第21話 くっつく

文字数 1,751文字

 桜が玄関に迎えに行くと、短くなった髪型を見て、一樹は一瞬驚いた。随分、切られていて、髪の長さが変わってしまっていた。
「可愛くなったね」
「友達に切ってもらって」
「うん。すごく良い…。でも」
「あ、お帰りなさい」
「ただいま」と言って、コートを脱いで靴を脱ぐ。
 上り框に上がって、桜の短くなった髪を触ると一樹は聞いた。
「桜。何か、あった?」
 桜は堪らなくなって、一樹に抱きついた。
「…辛い?」
 顔を上げて、涙が溢れそうな瞳で一樹を見る。
「…生きてる…夢を見たの」
「生きてる? 元彼の夢?」
 桜は頷きながら、そんなことを一樹に言ってしまったことを後悔した。
「それは…辛いね」と否定せずに優しく撫でてくれた。
「…一樹さん。ごめんなさい」
「どうして?」
「こんな話…」
「どんな話でも桜からの話は聞きたいから。言って楽になるなら言ってくれていい」
「お風呂…一緒に入りましょう。そこでお話し聞いてください。…お腹空いてますか?」
「ううん。大丈夫」
 桜はゆっくり笑って、お風呂の用意をしに行った。その後ろ姿を見て、一樹は小さくため息を吐く。生きてる人間はいつまで死んだ人間のことを後悔し続けるのだろう。

 お風呂の湯気が暖かい。湯船で一樹は目を閉じていると、桜が入ってきた。
「桜はお風呂好きなんだね」
「はい。だってあったかいですし…それに一樹さんと一緒に入るの大好きなんです」と体をくっつける。
「それは…ありがたいような…気もするけど」
「一樹さんは誰かと入るの、苦手ですか?」
「いや、そうじゃないけど」
「ほら、髪の毛洗ってる時も気が紛れませんか? 一人だとちょっと怖かったりして…」
「そうだったんだ。今まで怖かったんだ」
 桜の頬が膨らんで眉間に皺を寄せる。その皺にキスをして「今まで怖い思いさせてごめん」と言った。
「お家のお風呂でも?」
「小さい頃は怖かったです。今は平気になりましたけど…」
「じゃあ、毎日一緒に入ろう」
「それは…無理なんです」
「え?」
「だって…あの…生理の時は一人でシャワーだけで…」
「あ…。そっか」と一樹が逆に顔を赤くした。
 その横顔を見ながら今日あったことを一樹に話した。元カレの浮気相手が来たこと、友達のところに髪を切りに行ったこと。
「大変だったね」
「いいんです。今、こうして一樹さんにくっついてたら、全て消えちゃいます」と頰にキスをする。
「桜…出ていい? ちょっとのぼせた」
「はい」と二人でお風呂から上がった。
 体を拭いて、パジャマに着替えると一樹が桜の髪の毛を乾かしてくれる。
「すぐ乾くね」
「そうなんです。ちょっと残念です」
「え?」
「だって髪の毛触ってもらうのも気持ちいいです」
「そうなんだ」と一樹が短くなった髪に指を入れた。
 そうしていると、桜が体をもたせかけてくる。
「桜はくっつくの好きなんだ?」
「一樹さんだから…。きっと磁石入ってるんです」とさらに体を寄せる。
「困ったなぁ。冷蔵庫行きたいんだけど。喉乾いて」
「あ、じゃあ、離れます」と言って、桜は台所に走っていった。
 こんなにべったりくっつかれるのは初めてだった。好きにさせていると、すぐに近寄ってくる。まるで構ってほしいペットのようだ。それでいて少しも嫌な気持ちにならない。台所に行くとコップに水を入れている桜がいた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」と水を飲んで、一樹が桜に近寄ってみた。
 そして体をくっつけてみる。
「え?」
「桜の真似してみたんだけど…」
「あ…。私、こんなですか?」
「うん? もっと可愛いけど…」
「きゃー、恥ずかしい」と言って抱きついてくる。
 何してもくっついてくるので、笑いが堪えきれずについ笑ってしまった。
「なんで、そんな…くっつくの?」
「分かりませんけど…。くっつきたいんです」と顔を見上げて言う。
「じゃあ…歯を磨いて一緒に寝ようか」
「はい」
 もちろん寝る時も随分とくっつかれてしまった。一樹も眠たかったが、桜が寝ている顔を見たくて、髪を撫でながらしばらく起きていた。そしてお風呂が怖かったなんて知らなかった、と思って、それもなんだかおかしくて、思い出し笑いをする。
 すると桜の手が一樹のパジャマをきゅっと掴んだ。一樹は桜の背中に腕を回して、抱き寄せる。
 甘い匂いがふわっと届いて、くっつきたくなる理由が分かる気がした。
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