第31話 変わる世界

文字数 2,130文字

 夜に山崎と飲みに出かけるという予定だったが、桜が戻ってきたので、二人で山崎の家にお邪魔することになった。お土産にケーキを持って行く。
「お邪魔します」と桜が言うと、睦月が「私が桜ちゃんを呼んでもらったの。ほら、前に言ってた…ウェディング雑誌の話…。覚えてる?」と着いた早々に言われた。
「あ…はい」と今思い出した。
「やっぱり読者モデルとして出て欲しいって」
「えー? でも私の顔知らないんじゃ…」
「葉子と一緒に行った学祭の時の写真を見せたの」
「あぁ…」と確かにその時に、着物と袴姿で葉子と一緒に一樹の大学の学祭に行ったりしていた。
「それで、ぜひ出て欲しいって言われて…。今から撮るから掲載号は桜の季節だし、なんだかちょうど良いってなって」
「桜?」
「そう。お花のアーティストがいつもコーディネイトしているページがあるのよ」
「そうなんですね…。でもモデルなんて務まりますか」と桜は不安げに聞く。
「大丈夫よ。プロの写真家が撮ってくれるし…」
「分かりました。やってみます」
「じゃあね…」と睦月がスケジュール帳を確認すると、一樹が何かを言いたそうにしている。
「一樹さん?」と桜が聞くと「それって、桜の相手はモデルがするんですか?」と聞いた。
「あ…そうね。それ…一樹さんがしたいんだっけ?」
 別にモデルをしたいわけではないが、桜が違う男性の隣でウエディングドレスを着るのが嫌だったのだ。
「はい」と言うので、睦月も山崎も驚いた。
 娘の葉子もやってきて「平日じゃなかったら見に行きたかったなぁ」と言う。
「写真撮って来てあげるから…」と睦月が言う。
「いいなー。お母さん、すぐ写真、送ってよ」と葉子が言った。

 日程を合わせると、葉子は桜を部屋に誘った。そして「好きな人」と言って写真を見せてくれる。同級生の男の子だった。メガネをかけてはいるがイケメンで高身長だった。
「告白されたの?」
「ううん。進学校に通うって…一生懸命勉強してるから…。私も音高目指してるし…」
「そっか」
「でも学校行くが楽しみになった」
 葉子は綺麗な女の子だからか、クラスで馴染めていないようなことを言っていた。
「それはいいね。卒業式で告白するの?」
「ううん。あのね…」と桜に耳打ちする。
 二人しかいないのだから普通に喋っても聞こえないのだけど、内緒話を共有しているような気分になる。
「合格発表見に来てって言われてるの」
「えー。すごい」と桜は思わず驚いてしまう。
 その男の子は美人な葉子を目の前にしても、受験前でもプレッシャーも感じず、そんなことが言えるとは相当な自信家だ。
「お母さんは…知らないんだよね」
「うん」
「あのね、葉子ちゃん。男を簡単に…」と桜は言いかけて黙ってしまう。
「分かってるよー」と葉子がにっこり笑う。
「うーん。でもねぇ…。何かあったら相談してね」
「うん」と言って、葉子は笑ってため息をついた。
 誰かに言いたくて、でも両親には言えなくて、抱えきれなくなって、桜に言ったのだろう。桜は葉子の肩を抱いた。不安と少し希望に揺れている。

 
 ご飯を食べながら一樹と山崎はチャリティーの打ち合わせをして、桜と葉子はご飯が終わると二人でお風呂に入ることにした。
「桜ちゃん、結婚おめでとう」と体を洗いながら葉子が言う。
「ありがとう」と桜は湯船の中から返事をした。
「桜木さんはいいなぁ、桜ちゃんと結婚できて」
「え?」
「私も桜ちゃんと結婚したい」と葉子が本気か冗談か分からないことを言う。
「いつでも遊びに来て」
「うん。ドイツ…。いつか行ってみたいなぁ」と葉子はシャワーで石鹸を流しながら言う。
「私も…楽しみなの。一樹さんとどこに行っても」
「えー?」と笑いながら葉子が湯船に入ってくる。
 二人で湯船に浸かって、ゆっくりとため息を吐く。これから少しずつ新しい世界に踏み出していく。のぼせるくらいお湯に浸かって出ると、睦月がお茶を用意してくれていた。仕事の話は終わったのか、一樹ものんびりとお茶をしている。
「よかったら、桜木くんもお風呂どう?」と山崎が冗談を言うが、一樹は首を横に振る。
「もう帰るから…。色々ありがとう」と一樹が言うので、山崎は「変わったねぇ」と笑う。
 仕事の話にしろ、桜のことにしろ、ようやく血の通った人間のようになった、と山崎は思う。それまでの一樹は全く無関心で、ただひたすら大学と家の往復をしているような生き方をしていた。
「変わらないと…ね」と一樹も笑った。
 ようやく長い呪縛から外れたのか、と山崎は感慨深い気持ちになる。
 タクシーで家まで帰る。
「お風呂上がりで寒くない?」
「大丈夫です」と桜は一樹に向かって微笑む。
「ちょっとだけ…寝ていい?」と珍しく一樹が言うので、桜は頷いた。
 目を閉じて一樹が黙った。桜は携帯を取り出して、漫画を読んでいると、一樹がもたれかかって来た。重かったけれど、なんだかその重さも嬉しくて、くすぐったくて、そっと頭を膝の上にゆっくり置いた。一瞬、目が開いたけど、桜を見て安心したように目を閉じる。寝顔がまるで少年のように思えた。
 タクシーの振動が心地よくて、桜もあくびをしたら、ミラー越しに運転手と目が合ってしまって、慌てて、窓に視線を向けた。夜の道が果てまで広がっている。
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