9年前 2月②

文字数 2,092文字

その日は祝日だった。
ヨシマサはコウキからお下がりにもらったサッカーボールを持って、裏山に来ていた。中古でも、自分のボールを持つのは初めてのヨシマサは大喜びだ。朝食を食べてすぐに家を出た。
いつもの裏道で思いっきりボールを蹴ってみると、今まで味わったことのない快感が彼を満たした。それからは夢中で蹴り続けた。
そのせいで、山の奥の方まで来てしまっていたことに、彼は気づいていなかった。気づかぬまま、今までで一番力を込めて蹴った。ボールは勢いよく転がり、何かにぶつかって勢いを止めた。
(?)
近づいて見ると、ボールがぶつかった辺りに、潰れた古い祠と割れた小さな石像のような物が転がっていた。
「!」
(どうしよう!)
敷地内に(まつ)ってあるものは、どんなに古くとも小さくとも大切に扱うようにと、彼は両親からことあるごとに言われていた。
加えて、この祠は“この先危険”の目印でもあったので、自分が今危機に瀕していることも知った。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう…)
ヨシマサはパニックに陥ったが、ともかくもまずは危険地帯から逃れねばと、来た道を家まで一目散に駆け戻った。
そして裏山には、雑草に埋もれたかつての祠と、その奥に転がったボールが残された。




それから少しして。
新品のサッカーボールを抱いたコウキがやってきた。誕生日はもう少し先だが、ヒロに会う時に持って行きたくて、間に合うように両親に頼んで昨夜やっと手に入れたのだ。ただ、一番最初は自分で使いたかったので、人気(ひとけ)のない裏山までわざわざ来たのだった。
そのかいあって裏山には誰もいなかった。新しいボールはピカピカに輝き、山道にも関わらずよく弾む。比例してコウキの心も弾んだ。いよいよ初キックだ。ボールを地面にそっと置き、えいっと足に力を込めた。
ボールは高めの弧を描いて飛び、いつもより長く転がって止まった。
(すごい!すごい!)
「ヒロ、びっくりするかなぁ」
本当に、楽しみで仕方なかった。
(もう一回!)
ボールを拾い振り返った時だった。
(あれ?)
少し奥の方に、見慣れたボールが転がっていた。
(マサちゃんにあげたやつだよね?)

いつもより興奮していたからかもしれない。
祠が見えなかったからかもしれない。
単純にボールに気を取られたからかもしれない。

いずれにしても、いつもは決して越えない道を外れて、コウキはボールへ向かって歩き出した。
そして、あと一歩でボールに手が届くというところで、突然足元が崩れ落ちた。




同じ頃、港ではイノリたち一家が船に乗るところだった。
イノリの家は、祖父母が養殖と民宿で、両親が養殖と釣り船で生計を立てていた。
今日は父の養殖の作業にかこつけて、親子で海上ピクニックを予定していた。
「まだ寒いんだから、温かい格好するんだぞイノリ」
父親が操縦席から声をかけた。
「うん、カイロも貼ったし、バッチリだよ!早く、おじいちゃんのお弁当食べたいなぁ~」
祖父が熱々の味噌汁とおにぎりをたくさん持たせてくれたのだ。
「父ちゃんのお手伝いしてから食べるんだぞ~」
普段は民宿の手伝いが多い母親も、今日は一緒だ。
「わかってるって、まっかせて!」
久しぶりの家族水入らずが嬉しいイノリだった。
いよいよ出発だ。
「暫くじいちゃんの船使ってたからな、ちゃんと動くといいんだけどな」
父親の心配は杞憂に終わり、船はつつがなく起動しポイントに向かって走り出した。イノリはエンジン音とは違う何かを耳にした。
「ねぇ、なんか音がするよ」
「そう?」
「うん、えーと」
イノリが船内を探ると、

猫の親子がいた。
「あ、猫!と子猫!」
それを聞いた父親は
「は!?猫?いやそもそもこの時期に子猫なんて」
と疑ったが、母親の
「でも、本当にいるわよ~」
という言葉を聞き思わず船を停めて見に来た。親子は、母猫を刺激しないように距離を取って様子を窺う。母猫の方も、逃げ場がないとわかっているからか、睨みをきかすにとどめている。
「わ、こりゃ生まれたばっかりじゃないのか」
「イノリ、触っちゃだめよ~」
「うん。でも可愛いね~お腹空いてないかな」
「そうねぇ~お母さん猫の方は何か食べるかしら」
「おにぎりは?」
「おじいちゃんのおにぎりは塩気が効いてるから…そこが美味しいんだけどね~」
検討した結果、みそ汁の豆腐を洗い、これまた洗ったご飯と海苔を混ぜて即席キャットフードを作った。
そっと皿を置くと、母猫は警戒していたが、しばらくすると食べ始めた。
「食べてる!良かった~」
イノリは夢中で観察した。
「イノリ、もうすぐ着くから、準備してね~あら?何か、揺れが大きくなってない?」
イノリは猫たちに夢中でわからなかった。
母親が父親に声をかけた。
「ねえ、なんか海荒れてない?」
「…あぁ、なんか無線も繋がりにくいんだ」
無線から流れる砂嵐から、時々何か言っているのが聞こえる。
「?…なんだぁ、ありゃ」
父親が前方に異変を感じた。
「…竜巻か?」

そこからはあっという間だった。イノリが覚えているのは父親の叫び声や、母親強く抱きしめられたこと、母親の「神様」と呟く声。
「? なんの音?」
轟々という初めて聞く音に気づいた次の瞬間、船はひっくり返されていた。
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