第27話   吾輩と夏の災難 13

文字数 3,011文字

「それじゃあ、吾輩がここへ拉致されて来たのは、吾輩のご主人の家に福が舞い込む、その見返りだという事ですかにゃ?」
「そうよ。平たく言えばそう言う事になる」
男は旨そうに酒をすすりながらそう言った。
「……それはどうも理に合わないと吾輩は思うのですが……」
男は面白そうに吾輩を見る。
「……こりゃあ、面白え。こんなちっぽけな猫がいっちょ前に理屈を言うぜ。面白えなあ。なあ。クロサキ。理屈を言うのはお前くらいかと思っていたが。……よし。聞いてやる。お前の理屈を。だがな。面白くもねえ事を言ったらおめえのその頭に付いたちっぽけな耳を鋏でちょきーんって切ってやるぜ」
男の隣に影の様に丸くなったクロサキが無表情に吾輩を見る。
吾輩は「にゃ(じゃ)、やめます」と即答した。
こんな男に理を説いて耳を切られるのは嫌だ。
しかし、この男は猫と会話ができるのだ。そんな人間はあの「竹里館」の物語に囚われた男だけだと思っていたが……。この男も何かに囚われているのだろうか?
囚われているよな。そんなの一目瞭然だろうが。猫だよ。猫。こいつが囚われているのは化け猫だよ。吾輩は自分にツッコむ。
「しかし、そんなの福って言えにゃいじゃん……」
吾輩はがっくりと肩を落とすととぼとぼと歩き出した。歩く都度、首の鈴がりんりんと鳴って煩わしいったらありゃしない。

「あ、おい。待て」
男は立ち上がって吾輩を両手で掴むと、自分の前に据え置いた。
「いいか。勝手に行くんじゃねえ。ちゃんと俺の許可を得てから行くんだ。ここじゃ、俺が神様だからな。俺様がルールなんだよ。……ほらよ。これを喰え」
そう言って吾輩にスルメの足を投げて寄越した。
吾輩はそれを舐めてみた。えらく塩辛い。こんな塩辛い物を猫に食べさせていいのか?
吾輩はそれをにゃんにゃんと噛んでみた。固くて嚙み切れない。いい匂いがするのだが吾輩には手が出せないと思った。
「何だよ。喰わねえのか?」
「あまりに塩辛くて、それに固すぎて吾輩には無理であります」
「けっ。軟弱なチビ猫だ。贅沢な事を言いやがって。そんなんじゃあ、おめえはここでは生きて行けねえぜ。なんせここは生存競争が厳しいからなあ」
男は辺りを見渡した。そして「ほれ」とスルメの足を放った。途端に数匹の猫がそれに襲い掛かる。どれもこれも酷く痩せた猫達だった。眼病や皮膚病を患っている猫もいる。
多頭飼いで世話が行き届かないのだ。それどころが、耳が半分切れている猫もいた。
吾輩は慄然とした。
「じゃあ、今回だけは勘弁してやる。俺は大人しくお前の理屈を聞いてやる。だから言ってみろ。言わねえとお前のそのぴこぴこ動く尻尾を鋏でちょん切ってやる。嘘だと思うか? 鋏を持って来ようか? よく切れるでかい鋏だぞ。さあさ。言ってみやがれ。何が理屈に合わねえんだ」
オヤジはやけに絡む。これだから酒飲みは嫌いだ。
吾輩はクロサキを見た。クロサキは目を逸らせた。
クロサキはこの男の手下なのだ。猫のくせに。
吾輩は諦めてぼそぼそと話をし始めた。
「福と言うのは良いことであります。それがやって来るのは3種類の理由に依ります。まずは個人なり集団なりが努力して目標に到達する、または得たいと思っていた物をゲットするという事です。しかし、幾ら努力しても得られない結果という場合も勿論あるのです。だからそれは「福」であります。天がその人に味方をしてくれたのです。
もう一つは偶然に幸運が舞い込むと言う事、思いがけずという事であります。
もしも福に対して代価を支払うと言うなら一つ目の場合はすでに代価を支払っております。二つ目の場合代価を支払うなら、それはもう福とは言えません。それは単なる取引です」

「それも今回は取引すら無い。何故なら一方的な押し付けに他にゃらないからであります。偶然に舞い込む福は正に僥倖です。それは天の大いなる計らいでごにゃいます。だからそれに対する代償など、そんなみみっちい事はにゃいのです。
それが本物の福であります。
または、誰かがそれを誰かの為に人為的に行うのなら、それも有りでしょう。これが3つ目の福です。だが、その代価を福を得たその人に求めるのならそれは全く福では無いのです」

「じゃあ、お前はお前の家に福が舞い込むのは、あの招き猫のお陰だと認めないのだね?」
いつの間にか猫和尚が消えて猫婆が話をしている。
「認める訳がにゃいじゃないですか。吾輩の家にどんな福が舞い込んで来たのか、吾輩は知らにゃいし、それに吾輩がその犠牲ににゃっているのだから。吾輩に関して言えば災難としか言い様がにゃい」
「お前は飼い主の為に犠牲になろうとは思わにゃい……。もとい、思わないのか?」
「そんなの吾輩の爪の先程も思わにゃいです。吾輩はまず自分が大事。自分を損なっていい事は何一つにゃい。家も主人もその次です」

「あなた達は猫を騙しています。怪しげな幻術で猫を攪乱させて誘拐して……。一体何が」
 猫婆は吾輩の言葉を遮って言った。
「じゃあ聞くが不幸はどうなんだ?」
「不幸は難しいですにゃ。幸福は似ているけれど、不幸はそれこそ人それぞれという言葉がある程です。なので不幸に付いて語るなら、それは語り切れないと言う訳でごにゃいます」
「ふうん……。弁の立つちび猫だね。……じゃあ、お前が今回のこの尊い犠牲を災難と言うのなら、その災難は具体的にどういう位置付けになるんだい?」
「そうですな。これは第三者の悪意による不幸だと言えます」
「いや、これは自然災害と同じ不幸だ。突然の事故とかね。だからお前は甘んじてこれを受けなければならない」
「甘んじて受ける不幸など世の中に一つもごにゃいません。それにこれはあなた方の悪意に満ちた恣意的な計画に吾輩が巻き込まれたという明らかに人為的な不幸。それも『福の見返り』などと自分に都合の良い理屈を付けて幻術を使い猫を騙し……。これは立派な詐欺でごにゃります。あなた達は猫に対して不当な搾取をしているのであります。チープな理論を振りかざして。吾輩はあなた方を軽蔑します。あなた方は最低な人間です」

「何だとオ! 最低だとオ!!」
突然の大声が響いた。いつの間にか、猫婆が消えて猫和尚が現れた。
猫和尚は仁王立ちになって吾輩を睨んだ。
吾輩は脱兎の如く走り出すと庭の松の木によじ登った。

だが、猫和尚は追っては来なかった。酒を飲み過ぎてふらふらになっていたのだ。
猫婆の声が聞こえた。
「クロサキ。あの子猫に餌をやりな。今日だけたんまり食わせてやりなさい。明日はそう言う訳にも行くまいよ。ふふふ。いい猫を見付けたものだ。これは見込みがある」

半分朽ちた様な家屋の軒下にぽつぽつと裸電球が吊るされている。
家の明かりと、その電球の明かりでそこだけ明るい。明りの周りに虫が集まっている。
月明かりも無い。降る様な星空と向こうに見えるのっぺりとした広い湖。湖は闇の中にあってなお暗い。藍色の湖面を左右に分けて一本の道が見える。吾輩は耳元でぷーんと鳴る耳障りな蚊音と痒さに耐えながら、男が眠るのを待った。

松の根元にクロサキがやって来た。
クロサキは「もう、猫和尚は寝ちまったよ。降りて来いよ。飯を食おう」と言った。
それでも吾輩は松の木から降りる事はしなかった。
「満腹寺は間に合わなかったのだな……。全く役に立たねえオヤジだ。しょうがねえ奴だな」
クロサキは吾輩を見上げて、そんな事をぽつりと言った。

これが吾輩のここでの第一日目だった。

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