文字数 3,029文字

捜索が打ち切られたのは、その翌日だった。
裏山の崖から落ちて川に流された可能性も考慮され、捜索範囲は最終的に海の方にも及んだ。それでも一通り探して見つからないとなった時、コウキの両親が自ら中止を申し出たらしい。
山側の捜索本部は寺に設置され、香織が半日手伝いに行った。その日の夕食時、香織は捜索の経緯などを説明してくれた。一通り話し終えた後、
「コウキ君のお父さんは色々な対応で(せわ)しなくしてたけど…。奥さんの方は、本部の隅でじっと待機してる様な感じで…終始冷静というか落ち着いてるっていうか…泣いたり取り乱したりとかも全然なくて、ずっと淡々としてるみたいな…。なんか、ちょっと…ちょっとだけ、怖かった」
と、最後はほぼ独り言の様に語り、グラスにわずかに残っていた酒を呷った。



島を出る今日、船に乗る前に、ミユキの家を訪ねた。
呼び鈴に応じた姉弟の母親の顔を見た瞬間、何故か9年前、停電したホームセンターでの母親の顔が思い浮かんだ。突然の既視感に内心戸惑っていると、怪訝な顔をされてしまった。
「あ、こんにちは、お、僕、今日帰るので、ミユキさんにご挨拶できればと思って…」
母親は少し黙ってから、
「娘に聞いてきます」
と言って扉を閉めた。
コウキと最後に一緒だった自分に対して何か言ってくるだろうと構えていたので、拍子抜けして軽く息を吐いた。母親からは不信感や非難めいた眼差しはなかったが、それでも内心では何か思うところがあるのではないか、と気になって不安になる。一方的な気まずさで冷や汗が流れた。

数分後、再び扉が開いた。
「テラスでも、いいかしら」
そう言ってそのまま庭に通された。
人工芝が敷かれた庭の真ん中に、パラソルがついたガーデンテーブルがあった。向かい合う様に設置された2脚の椅子の1つにミユキが座っている。母親に促され空いている方の椅子に座った。
日陰とは言え、この暑さでは
(長くは話せないな…)
迷っている暇はないのだ。

母親が氷たっぷりのアイスティーを置いていった。これで、しばらくはふたりきりだろう。
改めてミユキに向き合う。長い髪をゆるく編んで一つに束ね、濃紺のブラウスを着た彼女は、実年齢よりずっと大人びて見えた。手を膝の上で組み、グラスの方に視線を向けているが、手をつけそうな気配はない。
既に汗をかいているグラスを手に取り中身を一気に飲みほして、とうとう口火を切った。
「俺、今日帰るから、最後に少しミユキと話したくて」
返事はない。が、想定内なので続けた。
「コウキの、ことだけど…」
ここまできておいてまだ一瞬、躊躇してしまった。本当に、訊いていいものだろうか。でも、これを言わなければ、何も始まらない。
「ミユキは、

よな?」
彼女の目蓋が微かに動いた。
(ノーではない、多分)
「そうだと、納得がいくと言うか、腑に落ちることが結構あるんだ。コウキの事故からミユキの雰囲気が変わったらしいこととか、家からあまり出ないこととか…。俺が島に来てからも外ではいつもコウキの側にいたし、離れてても必ず迎えに来て、できるだけ1人にしないようにしてるような…」
本当は、夜中に裏山の近くにいたことも、関係ありそうだとは思っていたが、根拠が無いので言わなかった。
「コウキのこと、ずっと側で見…てたんじゃないかって」

って、か、見

って、か。帰るまでには判るだろうか。
彼女は黙ったままだが、続けることにした。
「俺、祭の夜コウキと最後に話して…それで、コウキはずっと俺との約束果たすの待ってたって…だから、俺のせいで」
「そんな風に言わないで」
小さな声だが、強い口調でミユキが言った。
「“俺のせい”なんて……傲慢よ」
彼女は絞り出すようにそう言った。

(ごうまん)
思ってもみなかった言葉に、思考が停止してしまった。こちらは何も言えなくなって、ミユキも何も言わない。凍ったような沈黙がしばらく続いた。
カロン…と、グラスの氷が溶ける音がした。
ミユキが顔を上げた。その()(うる)み、また下を向いたら、涙が(こぼ)れてしまいそうだった。すっと目を逸らしてミユキは呟くように言った。
「あなたがいない間もこの10年コウキは…私たちは、ずっとここで生きてきたのよ」
(─!)
頭を殴られた様な衝撃がきて、同時に自分の想像力のなさに愕然とした。



あの日
彼が事故にあったのは偶然かもしれない。
彼の命を繋ぎ止めた何かに出逢ったのも偶然かもしれない。
ただ彼がそうまでして生きようとした動機は確かに自分との約束だった。
再会を果たして再びの別れ際、車の中で交わした約束が、この夏まで彼を保つ原動力だった。
それはきっとそうなのだ。本人がそう自認していたのだから。
だけど、そんなこどもの約束だけで、その後10年近く存在し続けるなんて、到底無理な話ではなかっただろうか。
彼が言っていた“色々な力”が、そもそもどういうもので─いくつか思い当たる節はあるが─どれ程の力があったのかはわからないが、きっとそれ以外にも、家族や、友人や、様々な人との関わりやそれぞれの思いが力になってやっと、彼は存在を維持できていたのではないだろうか。

そして、彼

がそうやって努力を続けた10年、自分はずっと蚊帳の外だった。
だから今回のことは、自分にとっては青天の霹靂であり、2週間─あるいは一夜─の物語だが、ミユキにとっては10年の歴史なのだ。

いや、彼女だけじゃない。
リエだって、もっと前から、長い時間をかけて受けとめたから、病院であんな表情(かお)ができたんじゃないのか。
もしかして、あるいはコウキの母親もそうだったのではなかろうか。いつからかはわからないが、親として

を迎える覚悟を、ずっと持っていたからこそではないのか。だから、さっきの彼女と自分の母親の顔が重なったのではないか─家族を守りきると腹をくくった母の顔と。
皆、困惑や悲しみ、あるいは怒りや恐怖を、長い時間をかけて乗り越えてきた。
…これらは全て自分の憶測だ。でも、見当違いではないと思う。だってだからこそ、あのミユキの言葉だろう?

そしてもしそうならば
ああ
何て強い人達だろうか
何て
何て自分は

まさに、傲慢

「ミユキの言う通りだ…ごめん」
それしか言えなかった。

ミユキは、殺していた息をゆっくりと吐いた。その拍子に、(こら)えていた涙がとうとう一粒流れた。
「怒っているわけではないの」
ミユキが話し始めた。
「あの事故がヒロのせいだとも思ってない」
「でも、あなたが呼んでいなかったらあの子は

戻ってきたとも思えなかった」
「ずっと…ずっと、どうしたらいいのかわからなくて」
「どうしたらこんなに悩んだりしなくていいんだろう、て思うのに」
「4人家族でいられるのが嬉しくて」
「私…」
「─私、どんな顔であなたと話せばいいのかわからない」
「ずっとわからないの…」
それでも彼女は顔をそむけたりしなかった。とうとう(あふ)れた涙を止めようともしなかった。
グラスの氷はとっくに溶けきっていた。

息を整えてから、ミユキは再び口を開いた。
「私は、結局何もできなかったけれど…」
「だけど…これがあのこにとっては最善の結末だったと思ってる」
彼女は涙を(ぬぐ)ってまっすぐこちらを見た。今日、初めて目が合った。わからないと言っていた彼女の、その目に迷いはなかった。そしてこう告げたのだ。
「それは、絶対にあなたのおかげ」

焼けるように喉が痛い
鼻の奥と目頭が燃えるように熱い
視界が歪む
(俺に、泣く資格なんて、ない)

この、敗北感にも似たこの感情を、俺は知らない











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