第30話  吾輩と夏の災難 16

文字数 1,555文字

「あれだけ理屈が言えれば大丈夫だ。お前はクロサキ以上だ」
吾輩は男を見詰めた。
「……じゃあ、あれはわざと……?」
男は何も言わずにやりと笑った。
吾輩は「はあ~」とため息を付いた。あんなに滔々としゃべっちゃって……。
吾輩は後ろに控えた猫達を振り返った。
「じゃあ、この猫達はもしかしたら、この穴に入って、そして出て来た、なれの果て?」
猫達は一斉に頷いた。
「説得に失敗したんだ」
クロサキが言った。
吾輩は呆れて猫達を眺めていたが、ふとある考えが頭を過った。
「もしかして、帰って来なかった猫達もいるのですか?」
そう尋ねた。
「……」
猫達は気まずそうな顔をしてあらぬ方向に顔を背けた。

「ご本尊の正体は鬼だ」
クロサキが言った。
猫和尚はがっと目を見開いた。
「てめえ。クロサキ。何でおめえはべらべらとしゃべっちまうんだ!」
クロサキは猫和尚を睨んだ。
「俺は昨日のこいつの話であんたに騙されていたって気が付いたんだよ。俺は俺の飼い主が商売に成功したのはあの招き猫が福を呼んでくれたからだとばかり思っていた。だから俺はご主人の為に俺が犠牲になるのは致し方ないと思っていたんだ。俺の大切なご主人の為だから」

「だが、そうじゃない。福はたまたま運よくやって来たわけじゃなくて、ご主人の努力があったのだと俺は気が付いた。だからもう代価は支払っているんだ。そこに天の神様が味方してくれたんだ。決してお前らじゃないんだ。俺はまんまとあんたに騙されたんだよ」

猫和尚はふんと笑った。
「ああ。そうか。それは良かったな。だがな、俺達は「福」は招く事は出来なくても「不幸」は招く事は出来るぜ。猫婆の幻術が有るからな。どうだ、クロサキ。猫婆の幻術に掛かってお前の大切なご主人がふらふらと道路に出て行って車に……って事も出来るんだぜ。俺が猫婆に一声掛りゃあ、それであっという間にあの世行きさ」
猫和尚はまたけけけと笑った。何とも品の無い笑いである。
吾輩は顔を顰めた。
クロサキは黙った。
燃える様な憎しみの目で猫和尚を見詰めている。
「俺を()ったって無駄だぜ。この体は借り物だから、次の体を探せばいいだけだ。ああ、行方不明になっても構われない人間なんて猫の数ほどいるからな。野良猫みてえな奴らは掃いて捨てる程いるんだ。いくらでも次の体が手に入る」
ふんと猫和尚は鼻を鳴らした。
「分かったか。だったらもうしゃべるな! この死に損ない‼ お前の代わりなんていくらでもいるんだ!」
そこまで言うと和尚は猫達に向かって怒鳴った。
「お前らなんか全部湖に投げ入れて大ナマズの餌にしちまうからな!」
声が岩壁に反響して雷みたいに響いた。猫達は皆頭を抱えて地に蹲った。ただクロサキだけが両足を踏ん張って猫和尚を睨み付けていた。

吾輩はドキドキしながら事の進行を見守っていた。
猫和尚は鳥籠の中の吾輩を見て言った。
「そう言う事だ。チビトラ。穴に入った猫達で帰って来なかった者達もいる。ご本尊に喰われちまったか、それとも黄泉の国に行ってしまったか俺には分からねえ。道の途中で死んでしまったのかも知れねえしな。だが、何であってもお前はここに入ってご本尊に戻ってくれるように説得するしかねえんだよ」
「もしも説得が成功したら何を代価に支払ってくれますか?」
吾輩は尋ねた。
「ああ。お前を解放しよう。お前をお前の家の前まで連れて行ってやる。他の猫達も同様だ。もしももう行くところが無かったのなら保護施設へ連れて行く。病んでいる猫は病院へ連れて行こう。ご本尊が戻ってくれば、俺も猫婆ももうお役御免だ」
「絶対にですかにゃ?」
吾輩は念を押した。
「俺は曲がりなりにも和尚だぜ。花の寺の前で誓おう。ご本尊はいねえがな」
和尚はにやりと笑った。
吾輩はしばし瞑目した。そしてかっと目を見開いて言った。
「だったら、行きましょう!!」



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