第58話 ハッピーエンドの後

文字数 1,183文字

 いよいよ旅立つ日となった。家に鍵をかけて、桜と一樹はタクシーに乗る。またクリスマス付近にチャリティがあるから帰ってくるけれど、ニューイヤーコンサートでドイツにとんぼ帰りする。二月、三月は日本でチャリティの仕事とコンサートで戻れると思うと一樹は言った。
「一樹さん…」
「何?」
「飛行機たくさん乗れますね」
「うん?」
「機内食楽しみ」と桜が言うので、一樹は吹き出しそうになるのを必死で我慢した。
 桜は少しも気にせずに、今日乗る飛行機の機内食をチェックしている。一樹は本当は不安があるだろうけど、その中で楽しみを見つけてくれる桜が愛おしくて、頭を撫でた。
「なんですか?」
「アメリカの仕事、どうしようかと考えてたんだけど、飛行機…乗れるし、受けようかな」
「アメリカ?」
「そう。そしたらまた機内食食べれるよ」と一樹が微笑んだが、深刻な顔で桜は頷く。
「そういうお仕事って、どこからくるんですか?」
「結局ね…。契約したんだ」
「契約?」
「そう…。山崎の会社のつてで…。だからアーティストの曲作ったりしたんだけど…」
「あー、大手芸能事務所の?」
「そう。下手したら写真集を作るとか言い出して」
「えー。一樹さんの写真集?」
「だから…ドイツの仕事を受けることにしたんだ。海外のクラシックコンサートはまだ不慣れらしくて…ヨーロッパの事務所からもらうしかなくてね。だから…干渉したくても干渉できないみたいで…」
「そっかぁ。でも一樹さんの写真集、ちょっと見たかったなぁ」と桜は言う。
「いいよ。そんなの」と顔を背けた。
 桜はもったいないなぁ、と少し思ったけれど、その写真集が売れてもヤキモキすることになりそうなので、幻でよかった、と思った。
「一樹さん…。空港ついたら、天ぷら食べてから、飛行機乗りたいです」
「うん。そうしよう」
 しばらく日本食は食べられないかな、と桜は思って何を最後に食べようかずっと考えていた。一樹は昨日からずっと桜が最後は何食べようか、と呟いていた。ドイツでも日本食は食べられるとは思ったが言わずにいた。
 早めに空港に向かったのはご飯のためでもある。
「一樹さん、ちょっとドキドキして来ました」
「うん…。僕も」
「え?」
「ちゃんと桜を守っていくからね」
 そう言われて、桜は嬉しくて涙が溢れた。
「え? 何か変なこと…」と慌てて一樹が桜の頬の涙を指で拭った。
「嬉し涙です」
「よかった」と安堵のため息をつく。
 二人がどこへ行こうとも、きっと大丈夫だ、と桜は思って微笑んだ。桜はもう散ってしまって葉が生い茂っている。新しい季節に新しい場所へ向かって二人は歩くことになる。
「一樹さん…」
 桜の柔らかい声が耳に響いた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 タクシーの窓から街が流れていく。通った道も、知らない場所も、いつかまた帰ってくるまで…。そんな気持ちで街を眺めた。


 〜とりあえず、終わり〜
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