第45話   吾輩と夏の災難 31

文字数 1,466文字

 クロサキは箱から出るとトンと地面に飛び降りた。
「ああ、この角か? こりゃあな、ダミーだ。ご本尊様がその辺りの土を捏ねて作ってくださったのだ。良く出来ているぜ。ほら、前足で擦っても、首を振っても取れない。この角の取り外しはご本尊様にしか出来ねえぜ」
 クロサキはにやりと笑う。
 猫和尚は怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り付けた。
「ど、どういうことだ! こんなふざけた真似をしてご本尊はどこに行かれたのだ!
 お、お前なんかに身代わりをさせて! お、俺を馬鹿にしているのか!!」
 クロサキはしれっとした顔で答える。
「ご本尊様は今最後の猫を家に送られている。耳が半分切れたキジトラだよ。意識を集中しなければならないから誰にも邪魔をされない場所でやっていなさる。あんたがここへ来るのは分かっていた。猫婆が消えたからな。自分を探しに来て、邪魔されたら困るとご本尊は思われたんだよ。」
 猫和尚は怒りで言葉にならず口をパクパクと動かす。
「それにな。俺は自分で身代わりになりたいって申し出たんだ。……何でか、分かるかい?」
「俺を殺そうって言うのか? そんな事をしていねえで、お前もさっさと家に送り届けて貰えばいいだろうに」
「ああ、そうだ。その通りだ。猫和尚。だがな。俺は家に送り届けて貰って、それからまた帰って来たんだよ。ここへ。お前に用があったから。ああ、菩薩猫はきっちり壊して来たがな。猫婆が消えたからただのガラクタだ」
「ふん。身の程知らずの猫め」
 猫和尚は吐き捨てるように言った。
「猫如きが人間様に逆らうのか? そりゃあお門違いってもんだよ」

「……例え紛い物の角であっても、不思議だな。角が付いていると言うだけで腹の底から力が湧いて来る。俺は今、お前のその喉笛に噛み付いて肉を嚙み千切ってやろうと思っているんだ」
 クロサキが一歩踏み出した。
 猫和尚は薄笑いを浮かべる。
「ふん。やれるものならやってみやがれ。どうせこの体は使い捨てだ。俺は困らないぜ。
 だがな。クロサキ。猫と人間じゃ力の差が歴然としている。お前なんか片手で掴んでその首をぎゅっと握り潰してやるぜ」
 猫和尚は構えた。
「ふふ。そうかい。そんなにうまく行くかな? おい。後ろを見てみろ」
 クロサキがそう言って、猫和尚は後ろを振り返った。
 そして目を見張った。

 いつの間にか自分の周囲に猫羅漢がぐるりと取り巻いていたのである。五百羅漢の目は金色に光ってまるで生きているみたいだった。
「お前が逃げないようにな。……へっ? 卑怯だって……? いや、こいつらは手出ししないよ。ただお前と俺を囲っているだけさ」

「猫和尚。俺のご主人は脳梗塞で倒れたらしいよ。ずっと意識不明で入院しているらしい。……前回、ちびトラを攫った時に俺の家を見に行ったんだ。ああ……見に行っただけだよ。中になんか入らなかった。あんな汚らしい猫じゃ、店に迷惑だからな。でも、ご主人は店から出て来なかった。俺はご主人はどこかに出掛けているのかなと思っていた。でも、今回、ご本尊様に家に送って頂いて、初めて分かった。
 ご主人は俺がいない時に倒れて、自分の部屋で……誰も気が付かなかったんだ。真夜中の出来事だったから。それでそれからずっと意識不明で……俺が付いていれば、俺が付いていてやれば、家族に知らせる事も出来たのに……」
「けっ。知るか。そんなの。そんなのは寿命なんだよ! 俺には関係ねえ!」
 クロサキの毛がぶわりと立ち上がった。まるでクロサキの体が3倍にも膨れ上がった様に見えた。クロサキは鋭い爪を出すとがっと猫和尚に飛び掛かった。
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