第42話 前夜

文字数 1,697文字

 夕暮れになって、家で食卓を囲んでご飯を食べる。桜が好きだったという父親お手製のコロッケや、お弁当屋のおかずが並んでいる。
「ごめんなさいねぇ。ちょっと…捨てるのも勿体無くて…。折角、桜木さんが来てくれたんだから、本当はすき焼きとかそういうのがいいんだけど」と言いながら母親はご飯をよそう。
 桜は味噌汁を運んできた。一樹はほぼ黙っている父親に酒を注いだ。
「どうぞ」
「ああ」
 緊張感が走る食卓だった。それを母親が壊す。
「もう。お父さん、桜はお嫁に行ったのよ。今更仏頂面したって、いいこと何にもないのよ?」
「分かってる」と言って、横を向く。
「お父さん」と一樹が言うと、ぎくっとしたように肩を上げた。
「お酒に書かれたメッセージ、ちゃんと受け取りました」
「えー? 何書いたの?」と母親が聞く。
「分かったから。もう。早く食べなさい」と言って、酒を一気に飲んだ。
「そんなに飲んだら、明日、大変になりますよ。早起きして、神社に行かなきゃいけないんだから」
 味噌汁をセッティングした桜が、二人に向かって、頭を下げた。
「お父さん、お母さん、今までありがとうございました」
 小さな肩が震えている。一樹も一緒に横に正座して頭を下げた。
「まあまあ…」と言った母親は鼻をすすった。
「いつも通りでいいんだ。いつも通りの残り物とご飯食べて…。どうせ…また…顔を見せてくれるんだろうし。それに…幸せなのは分かったから」と父親は俯く。
「お父さんとお母さんが大切に育ててくださった桜さんをこれからは僕が大切にしていきますので、安心してください」と一樹は言う。
「とっても大切にしてくれてて。本当に幸せなの。だから心配しないで」と桜も続けた。
 しんみりしたけれど、桜の母親が「さぁ、ご飯食べて、お風呂入って、早く寝ないとね」と言った。
 お弁当やのおかずは野菜から煮物、揚げ物まであって、まるで運動会のご馳走のようだった。そして少しのお酒が場を和ませてくれた。

 桜のベッドの横に布団が敷かれる。一樹は桜の部屋を見て、目を丸くした。初めて、女の子らしい部屋を見たからだ。祖父母と暮らしていたので、こんな部屋を見る機会もなかった。沙希の家では部屋に上がったことがない。少女漫画の置かれた本棚に時々可愛らしいぬいぐるみが飾られている。横の小さなドレッサーにアクセサリーが飾られていたりと不思議な世界に思えた。
「一樹さんはベッドに寝て。布団って慣れないと寝れないでしょ?」と桜が言う。
 それで桜のベッドに入ったが、桜に包まれるような気がした。
「ピンク色のベッドに一樹さんが寝てるの…面白い」
「え? 面白い?」と一樹は起き上がる。
「あ、ごめんなさい。何だか不思議な気がして」と桜は布団に入る。
「桜…狭いけど…横に来て欲しい」
「え? どうして?」
「桜の匂いが…ベッドについてて、何だか落ち着かない」
「じゃあ、布団にしますか?」と桜はベッドを匂った。
「いい匂いなんだけど…。本人がいて欲しくなるから…」
「じゃあ、お布団に二人で寝ましょう。そしたら落ちる心配もないし」と桜はベッドからピンクの掛け布団を下ろす。
「なんか、桜の部屋って女の子の部屋って感じで…」とベッドに腰掛けて、部屋を見回す。
「え? そうですか?」と桜も改めて見てみる。
「うん。年の差を感じた」
 桜は目を丸くした後、一樹の横に腰かけて頰にキスをする。
「すぐに大人の女性になるんですから」
「いいよ。別に…変わらなくても」
 桜の髪を撫でて、一樹もキスをした。
「明日、早いから…」
「うん」
 そうして、二人で布団に入る。桜はすぐ眠ってしまった。可愛い寝顔を見ながら、この女の子らしい部屋で過ごしていた桜のことを想像する。漫画を読んだり、ぬいぐるみを撫でたりしていたのだろうか、と考えると思わず頰が緩む。たった一人の娘だから父親が可愛がる気持ちも理解できる。明日はいよいよ結婚式だ、と一樹は思った。妻とはしなかった結婚式。本当に今、後悔している。何もかもが自分のせいに思える。だからこそ、桜を幸せにしようと思った。
 一樹はベッドとは違って、眠りにくかったが、疲れもあって、いつしか寝息を立てていた。
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