9年前 2月⑨

文字数 2,130文字

翌朝、こども達は兄に起こされた。嵐はいくらかおさまっている様だった。
「おはよう。コーンスープあるから、お兄ちゃんにお湯入れてもらってね」
母親と兄は既に支度が終わっていた。スープが適温まで冷める間に着替えを済ませる。外はまだ大分暗かった。
「ヒロ、さっき、香織ちゃんと連絡がついたんだ。みんな避難してて、とりあえず無事だって」
兄がスープを差し出しながらそう言った。
「じいちゃんたち、元気ってこと?」
「元気かはわかんないけど、怪我とかはしてないって。それと、コウキくん」
「はい」
「わかる限りの話なんだけど、お父さんとお姉ちゃんも無事のようだよ。家は海に近いし、防風林もないから、学校に避難しているみたい」
「はい」
コウキは安堵の表情を浮かべた。
「まだ通信が安定しないの。また何かわかったら教えるからね」
「はい、ありがとうございます」
「とりあえず今日お母さんの所に連れて行けるといいんだけど。お母さんには用意でき次第港に向かうって伝えてあるからね」
母親が付け足した。
コウキはこくりと頷き、スープをすすった。

空が白んできた頃、2台の車は旧道沿いにあるガソリンスタンドへ向かって出発した。目的地に近づくに連れて交通量が増えていく。
「…まさか、みんな目的地同じじゃないよな…」
初心者マークには厳しすぎる状況になってきていた。兄の額には冷や汗が光る。
案の定、ガソリンスタンドの前には長蛇の列ができていた。新道と旧道の合流地点で、右折すべきところを左折して最後尾を探す。最後尾までは小さな峠を一つ越えなくてはならなかった。兄は全神経を集中させ、慎重に切り返し、停車した。車の列は全く動いていないが、ガソリンスタンドが営業しているのかどうか確かめることもできない。
兄が車を降りて母親の車へ行った。戻って来くると
「長期戦になりそうだ。悪いがエンジン切るからな。トイレ行きたい時は早めに言ってくれ」
と絶望した新米ドライバーは天を仰いだ。

それから一時間程は、膠着状態が続いた。その間母親はモバイルバッテリーを使いながら関係者に連絡を取り、情報収集に努めた。一方こども達は朝ごはんの肉まんを早々に食べ終え、手持ち無沙汰なので、持ってきたトランプやマンガで時間を潰した。ようやく車が動き始めた頃には、空はすっかり明るくなっていた。動くと言っても、エンジンかけて少し進み、エンジン切ってしばらく待つの繰り返しのため、依然として暖房なしだった。最初は寒かったが、太陽の熱のおかげで耐えられた。
やっと給油できたのは、並び始めてから実に6時間後のことだった。

市街地は停電が復旧したらしいということで、給油後母親は街中へ向かった。こども達は家で待機となった。天気は穏やかになっていたので、家の周りを少しだけ探険した。コンポストの蓋が見つかった時は宝物を見つけたかの様に興奮した。
昼食は兄が用意した。レトルトのミートソースパスタだったが、いつもと違って粉チーズがかけ放題だったので特にヒロは大喜びだった。しかし、未だ電気は戻らず、食後はいよいよ手持ち無沙汰になってきた。
「兄ちゃんはどっか出かけないの?」
「お前たち置いて行けるかよ。大体俺こっちに知り合いいねーもん」
去年の引っ越しの際、高校生の兄だけは祖父母の家に残った。進路が確定し、自由登校になったタイミングで、自動車免許取得のためにこちらに来ていた。

とうとう冷蔵庫が常温になってきていた。こどもたちは卵や牛乳を消費すべく、母親の料理本からレシピを探した。結果、クレープと、ホットケーキと、プリンを作ることにした。
ヒロとコウキは兄の指令の下、協力して分量を計り、生地を混ぜた。兄は石油ストーブで焼く作業を担当した。全員初めての挑戦だったが、集中できる環境と、意外と良かったチームワークのおかげでなかなかの出来だった。
プリンを湯煎している間、クレープやホットケーキにバナナやジャム、チョコソース、シリアルなどを好きなだけかけた。
「そうだ兄ちゃん、アイスもつけようよ!」
ヒロがさも名案と顔を輝かせたが、
「冷凍庫はいっぱいの方が冷えが保つから触るなって母さんに言われてんの」
と却下されてしまった。
コウキは密かにキラキラアイスのことを思い出していた。今日はキラキラクレープにキラキラプリンだな、と。

その後帰宅した母親は疲れた顔をしていたが、まだ温かいプリンを口にすると少し表情が和らいだ。しかし食べ終わると真剣な顔になり、
「お兄ちゃん、卒業式、厳しいかもしれない」
と切り出した。
「え?どうゆうこと?」
兄は驚いた顔で聞き返した。
「波が入ってきたの」
「波?…て、え、津波ってこと?」
「ちょっと違うけど、現象としては多分大体同じ。結構な建物が浸水しちゃってるみたいなの。この感じだと、多分、学校とかはしばらくの間避難所になるんじゃないかな」
「え…意味わかんないんだけど」
「お母さんも街で少し見聞きしただけだから…連絡が取れる様になったら、すぐに確認するから」
「…わかった。街はもう電気大丈夫なんでしょ?じゃあここもきっとすぐだよね。俺、携帯使うわ」
そう言って兄は自室へ戻った。同級生らに連絡を取るつもりなのだろう。
母親は止めなかった。
結局その日電気は戻らなかった。
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