八 秋山秀一と鞠村まりえ

文字数 5,120文字

 二〇二一年六月二十八日、月曜、午前。
 鞠村まりえは秋山事務所に電話してきていきなり命令した。
「あたし、MadamMarimura。すぐにOfficeMarimuraに来なさい」
 カメラマン秋山秀一は鞠村まりえと面識は無いが、ファッション業界で有名な鞠村まりえの名を知らぬ者はいない。
 それにしても、面識も無いこの俺を呼びつけるとは非常識な女だ。業界で名が売れれば、何でも思い通りになると思いあがっている。おそらく仕事の依頼だろう。こんな非常識な女とは関わらない方がいい。
 しかし、なぜか、このところ仕事が減っている。このままではスタッフに給料を払えなくなりそうだ。背に腹は代えられない。一応、顔をだしてみるか・・・。
 秋山は晴海のスタジオから新宿のOfficeMarimuraへ車で駆けつけた。

「CMと新作のメディア、作ってほしいの。柱状節理の岸壁の前で新作を発表したいわ。
 CGはダメよ。実物の岩の質感と、作品を対比させたいの。
 照明は自然光がいいけど、現場の天候任せにはゆかないわね」
 鞠村まりえは自己紹介もせず、秋山の承諾を得ぬままいきなり仕事について話した。
「・・・・」
 秋山は閉口した。こいつ、なんて女だ!俺はまだ仕事を請けるといっていないぞ・・・。
「柱状節理の岸壁の前に、二階ほどの高さのステージ作って、スタジオみたいにするの。
 スタジオ内に岸壁があるようによ。
 撮影現場は、国立公園内の奥山郷・・・」
 鞠村まりえは説明しながらタバコに火を点けた。深々と吸って唇を尖らせて天井に向って煙を吐いている。
「国立公園内なら、許可がおりるかどうか、わからないだろう?」
 ロケは無理だろうと秋山は思った。
「だいじょうぶ。必ず許可はおりるわ。CMと新作発表の画像と映像作成だからメリットはたくさんあるの。作品の素材は地元のシルクよ。バックの柱状節理の岸壁も紹介するから、地元観光に貢献できる。その筋から許可を得てもらうわ」
 鞠村まりえは自信たっぷりだ。
「・・・」
 鞠村まりえ、いったいこの女は何者だ・・・。秋山は鞠村まりえに呆れた。
 仏塔のように髪を結いあげ、全身に黒のコスチュームをまとったサングラスの中年女が、ファッションブランドメーカーMarimuraと、販売部門MadamMarimura、それらの広告関連を独占的に扱うOfficeMarimuraの経営者鞠村まりえだ。その事は秋山も承知している。秋山は鞠村まりえの裏の顔が気になった。

「モデルは甲斐ソレアと麻生玲香よ」
 鞠村まりえはタバコを指に挟んだまま秋山を見つめて左膝に右脚を重ねた。甲斐ソレアと麻生玲香はどちらも現在売れっ子のトップモデルだ。
「二人の契約は取ってあるのか?」
「まだよ。あたしがいえば必ず承諾するわ」
 鞠村まりえは秋山を見つめたままだ。
 こいつ、どこまでも高飛車だ。いったいどれだけの力があるというのだ・・・。

「野外ステージを作るなら、それなりの専門家でないと無理だ。
 うちは、そんな足場の悪い河原にステージを作れない。専門の連中をそっちで用意できないか?」
 秋山はつっけんどんにそういった。
「あら、それはあなたたちの専門でしょう。撮影用のステージは野外でも使うでしょう。
ライブ会場のステージさえ作るんだから・・・」
 鞠村まりえは一息タバコを吸って、天井へ向って煙を吐いた。

 このオバサンデザイナーが実写にこだわる理由が何だ?なぜ、カメラマンに俺を指名した?モデルが、なぜ、あの甲斐ソレアと麻生玲香なんだ?
 都心から離れた山岳地帯に入らずとも、CG合成すれば、要望する画像は得られる。現代の技術なら、実写と合成の識別は不可能だ・・・。
 この話、乗る気はない・・・。モデル二人に会いたくない・・・。撮影現場も行きたくない地域だ・・。
 秋山は丁重に切りだした。
「私を指名して頂き、とても感謝しています」

「断りの常套句ね。
 でもね、あんたはピカ一よ。自然と人間の対比を画像や映像にするなら、あんたしかいないの。それをあんたは自負してるわよね」
 鞠村まりえはタバコを灰皿に揉み消した。新たな一本を咥えて火を点け、あんたの心を知っているとのそぶりで秋山の頭上へ視線を向けている。
 俺はそんな事をいった覚えはない。この女は、なぜ、往年の映画女優のように自信たっぷりに俺の事をいうのだろう。俺を調べたか・・・。
「あなたを調べたわ。突然現れて、発表した作品はどれもすばらしい。
 たくさん賞を取ったなんて事はどうでもいいの。審査員はあたしの息がかかった、大した事ができない連中ばかりなんだから。
 作品、イコール、アーティストなのよ。賞なんかより一般の賛美が大切なの。あなたを賛美する人はとても多いわ。
 あたし、いつもはアーティストの私生活に興味ないんだけど、あなたには興味が湧いたわ。会ったら、なお、それが深まった。
 引き受けてくれるわね?」
 そういって鞠村まりえはさらに語る。
「岸壁をバックに、二人のダンサーが舞う。
 身に着けている衣が、海辺の波に揺らぐ藻のように空間に漂う。
 岸壁は海中の岩場だ。
 マーメイドが波に戯れ、身にまとう衣が弧を描く。
 ほんとうは、紅葉をバックに入れたかったの。
 海中のイメージに、赤や黄色、緑、色とりどりの秋の色を入れてもいいけど、秋は気温がさがって大変でしょう。
 あたし、寒いのはだめなのよね・・・」
 鞠村まりえは首を縮め、寒さをしのぐ仕草をする。現場へ行くつもりなのだ。

「俺はまだ・・・」
 秋山は口を閉ざした。
 鞠村まりえがじっと秋山を見つめた。穏やかな表情とちがって眼光が鋭さを増している。
「秋山秀一が怖じ気づいてMadamMarimuraの依頼を断った。そうといわれていいの?」
 眼光の鋭さに加え、鞠村まりえの表情が険しくなった。
 秋山は不穏な気配を察し、こまったと思いながら表情を変えずにいう。
「正直なところ、予定が一年以上詰まってる。一年と半年先でよければ契約するよ」
「契約は今年の夏になさい。他の契約は断りなさい。もちろん違約金はあなたが払いなさい。広告業界で生き延びたかったら、あたしのいうとおりにするのよ」
 鞠村まりえが微笑みながら高慢な態度になった。
 秋山はおちついて鞠村まりえの表情を見た。業界の脅しには慣れている。
「困ったな。億単位の違約金は払えないよ。
 業界第二世代の大物と言われるMadamMarimuraは、そうやって業界の立場を利用してきたのか・・・」
「そうよ。園田や輝元、彼らもあなたと同じに、あたしの要望を無視しようとした。
 だから、この服飾業界と広告業界で仕事をできないように手をまわしたわ。
 逆に、新山や乾に、業界の仕事を優先的にまわしてあげた。
 結果はあなたも知ってのとおり、新人賞を審査するまでになった・・・・。
 あなたは、どちらになりたいの?」
 鞠村まりえは笑みを浮かべたまま、値踏みするように秋山を見ている。
「その話、ほんとうか?」
 秋山は驚いたふりをした。実態はすでに知っている・・・。園田と輝元は、一時期、脚光を浴びたカメラマンだ。その二人に変ってのし上がったのが新山と乾だ。二人の実力は疑うものがある・・・。このところ仕事が減っているのはこの女の仕業だな・・・。

「ええ、事実よ。服飾だけでなく広告代理店にも手をまわしたから、仕事なんか無いわよ。
 園田や輝元が扱ってた仕事は、全て新山や乾へまわさせたから・・・。
 結果は、園田や輝元は、街の写真館の経営にも事欠く状況になった・・・。
 あなたに代るカメラマン、適当に見つくろえばいるのよ・・・・」
 鞠村まりえは秋山を見つめて微笑んでいる。
 この女の恐ろしさは噂どおりらしい。
「そうやって、周囲にいた戦後第二世代のデザイナーを潰してのし上がったのか。
 デザイナーを排除するのに、どうやった?」
 インタビューするように秋山は訊いた。
「審査員でも、ブティックのオーナーでも、それなりの利益供与すれば、全員があたしのいう事を聞いたわ」
 鞠村まりえは微笑んでいる。
「賄賂か?」
「そうともいうわね。評論家のトキダも、ブティックのユリエも、すぐなびいたわ」
「その事、業界人は知らないのか?」
「知ってるはずよ。でも、のし上がった人たちは、何があったか話さないわ。
 潰された人も、自分のバカさ加減をさらけだしたくないから、何もいわないの」
 鞠村まりえは、また、微笑んでいる。表情とはちがう冷たさを背後に浮かべて・・・。
「俺に話していいのか?」
「いいわよ。どこへ行って話してもいいわ。誰でも知ってるから。
 話を戻しましょう。
 八月よ。今年の夏、画像と映像を作製してほしいわ」

「他の契約を断ってもらえるなら、引き受けるよ。
 クライアントの違約金はそっちで払ってくれ。業界に幅広い力を持っているアンタなら、俺より事がスムーズに進む・・・」
 秋山秀一は平然として態度を崩さない。
「あたしに、そんな使い走りをさせる気なの?」
 鞠村まりえは微笑んでいる。
「いや、先生だからこそできると思う。
 MadamMarimuraが新企画のために、秋山秀一のあらゆる契約を解除した。
 MadamMarimuraは何かをするぞって、話題になると思う・・・。
 その事をCMで流すんだ。メディア制作する前にだ。
 違約金を払う以上にインパクトはあると思う・・・。
 その後に、メディア作成風景を記録して、メディアから新作の映像や画像をオンエアーした後に、ドキュメントをオンエアーする。順序はドキュメントが先でもいい。三重の効果が狙える・・・」
「う~ん、おもしろいわね・・・。それ、頂いていいかしら。
 違約金はあたしが払うわ。あなたへの企画アイデア料よ・・・。
 それから、ここでの会話、週刊誌に持ちこんでもいいわ。各誌が承知してる話だから」
 鞠村まりえは秋山の上着の左右のポケットを眼で示した。
「気づいてたのか?」
 秋山は左右のポケットにボイスレコーダーを忍ばせて全会話を録音している。
「ええ、気づいてたわ。
 週刊誌に持ちこまれると困る事もあるけど、まあ、いつもの事だから気にしないわ」
「いつから気づいてた?」
「審査員の買収あたりからよ。でも、あなたのアイデアを気に入ったから、違約金をあたしが払って仕事してもらうのよ」
「わかってる。ボイスレコーダーは保険だ。脅す気はない。
 契約は後日、弁護士を立ち会わせる。後々、揉めたくないからね」
 秋山は上着の右ポケットからボイスレコーダーをだした。
「あたしも、よく使ったわ。では、来週のこの時間に来てほしいわ」
「七月五日、月曜日、午前十時に。それでは、その時」
 鞠村まりえ。顔は狸だが狡猾さは狐か・・・。
 そう思いながら秋山秀一はOfficeeMarimuraaの特別室をでた。

 一週間後。七月五日月曜、午前十時。
 契約が終り、ひと月も経たぬうちに、鞠村まりえは国立公園内の秘湯、奥山温泉での撮影許可を取付けた。しかも、対岸に柱状節理の大岩壁があって温泉が自噴する河原に特設ステージを建設する許可まで取付けたのである。
 秋山事務所を除き、全ての人選は鞠村まりえが行った。
 OfficeMarimuraは、モデルアシスト担当が十名、モデル二人、鞠村まりえ、ディレクター、マネージャー三人の、計十五人。
 ステージとプレハブを設置しするアドイベント企画スタッフは計二十二人。
 秋山事務所は、計十人。
 ドラマ撮影スタッフは二十人。
 総勢六十七人の所帯だ。
 これで、奥山温泉の奥山館も繁盛する・・・。奥山館は夏の避暑客で混んでいたはずだ。どんなに早くても、鞠村まりえが奥山館に予約をしたのは六月二十八日以後のはずだ。鞠村まりえはどうやって六十名以上の宿泊を奥山館に確保したのだろう。奥山館の先客を他の旅館やホテルに変更させたのか・・・。いったい鞠村まりえはどんな人物なのだろう・・・。鞠村まりえとの交渉を思い返した秋山は、鞠村まりえに興味を持った。


 佐伯が秋山秀一から聴取した内容を説明し終えて、手にしている茶碗の中を見ている。お茶はすっかり冷めている。真理は佐伯を見つめた。
「鞠村まりえが今回の撮影を計画したんか?」
「そうなりますな・・・」
「もう一度、『借金未返済殺人事件』と『奥山事件』を調べる必要があるね」
 佐介は天井を見あげた。鞠村まりえが事件に関わっている気がする・・・。何か計画していたはずだ。いったい鞠村まりえの過去に何があったのだろう・・・。
 佐介と真理はもういちど信州信濃通信新聞社のデータベースで『借金未返済殺人事件』『奥山事件』の全貌を調べた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み