第2話  吾輩と和樹

文字数 1,461文字

目が覚めた母は何か忘れている様な気持ちになったらしい。
自分のお腹辺りに眠っている子猫を眺める。
「ん?」
よくよく眺めてみる。
模様が足らない・・。そう思ったかどうかは分からない。

母はようやく思い出したのである。
「そうだ。あの小娘がぺたぺたと子猫を触るからお引越しをしようと思って・・」
母はうんしょと起き上がると子猫を咥えて歩き出した。
お引越しの続きをしなくてはと考えたのであった。
とんとんと階段を上がる。

「あら?」
何とドアが閉まっていた。
母は子猫をそこに置くとかりかりとドアを引っかいた。
にゃあにゃあと吾輩を呼ぶ。
ドアの向こうは静まり返っている。
母猫はもっと大きな声で鳴いた。
ドスの効いた声で鳴いた。
「なーお。なーお」
吾輩は必死でそれに応えた。
だが、ほわほわの壁は優れた防音機能を持つらしい。
どれ程の声が母に届いたか・・・。
母は吾輩を心配してドアの前をぐるぐると回ったと言っていた。
本当か嘘かは分からない。

と、その時玄関のドアが開いて、誰かが帰って来た。
「ただいま」
そう言ってとんとんと階段を上がって来る。
小娘の兄の和樹である。和樹はこの家に生息する『高校生男子』である。

母猫が自分の部屋の前でにゃあにゃあ騒いでいるのに気が付く。子猫がよたよたと歩いている。
「おっと。踏みつける所だった。危ねえな。何やってんだ。みけ子」
そう言って子猫を拾い上げる。
ドアを開けて中に入る。
母も部屋の中に入る。

「何だよ。何だよ。ここは俺の部屋だからな」
そう言って制服のズボンを脱ぐ。
「あれ?何か、子猫の声が聞こえないか?それよりも、俺のほかほかスウェットは・・どこだ?」

ベッドの下に放り出してあったスウェットの中に足を通して
「うわっ!!」
と叫んだ。
「んぎゃ!!」
吾輩も叫んだ。



「何か、いる!」
和樹は慌ててスウェットの中を覗いた。
そこには無残にも糸に囚われた吾輩の小さなお尻が見えたはず。ぴこぴこと動く細い尻尾も。
和樹はスウェットを逆さまにして覗いてみた。
吾輩はぶるぶると震え、まん丸い目で和樹を見上げた。
実はショックでおしっこも漏らしていたのである。



吾輩は茶トラである。名前もトラである。

白地に黒と茶色の模様を持つ兄姉を押しのけて母猫の乳を飲む。
母猫の顔の一番近くで飲む。
母猫の顔に飛びついて暴れる。
そうしないと忘れられてしまうから。


あの時、和樹に踏み潰されないで本当に良かった。和樹はトランクス一枚で吾輩の爪から丁寧に糸を外してくれた。吾輩の命の恩人である。
「汚ねえな」と言いながらスウェットを洗面所に持って行くと、それを水で洗って洗濯機に放り込んだ。

それ以来、奥様は朝になると子猫の数をちゃんと数える様になった。

吾輩はトラである。トラは強いのだ。
小娘がやって来たら、小娘の手を引っかいて嚙み付いてやる。
だが、小娘は新しい武器で吾輩を篭絡しようとする。

それは白くてほわほわの毛が付いた「猫じゃらし」という武器だ。
釣られまいと思うのだが、つい釣られてしまう。
後は無我夢中だ。
すっかり踊らされる。
小娘は勝ち誇った顔をする。
それが如何にも小憎らしい。

兄姉と遊んで、母猫にじゃれつく。
しつこくじゃれ付く。
母猫が怒って猫パンチを繰り出してもめげない。
ぱたりぱたりと動く尻尾にじゃれ付き、それをがぶりと咬む。
後ろ足で強烈な猫キックを喰らった。

夕方になると吾輩は和樹の帰りを待つ。
夕食が済むと和樹の部屋に行く。


和樹の傍で寛ぐために。
時には一緒に宿題をして、一緒にゲームの画面を見る。
そして和樹に遊んでもらって和樹と一緒に眠るのだ。
それが吾輩の一日なのである。

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