第12話  吾輩と 『竹里館』

文字数 1,399文字

吾輩の家の右隣に長唄の師匠さん宅がある。
左隣には細い道を一本隔てて三文作家の家がある。
三文作家の家にはわさわさと竹が生えている。春になるとにょきにょきと筍が生えて来る。
その筍を三文作家の奥様が吾輩の奥様に届けてくださる。
奥様はそれを米ぬかと唐辛子でことことと煮てあく抜きをする。
あく抜きが済むと、今度は鰹節と醤油とみりんや酒、油揚げで煮る。家中いい匂いがする。奥様は吾輩に鰹節をほんの少し分けてくださる。

吾輩は三文作家の奥様は数回見たことがある。が、しかし、三文作家自体は見たことが無かった。


初夏。
宵闇に藤の花の香りが漂う。
大きな満月が東の空に現れた。
輪郭の滲んだ黄色の月。ゆるゆると(たわ)んだ初夏の宵である。
吾輩は二階にある和樹の部屋で月を見ていた。

和樹は窓を開けたまま風呂に行った。
換気の為らしい。男くさい感じがするとか言って。

吾輩は三文作家の家を見る。竹林に月が掛かる。
静かな宵である。

独座幽篁裏
弾琴復長嘯
深林人不知
名月来相照

王維の「竹里館(ちくりかん)」の詩が浮かぶ。

吾輩は目を閉じて「竹里館」を詠む。

独り座す幽篁(ゆうこう)の裏
弾琴()長嘯(ちょうしょう)
深林人知らず
名月来たつて相照(あいて)らす



誰かが「とんとん」と窓を叩いた。

ほとほとと窓を鳴らす者在り。(いずく)んぞ知らん。月光の使者たるを。
(適当に作ってみた。ふむ・・・・意味は聞かないで欲しい)
吾輩は目を開けた。


窓枠の向こう側に金属製の柵がある。細いその隙間を優雅に歩く猫が一匹。
ほとほとと窓を叩いたのは前に見た若い茶トラであった。
「オレオレ詐欺」の若トラである。

「こんばんは。良い月夜だね」
若トラは言った。
「おこんばんは。真に良い月夜です」
吾輩は返した。そして首を傾げた。
どうやってここへ・・?ここは二階だが・・・。
若トラは吾輩の怪訝な顔に気が付いて、後ろを振り返った。
「ほら、そこの梅の木。丁度二階まで枝が伸びている。
それを伝って来たんだ」
そう言った。

「オレの主人が君を家にご招待したいと言うんだ。今宵は良い月だから一緒に月見など如何ですかと」

にゃ?
何故に吾輩?

「オレの最初の子に会ってみたいと言っているんだ」
若トラは言った。
「オレの御主人は、君の家の隣、あの竹林の家に住んでいるんだ」

吾輩は驚いた。
にゃ、にゃ、にゃんと!
それではこの者が本当の吾輩の父であるのか?

では、あのデブトラはどこの家の猫?
あの者は何を勘違いして吾輩の父などと?
うーむ。・・・これは人間ならDNA鑑定などするべき所ではあるが・・。

「では、あなたが吾輩の父さんなのですね」
吾輩は言った。
「そうだよ。そう言ったじゃないか。だって、君はオレにそっくりだよ」
若トラは目を細めて嬉しそうに言った。尻尾をくるくると回す。
吾輩はまた首を傾げる。
そもそも茶トラ同士の違いがあまり分からない・・・。


吾輩はドアを振り返る。
「そんなに長い時間でなければ」
そう言って立ち上がった。
「じゃあ、オレの後に付いて来て。・・・しかし、この庭は藤のいい匂いがするな」
「お隣の雪子さんのお庭に藤棚があるのです」
吾輩は答えた。


吾輩は若トラの後を付いて行く。
梅の木に飛び移り、それを降りる。成程。この様な出入りの仕方もあったのかと気付く。とことこと庭を横切り植木を登り、ブロック塀に飛び移る。
ブロック塀を伝って飛び降り、細い道を横切り竹林の中に入って行く。
林の中は月明かりで竹の影が出来ていた。
風は無く、影はまるで白黒の切り絵の様に地面に張り付いていた。
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