…。この子の名前は桜にしよう。誰からも愛されて、そして優しい子になるように』と母から聞かされた時は何だか幸せな気持ちになった。
 塚本桜で無くなるのも少し寂しい。
 ゆっくりと間違わないように丁寧に書き込んだ。
 そして証人として、山崎夫妻も名前を書いてくれる。後は提出するだけだが、せっかく用意してくれたご馳走を頂くことにした。
「今日、出しに行くって?」
「うーん。桜、どうしよう?」
「正直、ちょっと疲れたので、明日でも大丈夫です」
「じゃあ、ゆっくりしていって」と睦月がシャンパンを開けた。
「また入籍済んだらパーティしよう」と山崎が言ってくれる。
「いいわね。私、桜さんのウエディングドレス見たいわ。どこかのカフェでしましょう」と睦月がそう言って張り切っている。
 一樹もそれは見たいと思ったが、同時に過去の記憶が胸を塞ぐ。
「ね? いい? 私…知り合いにウエディング雑誌の担当者いるから、可愛いのから綺麗なのから色々揃えられると思うの。なんなら読者モデルみたいなこともできると思うわ。ちょっとお借りしていい?」
「え?」と桜の方が驚いてしまった。
「睦月さんは暴走すると止まらないから…」と山崎は諦め顔を作った。
「一樹さんも一緒にモデルする? しないと男性モデルの横に桜ちゃん、並ぶことになるけど…」と睦月が言うから、一樹は慌てて頷いた。
「え?」と山崎は驚いて「絶対、引き受けないと思ってた」と呟く。
「じゃあ、早速連絡しておくわね。近々、撮影できるようにしておいてね」
「えー。私も見に行きたい」と葉子が言う。

 楽しい時間を共有させてもらって、二人は山崎家から帰ることにした。タクシーを呼んでくれたので、やはりそのまま区役所に行くことにした。明日は一樹は夜、ラジオ局に行くことになっていたからだ。
 タクシーに待ってもらって、暗い区役所の時間外受付に書類を出す。職員ではなく、守衛さんのような人が受け取ってくれたが「おめでとうございます」と言ってくれた。
「わ…。桜木桜になった」と桜は何となく不思議な感動を覚える。
「桜が…桜木桜に…」と一樹も少し戸惑いを感じた。
 書類を提出したのだから、もう夫婦になった。とても短い付き合いなのに、不思議な気持ちだった。凍っている道をゆっくり歩いてタクシーに戻る。冷たく冷えた指先を繋いで、黙って揺られる。

 今日から夫婦、家族になった。
 不思議な感覚だけど、一樹は長い時間、この時を待っていたような気がした。ずっと誰かを必要としていた、その人が隣にいる。
「一樹さん。不束者ですが、よろしくお願いします」と小声で言う。
「僕も…不束者だけど…頑張って大切にするから」
 お互いに、夫婦になった実感はなかったけれど、幸せがゆっくりと満ちてくるような心地よさがある。

 家に着くと、コートを玄関のコート掛けにかけ、ブーツを脱ごうと上がり框に腰をかける。
「今日は大変な一日だったね」
「でも…すごく幸せです。だって」と言って、両手を一樹に伸ばす。
 キスをする。
「桜…。ありがとう」と一樹は抱きしめた。
 これから先の人生が明るくなった気がした。
「桜のご両親に連絡しなくていい?」
「もう遅いから…明日します」
 ブーツのチャックを一樹が下ろした。
「一樹さん。お風呂、一緒に入りましょう。夫婦初めての」
 雪はもう止んでしまったが、冷たい空気が家の中に溜まっている。お風呂で温まるのも悪くないな、と一樹は頷いた。
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