第32話 花のスタイリスト

文字数 1,410文字

 撮影の日、一樹は大学の後に来ると言うので、桜は一人でスタジオに向かうことになった。ビル前で緊張していると、睦月がやってくる。
「桜ちゃん、今日は綺麗にしてもらってね」
「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「ちょっと待ってね。担当者が来るから」と言って、ビルのドアを押した。
 古い小さなビルだが、三階にスタジオがあると言う。
「髪の毛切ってしまって大丈夫ですか?」
「あ、それも伝えてるから、大丈夫よ」と睦月が優しく言ってくれる。

 しばらく待っていると「遅くなりました」と言って、数人の人が入ってくる。一人は編集者でもう一人は山ほど花を抱えている男性。そして後から、小さな女性がまた花を抱えて来た。
「あらまぁ、この子も短くしちゃって」と花を抱えている男性が笑う。
「あ、ごめんなさい」と桜は謝った。
「良いのよ。そういう気分もあるわね。モンプチラパンもそうだったの」と言って、持っている花の匂いを嗅ぐ。
「初めまして。私、編集者の田端です。こちら、フラワースタイリストの神立鉄雄さんと助手の芽依さん。ご夫婦でされてるの」
「あ、そうなんですね」
 夫婦で同じ仕事をするなんて、素敵だ、と桜は思った。
「旦那さんは後から来るそうなので、先に桜さんお願いします」と田端が言う。
 そしてエレベーターに上がるとメイクさんは先に入って、準備をしていた。スタジオは綺麗に桜で飾られている。
「この時期に桜って結構無茶振りなのよー」と言いながら神立鉄雄はさっさと花を選び始める。

 ヘアメイクの人が桜の顔を綺麗に化粧していく。初めての経験なので、緊張する。ボブの髪の毛を纏められ、三つ編みのエクステで顔周りをぐるっと巻かれる。
「失礼します」と言って、芽依がヘアアクセを頭に当てる。
「鉄雄さん、位置はここで良いですか」
「モンプチラパン。さすがよ」と言いながら、花束をくるくると束ねている。
「この飾り綺麗です」と桜が言うと、芽依は嬉しそうに「ありがとうございます。手作りです」と言う。
 ちいさな花びらがアンティーク調のレースに縫い付けられていて、桜の花びらの絨毯のようなヘアアクセになっている。オーガンジーのリボンを後ろで結んで、そっと桜の髪につけてくれる。
「綺麗」と芽依は言う。
「ほんとねぇ」とブーケを恐ろしい勢いで作り続けながら、視線を向ける。
「ご夫婦でお仕事って羨ましいです」と桜が言うと、芽依が「はい」と笑顔で答える。
「じゃあ、ドレスを着てください」と田端さんに案内された。
 オフホワイトだがわずかにピンクがかって見える。ボートネックの襟付きで上半身はシンプルなデザイン。スカートはたっぷりギャザーでふんわりと広がっている。わずかにピンクがかって見える理由は淡い桜色のレースがシルクの布の上に被されれているからだった。
「わぁ、素敵」と桜は思わず感嘆の声を上げた。
 鉄雄が作ったブーケは銀のレースが巻かれ、レース部分に桜の花が付けられていて、中は濃いブルーピンクのバラがが集められている。
「ブーケトスできない写真用のブーケよ」と言って、そっと持つように指示される。
 バラの匂いが幸せな気持ちにさせる。
 そうこうしているうちに一樹もスタジオに着いた。
「あら、男前ねぇ」と一樹を見た神立鉄雄が声を高くして言った。
 ちょっとした違和感を桜は感じたが、芽依が微笑んでいるので、その違和感を消した。
「桜…綺麗だ」
 誰よりも言って欲しい人にそう言われて、幸せだった。
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