第13話 ホテルの朝食

文字数 2,848文字

 目が覚めると隣に桜が眠っていることが嬉しい。しばらく髪を撫でていると、目をゆっくり開ける。
「おはようございます。一樹さん…今日は学校ある?」
「…どうかな。後で携帯見てみるよ」
 そう言うと、桜が「休みだったらいいのに…」と言いながら、体をくっつけてくる。
「僕も…そう思う。外見てみようか…。雪が降ってたら期待が持てるけど」
「もし大学あったとしても…一樹さん、朝一授業はないんでしょ?」
「そうだね」と言って、桜にキスをする。
 スルスル滑る髪の毛に指を差し入れる。
「匂い…」
「え?」と加齢臭でもしたのかと思わず顔を離す。
「一樹さんの匂い…一緒にならないの…不思議」
「ん?」
「だって…同じもの食べて…同じボディソープ使って…でも違う匂い」と鼻を肌にくっつけて匂いを嗅いでいる。
「それは…男女の違いもある…し。遺伝子的なことも…」
 桜の手が一樹の首に回って引き寄せる。
「全部…おんなじだといいのに」と言って、唇をつけた。
「僕は嫌だけど」と一樹は桜の耳にキスをした。
「そうかな?」と言って、くすくす笑って、「起きなきゃ」と上半身を起こした。
「起きる?」
「だって美味しい朝ご飯作りたいもん」と言って一樹に微笑む。
 一樹は朝ご飯に負けた気持ちになって、起き上がると、桜を抱きしめる。
「じゃあ…駅前のカフェのモーニング行こう」
「本当?」と嬉しそうな声を聞いて、桜にキスをしようとしたら、桜から軽いキスをされて「じゃあ、顔洗って、出かける用意しなくちゃ」と言われた。
 そしてするりとベッドから出て、軽快な階段の足音をベッドの中で聴きながら、朝ご飯に完敗したと一樹は理解した。
 桜が顔を洗い終わると、一樹が降りてきた。
「…桜、朝ご飯好き?」
「え? 朝に限らずですけど、大好きです」
「そう」と言って、一旦、台所へ向かって水を飲む。
 桜はぱたぱたと足音を立てて二階へ上がっていった。多分、着替えに行ったのだろう。水を飲んで頭を抱える。こんなに好きな気持ちを持て余すなんて思ってもなかった。しばらくすると、また桜が降りてきた。すっかりお出かけの準備が終わっているのか、一樹が前にプレゼントしたワンピースを着ている。
「一樹さん、大学…お休みですか?」
「あ…確認してみる」と言って携帯を充電していたコンセントのところに行く。
 やはり今日も休校になった。雪が積もって電車が遅れていたり、動いていない路線もあった。
「休みだって」と桜に言いに行こうと、姿を探すと洗面台にいた。
 化粧をしているらしい。
「桜…お休みだったよ」
「本当?」
 化粧をしている桜はちょっとよそゆきに見える。
「一樹さん…どこか行きませんか? あ、電車止まってる…?」とリップを慌ててしまいながら言った。
「動いてるところもあるけど…。桜がそんなに朝ご飯好きなんだったら…ホテルの朝ご飯食べに行こうか」
「ホテルの…朝ご飯?」と繰り返した後、飛びつかれてしまう。
「桜はディズニーランドに行くより嬉しそうだね」
「はい。すごく嬉しいです。一樹さん、ありがとうございます。大好き」とついでのように大好きと言われたのは、ちょっとだけ悲しかったが、嬉しそうな桜を見ていると、まぁ、それでもいいかと思うことにした。
「早く着替えてください」と言って、桜は一樹のパジャマを脱がし始める。
「分かったから…」と自分で着替えることにした。
「コーヒーいれて待ってますからね」と桜は台所に行ってしまった。

 一樹が着替えて降りてくるといい匂いがしていた。桜はビスケットを齧りながらコーヒーを飲んでいる。朝ご飯食べに行くというのに、我慢できなかったのだろう。その様子がかわいくて出そうになる笑いを噛み締めて、「桜…頂いたクッキーあるけど」と言うと首を横に振る。
「だって、今からホテルの朝ご飯ですよ」とビスケット片手にそう言うので、たまらず吹き出してしまった。
 流石に桜も自分の行動を反省しているようで、ちょっと恥ずかしそうに笑う。
「雪だから…電車で乗り換え駅まで行って、そこのターミナル駅のホテルでもいい?」
「いいです。どこでも」ともう立ち上がっている。
 一樹はコーヒーを一口だけ飲んで、「じゃあ、行こうか」と言った。
「一樹さん、本当に大好き」 
「うん? ありがとう」
 そう言ってくれるなら、毎日、連れて行こうかと思ったけれど、それはそれでなんだか癪に感じたので、曖昧に頷いた。朝、都心に向かう電車は混んでいた。学生は休みだが、休めない会社員たちが多く乗っている。一樹は桜と手を繋ぎながら、電車に揺られている。人の多さに相変わらず慣れていない様子だったが、桜はホテルの朝食への期待値が上がっているのか、楽しそうだった。

 ターミナル駅のホテルは景色のいい上階でのカフェだった。
「ねぇ、一樹さん、朝ご飯って、テンション上がるんです」
「そう?」
「だって、美味しいパンとか食べても幸せだし。やっぱり夜はご飯がいいですし…」と嬉しそうに案内された席に座る。
「じゃあ、早速取りに行こうか」と言うと、待ちきれない様子で立ち上がる。
 ホテルの朝食なので、種類豊富で小さなデザートも並べてあった。
「豪華です」と喜んでいる。
 色々少しずつ取ったつもりでもお皿は賑やかな一皿になる。
「はー、チーズもありましたねぇ」
「好きなの?」
「あまり食べる機会がないから、こういう時に試せると思って。でもパンの種類も豊富だし…」と桜は困ったような顔をした。
「まぁ、ゆっくり食べよう」
 窓から見る景色は雪で白く覆われている。雪は止むことを忘れたように降り続けていた。
「外は大変でしょうけど…中から見るだけだと…綺麗ですね」と桜は言った。
「そうだね…。桜…、お願いがあるんだけど」
「はい?」
「入籍を早めにしたくて」
 確かに二人で結婚を決めたが、具体的には何もしていなかった。
「にゅう…せき」
「うん。ビザとか書類のことを考えるとなるべく早めに…」
「あ…、そう…ですか。分かりました。今から…ですか?」
「いつがいい?」
「あ…今日…でも大丈夫ですけど…」
「じゃあ…この後、区役所に取りにいって…。それから…証人は山﨑に頼んで…。でもその前に…桜の実家にご挨拶に行って」
「あ…。実家は大丈夫です」
「そう言うわけには…」
「それはいいんですけど。あの…一つだけお願いがあって」と桜はもじもじとしながら言い出した。
 実家の近くの神社で結婚式をして写真を撮りたいのだと言う。小さい頃、神社のお祭りで不思議な出来事があったというあの神社でだった。
「披露宴とかはいいんですけど。式と写真だけ…」
「いいけど…それでいいの?」
「はい。両親も忙しいので、それで。お母さんが楽しみにしてくれてて。白無垢姿を見たいってずっと小さい頃から言ってたから」
「桜の…白無垢は僕も見たいから…」
 そう言うと、桜の頬が赤く染まる。結婚式と写真は春、三月下旬にすることに決めて、入籍は早めにしようと言うことになった。雪が落ちていくのを眺めながら、一樹は新しい生活を始める決意をした。
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