第22話  吾輩と夏の災難 8

文字数 1,253文字

 確か、あの招き猫が家にやって来たのは今日の午後だったはず。奇妙なオヤジの隣に隠れている死神みたいな黒猫と会ったのも。それなのに夕刻には、鳥籠に入れられてごとごとと見知らぬ場所で軽トラックに揺られている。
「何故、こんにゃ事に?」
吾輩は記憶を辿った。

「母さん。今、この三毛、目が動きませんでしたか?」
吾輩はあの時そう言った。
母は一言「おー・にゃい・ゴッド」と言った。その後少し考えて「にゃんセンス」と答えた。
吾輩はじっと母を見た。

 キッチンから奥様の声が聞こえた。
「さてと、アイスでも食べながら昨日の映画の続きを見ようかしら。あなたも如何?」
それを聞き付けたみけ子はさっさとキッチンへ向かった。自分もアイスを貰って、奥様と一緒に映画を観る積りなのだ。吾輩は母と一緒に行くか、ここに留まるか迷った。
「どんな映画なの?」
旦那様の声がする。
「サスペンス映画。不倫関係にあるトムとエミリーを妻のシンディが罠に嵌めてエミリーを消してしまおうと」
「前に見ていた韓流ドラマにも似たようなものがあったな」
「やる事はどこも一緒ね」
奥様の笑い声が聞こえる。
「僕はいいよ。ちょっと仕事をしなくちゃならないから」
「あら、ご苦労様。じゃあ、みけ子と一緒に観るわ。みけ子、おいで。アイスをあげるね。今日はるり子はお友達の家でお泊り会だし。ちょっとゆっくりしようっと」

 そんな会話を聞きながら吾輩は「菩薩猫」だか、「地蔵猫」だかに視線を戻した。陶器製の招き猫は吾輩を見ている。吾輩はとことこと右に歩いてみた。招き猫の視線も吾輩を追う。吾輩は暫しそこに留まり、そろそろと後退りをしてみた。……うーん。まだ見ている。
そこから左に移動する。左に、左に、左に……猫の目が届かない左端にぎりぎりに……と、何と猫の体が動いた!
ずずずと体全体がこちらに向きを動かしたのである!!!
吾輩は仰天した。
口をあんぐりと開けたまま招き猫を見詰めた。
菩薩猫の目が吾輩をロックオンした。瞳がきらりと光ったと思ったら瞼が少し上がって
何と、アナタ、らんらんと光る目で吾輩を見たのですよ!!
吾輩は凍った様にそこに固まった。声も出なかった。今思えば、この時、すでに催眠術に掛かってしまったのだと思う。


 それからはあまり覚えていない。
ドアの外から誰かが呼んでいる。吾輩はふらふらする頭でドアに向かった。ドアの鍵は掛けられている筈なのに何故か「かちゃり」と開いた。
 真夏の日差しが照り付ける。ゆらゆらと揺れる陽炎の向こうに三毛猫と小さな茶トラが座っていて吾輩を招いている。吾輩はふらふらとそこに行く。辿り着いたと思ったら、みけの親子はまた遠い場所に……。そんな風にして吾輩は焼けたアスファルトの上を歩いて……ああ。暑い暑い。日差しが体に痛い……日蔭が欲しい……。足の平が焼けてしまう。
 吾輩はぱたりと道路に倒れた。
 ああ皮膚が焼けそうだと思いながら立ち上がる事が出来なかった。
 誰かが吾輩を拾い上げ口元に冷たく湿った布を押し当てた。吾輩はその布をぺろぺろと舐めた気がするが……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み