第29話  吾輩と夏の災難 15

文字数 1,648文字

 その日の夕方、吾輩は男に捕らえられて鳥籠に入れられた。散々逃げて回ったのだが、男の命令で猫達が吾輩を追い回したのだ。クロサキは逃げる吾輩を助けもせずにじっと見ていた。
 鳥籠に入れられた吾輩はぶーたれていた。
「こうでもしなかったらお前は逃げるからな」
 男はそう言ってけけけと笑った。
 吾輩は「ふん」と言って男に背中を向けた。
 男は家に入ると体を洗って白い袈裟を付けた。

 薄闇が迫って来る。
 男は大きな提灯を持つとそこに灯りを灯した。
「おい。お前ら行くぞ」
 そう猫達に声を掛けた。ぞろぞろと猫が付いて来る。
 白い袈裟に提灯と鳥籠を持った男、その後ろにクロサキ、その後ろに十数匹の猫。
 奇妙な行列だった。
 家の裏に抜けて小道を辿る。すると目の前に唐突に岩山が見えて来た。大きな岩山だった。
 岩山には洞窟があった。
 洞窟の所に小さな鳥居があった。
「にゃ? 神社?」
 吾輩は思った。


 男が洞窟の入り口に設置されていたスイッチに手をやる。途端に洞窟内にぽつりぽつりと電灯が灯された。
「ここはどこですか?」
 吾輩は男に尋ねた。
「この先に花の寺がある。この道は花の寺へ向かう参道なんだ」
 男はそう言った。

 細い隧道の両側にずらりと猫が並んでいた。
 猫の陶器だった。
「五百羅漢……みたいな……?」
 吾輩は呟いた。
 色々な表情や仕草をした羅漢像だった。通常の羅漢像と違うのは皆、頭が猫だと言う事だ。大口を開けて笑っている猫羅漢、困った顔の猫羅漢、腕を組んで空を仰ぎ、何かを考えている猫羅漢。隣の猫羅漢とひそひそ話をする猫羅漢、丸くなって眠っている猫羅漢、後ろ足で立ち上がって伸びをしている猫羅漢、耳を後ろに倒して威嚇をしている猫羅漢……。それはちょっとユーモラスで、ちょっと怖かった。闇の中に電灯の作る影が揺れてまるで生きているみたいに表情が動く。
 所々にあの菩薩猫がいた。慈しみ深い表情で鳥籠に入った吾輩を見ている。
「猫婆が憑かなければただの置物さ」
 クロサキが言った。男はちらりとクロサキを見る。
「昔は蝋燭に火を灯して歩いたんだ。所々に蝋燭を置いてな」
 男は言った。
「いちいち火を灯すのが大変だった」

 道の行き止まりが見えた。そこは空洞になっていた。まるで岩をくり抜いて作った小さなドームみたいだと思った。その一番奥に小さなお堂があった。古いお堂だった。扁額に「花之寺」とあった。
 男は提灯を持ったまま、吾輩をお堂の裏側に連れて行った。そこは丁度岩と岩の境目で小さな隙間が空いていた。
「ほら、ここに穴があるだろう。こんな小さな穴だ。人間には入れない。だが、猫なら入れる。この中にずっと細い道が続いているからそこを行くんだ。
 猫は夜目も効くしな。少しの明かりでも道が見える。お前の首に小さなライトを付けてやるからそれで道を照らせばいい。ホタルの光程度の明かりだ。ああ。大丈夫だ。フルで充電してある。予備の乾電池をお前に背負わせてやるから、いよいよ危なくなったら、それに切り替えればいい。」
 男は言った。
 吾輩はこんな気味の悪い穴に入るのは嫌だと言った。それに背負った予備の乾電池にどうやって切り替えるんだと突っ込んだ。猫にそんな芸当が出来るかと。
 すると男は返した。
「大丈夫だ。誰かがやってくれるから」
 吾輩はどきりとした。その誰かとは一体何者? ここに住んでいるの?
 吾輩はますます行きたく無くなった。

「入らなかったらお前を殺すしかない。その為にお前を連れて来たのだから。お前の首を鋏でちょん切ってやる」
 男はそう言った。
 吾輩はごくりと唾を飲んだ。
「この穴は黄泉に繋がる穴だと言われている。大昔から。ほうら、冷たい風が上がって来るだろう? これは黄泉から吹く風だ。そうなんだ。花の寺は黄泉とこの世の境にあるんだ。お前の仕事はな。ここに入って、説得をすることだ」
「にゃ? 誰を?」
「ご本尊だよ。寺のご本尊がこの穴に逃げ込んだんだ。もう、二百年も昔の事だ。ご本尊に寺に戻るように説得するんだよ」
 男はそう言った。
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