9年前 2月⑦

文字数 2,098文字

イノリの祖母が病院に駆けつけたその頃、ターミナルには乗船を控えたコウキと母親がいた。
「本当に、大丈夫?どこも痛くないのね?」
あの転落事故から一週間も経っていないのに、どうしてもヒロに会いに行くといってきかないコウキに母親は手を焼いていた。大きな怪我はないと言っても、まだ傷や痣がたくさん残っている。ニット帽で隠れてはいるが、おでこにも大きな絆創膏をしている状態だ。絶対安静にさせておきたいのに、息子は頑として譲らない。
「大丈夫だったら。お父さんも許してくれたでしょ」
うんざりした様子をでコウキが答える。
「お父さんは適当なのよ。あんな事故があったのに、心配なのは当然でしょう」
「でも、お医者さんも大丈夫って」
「安静にしていれば、でしょう。絶対に今日のイベントではしゃいではダメよ。終わったらすぐに帰るからね」
「えー!僕ヒロの家に泊まりたい!」
「ダメに決まってるでしょっ。大体何の用意もしてないのだし」
「僕パンツとハブラシ持ってきた。あとはヒロに借りる」
「!?…いつの間に…でもダメよ、帰らないなら行っちゃダメです」
コウキは頬を膨らませ口を尖らせたが頷いた。息子が無茶をするタイプではないことはもちろん母親は理解していた。ただ、ヒロが絡むと予想外のことが起きるのだ。
(私の知ってるコウキなら大丈夫)
と自分に言い聞かせ、コウキと共に乗船した。

「コーーキーー!」
船を降りたコウキにヒロが駆け寄る。
「ヒロ!久しぶり!」
2人は目を輝かせグータッチを交わした。
興奮した様子のコウキを見て母親は内心気が気でない。ヒロの母親が問いかけた。
「コウキくん、具合どう?」
「えぇ、先生も激しい運動会を避ければ普通の生活をしていいって言うのだけど…」
「そうね、イベントの人には見学でお願いしておきますね」
「あ、私も行きます」
「それは構わないけど…いいの?色々予定立ててたんじゃ?」
「それは、こんなことになるとは思ってなかったし…」
「イベントの間は、親にできることは殆どないと思いますよ。私も注意するから。大前さんも大変だったろうし、少し気分転換してもいいと思うな」
コウキの母親の心は揺れていた。ここ数日、心安らぐ時はまったくなかった。少しの間だけでも解放されたいのは本当だった。
「うちの息子が暴走させないように、ちゃんと見てますから。コウキくんも、お母さんに約束できるよね?」
「うん、できる!」
コウキの母親は、普段から聞き分けのよい息子のことを信じることにした。
「…じゃあ、お言葉に甘えます」
「はい、終わったらまた港まで送りますから」
「よろしくお願いします」
コウキの母は肩の力が抜けたように、頭を下げた。

「雨、ふらないかな」
車の窓から外を眺めながらコウキが言った。朝は顔を覗かせていた太陽は、すっかり雲に覆われている。
「天気予報だと大丈夫そうよ、でも風が強いって言ってたからなぁ…今日のイベント、外でしょ、中止にならないといいんだけど」
今日のイベント会場は市街地から少し外れたところにあるグラウンドだ。ヒロの家と港の大体中間にあるので、港まで車でコウキを迎えに行ったのだ。ヒロの母親としては、コウキの体調を考えて、公共交通機関より車の方が何かといいだろうという気持ちもあった。
「えー!ナミ来ないの?」
ヒロが文句たっぷりの声を出した。
「いや前日入りとかだろうから大丈夫だと思うけど。あんまり風が強いと、ボール飛んでっちゃうでしょ」
結論から言うと、ヒロの母親の心配した通りになった。イベントは無事開催され、子ども達は生のプロ選手に大興奮だったのだが、次第に風の威力が増し、主催者側が予定を大幅に繰り上げてイベントを終了させたのだった。ヒロもコウキもプロのレクチャーが受けられずがっかりしたが、代わりに屋内での物販で南選手と話し、サインまでもらえたので、不満が帳消しになる程喜んだ。
「じゃあ、とりあえずお昼ごはん食べようか」
会場を出て、お昼ごはんの相談をしていると、母親の電話が鳴った。
「もしもし…あ、それが、風が強くて予定より大分早く終わっちゃって、ひとまずごはんを…そうそう…うん、うん…え!」
何事かとヒロとコウキはそっと顔を見合わせた。
「あら…えぇ…あ、いやうちは全然構わないけど、大前さんは大丈夫なの?…うん…そう…」
電話を終えた彼女は子ども達に言った。
「強風で船が終日運行中止になっちゃったんだって」
「え!」
「だから、コウキくん今日うちにお泊まりでもいいかな?」
「うん!やったぁ!」
喜びのあまり飛び跳ねようとしたコウキをヒロの母親が慌てて止めた。
「あれ、コウキのおかーさんはどーすんの?」
「家まではちょっと遠いし、できたら港の近くのお友達のとこに泊まりたいらしいんだけど、コウキくん、大丈夫?」
「大丈夫ですっ」
「わかった。でも、くれぐれも無理しないでね」
そう言ってコウキの母親に連絡し、軽く段取りや連絡事項を確認し、概ね問題なくお泊まり会が決定した。
「よし、じゃあ予定変更!色々買い出しができたから、お昼はドライブスルーでいい?」
「はーい!」子ども達にとっては、お泊まり会ができるんだからお昼ごはんなんて何でもよかった。
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