第40話 襲撃⑤

文字数 4,163文字

 施設の壁を裏返しにして内側に侵入した夕陽と守屋。
 2人はか細い明かりに照らされる無機質な廊下を進んでいた。
 飛鳥井達の陽動作戦によって、施設内への侵入はまだ露見していない。
 古い変電施設の見取り図を元に、内部の構造を予測しながら進んでいく。

 施錠された扉を見つけて、夕陽は守屋へと声をかける。

「危ないので下がってください」

 夕陽の言葉に守屋は半歩下がった。
 夕陽自身も、自分の能力によって物質がどう変形するのかなんて予想できない。
 だから守屋にはもっと離れていて欲しかったのだが、あまり離れすぎるとそれはそれで危険だ。
 夕陽はとりあえずそれで良いことにして、扉へと右手をかざす。

 かざした手が膨張する。
 膨れ上がった右手は、指のように枝分かれして無数の小さな手となった。
 それが扉に触れるとあらゆる物理的強度を無視して扉の構造そのものを破壊する。
 強引に裏と表を逆にされた扉はひしゃげ、歪に変形して床を転がる。

「ハズレですね」

 守屋が床に転がった扉を見ている間に、夕陽の右手は元通りの形になっていた。
 彼女は「残念です」と口にしながらも、何処か表情は楽しそうにして室内へ入る。

 守屋もその後に続いて室内へ。
 薄暗い室内。何やら獣のような匂いが鼻についた。

 夕陽が明かりを掲げると、室内の様子が浮かび上がった。
 たくさんの棚。そこには小動物用のケージが並べられている。
 中にはマウスやモルモットなどがうごめいている。

「動物実験か?」

「研究、あまり上手くいってないみたいですね」

「どうしてそう思う?」

 守屋の問いに、夕陽は笑顔で返した。

「少なくとも8年前には人体実験を行っていました。
 それが動物実験に戻ったわけです。
 そこから予想されるのは――」

「人体実験の結果は芳しくなかったと」

「そういうことです。
 そもそも私たちで実験する前に、動物実験していたかは疑問ですけどね」

 まさかそんなはずはと守屋は思う。
 しかし笹崎が人類の進化とやらにご執心だったのは確かだ。
 彼が”人類”を特別視していたとすれば、その可能性を信じて過程をすっ飛ばして人体実験に踏み切るかも知れない。

「だがお前は上手くいったんだろう?」

 その問いかけには夕陽は曖昧な笑みを浮かべる。

「上手くいったかどうかで言えば、上手くいってないです。
 笹崎さんの思ったような存在は産み出せなかった。
 あの人が望んだのは人体の〈ツール〉化です。
 でも私は〈ツール〉になったわけではないですから」

 この部屋に見るべき物はないと、夕陽は明かりを落として廊下へと出た。
 守屋が続いて外へ出たところで夕陽が左手を上げて守屋の身体を自分の背後に庇う。

 鋭い明かりが夕陽を照らし、同時に銃声が響いた。
 乱射される短機関銃。
 だが銃弾はことごとく空中で減速し、夕陽の元に辿り着くことなく床に落ちていく。

 夕陽は拳銃を抜いた。
 モデルガンだが、トリガーを引くと空気の矢が銃口から飛び出す。
 それは姿を現したスーパービジョン構成員へと真っ直ぐ飛来し、その胸に突き立った。

 血を流して倒れる相手を見て夕陽は小さく笑みを浮かべる。

「バレちゃいましたね。
 先を急ぎましょうか」

 名刺入れから名刺を取り出す彼女を見て、守屋は問う。

「お前、これまで何人殺したんだ?」

 夕陽は自分の障害となり得る人物を手にかけるのに一切躊躇しない。
 一体これまでどれだけの人を手にかけたのか。

 その問いかけに、夕陽はあっけらかんとして返した。

「私が快楽殺人者に見えます?
 そんなのいちいち数えたりしません。
 必要だったら何人だって殺しますし、必要ないなら1人も殺しません」

 さあ行きましょう。
 そう口にした夕陽だが、一旦足を止めた。
 おさげにしていた右の髪をほどき、髪留めを守屋へと差し出す。

「危ないので、これ持っていて下さい」

「〈葛原精機の牝鹿像〉か?
 お前は大丈夫なのか?」

「はい。
 私には他にいくらでも身を守る術がありますから」

 夕陽の言葉を信じて守屋は髪留めを受け取り、胸ポケットにしまった。
 夕陽は左の髪もほどくと、その髪留めで髪を1つにまとめ直す。
 準備が整うと「では進みましょう」と小走りで施設内の廊下を進んでいく。

 既に2人の侵入は露見している。
 侵入者を排除するためにスーパービジョン構成員が攻撃を仕掛けてくるが、夕陽はそれらをことごとく返り討ちにする。

 まさしく敵なしの状態だった。
 〈ドール〉を使うまでもなく、数枚の名刺だけで一方的に蹂躙していく。

 しばらく進んでいくと、変電所の機械が置いてあっただろう部屋の前に到達する。
 重厚な扉が進路を塞いでいたが、夕陽が右手で触れるといとも簡単に道が切り開かれた。

 室内に足を踏み入れる。
 攻撃はなかった。
 変電設備が置かれていただろう場所には動物用ケージが並び、マウス類を始めとして、小型犬の姿もある。
 それらは衰弱しているのか、どれもじっと動かず静かにしていた。

「ここまで来たか」

 声が響く。
 夕陽は視線を上げた。
 広い室内の2階部分に張り出すように作られたバルコニーに、笹崎が姿を現していた。

 30代後半くらい。作業服の上に、薄汚れた白衣を身につけている。
 気難しそうな顔は相変わらずだが、山奥のこの研究施設に籠もっているのか、以前は綺麗に整えられていた髪は乱れ気味で、無精ヒゲも伸びていた。

「お久しぶりです笹崎さん。
 ところで、どうしていつも高いところから見下ろすようにしているんです?」

 夕陽が笑顔で尋ねると、笹崎は「安全のためだ」と口にした。

「そうですか? 何処に立っていようと危険だと思いますけど。
 わざわざ姿を見せてくれたということは何かご用です?
 もし特に用がないのでしたら、私の方から質問させて頂けますか?」

「用ならある」

 笹崎が答えると、夕陽は笑顔を見せた。

「ではそちらから伺いましょう」

 それを受けて笹崎は話し始めた。

「8年前、人体ツール化計画は失敗に終わった。
 ある実験体が暴走し、研究員も実験体も全て死に、研究所も燃えた」

「そのようですね」

「しかしその暴走した実験体が生きているとしたら?
 実験の失敗ではなく、成功していたとしたら?」

「だとしたらどうします?」

 夕陽は右手を突き出した。
 その指先から、黒衣の〈ドール〉が姿を現す。
 笹崎も知らない未知の〈ドール〉。彼はその姿を確かめると続けた。

「生きたまま回収したい。
 人類進化の可能性のため、研究に手を貸して欲しい」

「うーん。
 残念ですけど、今のところ笹崎さんの研究に協力するつもりはないです。
 一応その研究とやらについて1つ確認させて頂いても良いですか?」

「内容によるな」

 笹崎の言葉など気にすることもなく、夕陽は問いかけた。

「どうして子供で実験したんですか?
 恐らくですが、どこかから拉致して来た子供ですよね?
 人間を〈ツール〉にしたいなら大人でやれば良い話ではありませんか?」
 
 笹崎は大きく息を吐いた。
 それから夕陽の目を真っ直ぐに見て質問へと回答する。

「最初は大人でやった。
 だが上手くいかなかった。
 人間は〈ツール〉化すると死んでしまう。だから〈ドール〉も人間の〈ツール〉化には非協力的で、無理矢理に体内に押し込まないといけない」

「子供は違ったと?」

「そうだ。
〈ツール〉化を拒みはしたが、大人に対する反応よりは穏やかなものだった。
 だからまだ成長過程にある子供なら、死なずに〈ツール〉化される可能性があった」

「随分あやふやな理屈でかなりの無茶をしたように思います」

 夕陽が最もらしい意見を述べても、笹崎は態度を変えようとはしない。
 もう実験は8年前に実行され、失敗しても尚、こうして動物実験を続けている。
 笹崎にとって実験によって生じた犠牲など些細な物なのだ。

「投薬と手術によって〈ツール〉化を受け入れられる状態に近づけた。
 実験結果は知っての通りだ。
 失敗に思われたが、1人だけ成功例が出た」

 夕陽は笑顔を浮かべたまま、かぶりを振って見せた。

「残念ですけど実験は失敗ですよ。
 私は〈ツール〉にはなりませんでした。
 この子はあなたの実験によって産み出された存在ではありません。
 ――間接的には実験が起因しているとは言えますが、実験そのものは大失敗だったんです」

 突きつけられた言葉にも笹崎は動かされない。
 〈ドール〉を身体に宿した存在。
 淵沢夕陽が産み出された以上、何を言っても彼は実験を中断するつもりなど無かった。

「君がいれば何もかも解決する。
 物理法則の檻を抜け、人類は次の世代へと進化するんだ!」

 子供のように瞳を輝かせる笹崎。
 それは狂信的で、自分の考えが間違っているはずはないと盲信した様子だった。
 彼は一度描いた人類進化の夢を、どのような形にしても実現しようとしている。
 もう誰にも止められる状態ではない。

 夕陽は笹崎のそんな姿を見ると、深くため息をついた。
 話して分かるような相手ではない。
 もうすっかり笹崎の頭は壊れてしまっている。

「無理だと分かっていても実験を続けるつもりなら止めはしないですけど、私は一切協力しませんよ。
 それより私の要件がまだです。
 結局、私は何者なんですか?
 何処から拉致して来た、何という存在なんです?
 当時の記録が残っているのなら是非教えて頂きたいです」

 自分は何者なのか。
 根源的なその問いに、笹崎は一切回答しようとしなかった。

「何物でもない。
 サンプル07。これまでも、これからも、それが君だ」

「そうですか」

 冷淡に返す夕陽の顔からは、笑みが消えていた。
 光の無い無感情な瞳で笹崎の姿を見つめ、守屋へと下がっているように示すと、笹崎へと向けて言い放った。

「あなたみたいな愚かな人間が淘汰されない限り人類は進化しません。
 私が進化のために間引いて差し上げます」

 夕陽が右手を振るう。
 黒衣の〈ドール〉が宙を舞い、夕陽の右手へと吸い込まれていった。

 同時に笹崎も左手に赤土色の土偶を持った。右手にはリボルバー式の拳銃。
 翻した白衣の裏側には、猛獣の絵が刻まれた古代の金属剣。

 夕陽の腕から、無数の小さな手が生えていく。
 それは笹崎の放った銃弾を受け止め、発生した火球をも覆い尽くした。
 ――2人の戦いの火蓋が切られた。

 
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