第53話 友達の新居

文字数 1,806文字

 引っ越しが大方終わったという佳とDJの翔の家に桜はお土産を手に向かった。分譲タイプを借りているのか、しっかりした作りだった。オートロックの解除をお願いしようとで部屋番号を押すと、すぐに二人の声が聞こえる。
「開けるから」
「どうぞー」と意外と楽しそうな声が聞こえた。
「お邪魔しまーす」と言って、オートロックの開いた扉をくぐった。
 日当たりのいいホールは二階部分まで吹き抜けになっていた。明るい二人がここに決めたのもなんとなくわかる気がした。エレベーターで五階まで上がる。エレベーターホールまで佳が迎えに出てくれた。
「素敵なマンションね」
「そうなの。中古の部屋を買っちゃったみたい」
「えー?」
「借りるより安くなるからって」と佳が言う。
「佳…あの付き合うことになったの?」
「それが…まだ微妙なの」
「微妙って…」と喋ってるうちに新居に着いた。
 入り口には福田翔と森田佳の二人の名前が並んでいた。
「どうするのよ?」
「だって…」と佳が何か言おうとした時、内側からドアが開いた。
「ありがとうー。来てくれて」といつもの調子のDJがいた。
「あ、こちらこそ、突然…お願いして…」と桜はお土産を渡しつつ、玄関に入った。
 すっきり片付いたわけではないけれど、ファミリータイプの広めの2LDKだった。
「素敵なお家ですね」
「そう。なんか綺麗で気にいっちゃって。一人でも買おうかなぁって思ってたんだけど」と言うと、足元に猫が寄ってきた。
「かわいい」と桜はしゃがんで見る。
「お部屋一つ貸してくれるって言ってくれて」と佳がちょっと恥ずかしそうに言う。
「え? じゃあ、ルームシェアみたいな…」
「あ、いや…あの…」とDJが照れる。
 どうやらまだ二人の進展は先になりそうで桜は驚いた。
「あ…今日お願いしたいもの…持ってきました。一樹さんの演奏と山﨑さんの奥さんの手紙。これ、使ってくださいね」
「ありがとう。これ、絶対、いい企画になると思うなぁ」
「企画にしなくてもいいです」と桜は言った。
 本当はこんなことしなくても睦月が直接手紙でも渡せばいいのに、と思ったけれど、驚かしたい、という気持ちがあるようだった。
「お茶、淹れてもいいですか?」
「そんなの遠慮せずに淹れて。一緒に飲もう。ケーキ買ってきたんだ」とDJが冷蔵庫から白い箱を出す。
 白い箱には色とりどりの可愛いケーキが並んでいる。
「僕も大好きだからさ」と言って、お皿を出してくれる。
「あの…。私の大切なお友達のこと、どう思ってるんですか?」と桜は言ってから野暮なことを聞いてしまったと思った。
 二人が納得して住んでいるのだから、他人がとやかく言うことではなかった、と思ったけれど、言葉は取り消せない。でも佳のこと大切にして欲しいと言う気持ちが強くて黙っていられなかった。
 DJは居住まいを正して、
「お付き合いを見越しての、同居をお願いします」と頭を下げた。
「はい」と佳も頭を下げる。
 桜はそれを見て、なんだかいつになったら、そのお付き合いが始まるのか分からなかった。でもこれ以上他人が首を突っ込む話でないと思って、見守ることにした。
「桜ちゃん。佳たんのこと…ちゃんと大切にするから。ドイツからいつ帰ってきても、ここで会えるようにするから」と言ってくれた。
 自分の友達のこと佳たんと呼んでいるのに違和感があったけれど、親切にしてくれると言うのなら、と頷いた。
「桜…。私も見守ってきたから。桜もお願いね」と佳から遠回しに気持ちを伝えられた。
(二人とも好きなんじゃん)と桜はいらぬ心配をした、と思った。

 そんなわけで楽しくケーキを頂いて、帰ることにした。佳が駅まで送ると言うと、DJもついて来た。駅前のスーパーで必要なものを買いたいと言っていた。桜は佳と二人きりで少し話したかったと思ったけれど、またいつでも来ていいと言ってくれたし、良かったら泊まりにきてもいいと言ってくれた。
「じゃあ…またね」と桜は手を振る。
「桜…誰かと住むのも楽しいね」と佳は笑った。
 春の陽気が胸を締める暖かさで、涙がこぼれそうになる。友達にも両親にもなかなか会えない場所に移動する。一樹はもう一度、両親のところに行こうか、と言ってくれたが、桜は首を横に振った。安い運賃じゃないし、また泣かせてしまうと思ったからだ。
 永遠の別れじゃなくてもお別れは寂しい。
 ぼんやりとした薄い水色の空を眺めながら、二人がスーパーに入る姿を見送った。
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