第54話 新企画

文字数 2,394文字

「イッヒ ハイセ サクラギ サクラ」と桜は挨拶の練習を繰り返してた。
 繰り返して「桜木 桜」と自分で顔を赤くする。もう籍も入ったというのに…。晩御飯の後片付けも済んで、一樹はピアノを弾いている。桜はコーヒーを用意して、クッキーの缶をテーブルの上に置いた。そしてラジオの電源を入れる。一樹がピアノを弾いている時は極力音の出ることはしないようにしているが今日は特別だ。
「桜…。今日だっけ?」と一樹は手を止めた。
「そうですよ。一樹さんも気になりますか?」
「うん」と言って、ピアノの蓋をしてテーブルに着た。
 桜は椅子と椅子をくっつけて、一樹の横にぴったりとくっついてラジオに耳を傾けた。

「ヘーイ。みなさん、猫ちゃん、ワンちゃん、その他全ての生き物、今晩は」と軽快な語り出しでいつものように番組が始まった。
 DJは新しい企画をしたいと山崎に言っていて「とりあえず、今日はオープニングで話すので、聞いてもらえませんか?」と言っていた。だから調整室に面倒臭そうな顔で座っている山﨑の顔が見える。

「白山羊さんからお手紙が届いた。僕は山羊じゃないので、食べずに手元にあって、そういうわけで手紙が一通届けられました。今時です。メールでみなさんくださいね。もちろんお手紙でも全然大丈夫です。でもこの方、手紙で送ってくださったんです。そしてそのお友達の協力の元に、流して欲しい音源まで添えられて。その音源もまぁ、苦労されたんですけど…。どうしてもそうしなければいけなかったって。全ては愛している夫のために…。夫の大好きな人の曲をプレゼントしたかったそうです。結婚して、十数年だそうです。お手紙を…う」と喉を詰まらせたような小芝居をする。
「あ、山﨑さんがいる…この春、昇進予定の…彼に…代わりに…読んでもら…」と手招きをする。
 山﨑はため息をついて、立ち上がって、スタジオに入る。
「これが新企画だったら、速攻終わりだからな」と睨んで、DJが持っている手紙を雑に取り上げる。
 そして、ちらっと目を通すこともなく読み始めた。

「あなたへ

 結婚してくれてありがとう。本当は断りたかったの、分かってた。私はずっとわがままで、困らせたりして、すごくあなたのこと振り回した。それなのに一つも嫌な顔せずに今日まで一緒にいてくれて、感謝してる。あなたは私のこと、少しは好きになってくれたかな。
 私はずっと…大好きだった。私のこと見て欲しくて、きっとたくさんあなたを傷つけてきた。だからちょっと心配。嫌われちゃったかもって。
 それでも私と娘を大切にしてくれて、愛をくれて、本当に幸せだから。あなたの大好きな桜木…さんの? って…」
「あれ? 読めなくなりました?」とDJが手紙を取り上げた。
「あなたの大好きな桜木さんの演奏を、あなたと私のために弾いてもらって、録音しました。 私からのプレゼント。きっと気にいってもらえると思うから…。そしてラジオの仕事が大好きで、大好きで、大切にしているのも分かっているから…。ここに送らせてもらったの」と言ったところでBGMとして流れていた演奏が大きくなっていく。
「これからもずっと好きでいるから。どうか覚悟しててね。 Mより」
「む…つ」
「奥さんの名前ですか?」と山﨑にDJが確認した。
「びっくりしたー。なんだ、新企画っていうから…」
「奥さんが、どうしても伝えたいって。でもできれば山﨑さんが愛してるラジオという世界で言いたかったって」とDJが普通の語りで言った。
 それからしばらくは馴れ初めの話をしたりして、山﨑も素直に話していた。
「結婚って上司から言われて、今も偉い人で残ってますけど…正直、気が進まなくて。その上司、義理の父、苦手なんで」
「ラジオで言っちゃって…」とDJが笑う。
「まぁ、言っちゃったけど」
「じゃあ、奥さんも苦手って?」
「いや…。苦手っていうか…。綺麗だし。今でも…」
 ヒューという歓声の音声が入る。
「俺のこと、そんなに好きって思ってなかった」
「は?」
「いや、全然、レベルが違う人だから…」
「あー。山﨑さん…別にカッコよくないですしね」
「だから…びっくりした」
「そんな顔してましたね。初めて見たかもしれない」とDJは手紙を渡した。
「家でちゃんと…読みます。ありがとうございます。これからも…よろしくお願いします」と真面目に挨拶をした。
「はい。ということで、ここで新企画です。お付き合いの長い方、結婚されててもされてなくても、改めて愛してると言いたい方、その相手にラジオで手紙を読んでもらいませんか? もちろん、局に来ていただいて…も嬉しいですし、ちょっと遠くて行けないわって人はお電話…でも大丈夫です。自分の思いをどうぞ、お相手に改めてお伝えください。なかなか言えない思いをラジオがお手伝いさせて頂きます。そしてみなさんでほっこりしましょう」

「山﨑さん、恥ずかしかったかな」と桜は隣の一樹に聞いた。
「恥ずかしさもあったかもだけど…やっぱり驚いたんじゃないかな。色々」
「色々?」
「色々。だって…奥さんが好きだって思ってなかったって…。あれ、多分本心だと思う」
「えー?」
「え? どうして?」
「いつもそばにいても分からないんですか?」
「…いや、特殊だからじゃない? 結婚前提で出会わされてるし…」
「結婚前提」
「上司の娘だから…。でも嫌いじゃないと思うよ」
「嫌いじゃないから…結婚できたんですか?」
「そこは複雑だから…本人しか分からないと思うけど」と一樹はちょっと困ったように言った。
「睦月さん。本当に好きなのに」と唇を尖らせていう。
「桜はいつも言ってくれるし、分かりやすいからよかった」と一樹が言うと、体を寄せて「だって、大好きだから…。隠せません」と真面目な顔で言う。
「確かに」と言って、一樹は桜の頰にキスをした。
 しばらくくっついて、ラジオを聞いて、二人で夜のお茶の時間を楽しんだ。
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