第16話 初対面の思い出

文字数 1,817文字

「お風呂気持ちいですねぇ」と桜は湯船に浸かりながら話しかけてくる。
 一樹は頭を洗っていたので、「うん」と相槌を打ったっものの、顔は見ていなかった。
「お背中流しましょうか?」
「え? いいよ」と言ったのに、手が伸びてタオルを掴んでいる。
 背中に優しいタオルの気配がする。
「もっと強くて良いから」と言うと、桜が湯船から上がって、背中を洗ってくれた。
「一樹さんの背中大きいですね」
「桜に比べたらね」
 泡を丁寧に流すと、桜が背中に頬をつけた。
「夫婦になりましたね」
「うん」
 確かに半年前はお互い違う場所に住んでいて、存在も知らなかった二人だった。
「最初会った時、変な女だって思ったでしょ?」
「え?」
「そんな顔してました」
 確かに庭で倒れて、上をぼんやり見ていて、ちょっと頭がおかしい人なのかと思った。
「桜、頭、流すから、お湯かかるよ」と言うので、頬を離した。
 そしてまた湯船に戻る。
「月…お月様見てたんです。ベランダから見る月がちょっと地面より近い気がして、でも落ちて見る月も大して距離は変わってなくて」
「痛かった?」
「あの時は…あんまり分からなかったですけど…。後から…。それとよく見たら綺麗な男の人だったから…」と桜が言うので、一樹は笑った。
「よく見たら?」
「はい。よく見たら綺麗で…寂しそうで…思い切り不機嫌そうな顔してました」
「それはごめん」と一樹は自分で体の前面を洗う。
「まさか結婚するなんて…」と湯船の淵に顔を乗せる。
「それはまぁ…僕もそう思ったけど」と長い腕を洗い始めた。
「一樹さんはどうせ、私のことを小動物と思ってたかも知れないですけど…。まぁ…いいかなぁって思いました。それで癒されるならって」
「美味しそうに食べるから…つい」
「私のこと、どうして好きになってくれたんですか?」
「…それは可愛いし、優しいし、楽しいし…好きにならない理由がない」と言って、石鹸の泡を流して、桜の方を向くと、半分浴槽に顔が隠れていた。
「何してるの?」
「…恥ずかしい。褒めすぎです」
「あ、そっち」と一樹も湯船に入る。
 一樹と桜は横並びになった。
「でも一樹さんは…もっと綺麗な大人の人が似合うかな…とか色々思いました」
「桜は立派に大人だと思うけど…」
「…そうですか?」と一樹の方に向く。
「じゃあ、桜は初対面の印象が最悪だったのに、どうして好きになってくれたの?」
「それは一樹さんが優しい人だって、最初から分かってました」
「え? どうして」
「だって、不機嫌そうなのに、パンのおかわりもさせてくれたし…。結局、怪我も心配してくれて、家に泊めてくれたし」
「いや、桜、普通はもっと危機感持った方がいいよ。そんな知らない男性の家に泊まるとか…」
「はい。だから…いい人だなぁって」
「うん?」
「でも私とは違う…遠い人だと思ってました」
「そんなこと言うと、僕だって、別世界の…きらきらした世界の人だなって思ってた」
「私、少しもきらきらしてませんよ?」
「僕にはそう見えた。眩しくて…日の当たる場所みたいな…暖かさで…」と一樹が言うと、桜は抱きついた。
 お風呂の水が溢れて流れる。
「一樹さんは…いつも一人だったから、そう見えるんです。でも…もう大丈夫ですから」
 そう言われて、本当に心から安心できる気がした。
「桜、ありがとう」
「ね、一樹さん、急いでお風呂から出てベッドに行きましょう」
「え?」
「そしたら、暖房つけなくてもあったかいから」
 一樹は自分が想像したこととは違うことを言われて、がっかりはしたが、疲れているのだろうとも思った。桜は急いでお風呂場から出て、体を拭いている。一樹もしばらくして出た。歯磨きをして、髪の毛を乾かすと、本当にすぐに二階へ上がってしまった。後から一樹もベッドに入ると、寒いのか縮こまっている桜いた。
「ベッドも冷えてます」と言って、一樹に体をくっつける。
「暖房入れようか?」
「いいんです。一樹さんが来たから…こうして体をくっつけて」と言いながら、「ね? あったかいでしょ?」とぴったりと寄り添う。
 ふわっと優しい匂いがする。本当に桜が言うように、同じシャンプーとボディソープなのに違う匂いがした。
「一樹さんと夫婦になれて幸せ」と言って、笑う。
「…愛してる」と言って、桜を抱き寄せた。
 もう眠いのか、目を閉じている桜の髪にキスをした。しばらくすると冷え切っていたベッドがゆっくりと暖かくなる。その日はずっと穏やかな温もりを感じながら眠りについた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み