第34話 二人だけの演奏会

文字数 1,475文字

 プロが撮った写真をすぐに睦月は送ってくれた。やはりプロらしく綺麗に写されている。
「恥ずかしいかったけど…」と一樹も一緒に写真を覗き込んでいる。
「えー? 一樹さんは慣れてるかと思ってました。だって、パンフレットとかCDとか写真撮ってるじゃないですか」
「あれも本当はものすごく嫌んなんだけど」
「そうなんですか? あ、でも今日スタジオにいたあの人は見た目が良いからコンサートに行ったって言ってましたよ」と桜が言うと、深いため息を吐く。
「ありがたいね」と言いながら、キッチンに向かう。
 夢のような時間だったな、と桜は写真を見ながら幸せな気持ちに浸る。その一方、とても不思議な夫婦だった、と芽依と鉄雄のことを思い出していた。お互いとても大切にしているのが伝わるけれど、あの背の高い男性との関係性が分からない。当事者が納得しているらしいし、プライベートなことなので、何も聞けなかった。
 ただ羨ましいと思ったのは、仕事を同じようにできるところだ。桜が一樹を一緒にピアノを弾くことはできない。
「どれだけ時間がかかるんだろ?」と桜が呟いた。
「何が?」と台所から、炭酸水を持ってきた一樹が言う。
「私、どれだけ今から練習したら一樹さんと一緒にピアノ弾けるのかなって思って」
「…うーん」と一樹も唸ってしまう。
 なんせ楽譜も読めないのだから、と一樹は悩む。
「…ですよね」と桜は落ち込んだ。
「ピアノを一緒に弾くだけなら、できるかも…だけど。人前では…できないけど」と言うと、「いいんです」と悲しそうな顔を見せる。
 一樹はピアノの椅子に座ると「桜、おいで」と言った。
「ここ、座って」と一樹の前に座らせようとする。
「え?」と言いながら一樹の前に座ると、後ろから手が出てきた。
「じゃあ、きらきら星、ハ長調で」と一樹が言うので、桜は「ドドソソララ」と弾き出すと、「ソ」で驚くような伴奏とキラキラ高音が鳴り出した。自分が弾いた音の倍以上の煌めきが飛び出す。
「わぁ」と桜は思わず声を上げた。
 特等席はピアノの横のソファだと思っていたけれど、それよりさらに音に近い分、音が弾けて聞こえる。
「ソソファファミミレ」と歌いながら弾いたけれど、なんだかすごい音が後ろの手から作り出される。
 こんな綺麗な音を聞きながら、演奏していたのか、と桜は驚いた。演奏することって、すごく気持ちいいんだと初めて知った。いつも何時間も練習するのがストイックだと思っていたけれど、こんなに美しいものが手に入るのなら、それはもう喜びだってあるはずだった。
「楽しいです」
「そう? 良かった」
 でも体勢は苦しそうなので、桜は一回で立ち上がった。どのみち、やはりこれを仕事では使えないのだ。
「うーん。ピアノに嫉妬しちゃいそうです」と桜は言って、台所に向かう。

 今日は何作ろうか、と冷蔵庫を覗くがあまり大したものはなかった。卵焼きとご飯は作れる。スーパーに行こうかと思っていると、一樹に勘付かれてしまった。
「桜、行くなら一緒に」と言われる。
 元カレの浮気相手が家に来てから、外出を心配してくれる。
「大丈夫ですよ」
「いや、散歩したいから」と一樹も引かない。
 結局、一緒に買い物に行く前にご飯を食べて、明日以降の食糧を買いに行くことになった。
「私は一樹さんの力になりたいのにー」と桜は頰を膨らませる。
「なってるよ。十分」と言うけど、桜は「もっと」と言った。
「欲張りだなぁ…」と呟いて、桜を抱きしめる。
「一樹さんについては欲張りなんです」と桜は言った。
 抱きしめられながら、愛すると言うことの先のなさがどれほどなのかぼんやり思った。
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