五 期待した夏の休暇

文字数 1,998文字

 八日、日曜、夕刻。
 奥山館三階の八畳二間つづきの和室で、真理はタブレットパソコンのキーボードに指を走らせた。地方紙の信州信濃通信新聞社も、関連新聞社やTV局と巨大なデータベースを共有している。多彩な情報を保持しているが、死亡した山田勇作の情報があるとは限らない・・・。
 そう思いながら真理は唇を噛みしめ、夏の休暇に入ってから今日までを思いだした。


 一昨日、六日、金曜、夕刻。
 信州信濃通信新聞社は、長野市南長野幅下の長野県庁東通りの県道399号を隔てた南県町にある。南側に二つ隣のビルは日報新聞長野支局だ。信州信濃通信新聞社のビルは日報新聞長野支局とくらべ貧弱だ。県庁内には長野県警本部がある。

 退社時刻。佐介はTVニュースを見ていた。
 凄惨な事件が多い。大雨、洪水、殺人事件、こんな事ばっかりだ・・・。
 佐介の中で何かが燻っている。佐介はそれを説明できない。忘れた物を思いだそうと朧に想像できるがはっきり表現できない時に似ている。気温が上がって体温が上がり、汗が噴きだす寸前のもやもやした身体状態に似ている。
「サスケ、どうした?熱でもあるんか?」
 佐介の妻、真理が佐介の額に手をあてた。熱はない・・・。
「異常気象で、天候が人の精神に影響してるかもしれない・・・」
「だけど、明日から九日間は何もあってほしくないな・・・」
 真理は佐介の肩に手をのせてさすりながら窓の外を見た。夕陽が旭山の山の端に隠れ、暑さが和らいだような気がする。吹きおろす山風に通りの欅が揺れている。

 明日から九日間、佐介と真理は夏休みだ。日曜から湯治と釣りを兼ねて県境の秘湯へ行く。真理の母方の遠縁の再従伯父(はとこおじ)、佐伯刑事(警部)と妻の良子の夫妻もいっしょだ。佐伯夫妻に子供はいない。夫妻は真理を実の子のように思っている。
 佐伯は県警本部に勤務する警察庁特務官だ。この事は県警内の一部の者が知る極秘事項だが、特務官の名称は語られないものの、佐伯警部が特別な役職にある事はそれとなく知られている。
 真理を実の子のように思っているのは佐伯夫妻だけではない。真理の母方の叔母の原田伸子夫妻も真理を実の子のように思っている。
 真理と佐介は終の棲家は長野と決めている。真理と佐介の実家は群馬だ。真理の親も佐介の親も、兄夫婦と同居している。いずれ真理と佐介は、親のような存在の佐伯夫婦と原田夫妻の二組の夫婦と同居する気でいる。原田夫婦も佐伯夫婦も長野市内に住んでいる。

 そして今日、八日、日曜、午前。
 蒸し暑い日だった。雨が降る前の蒸し暑さは長野では珍しい。空を見あげながら真理は助手席に座りドアを閉めた。
「サスケ、奥山温泉に着くまでどれくらいかかる?」
 長野市内の自宅駐車場で荷物を積み終え、佐介はカーナビに目的地の奥山温泉奥山館を入力した。
「二時間くらいだな」
「冷房が効いてて涼しい。眠くなりそうだ・・・」
「眠っていいよ。昨夜、電話でずっとお母さんと話してたんだろう」
 運転席に座り、佐介は車を発進させた。
 真理たちとともに奥山温泉に宿泊予定の佐伯夫妻は、真理と佐介とは別行動だ。佐介の車でいっしょに行動しようと話したが、佐伯夫妻は新婚の真理と佐介を気づかい、現地の奥山館で落ちあう事になっている。

「佐伯の伯父さんには親も兄弟も子供もいない。親戚は私たちの親戚だけだから・・・」
 真理は昨夜、母とその事を話していた。母は真理に、あなたの好きなようにしなさいといって母の考えを話さなかった。真理と佐介に何をしてほしいか考えはあるが、母本人が行えない事を真理夫婦に強要できないと充分に承知している。
 佐介の実家も真理の実家同様に、兄夫婦が両親と同居している。兄は、実家の事は気にせず真理の状況を考えてやれと好意的だ。

「うん。わかってる。ノブチンと同じにするんだな。僕は気にしないよ。
 真理の両親と僕の両親を同居させると思えばいいさ」
 運転しながら佐介は真理の母方の叔母、原田伸子夫婦を思った。
 真理は佐介の横顔を見た。
「サスケも家族の良さを感じてるんだな・・・」
「それは感じてる。真理の兄と両親には感謝してる。僕の兄も両親もそういってる。
 どっちの両親も大らかだよな。四組の夫婦に人生のナビゲートしてもらうさ」
 と佐介は笑っている。
 サスケは大らかだ。親譲りなんだろうな・・・。真理はそう思いながらいう。
「アハハハッ!まあ開けっぴろげなとこは地域性だろうな。
 さて山道を行くか、国道を行くか、どっちがいいかな?サスケはどっちがいい?」
 真理は車窓から周囲の山々を見た。車は市街地を走っている。
「国道がいいな。何かあってもすぐ対処できるし、コンビニがあるから、途中でお茶を買えるし、食べ物も買える」
「いけない!飲み物を持ってくるの忘れた!」
 真理は飲み物の準備をすっかり忘れていた。
「大丈夫。途中のコンビニで買うさ」
 佐介は真理を気づかった。
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