三十五 自白② 十四年前の夏

文字数 5,320文字

 十四年前、二〇〇七年、八月半ば、雨の深夜。
 奥山館の玄関が激しく叩かれた。
 夏山登山で事故があり、深夜に怪我人が担ぎこまれる事はしばしばあった。
 また事故があったか、急病人がでたのだろうと思い、奥山渓二郎は寝床から起きて手早く着換えた。妻も同じに思ったらしく、深夜の訪問者を受け入れるため、起きて身支度した。奥山館に客はいなかった。

 奥山渓二郎は玄関を開けた。玄関の外に二人の子供を背負った素足の女が青ざめた顔で呆然と立っていた。傷ついた素足から血が流れ、雨に濡れた敷石に流れる血が玄関の外灯に照らされていた。
「どうしたっ?何があった?」
 背負われた子供たちの顔を見て、奥山渓二郎は遠縁の宗谷家の末の娘たちだとわかった。女は子供たちの叔母の本山まり子だ。奥山村で宗谷慎司の遺族に異変があったのはまちがいない。
「福原富代の弟が・・・」
 言葉が途切れ、まり子がその場に崩れ落ちた。
「あなた、中へ!」
 妻がまり子の、二人の子供を背負っている帯を解いた。
 奥山渓二郎は子供たちを抱えて広間へ入った。

 妻はまり子を上り框に座らせ、大きめのバケツに温泉の湯を汲んで、まり子の足を洗った。温泉は殺菌作用がある。
「あなた、子供たちはどうしてるの?」
「よく眠ってる」
 広間から奥山渓二郎は子供たちを示した。
「こっちに来て足を診てください・・・。石を取らなきゃならないわ」
 妻はまり子の足を示している。
 まり子はぐったりしているが、緊張が解けたのか、先ほどまでの青ざめた顔に血の気が差している。
「富代の弟の政則が、姉の家族をみんな殺した・・・」
 一瞬に奥山渓二郎の顔から血が引いた。
「戸締まりしろ!谷村先生に連絡する!警察にも!」
 奥山渓二郎はすぐさま弁護士谷村太郎に連絡した。もしどこかに加害者が潜んでいるなら、へたに警察が大騒ぎすれば、逃れてきた二人の子供とまり子の身が危うい。
 谷村弁護士に連絡すると、
「他人に気づかれぬように三人を保護してください。
 私から警察に連絡して対策を講じ、すぐそっちへ行きます。
 玄関の血は外も中も洗い流してください。誰が来ても決して入れないでください」
 谷村弁護士はその後にすべき事を細かに指示して電話を切った。

「すぐに警察と弁護士が来て、あんたたちを保護してくれる」
 奥山渓二郎は話しながら、玄関の外の敷石の血溜りを洗い流して玄関を施錠し、玄関内の敷石の血を拭いた。その間に妻はまり子の足を洗い、傷ついた足にめり込んでいる岩の欠片や礫を、拡大鏡とピンセットを使って取り除いた。
 かなり痛いであろうに、まり子は一言も痛みを訴えなかった。心は悲惨な現場をさまよっているらしかった。
「おちついてからでいいから、何があったか話してね。あわてなくていいわ」
 妻子はまり子に微笑みながら優しくいった。
「はい・・・。子供たちは?」
 我に返ったようにまり子は妻を見た。
「あそこで眠ってる」
 妻は広間を示した。
「ありがとうございます。ありがとうございます・・・・」
 まり子の頬を涙が伝った。
 奥山渓二郎は敷石の血を拭き終え、
「痛くないか?」
 もう片方のまり子の足から、岩の欠片や礫を取り除いた
「はい。それより・・・」
 怯えたように、まり子が玄関を見ている。
「だいじょうぶ。すぐに警察が来る。今夜は私たちが寝ずに見張ってる」
 まり子の足を治療し終え、奥山渓二郎は子供たちとまり子を自室へ移した。ここは客室より強固だ。商売柄、侵入者対策してある。侵入者があってもしばらく籠城できるように作られている。なぜ、そんな造りなのか問われた場合、強盗対策だと話している。まさにそのとおりなのだ。

 一時間も経たぬうちにサイレンの音がし、警察車両が本流の奥山川の吊り橋を渡り、奥山川沿いの国道を奥山村の方向へ走っていった。
 それからまもなく奥山館の前に車が停車して、
「弁護士の谷村太郎です。警察もいっしょです」
 と声が聞こえた。奥山渓二郎は玄関を開錠した。入ってきた谷村弁護士は、
「奥山村から、福原政則が自殺したと連絡がありました。
 宗谷さん一家は、全員が死亡したとの事です。生存者はいません」
 といって奥山渓二郎に目配せして小声になった。
「遺族や親族がこれ以上宗谷慎司殺害の加害者家族から被害を受けぬようにせねばなりません。警察はそのように計らうと確約しましたからそのつもりでいてください。
 今晩中に三人の身柄を他所へ移し、三人に新しい戸籍を用意します。
 驚かないでください。警察の被害者保護計画です」
 谷村弁護士の言葉は力強かった。

 同時に、奥山渓二郎の中に、何かどす黒い固まりが膨らみ、
『イカシテオクナ、カナラズ、ホウムレ』
 とささやきが聞こえて全身に拡がった。奥山渓二郎は宗谷慎司の声だと思った。
「奥山さん。心配ないですよ」
 谷村弁護士は奥山渓二郎の異変に気づいたようだった。
「さあ、車に乗ってください」
 谷村弁護士に従い、奥山渓二郎と妻は、まり子と子供たちとともに警察車両に乗った。
「警察と弁護士の谷村太郎さんが保護してくれるから、皆さんの指示に従ってください。
 私が宗谷の家の遠縁だとあなたはよく憶えていてくれましたね」
 車中、奥山渓二郎はこれまでのまり子の行動を思って安堵したが、これでまり子と子供たちの安全が保証されたわけではない。
「以前、姉から、奥山温泉の親戚は奥山館だと聞いてたから・・・」
 まり子は姉を思いだして、眠っている二人の子供の背を撫でた。

 もう、この子たちに家族はいない。慎司を殺した者たちを絶対に許さない。絶対に許さない!ぜったいに!
 また、奥山渓二郎の中に、何かどす黒い固まりが膨らみ、黒い固まりを通じてまり子の心の叫びを聞いたように思った。どんな言葉でもいい。単なる音でもいい。それらにまり子の思いを乗せて思い切り叫ばせてやりたい・・・。奥山渓二郎はそう思った。


 警察署へ到着した。ホールで婦人警官と医師と看護師が待っていた。
「奥山さんに話があります。すんだら、皆さんの所へ行きます。
 奥さんは、まり子さんたちに同行してください」
 谷村弁護士は、子供を背負ったまり子に微笑み、まり子を不安にさせないよう、もう一人の子供を背負っている奥山渓二郎の妻に同行を促した。
「わかりました・・・。まり子さん、行きましょう」
「はい」
 まり子に生気が戻ったらしかった。
 待ち受けていた婦人警官と医師と看護師が、まり子と子供たちと奥山渓二郎の妻を医務室へ連れていった。

 妻とまり子たちが遠ざかるのを見計らい、谷村弁護士は話しはじめた。
「奥山さん。三人は戸籍を変えてそれぞれ離れて暮す予定です。
 いきなり子供たちを離すのは大変ですから、最初は三人にカウンセラーを付けていっしょに生活してもらい、時期をみてそれぞれが離れるようにします。
 三人とも互いに行き来できる距離で生活できるようにしますが、まり子さんは子供たちから離れる事になるでしょう。
 子供たちとまり子さんの所在は、常に私から奥山さんに連絡します。
 それと、加害者三人と彼らの親族の所在も、奥山さんとまり子さんに連絡します」
 奥山渓二郎は驚いて口を開こうとした。
「加害者たちの居所がわかれば、子供たちもまり子さんも安全です。
 守秘義務違反を気にしているようですが、これ以上被害者をださないためです」
 呆然としている奥山渓二郎に谷村弁護士は微笑んでいる。
「この事は奥さんも含め、他言無用です。奥山さんと私の間だけに留めてください。
 では、医務室へ行きましょう」
 谷村弁護士はまり子たちの後を追って歩いた。
 谷村弁護士の後ろを歩きながら、何か鬱積したものが谷村弁護士から自分に移動してきたのを奥山渓二郎は感じた。それは奥山渓二郎の中に膨らんでいる、あの黒い固まりに似ていた。谷村弁護士も、私と同じ事を考えている・・・・。


 半年後の二月初旬。
 月に一度の連絡を兼ねて谷村弁護士が奥山館を訪れた。奥山渓二郎の妻は座卓にお茶を置いて居間からでた。
 谷村弁護士は、 
「私の双子の姉たちそれぞれに子供ができましてね。とても喜んでます。
 姉たちは子育てで大変になるので、函館の叔母のまりえさんが上の姉のブティックを手伝う事になりました」
 と奥山渓二郎に話した。どこで誰が話を聞いているかわからない。
「それはめでたいですね」
 奥山渓二郎は安堵した。妻に知らせたいが谷村弁護士から禁じられている。
 事実、谷村弁護士に双子の姉がいる。今まで谷村弁護士の姉たちに実子はいなかった。
 姉たちに子供ができたのは、保護された子供たち絹江と繭美が谷村弁護士の身内に引き取られたことを意味している。そして、谷村弁護士の姉が経営するブティックに、叔母の本山まり子が鞠村まりえに名を変えて勤務する事になったのだ。
 まりえは函館生まれ。地元高校から札幌ファッションデザインスクールをでて、現在の業界に入った事になっている。新しい戸籍と経歴だ。

「商売敵はおとなしくしているようです。陽の目を見るのが早くなるかも知れません。
 彼らの取り巻きは、公正取引委員会にマークされてます」
 商売敵は服役している三人、取り巻きは彼らの親族、公正取引委員会は警察だ。
「奥山さんはこの地域を発展させたいと考えています。それは私も同じです・・・」
 谷村弁護士は、奥山渓二郎の心を覗きこむように奥山渓二郎を見つめている。
「汚点は消えません。これ以上増やさなければ、徐々に薄れてゆきます。
 商売敵を常に監視する必要がありますが、弁護士の私が独りでは何もかも足りません」
 谷村弁護士の言葉は熱っぽいものとなって奥山渓二郎の心にのしかかった。
 私の考えに気づいている。思いは私と同じだ・・・。
「今日、こうしてお邪魔したのは、今度、参議院選に立候補しようと考えまして、奥山さんの協力をお願いにうかがいました。
 もちろん、今までの仕事もつづけます。企業誘致や就労支援企業の増設には、国会議員のほうが影響力がありますからね」
 谷村弁護士は、刑務所出所者を就労支援企業に入れて所在を明らかにしようと考えている。やはり、私と同じ考えだ・・・。奥山渓二郎はそう思った。

 谷村弁護士は座布団を横へ移動し、改めて正座した。
「奥山さん、選挙対策委員長になってください。お願いします」
 谷村弁護士は深々と頭をさげた。
 これまでになかった谷村弁護士の態度に、奥山渓二郎は驚いた。
「わかりました。私でよければ協力します。選挙対策委員長だけでなく、その後のこちらの責任者にもなりましょう」
 かつて谷村弁護士の祖父、谷村元一郎は地元選出の国会議員だった。祖父の後継者として、それなりに選挙地盤の確保は可能だ。奥山渓二郎は谷村家の経歴を心得ていた。
「ほんとですか!奥山さんにそういっていただけてとても心強いです!
 ありがとうございます!」
 谷村弁護士はふたたび深々と頭をさげた。

 その年の夏。
 弁護士谷村太郎は参議院議員に当選した。
 その後。
 国会議員谷村太郎は地元に企業創設するなど企業誘致に尽力し、一方で、刑務所出所者に対する就労支援企業の増設にも尽力した。


『借金未返済殺人事件』の加害者三人が服役して十年がすぎた。
「奥山さん、商売敵が模範者として十年で修業を終えます。今年です」
 都内から地元に戻った谷村議員が奥山館を訪れて奥山渓二郎にそう告げた。
「今後の所在はだいじょうぶですか?」
 奥山渓二郎は、出所後の三人の行方がわからなくなると思った。
「心配ありません。そのために企業を創設させ、就労支援企業を増やしたのですから」
 谷村議員は自信に満ちた顔で奥山渓二郎に微笑んだ。
 奥山渓二郎は、後は任せたぞ、といわれたように思った。
「では、以前から、彼らの今後を見抜いていたのですか?」
 奥山渓二郎は、服役している三人が出所後に何を仕事にするか、谷村議員が調査していたのを感じた。
「地域興しの企業創設や誘致、就労支援を掲げれば、公的機関もこれに迎合します。
 彼らの所在は常に把握できます。
 ただ一つ、気になる人物が現れました。秋山秀一です。
 弁護士仲間が伝えてきました」
 そう話しながら谷村議員はおちついている。奥山渓二郎にあわてるなといいたいらしい。
「こちらで、私は何をすればいいですか?」
「誘致した企業と創設した企業を、私の地元後援会事務局長として、今までどおり、監視監督してください。特に『アドイベント企画』です」
「そこに商売敵が留まるのですか?」
 出所者がアドイベント企画に入社するのか・・・。
「商売敵の一人が他の所に滞在します。フォトスタジオ『秋山事務所』です。
 先ほど話した秋山秀一は秋山事務所の経営者です。
 秋山秀一は慎重な男です。従業員から仕事関連まで綿密に調べるでしょう。商売敵の経歴を調べて実態を知る可能性があります。
 こちらは叔母さんに監視してもらいます」
 すでに谷村議員は、服役者たちが出所する事を鞠村まりえに連絡していた。
 鞠村まりえに頼んで、慎司を殺した三人を一ヶ所に集め、事故に遭遇させる・・・。
 奥山渓二郎の中で、あの黒い固まりが形を成していった。
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