リエ

文字数 1,312文字

リエが髪を伸ばし始めたのは中学1年生の秋だった。
彼がクラスの男子に無理やり選ばされた好みのアイドルがツインテールだった、理由はそれだけ。
伸びる程膨張する強烈な癖っ毛は大嫌いだけど、ツインテールにすると、もっと大嫌いな張ったエラを隠すところは気に入ってる。

彼のことが気になるようになったのはいつからだったろう…もうずっと昔、彼が事故に遭った時には特別な存在だったかもしれない。
彼は昔から、目立たないのにいないと周囲がぎこちなくなってしまうような、不思議で不可欠な存在だった。
ヒロは目立つし楽しいやつだけど、常に前しか見てなかった。一方彼は、周りをよく見ていて、頭の回転が速くて、色んなことにさりげなく対応できた。リエは彼のそんな姿をずっと見てきた。
それと…そんな彼のファインプレーに全然気づかないで、暢気(のんき)に毎日楽しそうにしてるヒロの隣にいる時にだけ見せる、とっても幸せそうな笑顔も。

リエは世界の中心が自分じゃないことに早々に気づいていた。
リエの小さな世界には、最初から姉という暴君が、小学生になる頃には弟という王様がおり─決して言いなりにはならなかったが─リエはいつも主役ではなかった。
島という狭く変化の少ないコミュニティだって、普通に"社会"で、色々ある。耳にタコができるぐらい島の外の人から聞かされるイメージみたいに、いつものんびり楽しく暮らしてる訳がないのだ。

それでも、幼少期に彼らと過ごした時間は確かに楽しかった。
思ったことを素直に言えたし、実際ヒロが思いつくことはわくわくすることが多かった。能天気なヒロにイラッとすることもあったけど、ヒロと一緒に笑っている彼を見たら嬉しくなってそんなことすぐ忘れた。

そう。
そうだから。
だから、彼からあの笑顔が消えてしまった時、リエはどうしたらいいのかわからなかった。だって、だって理由が全然わからない。ヒロが引っ越したからなのか、事故のせいか…。今だって彼は社交的だし、友人も多いけど、あの頃みたいな輝く笑顔を見せることはない。リエは時々(ほんとはしょっちゅう)彼のあの笑顔を思いだし、たまに(本当にまれに)彼の名を呟く。

「コウくん」

ミユキや他の女の子はコウちゃんと呼んでいたけど、リエは恥ずかしくて、「コウくんて呼んでいい」と勇気を出して聞いたのだ。彼はニコッとしてもちろんと答えた。リエは唯一の呼び名を手に入れて有頂天になった。もう本人にその名で呼びかけることはないけど、時々宝石を宝箱からそっと出して愛おしむように、その名を口にするのだ。

代わり映えしないリエの世界に、この夏、再びヒロが現れた。リエの心は大きな期待と、少しの不安でいっぱいになった。
もしかしたら、彼のあの笑顔をまた見ることができる…?
もしかしたら、またあの頃の様にみんなで笑い合う瞬間が来る…?
ヒロの再登場で、何かが大きく変わる気がした。そして同時に、それが良い予感であることを祈った。

それにもうひとり、彼よりも笑わなくなった彼女にも、何か変化があったらいいなと思っている。幼い頃の、あの片眉を下げて、くにゃりと笑う彼女の笑顔が、また見られたら…。

リエは何もかも良い様に変わってくれたら、と願うばかりだった。
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