二十六 転落死

文字数 2,695文字

 午後十一時頃。
 佐伯たちと真理たちと村田客室係が調理場に入ると、調理台の周囲に、従業員が不安な表情で椅子に座っていた。
 佐伯は調理場から、日本庭園の踏み石に拡げられたシートを見て、真理たちに、調理場で待つよう指示し、現場保存した奥山支配人に礼を述べて、奥山支配人から安藤貢副支配人を紹介された。安藤副支配人はフロント勤務を高須客室係勤務と交代していた。
 佐伯は、倉庫の悲鳴を聞いた時、副支配人がどこにいたか訊いた。
「交代時間まで一時間ありましたから、高須といっしょに休憩室で仮眠してました。
 悲鳴が聞こえたような気がして・・・」
 休憩室はフロントと事務所の間にある。入口は事務所のドアと併設している。休憩室を利用する者は事務所から確認できる。

 佐伯は安藤副支配人に礼をいって、奥山支配人とその場にいる従業員に、倉庫の悲鳴を聞いた時、食材貯蔵庫に誰かいたか訊いたが、従業員は、糧貯蔵庫には誰もいなかったと答えた。客の夕食後の片づけが終り、従業員の夕食が終った時で、全員が調理場にいた。

 佐伯は、食材貯蔵庫から駐車場側のドアと倉庫側のドアを調べるために食材貯蔵庫の立入りを禁止すると話した。あわてて何かいおうとする中野料理長に、食材貯蔵庫内を撮影するだけだといって、山本刑事と只野巡査に、
「山本刑事と只野巡査は、その椅子を持っていって食材貯蔵庫へ下りる階段の周囲に規制線を張ってください。
 ここがすんだら駐車場側からも、倉庫のドアと食材貯蔵庫のドアと事務所の倉庫のドアの周囲に規制線を張ってください。遺留物の有無を調べてください。
 それがすんだらここに戻って、従業員と客から二人の死亡時にどこで何をしていたか事情聴取し、その途中で、関口虎雄さんの私物と福原富代さんの私物を押収してください。所轄と県警本部から人員が来たら事情聴取させますから」
 と指示した。
「了解しました。
 支配人、駐車場にパイロンがあリましたね。使わせてください」
「ええ、使ってください」
 奥山支配人の返事と同時に、山本刑事と只野巡査が椅子を使って食材貯蔵庫へ下りる階段の周りに規制線を張り、調理場を出て駐車場へ向った。

「佐介さん。先にこっちを撮影してください」
 佐伯は奥山支配人とともに調理場から東側の庭園へでた。雨はやんでいた。踏み石に拡げられたシートは、奥山支配人が用意した照明の光を四方から浴びて、庭園から浮きあがって見えた。
「佐介さん。この様子をあらゆる角度から撮ってください」
 佐伯の指示で、佐介は、福原富代の上に拡げられたシートをあらゆる角度から撮影した。

 佐介がシャッターを切る前で、奥山支配人と安藤副支配人がシートを取りのぞいた。
 踏み石の上に、ジーンズにトレーナーの福原富代がうつぶせに倒れている。踏み石の表面は地面より五センチメートルほど高い。福原富代は踏み石の上に倒れたままシートで覆われていたため、衣類はあまり濡れていなかった。

 佐伯は福原富代の全身を見た後、ふたたび足元から詳しく見た。福原富代が履いているスニーカーのサイズ、二十四センチメートルを確認し、スニーカーの靴底をボールペンの先で示して佐介に指示した。
「ここを撮影してください」
 佐伯が示したのはスニーカーの裏に付いている砂粒と、苔ではない地衣類だった。佐介はスニーカーの裏を角度を変えて何度も撮影した。
 撮影が終ると、佐伯は遺留品収集用具が入っているケースから、証拠品収納用の透明なポリエチレンの小さなジップロックとピンセットを取りだして、スニーカーの裏に付着している物をピンセットでつまんでポリ袋に入れた。

 調理場の裏口ドアから現場を見ている真理は、佐伯が、いつ、そのケースを持ってきたか憶えがなかった。客室をでるときも地下の倉庫にいたときも、伯父さんはケースを持っていなかった。山本刑事と只野巡査は現場検証の装備一式を持っていたから、その遺留品収集用の装備なんだろう・・・。
 あっ・・・。真理はふしぎな事に気づいた。
 最初の悲鳴の時、どうして地下の倉庫へ下りたんだろう?悲鳴は階下からだが、地下とは限らない。あの客室係、悲鳴が地下からだと、どうして知ってたんだろう?もしかしたら、地下の倉庫で何かがあるのを知ってたんじゃないのか?。客室係の名は村田秋吉だったな・・・。

 佐伯は、福原富代のスニーカーの裏から脚、胴、腕、手へと何度も見直した。そして、福原富代の右手を拡げてじっと見つめている。
 しばらくすると、佐伯は福原富代の左手を拡げた。佐介に、ボールペンの先で福原富代の手の平と指先と腕時計を示した。左手首のデジタルの腕時計は壊れて時刻を表示していなかった。ジーンズのポケットの携帯電話は壊れて何も表示していなかった。
「この手と指先を撮ってください」
 福原富代の左右の手の平には、スニーカーの裏に付着していた物と同じ、砂粒と地衣類が付着した酷い擦過傷があった。そして、その擦過傷だらけの指先の爪の間に、皮膚片のような物があった。
 佐介は手の平と指先を何度も角度を変えて撮影した。撮影中、福原富代の左手の爪の割れ目で、糸くずのような物が照明の光を反射した。それは黒っぽい二本の短い繊維だった。一方向からの光では夜の闇と区別できなかったと思われた。
「佐伯さん・・・」
 佐介は遺留品の名称をいわずに、福原富代の指先を目で示した。黒い繊維と知れば、事件に関与した者が逃亡する恐れがある。
 真理は、佐介が重要な証拠を見つけたのに気づいたが、無言で佐介と佐伯の作業を見つめた。

 佐伯は佐介の意を汲み、何食わぬ顔で、福原富代の左手人差指の爪の割れ目から短い二本の黒い繊維を採取してポリ袋に入れた。そして、福原富代の左右の手にある擦過傷に付着した砂粒と地衣類を採取してそれぞれのポリ袋に入れ、左右の指の爪先にめり込んでいる皮膚片のような物を採取して他のポリ袋に入れた。
 佐伯は福原富代の胸から頭部を観察して立ちあがった。奥山館の屋上を見あげて、ふたたび福原富代に視線を戻した。
「もうすぐ鑑識が来ます。このままにしておいてください。この庭に入らないでください。
 シートをかけてください」
 奥山支配人と安藤副支配人は福原富代にシートをかけて、庭にある縁台や椅子を並べ換えて規制線のテープを張った。
「食材貯蔵庫と駐車場のドアの撮影は後にします。先に、屋上へ行きましょう」
 佐伯は佐介にそういい、奥山誠支配人に、今夜、食材貯蔵庫から食材をだすか訊いた。
 奥山支配人は中野料理長を見て確認した。
「食材貯蔵庫から食材はだしません」
 奥山支配人はそういった。
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