三十 推理①

文字数 4,138文字

 九日、月曜、午前二時頃。
「佐伯さん、これを」
 部屋をでると佐介はカメラのメモリーカードを佐伯に渡した。
「データーをコピーしたらカードをお返しします。二人は私の部屋にいてください・・・」
 佐伯は階段へ歩きながら携帯で、関口虎雄の死亡現場担当者に指示を与え、山本刑事と話してくるといって、持っている遺留品収集用具のケースから通信機を取りだしてヘッドセットを装着している。現場で直接指揮しなくてもこのヘッドセットから指示でき、捜査状況は、逐次、佐伯のタブレットパソコンに報告される。ヘッドセットは佐伯の携帯の代用にもなり、タブレットパソコンに連絡があれば知らせてくれる。佐伯はそう説明して、いたずらっぽく真理と佐介に目配せした。

 三階で佐伯と別れ、真理と佐介は自室に戻ってタブレットパソコンを持参し、佐伯の妻良子に事情を説明して佐伯の部屋に入った。
「大変な事になりましたね」
 佐伯の妻の良子は穏やかなまなざしで真理と佐介を見た。
 真理は良子を気づかった。
「伯父さん、たてつづけに事件だから大変だな・・・」
「職業柄、仕方ありませんよ。ちょっと失礼しますね」
 良子は刑事の妻らしくおちついて奥の和室へ入った。

「監視カメラの記録に、犯人、映ってないかなあ・・・」
 奥山館の各フロアに監視カメラがある。真理は、屋上のドアと地下倉庫の通路にも監視カメラがあったのを思いだして、座卓に向ってタブレットパソコンで監視カメラの機能を検索した。
「僕も監視カメラを見たよ」
 奥山館の監視カメラはフロントで操作する。動く物を自動で撮影する旧タイプだ。電源が切られていた時間帯は誰もいなかった事になり、逆に考えれば、監視カメラを操作できた人物が容疑者で、佐伯はその事を承知しているだろうと佐介は淡々と説明した
「フロントの人たちは共犯者か?」
「断定はできないよ・・・」
 同時刻に二人殺害されたなら、単独犯による犯行ではない。フロントの人たちは、関口虎雄と福原富代が亡くなった時、フロントにいた。実行犯は少なくとも二人以上だ。

「動機は何だろう?」
「奥山事件が絡んでると思う・・・」
 宗谷慎司の妹二人が保護プログラムで保護されたなら二人は二十歳前後だ。モデル二人を除けば、撮影スタッフにも奥山館にも二十歳前後の女はいない。みな年上だ。宗谷慎司の妹が報復したならモデル二人が宗谷慎司の妹だ。保護プログラムで保護された妹二人が身元を明かす殺人をしないだろう。事件当時、二人は客室にいた。妹二人の報復の線は消える。一般客に容疑者が紛れてる可能性があるだろうか?
「佐伯さんが従業員と客のリストを得てる。事情聴取で身元がわかれば、奥山事件との関係がわかるはずだ・・・」
 佐介の気配が変化した。容疑者は一般客か?
「福原富代の爪にあった遺留物、合鍵、監視カメラ。物的証拠があるから容疑者は挙る。一人挙ればあとは芋蔓だ・・・」

 良子が奥の和室からでてきて座卓にお茶を置いた。
「ゆっくり温泉に浸かろうと思っていたでしょう?大変でしたわね。
 もうこんな時刻ですから、佐伯も戻るでしょう」
「事件の時、いつも伯父さんの帰りは遅いんか?」と真理。
「遅くなる場合は署の方に泊まるから・・・」
「伯母さん。先に休んでください。僕たちも佐伯さんの顔を見たら部屋へ戻ります」
 佐介は佐伯の妻良子を気づかい、小さくお辞儀して茶碗に手を伸ばした。
 せっかくの休日を夫婦だけで過したいだろうに、伯父さんは事件にかかりきりだ。どこにいようと事件が起きれば私的時間は無くなる。それは新聞記者も同じだ・・・。
 真理がそう思っていると良子が不安そうにいう。
「わかりました。佐伯が戻ったら、そうします。
 あの、真理さん。今回の事件、奥山事件が関係してるのね?」
「奥山事件を知ってるんか?」
 真理は手に取った茶碗をそのまま座卓に戻した。

 良子が残念そうにいう。
「ええ、佐伯の担当ではなかったけれど、憶えてますよ。
 借金未返済殺人事件の被害者家族全員が加害者の弟に殺害されて、犯行後、弟は自殺。それが原因で、村が廃村になった事件でしょう。
 奥山事件で被害者家族全員が殺害されたのだから、被害者の親族は借金未返済殺人事件の加害者たちを恨むわよね。廃村に追いこまれた村人たちも、借金未返済殺人事件の加害者を恨んでるでしょうね・・・」
「村人は、皆、どこへ引っ越したんですか?」
 佐介が調べた限り、信州信濃通信新聞社のデータベースに村人たちの転居先は無かった。
「この辺りの人たちの移動距離は短いのよ。近くの郷や町に嫁いだ娘たちや働き口を見つけて移り住んだ次男三男が多かったの。だから身内を頼って、引っ越したらしいわ」
「村人の引越し先は、どこだったんですか?」と佐介。
「いちばん多かった引っ越し先が、ここだったと聞いてるわ」
 良子は茶碗を手に取った。
「ええっ!どういうことだ?」
 真理は驚いた。佐介はおちついている。
「奥山村からここまで約八キロ。奥山村にお墓があるから、皆さん、奥山郷から離れて遠くへ引っ越したくなかったのよ・・・」
 奥山温泉は昔からある湯治場で一年中温泉客がいる。極端に繁盛もせず、廃れもせず、この奥山渓谷のひなびた温泉として昔からつづいてきた湯治場だ。昨今の秘湯ブームがあって奥山郷の秘湯奥山温泉として少しずつ知られるようになった。

「奥山郷って、どこまでをそう呼ぶんですか?」と佐介。
「本流の奥山川と支流の岩魚川の渓谷沿いの村々を呼ぶの。
 昔は、本流の奥山川沿いの奥山温泉は人が少なかったけど、奥山村から人が移り住んで、奥山渓谷の奥山温泉の村々を奥山郷と呼ぶようになったの・・・」
「奥山事件の頃、誰が奥山館を経営してたんだ?」と真理。
「私にはわからないわ。ここの先々代は奥山村から出てきた人と聞いてるけど、現在の経営者が誰かも知らないから」
 真理は良子の話が気になった。宗谷慎司の親族と廃村に追いこまれた村人たちは、借金未返済殺人事件の加害者たちを恨んだだろう・・・。やはり容疑者は複数だ・・・。

 佐伯が帰ってきた。
「いや、お待たせしました。夕方、山田勇作の事件後、私は、『地元の者の犯行は考えにくい。被害者を知る人はここにはいない』と話しましたが、そうではないようです。
 容疑者は奥山館の従業員と撮影スタッフに絞られます・・・」
 佐伯は座卓に向かって座り、妻が入れたお茶を飲むと、県警本部の情報網による捜査結果と、地元警察署を通じて調べた河川監視カメラと、奥山郷の監視カメラの調査結果を説明した。

『奥山事件』の後。奥山村の多くの人たちがここ奥山温泉に引っ越していた。そして、奥山館の一般宿泊客に『借金未返済殺人事件』と『奥山事件』に関係する者はいなかった。
 また、奥山館の監視カメラは佐介が説明したとおり、旧タイプだった。被害者が死亡した時刻、監視カメラに容疑者の映像は無く、意図的にカメラのスイッチが切られた可能性があった。監視カメラの制御機器はフロントにあるが、フロントのカメラは金庫など貴重品類が収納されている箇所に向けられ、カメラの制御機器を撮っていないため、スイッチを切った人物を記録していなかった。

「フロントへ出入りできた人物が容疑者の一人ですね?」
 佐介は単独犯ではない事を示唆した。
「ええ、スイッチを切っている間に二箇所で事件が起きた。どちらの現場も、単独犯行は困難です。容疑者は複数です・・・」
 佐伯はさらに説明する。
 金庫に保管してあった、従業員用階段から屋上へでるドアの合鍵と、地下駐車場から地下倉庫へ入るドアの合鍵に、わずかな傷が残っていた。傷は合鍵のコピーを作る際に固定した締めつけ跡だった。
「今、担当刑事が、どこで誰が合鍵のコピーを作ったか調べてます」と佐伯。

 真理は、奥山支配人が、『各ドアの鍵は五つあります。二つは金庫に保管し、キーボックスに二つ、一つは責任者が持ってます。予備の鍵を作る必要はありません』と話したのを思いだした。
 屋上へでるドアと地下駐車場から地下倉庫へ入るドアの管理者は安藤副支配人だ。安藤副支配人が事件に関与したなら、合鍵のコピーを作らなくても犯行は可能だ。合鍵を自由に使える安藤副支配人は事件に関与していない事になる。

「まだ、副支配人の関与は不明です。
 福原富代の爪から得た物的証拠を鑑定にだしました。明日中に容疑者が挙るでしょう。そうすれば事実が判明します。
 今夜は、これまでにして休みましょう」
「わかりました。僕らは部屋へ戻ります」
 佐介と真理は佐伯夫妻に挨拶してその場から立って部屋をでようとした。

「ああ、一つ忘れてました。
 従業員の多くが別館一階の宿舎に居住してます。従業員用の出入口とタイムレコーダーは別館にあるそうです。
 経営者の自宅は別館裏の旧奥山館です。裏という表現は変ですね。
 この奥山館の前にある国道に面して、南から本館、別館、旧奥山館が並んでるんです。
 自宅がかつての旅館『奥山館』で、その後、別館を増築し、本館を造ったそうです。
 本館に、従業員用の出入口が無いのでふしぎだったんですよ」
 佐伯は真理と佐介にそう説明した。

 本館一階ロビーから通路を北へ進み、従業員用階段を通りすぎてさらに進むと、別館へ行く。さらに北へ進むと、奥山館の経営者の自宅の、かつての旅館『奥山館』だという。伯父さんは何をいいたい・・・。無駄な事を話さない伯父さんだ。別館と経営者の自宅が事件に関係するのか・・・。そう考える真理の手を佐介が握った。
「わかりました。その事を含めて考えてみます。
 部屋に戻ります。今日はお疲れさまでした」
「いろいろありがとうございました。ゆっくり休んでください。
 そして、また協力してください」
 佐伯夫妻は、退室する真理と佐介を笑顔で送りだした。

 部屋に戻った佐介が真理にいう。
「もう三時になる。早く寝ないと寝不足になるよ」
「サスケ、容疑者、わかったか?」
「ああ、何となくね。でも確証が無い・・・。
 大浴場に行けなくなったからここで我慢する。いっしょに入るか?」
 佐介は和室にある温泉の風呂を示した。
「うん・・・」
 真理は佐介に抱きついた。私たちはまだ新婚なんだぞ・・・。

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