第22話 ドール②

文字数 6,284文字

 夕陽は短機関銃の弾幕を受けても傷1つ負わなかった。
 彼女は挑発するように深津へと笑みを向ける。

 深津は部下に対して命令を下した。

「取り押さえるんだ」

 スーパービジョンの兵士6人が一斉に夕陽へと向けて走り出す。
 6対1。しかも夕陽は見るからに非力だ。
 接近戦ならば夕陽に勝ち目がないのは明らかだ。

 だが駆け出した兵士達は夕陽に近づけない。
 近づこうとすればするほど身体は重くなり、強い力によって押し戻される。
 緩やかにしか前進できない兵士達。
 夕陽は左手で拳銃を抜いた。

 兵士達は銃を撃つが、銃弾は空中で減速して威力を失い、夕陽の足下に転がる。
 夕陽は一番近い兵士へと拳銃の銃口を向けた。
 それがモデルガンであるのは明らかだ。
 夕陽がトリガーを引くと、銃声の代わりにカシュンと音が響き、ガスが吹き出しスライドが駐退する。

 銃口を向けられた兵士が悲鳴を上げた。
 銃弾ではない何かが、服の下に着込んでいたボディアーマーを切り裂き、兵士の胸を貫いた。
 心臓を射貫かれた彼は血を吹き出しその場に倒れる。

「動かないでくださいね」

 倒れた兵士の反対側。
 夕陽の右側から近づこうとしていた兵士へと、彼女は右手に新たに持った拳銃を向ける。

 トリガーには指をかけず、右手の人差し指は伸ばしたまま。
 だがその銃口を向けられた兵士は、持っていた短機関銃を取り落とし、苦しそうに顔を押さえる。
 
 悲鳴が轟く。
 声にもならぬ悲壮な声。
 不可思議な力によって彼の顔がねじ曲げられて崩壊していく。
 唇が裏返り、鼻骨が突き出し、眼球が飛び出す。彼がどんなに顔を押さえようとも崩壊は止められない。

 皮膚が剥がれ、口からは内臓が吐き出される。
 体中が歪に変形して負荷に耐えられなかった組織がちぎれ飛んでいく。
 彼の身体はバラバラになりながらも、内蔵から血管に至るまであらゆる組織の裏表を逆にされていく。
 人の形を完全に失って尚も変形を続け、全てが裏返しになった時には、そこには血にまみれた肉塊と骨片だけが存在していた。

 夕陽は深津に対して笑顔を見せる。

「生物は〈ツール〉になりません。
 それでも無理矢理〈ツール〉にしようとすると、裏返しになって死んでしまいます。
 ですよね?
 それでどうします?
 〈ツール〉化させるのは一瞬ですよ。次はどなたです?」

 夕陽が尋ねると、残った4人の兵士はたじろぎ、後ずさる。
 夕陽に対して銃弾は効かない。
 近づこうとしても身体が重くなりゆっくりとしか接近できない。
 おまけに殺傷能力を持ったモデルガンと、〈ツール〉化させる〈ドール〉。
 兵士達は戦意を喪失していた。

 ただ上の足場に立つ深津だけは戦う意志を残しているようで、彼は夕陽へと問いかけた。

「何故依り代を置いて〈ドール〉を使役できる」

「さあ。何故だと思います?」

 夕陽は試すように返す。
 深津は少しだけ考えた。
 
 夕陽は“水牛の像”を床に置いた。
 〈ドール〉は依り代を手にした者の指示にしか従わない。
 しかし兵士は夕陽が使役した〈ドール〉によって〈ツール〉化され絶命した。
 だとすれば答えは1つ。
 ”水牛の像”は依り代ではない。夕陽は別に依り代を隠し持っている。

「”水牛の像”は囮か。
 それを餌に僕を殺しに来たと」

「別に殺すのは目的ではないです。
 ただ私は本当のことを知りたいだけです。
 簡単な話でしょう?」

 夕陽は提案するが、深津はそれを拒否した。

「残念だが、〈ツール〉の秘密については教えられない。
 知ってしまった君も、君の仲間も、生かしては帰さない」

「あら? それはとても残念です。
 では教えて貰えるようにするしかないですね。
 拷問って初めてやるので上手く出来るかちょっと心配ですけど、失敗しても怒らないでくださいね」

 悪魔のように微笑む夕陽。
 深津は攻撃命令を再度出して、逃げようとする兵士達を戦わせた。
 銃弾は効かない。彼らは催涙弾を投擲し、夕陽を無効化しようと試みる。

 夕陽は左手の拳銃で左方の2人を片付ける。
 右側に対しては、持っていた拳銃を投げつけた。

「あげますよ」

 そう言って投擲された拳銃は、床に落ちると同時に弾ける。
 原理は不明。拳銃はバラバラに分解され、パーツの1つ1つが銃弾のように飛び散った。
 間近に居た兵士は全身を穴だらけにされて即死した。

 夕陽へと投擲された催涙弾は大きく減速して床を転がる。
 やがて炸裂して催涙ガスが吹き出す。
 夕陽は空いた右手で懐から名刺入れを取り出した。
 名刺を1枚手に取り床に落とす。
 すると空気の流れが名刺を中心にして生まれて、吹き出した催涙ガスを外側へと押し戻した。

 夕陽は右手で残っていた最後の兵士を指さす。
 兵士は動けなくなった。
 物理的に動きを封じられたわけではない。
 〈ドール〉によって裏返しにされるという恐怖から、身動きがとれなくなったのだ。

 兵士には〈ドール〉が見えない。
 自分がもう〈ツール〉化されているのか、〈ドール〉は今どこに居るのか。何も分からない。

 分かるのは夕陽がこれまで笑いながら5人を殺したこと。
 彼女は必要であれば、あと何人でも殺すと言うことだけだ。
 笑顔しか見せない彼女の真の感情は読み取れない。
 兵士にはただただ恐怖だけが募った。

「あなたも殺されたくないですよね?
 深津さんに本当のことを説明するように頼んで頂けませんか?」

 兵士は深津の方へと顔を向ける。
 覆面をかぶって顔を隠していた彼は、目だけで深津へと説明するようにと訴えた。

 だが深津は彼の懇願など取り合わない。
 リボルバー式の拳銃を抜くと、容赦なく彼へと照準を定めてトリガーを引いた。
 マグナム弾は正確無比に兵士の頭部を撃ち抜く。
 彼はその場に倒れて動かなくなった。

「酷いことをしますね」

 夕陽はそんな深津へと声を投げる。
 同時に彼の射撃技術に少しばかり感銘を受けた。
 距離15メートル。有効射程内ではあるが、拳銃で狙って命中弾を出すにはギリギリの距離だ。
 見かけによらずよく訓練されている。

「ここに集めたということは、〈ドール〉の説明を聞かれても構わない人たち。――つまり深津さんにとって一番大切な手駒ですよね。
 そんなに簡単に殺してしまって良かったのですか?」

「1人失うのは惜しい。
 でも5人失えば、6人になっても同じことだ」

「やっぱり酷い話です。
 それで、私とお話しする気になってくれました?」

 深津は頷いた。

「そうだね。是非話したい。
 君は僕の知らないことを知っているようだ。
 通常の方法では〈ドール〉は生物の〈ツール〉化を拒むはずだ」

「あら?
 そうなんですか? 初耳です。
 やっぱり、きちんと専門家の説明を受けるべきですね。
 ですけどお話しするにあたってルールを決めておきたいです。
 質問するのは私です。それだけ守ってくれますか?」

「いいや無理だね。
 君は僕の質問に答えるだけで良い」

「それはダメです。
 私は話を聞きに来ました。話をしに来たわけではありません」

 拒む夕陽。
 深津はリボルバーのシリンダーを振って、残っていた弾丸を取り出す。
 そのうち1つが手に取られる。

 極彩色の髪をした鮮やかな色使いの〈ドール〉。全長30センチほどのそれは、弾丸へと吸い込まれるようにして姿を消す。
 だがそれは直ぐにまた飛び出すように姿を現した。

「へえ。
 それで〈ツール〉の完成ですか?
 私の使い方は間違ってなさそうです。
 でも〈ツール〉を0から産み出せないんですよ。深津さんの〈ドール〉と何が違うのでしょう」

 夕陽が相変わらずのペースで問うと、深津はうんざりしたように表情を崩して言った。

「もう君の質問には答えない。
 僕も拷問は久しぶりだから上手くいかないかも知れない。それでも恨まないでくれ」

「はい。善処します」

 夕陽は名刺入れから名刺を取り出す。
 深津が〈ツール〉化した弾丸をリボルバーに込めて発砲。
 弾丸は夕陽に近づくにつれて減速する。そして夕陽が目の前の床へと名刺を落とすと、その部分が隆起して弾丸を受け止める。

 弾丸は命中と同時に炸裂。
 火球となって隆起した床を焼き払う。
 床材は溶けて液状になり崩壊した。

 夕陽は走り始める。
 前進し、深津へと近づく。

 〈ツール〉の能力を奪うには距離を詰めなければならない。
 深津には〈ドール〉が見えている。その動きを察知すれば妨害してくるだろう。なので可能な限り近づかなければならなかった。

 深津は残っていた弾丸も〈ツール〉化して連続で仕掛けてくる。
 夕陽も名刺を投げて対抗。
 負の熱伝導率を持つ名刺によって火球の威力を殺す。
 だが深津の攻撃は止まない。

 深津は直接攻撃が効かないと判断して、弾丸の能力を書き換えた。
 放たれた弾丸は空中で火球となる。だが今度の火球は消えない。空気中の酸素を伝搬し、広範囲に炎が広がっていく。

 おびただしい熱量が建物内部に充満する。
 夕陽は名刺を切って新鮮な空気を生み出すも、生み出した空気も熱せられ、酸素が奪われていく。

 酸欠と高熱で動きの鈍った夕陽へと、深津は照準を定めて弾丸を放った。

 弾丸は減速する。
 軌道を逸らし落下した弾丸だが、空中で発火。
 弾頭を構成する金属が液状化して床に落ちると、そのまま跳ねて夕陽の足首に襲いかかった。

「あら」

 運動エネルギーを殺しても熱は防げない。
 1500度にも熱せたれた液体金属によって右の足首を焼かれ、その場で片膝をついた。

「残念だが、僕の持つ〈ドール〉は炎の〈ドール〉。
 戦いに特化した〈ツール〉を生成可能だ。
 君の〈ドール〉では勝ち目はなかったね。
 さあ、隠し持った依り代を渡して貰おうか」

 夕陽の頭上では2つの火球が瞬いている。
 火球は近づくこともなく、ただ周囲の酸素を奪い尽くし、大量の熱を発生させる。
 依り代を壊さず、夕陽だけ殺すつもりなのだろう。

 夕陽は体中から汗が噴き出し、酸欠で意識が朦朧としてきた。
 身体に力が入らずその場に倒れる。
 足首の傷からは血が溢れ、その血液も蒸発していく。

「――少し、甘く見すぎていたかも」

 周囲を炎が取り囲み真っ赤に燃え上がる。
 バラバラにされた兵士の遺体も炎に包まれて燃え上がった。
 夕陽が僅かな力を振り絞って視線をあげると、足場の上には深津の姿。

 意識を保っているだけで限界だった。
 だがそんな夕陽の脳裏に、強烈な既視感が襲いかかる。

 燃えさかる殺風景な部屋。
 体中を裏表逆にされて、バラバラになった遺体。
 そして、たった1人。安全地帯から階下を見下ろす男の姿。

 深津。
 ではない。
 深津よりも幾分か若い。
 だがその身体的特徴は、深津のものと似通っている。
 
 夕陽はこの光景を見たことがある。
 そうだ。あの時。8年前のあの日――。

    ◇    ◇    ◇

 子供の悲鳴が室内に木霊した。
 実験台に身体を縛り付けられていた子供は、首筋に太い注射を刺される。

 泣き叫ぶ子供。
 痛いからだけではない。
 注射が終わるとどうなるのか。これまでに5人も目の前で無残な最後を告げていた。

 子供は泣き叫び、身体を強固に固定していた拘束具を破壊。
 そして身体が内側から崩壊していく。
 裏返った内臓を吐き出し、体中のパーツがちぎれ飛んでいく。
 ものの数秒で子供は人の姿を失い、血みどろの肉塊となっていた。

 まだ続けるのか?
 実験を担当した、返り血を浴びて赤く染まったクリーンスーツで全身を覆う研究員が問う。
 指揮を執っていた男は実験場を見下ろせるバルコニーに居て、階下からの問いかけに考えることもなく返した。

「当然だ」

 その返答を受けて研究員は次の実験体を呼び出す。
 『07』。それが次の実験体の名前だ。

 07は実験台へと向かうのを拒否する。
 だが10歳の少女が、複数の大人に押さえつけられて抵抗できるはずもない。
 彼女が泣こうが叫ぼうが、大人達は容赦しない。
 彼女の身体を実験台まで運び、拘束具によって固定する。

 指揮官の男はそれを見届けると、実験開始を告げた。

「人体ツール化計画、ドール移植実験。サンプル07。ドール注入開始せよ」

 少女は止めてくれと懇願した。
 だけれど誰も、実験を止めようとはしない。
 力が無ければ頼んだって誰も動いてはくれない。残酷だが、それが現実だ。

 少女の首筋に大きな注射器が刺される。
 痛み。そして、得体の知れない何かが身体の中に入ってくる尋常ではない違和感。

 身体の内側から不快感がこみ上げてくる。
 強烈な吐き気。体中が燃え上がるように熱くなる。
 私も死ぬんだ。
 少女は最後の瞬間、神に祈った。

 熱心に神を信仰していたわけではない。
 でも大人達は助けてくれない。もう神様くらいしかすがる相手がいなかった。

 ――死にたくない。

 強く願った瞬間、世界が急に静かになった。
 大人達の怒号も、自分の叫び声すら聞こえない。
 世界は無音で、そして一切の動きがなくなった。

 静止した世界。
 ふと少女の目の前に、真っ黒なナニカが姿を現す。

 2頭身。
 長い黒髪で、頭には冠のような飾りをつけている。
 目は闇のように漆黒で顔の半分を占めるほど大きい。
 そして黒いドレスのような布きれのような服を身につけた、人形のようなナニカだ。

 それは何も言わない。
 だが少女に対して何かを期待しているように、その場にふわふわと浮かんでいた。

 少女は声を出そうとするが身体が動かない。
 ただ考えることしか出来ない。

 少女は強く願った。「死にたくない」と。
 でも人形は何もしてくれない。

 少女は「生きたい」と願った。
 それでも人形は何もしてはくれない。

 少女は理解した。
 願うだけではだめだ。行動を起こさないと何も変わらない。
 死にたくない。生きたい。――ならばどうすれば良いのか?

 少女は簡単に答えを導き出した。
「私を殺そうとする人を、殺さなければいけない」

 人形は真っ赤な口を裂けたように横に大きく広げた。
 少女にはそれが、笑っているように見えた。


 研究施設は炎に包まれ、研究員も、囚われていた子供達も、身体を裏返しにして死んでいった。
 燃えさかる研究室で、少女は倒れ、朧気な視線をバルコニーへと向けていた。

 怯えて、逃げ出すことも出来なかった彼がそこに居る。
 この研究所のリーダー。
 彼は少女にいつも優しく接してくれていた。
 でも本当の姿はそうではなかった。
 彼にとって少女も、他の子供達も、実験のための道具でしかなかった。
 とんでもない嘘つきだ。
 少女は嘘が嫌いだった。

 熱によって意識を失いかけた少女。
 少女は朦朧とする意識の中で、最後に願った。

 ――もうここには居たくない。嫌なことを忘れて、どこか遠くへと行きたい。

    ◇    ◇    ◇

 夕陽の意識が急速に回復していく。
 失っていた記憶の断片を思い出し、そして、視線の先に居る深津の、本当の名前を思い出す。

「――笹崎(ささざき)先生?」

 小さな声。
 だが深津は――いや笹崎は、その名前を呼ばれたことに驚きを隠せずにいた。
 本名を知る手段は存在しないはず。

 夕陽には彼のその反応を見れただけで十分だった。
 彼は夕陽の秘密を知っている。
 人体ツール化計画を仕切っていた彼が知らないはずがない。

 夕陽は右手を掲げた。
 彼女の意志に答えるように、人差し指の先から〈ドール〉が姿を現す。

「死にたくない。生きたい。
 だからそのために――」

 夕陽が笑う。
 〈ドール〉もそれに応じるように、真っ赤な口を更に大きく横に広げて見せた。
 夕陽にはそれが、笑っているように見えた。

 
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