④(終)
文字数 2,027文字
ターミナルの待合で呆けていると、香織に肩を叩かれた。
「そろそろ乗船」
「…うん」
のろのろと、席を立った。
香織はこちらを一瞥したが、そのまま歩をゆるめず進んで行った。
(…………)
他の乗客に越されながら進み、乗務員に券を渡す、その時だった。
「ヒロ!」
「─イノリ」
振り返ると、イノリが向かって来るところだった。乗船の列を外れ、彼女を迎える。
祭の夜以来の彼女に、既に懐かしさを感じた。
「今日の午後の便だって聞いたから。間に合ってよかったぁ」
「…ごめん、ちゃんと挨拶しなくて」
「いいよぉ、こうして会えたし!」
でも、みんなで来れたらもっとよかったよね、と遠い目をして少し残念そうに言う彼女は、ほんの数日前とどこか違って見えた。ふと気づいた違和感を口にした。
「あれ、イノリ、髪のびた?」
一瞬─ほんの一瞬、その横顔が泣きそうになった気がした。だが次の瞬間には、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「あ、いやそんな訳ないか、ごめん」
イノリは僅かに首を振り
「ふふ、でも…ホントに髪、伸ばしてみようかなぁ」
と言って己の前髪を摘まんだ。次に目線をこちらに戻して、
「こどもの頃ぐらいまで伸びたらさ、見に来てね」
といたずらっぽく笑った。
あまりにも屈託のない笑顔に、つい素直に応えてしまった。
「いいね、俺、イノリのあの長い髪、好きなんだ」
本音がそのまま口を衝いて出て焦ったが、彼女は嬉しそうだ。
「私もね、好きだった。ありがと、ヒロ」
彼女の優しい眼差しに、強張っていた心が解けていく。
(太陽みたいだ)
顔が緩 む。こんな風に穏やかに笑ったのは、随分久しぶりな気がした。
「ヒロにいっ」
声のする方を見ると、そこには息を弾ませたヨシマサがいた。
「あ、そうだマサと来てたんだった」
「イノリ、見つけたなら言ってよ…」
ヨシマサは息を整えながら来た。
「マサも来てくれたのか」
「うん、
あれほど泣きじゃくっていたのが嘘のように、晴れやかな顔をしていた。一皮むけた
「俺、この夏、ヒロ兄がここに、側に、一緒にいてくれてよかった。本っ当に、よかった。だから、ありがとう。─て、これだけは、ちゃんと直接言いたくってさ」
にっと歯を見せて笑ったヨシマサの笑顔は、この2週間の楽しかった様々なことを思い出させた。
じわじわと、心が温かくなる。
どんどん、胸が熱くなる。
「俺は」
島にいた間、思いがけない出会いや出来事や想いや秘密に直面した。過去が塗り替えられてしまうような、これまで積み重ねてきたものや価値観が覆されるようなこともあった。
だけど、過去の彼らも、この夏を共に過ごした彼らも、大切な存在であることに変わりはなかった。
自分の
「…俺も、来てよかった。みんなと会えてよかった。祭の準備も、寺に泊まった夜も、前夜祭も、祭も花火も、イノリやマサやみんなと過ごしたこの夏のこと、絶対忘れない。俺の方こそ、本当にありがとう」
湿っぽくならないように、努めて明るく言ったのだが、励まされるようにヨシマサに抱きしめられてしまった。
(あの夜と逆だな)
心地よい体温を抱き返す。
ヨシマサの、少し涙を含んだような声が聞こえた。
「いつでもまた来てよ。俺はここにいるから」
ヨシマサの肩越しに、イノリが優しく笑って頷いたのが見えた。
2人に別れを告げ、タラップを渡った。見送り客は見えないとわかっていても、窓から彼らを探した。
間もなく、船が走り出した。
どんどん、島が小さくなっていく。
来る時にはよそよそしかったシルエットが、今や二度と忘れられない面影になった。
走馬灯かのように、この2週間の色々なことが思い出される。
ここでしか、彼らとでしか得られないものが、たくさんあった。ここでしか吐き出せなかった思いも、聞けなかった気持ちも、知らなかった事実も、初めて自覚した感情も。
告白して、打ち明けられて、向き合って、関係が深まるっていくのがわかった。何にも代え難い、宝物のような時間だった。
遠ざかる島を見ながら、ヨシマサの最後の言葉への応 えを思った。
いつか
いつか必ずまた来るよ
みんなに、会いに
また花火をしよう
今度は海でも遊ぼう
また、祭だって行こう
ヨシマサ、俺も一緒に神輿担いでみたいんだ
写真もたくさん撮ろう
イノリ、君の長く美しい髪が風になびくところを撮ってみたい
みんなでご飯を食べよう
リエ、差し入れたくさんありがとう
今度は一緒に作って食べよう
好きなこと、嫌いなこと、何だってたくさん話そう
ミユキ、いつか、また君の昔のような笑顔が見たい
一緒に、心から笑い合いたい
コウキ
…コウキ、君と、もっと話がしたかった
また、会いに行くから
俺の話に、つきあって
あの裏山で、一緒に花火を見よう
それから─それから、もう一度、お別れをしよう
絶対、行くから
どうかそれまで、彼らが少しでもたくさん、笑っていてくれますように
きっと、きっとまた会おう
約束は、しないけど
(終)
「そろそろ乗船」
「…うん」
のろのろと、席を立った。
香織はこちらを一瞥したが、そのまま歩をゆるめず進んで行った。
(…………)
他の乗客に越されながら進み、乗務員に券を渡す、その時だった。
「ヒロ!」
「─イノリ」
振り返ると、イノリが向かって来るところだった。乗船の列を外れ、彼女を迎える。
祭の夜以来の彼女に、既に懐かしさを感じた。
「今日の午後の便だって聞いたから。間に合ってよかったぁ」
「…ごめん、ちゃんと挨拶しなくて」
「いいよぉ、こうして会えたし!」
でも、みんなで来れたらもっとよかったよね、と遠い目をして少し残念そうに言う彼女は、ほんの数日前とどこか違って見えた。ふと気づいた違和感を口にした。
「あれ、イノリ、髪のびた?」
一瞬─ほんの一瞬、その横顔が泣きそうになった気がした。だが次の瞬間には、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「あ、いやそんな訳ないか、ごめん」
イノリは僅かに首を振り
「ふふ、でも…ホントに髪、伸ばしてみようかなぁ」
と言って己の前髪を摘まんだ。次に目線をこちらに戻して、
「こどもの頃ぐらいまで伸びたらさ、見に来てね」
といたずらっぽく笑った。
あまりにも屈託のない笑顔に、つい素直に応えてしまった。
「いいね、俺、イノリのあの長い髪、好きなんだ」
本音がそのまま口を衝いて出て焦ったが、彼女は嬉しそうだ。
「私もね、好きだった。ありがと、ヒロ」
彼女の優しい眼差しに、強張っていた心が解けていく。
(太陽みたいだ)
顔が
「ヒロにいっ」
声のする方を見ると、そこには息を弾ませたヨシマサがいた。
「あ、そうだマサと来てたんだった」
「イノリ、見つけたなら言ってよ…」
ヨシマサは息を整えながら来た。
「マサも来てくれたのか」
「うん、
あれ
が最後なのは嫌だったし、ちゃんとお別れ言いたくて」あれほど泣きじゃくっていたのが嘘のように、晴れやかな顔をしていた。一皮むけた
弟
が、なんだか眩しい。「俺、この夏、ヒロ兄がここに、側に、一緒にいてくれてよかった。本っ当に、よかった。だから、ありがとう。─て、これだけは、ちゃんと直接言いたくってさ」
にっと歯を見せて笑ったヨシマサの笑顔は、この2週間の楽しかった様々なことを思い出させた。
じわじわと、心が温かくなる。
どんどん、胸が熱くなる。
「俺は」
島にいた間、思いがけない出会いや出来事や想いや秘密に直面した。過去が塗り替えられてしまうような、これまで積み重ねてきたものや価値観が覆されるようなこともあった。
だけど、過去の彼らも、この夏を共に過ごした彼らも、大切な存在であることに変わりはなかった。
自分の
最強のお守り
は、昔も今も彼らと共にあるのだ。「…俺も、来てよかった。みんなと会えてよかった。祭の準備も、寺に泊まった夜も、前夜祭も、祭も花火も、イノリやマサやみんなと過ごしたこの夏のこと、絶対忘れない。俺の方こそ、本当にありがとう」
湿っぽくならないように、努めて明るく言ったのだが、励まされるようにヨシマサに抱きしめられてしまった。
(あの夜と逆だな)
心地よい体温を抱き返す。
ヨシマサの、少し涙を含んだような声が聞こえた。
「いつでもまた来てよ。俺はここにいるから」
ヨシマサの肩越しに、イノリが優しく笑って頷いたのが見えた。
2人に別れを告げ、タラップを渡った。見送り客は見えないとわかっていても、窓から彼らを探した。
間もなく、船が走り出した。
どんどん、島が小さくなっていく。
来る時にはよそよそしかったシルエットが、今や二度と忘れられない面影になった。
走馬灯かのように、この2週間の色々なことが思い出される。
ここでしか、彼らとでしか得られないものが、たくさんあった。ここでしか吐き出せなかった思いも、聞けなかった気持ちも、知らなかった事実も、初めて自覚した感情も。
告白して、打ち明けられて、向き合って、関係が深まるっていくのがわかった。何にも代え難い、宝物のような時間だった。
遠ざかる島を見ながら、ヨシマサの最後の言葉への
いつか
いつか必ずまた来るよ
みんなに、会いに
また花火をしよう
今度は海でも遊ぼう
また、祭だって行こう
ヨシマサ、俺も一緒に神輿担いでみたいんだ
写真もたくさん撮ろう
イノリ、君の長く美しい髪が風になびくところを撮ってみたい
みんなでご飯を食べよう
リエ、差し入れたくさんありがとう
今度は一緒に作って食べよう
好きなこと、嫌いなこと、何だってたくさん話そう
ミユキ、いつか、また君の昔のような笑顔が見たい
一緒に、心から笑い合いたい
コウキ
…コウキ、君と、もっと話がしたかった
また、会いに行くから
俺の話に、つきあって
あの裏山で、一緒に花火を見よう
それから─それから、もう一度、お別れをしよう
絶対、行くから
どうかそれまで、彼らが少しでもたくさん、笑っていてくれますように
きっと、きっとまた会おう
約束は、しないけど
(終)
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