三十二 推理③

文字数 2,710文字

 九日、月曜、午前七時すぎ。
「真理。真理。ご飯だよ。朝飯だよ」
 佐介は真理を揺り動かした。
「ねむい・・・。ごはん、いらない・・・」
 真理は夏掛けを頭に引きよせている。
「じゃあ、僕は、ご飯を食べてくるよ」
「ああ・・・、ごはん・・・、たべる・・・」
「じゃあ、起きようね」
 佐介は夏掛けを取って真理をうつぶせにし、首と肩と腰をマッサージした。
「ああ~、首も~、きもちいい~」
 真理はまぶたを閉じたままだ。
「目が覚めた?」
「ああ、さめた・・・。ああ~、はら、へった~」
 薄目を開けて真理は伸びをしている。佐介はぷっと吹きだすように笑った。
「だって、さっきは眠くてしかたなかったんだ・・・、脚も揉んで・・・。
 身体、揉んでもらったら目が覚めた・・・。そしたら腹が空いてるのがわかった・・・」
「顔を洗ってご飯にしよう」
「うん・・・。感電したら、腕時計は止まるかな?」
 真理は、関口虎雄の感電死を思ってそういった
「さっき佐伯さんが来て、いろいろ話していったよ。
『関口虎雄のアナログの腕時計が、九時四十三分で停止していた』
 といってた」
 真理は一瞬に意識がはっきりして跳び起きた。

 感電の影響か、倒れた衝撃かは不明だが、関口虎雄の死亡時刻は午後九時四十三分だ。支配人が悲鳴を聞いた午後十時頃の関口虎雄の死亡時刻は否定された。
 悲鳴をあげたのは誰だろう・・・。
 関口虎雄の死亡時刻午後九時四十三分に、安藤貢副支配人と高須客室係は休憩室にいたと話している。二人そろって単独行動している可能性もある。二人が共犯なら、休息室にいたと話す二人のアリバイは無い・・・。
 電気関係者は、導線に触れる時、心臓が直接的に感電するのをさけるために右手で触る。
 関口虎雄は左利きで右手首に腕時計をしていた。作業中はじゃまだから、いつも作業着の袖の中に隠れるように時計を肘の方へ寄せていたと事情聴取で山本刑事が秋山事務所の同僚たちから聞いている。八月五日から現場入りしたアドイベント企画の社員も、関口虎雄のそうした行動を知っている。
 だが、容疑者は関口虎雄が腕時計を右腕の袖の中にはめていたとは知らず、腕時計が犯行時刻に止ったと気づいていなかった・・・。
 これで、関口虎雄の死亡に関して、秋山事務所とアドイベント企画の社員が容疑者リストから消えた。福原富代の死亡に、秋山事務所の社員とアドイベント企画の社員は関与していないと考えいいだろう・・・。

「秋山事務所とアドイベント企画の社員が福原富代の殺害に関与した可能性は?」
「無いだろうね。麻生玲香を除いて撮影スタッフと従業員全員の手や腕に、引っ掻き傷はなかったらしい」
 昨日夕食後。麻生玲香は、階段から転げ落ちそうになった甲斐ソレアを助けて、右腕を爪で引っ掻かれている。
「福原富代は誰を引っ掻いたんだろう?
 あの皮膚片のDNA鑑定と繊維の鑑定は?」
「皮膚片はもう少し時間がかかるらしい・・・」
 佐介は真理の背中をマッサージしながら説明する。
「繊維はウールとポリエステルの繊維だった。使われてる紺色の染料から、少し古い、従業員の制服の物と判明したらしい」
 うつぶせのまま真理がいう。
「古いってどうしてわかったの?」
「奥山館の制服は、ウールとポリエステルの混紡繊維で織られた素材で作られてる。
 採取した繊維は褪色して形状変化してた」
「夏なのに、従業員が着てる上着やベストがウールの混紡繊維なんか?」
「織り方で夏向き素材にできるんだ。従業員は見てのとおり涼しげにしてる」
「そうだな・・・」
 たしかに奥山館の従業員から涼しそうな印象を受ける。
「繊維の形状変化って何だ?」
「髪の毛は手入れが悪いと痛んで枝毛ができるだろう。ウールつまり羊毛も、手入れが悪いと繊維が傷むんだ。
 福原富代の爪から採取した繊維はスケール、つまり鱗片が浮きあがってた。経時変化だそうだよ」
「じゃあ、古い制服を着てる従業員を探せばいいんだな?」
「そういうことだね。山本刑事たちが探してるが、古い制服は見当たらないといってた」
「伯父さんの考えは?」
「あの被害者保護プログラムが実在したか、本部長を問いただすといってた」

 被害者保護プログラムが実在したなら、捜査令状があっても個人情報保護により宗谷慎司の遺族情報は入手不可能だ。伯父さんは長野県警本部長の本間宗太郎を説得して奥山事件の遺族を割りだそうとしてる。遺族が容疑者だと考えてるのか?
 モデル二人が宗谷慎司の妹なら、被害者保護プログラムで保護されて別人として生きてきた妹二人が身元を明かす殺人をしない。鞠村まりえが宗谷慎司の遺族で奥山事件に関与したなら、モデル二人と同じ事がいえる。
 こんな手の込んだ方法で、誰が三人を殺害したのだろう・・・。伯父さん何を考えているのだろう・・・。
「話はここまで。朝飯だ。事件の話は部屋だけでするように、と佐伯さんがいってた」
「はあい」
 真理はうつぶせのまま欠伸と伸びをしている。佐介は真理を仰向けにして起こした。


 大広間で、真理と佐介は佐伯たちとともに朝食を食べた。
 あっ・・・。もしかしたら・・・。真理は箸を止めた。
 奥山館の従業員だけが制服を持っているとは限らない。伯父さんはその事に気づいたんだ。だから、被害者保護プログラムに関与した者が加害者の可能性があるんだ・・・。
 真理は佐伯を見た。佐伯と目が合った。佐伯は真理の変化に気づいたらしく、真理にうなずいている。
「真理、考え事しないで、早くご飯を食べよう」と佐介。
「わかったんか?」と真理。
「何が?」
「私が考えてる事?」
「うん。ずっと箸が止まってるからわかった。部屋に戻ってから話そう」
「わかった・・・」
 佐伯が真理と佐介につぶやいた。
「ニジマスならともかく、こんな秘湯で塩鮭が朝食にでると、時期と場所がわからなくなりますなあ・・・。私たちは、奥山温泉の産物を知らずにいたんでしょうな・・・」
 そして、佐伯の言葉を説明するように、佐伯の妻良子がつぶやいた。
「世の中、新しい物が次々にでてくるけど、記憶はいつまでも残るわね・・・」

 真理は、佐伯が何を伝えようとしているか理解した。
 やっぱり伯父さんは従業員の他に容疑者がいるのを確信してる。その者は、宗谷慎司を殺害した三人を恨んでた・・・。三人をここ奥山温泉に集めたのは、Marimuraの新商品用CMなどの映像撮影を企画した鞠村まりえだ・・・。関口虎雄と福原富代の死亡に、アドイベント企画と秋山事務所の関与がないなら・・・。
「まり、ごはんは?」
 佐介が真理を気にしてそういった
「あっ・・・」
 真理はあわててご飯をに入れて鮭の切り身を食べて、味噌汁を飲んだ。
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