第28話 小谷川あさひの発見②

文字数 5,368文字

 オリエント文明の石柱を発見したのは、あさひにとってとてつもなく大きな事件だった。
 彼女は石柱を家の中へと持ち込むと、ルーペをかざして刻まれた文字をつぶさに見る。

「石柱は本物。
 年代は? 切り口は緩いけど、土の中にあったとすれば劣化してるのは当然だし。
 表面を顕微鏡観察しないと特定は出来ないかも。初期王朝期? 前の可能性もあるかな」

 推論を口にしながら、自分のカバンから分厚い辞書を取り出す。
 楔形文字。その中でもシュメール文字とそこから派生したアッカド語象形文字に絞り込む。
 この辺りは同じ文字を複数の言語で使用しているから、まずは何の言語で書かれているのか特定しなければならない。

 初期のシュメール語では音節文字的な使われ方をするが、以降はセム語属に属する言語体系をとる。
 何も考えずに文字の意味だけを追っては、文脈の繋がらない単語の羅列になるだろう。

 あさひは石柱の文字をノートに書き写し、それぞれの意味を翻訳し、自然な訳となるように繋げていく。
 石柱には欠損があるが文節の意味を追って適切な補間を行う。
 この時代の出土品に関して言えば、文字の欠落が無い品のほうが珍しい。
 1字、2字欠けていたところで障害にはならない。

「農耕に関する記述、それから農作業の分担について。
 王の名は書いてない。あれば大体の年代と出土場所を特定できたのに……。
 後半は豊穣の神を讃える歌。全部訳そうと思ったら数ヶ月かかりそう。
 でも内容によっては学会発表物。教授にも見せないと」

 重要な部分だけをノートに注記しておいて、あさひは石柱の写真撮影を始める。
 正確に記録しておけば、石柱が不慮の事故で失われても記された文字の意味を追うことが出来る。

「よし。撮影は完了。
 いや、一応裏面も撮っておこう」

 あさひは石柱を横にして、接地面をカメラのレンズへ向ける。
 石柱を手で支えていたので写真がぶれてしまう。
 細やかな加工跡まで写真に残そうとすれば絞らなければいけない。
 そうなるとどうしてもシャッタースピードが遅くなりぶれやすくなる。
 
 あさひの使用するカメラは被写体を精確に写すのに特化している。
 暗いところでもぶれずにとれるとか、そう言った機能は二の次だ。

 仕方なくファインダーから目を離し、石柱をゆっくりと机に倒す。
 石柱からは2頭身の人形みたいな生物がにゅっと生えてきたが、あさひはそれを気にもとめずファインダーを覗き込んだ。
 しっかり撮るなら3脚を持ってくるべきだったと後悔しながらシャッターを切っていく。

 それからファインダーから目を離し、先ほど見た妙な生物について思案した。

「あれ?
 何か見えた? そんなわけ、ないよね」

 あさひが石柱を見ても変な生物の姿は無い。
 カメラを置いて、石柱を立てようと手を触れる。
 すると石柱から、先ほど見た人形のような何かが飛び出してきた。

 驚いて手を離すと消える。
 それであさひは大体の事情を察した。

「なるほど。
 寝不足続きでつかれてる。間違いない」

 メガネを外し、両目を強くこすってからかけ直す。
 そして意を決して石柱に手を触れた。

「わーお」

 見間違いでは無かった。
 石柱からは2頭身の何かが飛び出しその場で浮遊を続ける。
 あさひは石柱に触れたり手を離したりして、それが石柱に手を触れているときだけ見えるのを確かめる。

「なるほどね。
 触っているときだけ見える。ふむふむ」

 手を触れながらカメラを構えるが、ファインダーには映らない。
 電子ビューファインダーだからだ。光学ファインダーならきっと映っただろう。
 でもそれが写真に写るかどうかは微妙なところだ。
 一応あさひはシャッターを切ってみるが、案の定写真にその人形は映らなかった。

「写真には写らない。
 積層センサがまずい? CMOSやCCDだったら映る?」

 スマホのカメラで撮影するもそちらでも映らない。CMOSで映らないのだからCCDでも映らないだろう。
 センサの問題であるという線は消えた。
 フイルムには映る可能性は残るが、生憎記録用のフイルムカメラは大学の研究室に置いてきた。

「もしかして神様?
 でもいくら多神教とは言え、こんなご家庭サイズの石柱に宿る?」

 疑問点を挙げて、石柱に触れたまま現れた人形の姿を確かめる。
 2頭身ではあるが、人の特徴がある。頭があって胴体があって、両手両足がある。
 髪は金色で、8枚花弁の花飾りをつけ、頭の上に三角形の帽子を乗せている。
 目は閉じたままだが顔の半分くらいはありそう。口もつぐんだままでいまいち大きさが分からない。
 服装はクリーム色の巻衣。右の肩は露出して、左の肩から全身を覆うようにかけていた。
 服装や身体的特徴から女性らしさを感じた。

「いまいちよく分からない」

 ノートに軽くスケッチを残し、”寝ぼけてただけかも知れない注意”と注釈を残す。

「でも夢でないとしたらこの上ない大発見ね。
 神柱から出てきたから宗教的儀式と関連があるのは間違いない。
 神様自身。もしくは神様と人間の橋渡しをする存在かも。
 あなた、言葉は分かる?」

 問いかけるが、石柱から出てきた人形は何も返さない。
 ただふわふわとその場に浮き続けるだけだ。

「ボク、小谷川、あさひ。分かる?」

 ゆっくりと文節を切って話す。
 日本語で話しかけて通じるわけが無いとは分かっていても、何か反応があるのでは無いかと名を名乗り、自分の顔を指さして見せた。
 するとその仕草に人形が反応する。

 ゆっくりと首をかしげて見せたのだ。

「言葉じゃない。指先に反応してる?」

 あさひは部屋の隅に追いやっていた、祖父の残したガラクタ――もとい蒐集品の中から、ウルク青銅器時代後期にも存在したであろう、細長い壺を引っ張り出した。
 それを持って石柱に触れて、出てきた人形へと見せつける。

「これは壺。分かる?」

 あさひが壺を指さすと、人形は頷いて見せた。
 意思の疎通がとれたと喜ぶのもつかの間、人形は空中で一回転すると、勢いよく壺へと飛び込んだ。

「わっ!
 えっ!? どういうこと――」

 人形は壺に体当たりした。
 しかし壺は割れない。代わりに人形の姿が、壺に吸い込まれるようにして忽然と消えた。
 模造品の価値の薄い壺と見せかけて実際はとんでもない吸引力を秘めた壺だったのだろうか。
 あさひが目を白黒させていると、今度は壺の中から人形が姿を現し、元の石柱の上の定位置へと戻っていく。

「えっ? 何したの? 何か起こった?」

 あさひはゆっくり壺を置き、宙に浮く人形へと手を伸ばす。
 触ろうとしても触れない。
 宙に浮く人形は、空気のように感触を感じることも出来ず、あさひがどれだけ手を動かしても反応を返さない。

「でも確実に壺に対して反応した。
 ――普通の壺、だよね?」

 石柱から手を離し、壺を確認する。
 別になんてことない模造品の壺だ。
 レプリカの置物として1000円くらいならとれそうな、飾り気も無いシンプルな壺である。
 特に神の刻印がされたわけでも、中に神聖なる液体が満たされたわけでもない。

「普通の壺、なんだよね?」

 一応だからと自分に言い聞かせて、あさひは壺を持ってキッチンへ。
 祖父の家の水道はまだ止められていなかった。
 蛇口をひねり水を出すと、壺の中へと注ぎ込む。
 水の入る様子もなんてこと無い普通の壺――ではなかった。

「いっぱいにならない。底が抜けて――ないよね?」

 水を入れても入れても溢れてこない。
 不思議になってあさひは水を止めて壺の中を覗き込む。
 水は底の方にほんの僅かに入っているだけだった。

「まさかそんなはずが……」

 再び水を出す。勢いよく水は壺の中へと注ぎ込まれる。1滴たりともシンクに水滴は落ちない。
 だというのに壺の中には水はほとんど残っていない。
 僅かに底の方に水の輝きが見て取れるだけだ。

「うん? 水は一体何処へ?」

 あさひは何が起きているのか理解できなくなり、壺を傾ける。
 すると壺からは水が溢れ、あっという間にシンクいっぱいに水がたまった。
 慌てて壺を真っ直ぐにすると水は止まる。

「ちょっとどうなってるの!?
 本当に分からない。え、水は――」

 水が溢れたはずの壺は、覗き込むとやはりほとんど水が入っていない。
 シンクの水が排水溝へ吸い込まれるのを見届けて、あさひはゆっくりと壺を傾ける。
 すると壺からは水が流れ出て、ゆっくりとそのまま傾け続けていると途切れる。

「つまり……いくらでも水を入れられる壺?
 そんなはずないよ。物理法則に反してるもん」

 口にしながらも検証を怠らないあさひ。
 カバンに入っていた500ミリリットル入るタンブラーを取り出して、中に残っていたお茶をシンクへ流す。
 それからタンブラーを水でいっぱいに満たして、その中身を壺に注ぎ込んだ。

「これで500。
 4回繰り返して2リットル。
 壺の中身は――空に見える。でも実際は……」

 今度は逆に壺を傾け、中身をタンブラーへと移していく。
 いっぱいになると中身を捨て、それを4回繰り返したところで壺の中身は空になる。
 壺へと入れた容量と、壺から出てきた容量は一致する。
 インプットイコールアウトプットだから、物理法則的には正しい――

「訳あるか!
 おかしいでしょ! この壺、普通に水入れたら500も入らないから!
 それが2リットルどころかシンクがいっぱいになるほどの水が入るってどうなってるのさ!?」

 あさひは壺とタンブラーを持って居間へと駆け込む。
 石柱に触れると例の人形が姿を現した。
 あさひはそれへと壺を突きつけて指さしてみせる。

「ちょっとこれ! どういうこと!? 説明してよ!!」

 だが人形は首をかしげただけだった。
 再び壺へ入ろうとすることもなく、そのまま石柱の上にふわふわと浮かび続ける。

「さっきは壺に飛び込んだのに!
 じゃあこっちは!」

 今度はタンブラーを突き出して指さした。
 すると先ほどの壺の時と同様、人形は頷くと空中で回転してタンブラーへと飛び込む。
 吸い込まれた人形は僅かな時間をおいて外に飛び出す。
 あさひはタンブラーを持ってキッチンへ向かって、再び水を入れて確かめる。

「いくら入れても溢れない……。
 中身はほとんど空っぽ。でも傾けると……」

 タンブラーに注ぎ込んだ水が溢れるようにシンクへとこぼれだした。
 壺と一緒。
 あの人形が飛び込んだ容器は、いくらでも液体を保存できるようになる。

 あさひは再び居間へ駆け戻って、石柱へと触れてタンブラーを突き出す。
 案の定人形は首をかしげる。
 1度人形によって手を加えた容器には反応しない。
 容器以外にはどう反応するのか。別の不思議な特性を持たせることは出来るのか。
 疑問は次から次に沸いてくる。
 でも分かったこともある。

「つまりこの人形は、道具をより便利に変えてくれる存在な訳ね」

 神への賛歌を刻んだ石柱。
 そこから出てきた人形は、道具へと人知を超えた特性を与える。
 つまり人形は、神の力を借りて人間の生活をより便利にするための道具を作成する存在。

「――な訳あるか!」

 あさひは浮かびかけた推論を自ら否定する。

「道具が便利かどうか。物理法則に対して正しいか正しくないか。
 そんなのは現代人の感覚でしょ。
 当時を生きた人々が求めたのは便利な道具なんかじゃない」

 現象を目の当たりにして、大抵の人間なら一度あさひの出した結論に行き着いて終わってしまうだろう。
 だがあさひはまだ卒業していないとはいえ、考古学の最前線に身を置く学者の卵だった。

 神柱。そこから出てきた人をかたどった何か。
 それがただ便利な道具を作るためだけの存在なはずがない。
 生活が豊かになる。作業が楽になる道具が得られる。そんなのを喜ぶのはここ最近数百年くらいの人類だけだ。
 4000年以上前を生きた人類の価値観とは相容れない。

「当時の人が神を讃えた石柱と、そこから姿を現した存在に望むもの。
 それは神の言葉に他ならないはず。
 でもこの人形は喋らない。
 ただ差し出された道具に不思議な力を与えるだけ。
 ――どうして?
 決まってる。
 ボクはこの人形に信仰を示してない」

 当時のやり方で信仰と意志を伝えない限り、この不思議な存在はただの便利な道具を作る存在でしかない。
 そんな存在はあさひの求めるものではない。
 
 あさひはカバンから封筒を取り出す。中には18万円入っている。十分すぎる金額だ。

「神殿――までいかなくても祭壇を作らないと。
 神の言葉を聞く巫女は王の家系の娘だけど……多分大丈夫。
 当時の王族より良いもの食べてるし健康状態も大方問題ない。
 そうと決まれば、祭壇の材料を買ってこないと!」

 やることが決まればあさひの行動は早かった。
 当時のちょっとした祭壇くらいならホームセンターで材料は揃う。
 供え物は豊穣の神だから、藁束や麦、今年植え付ける苗などで十分だろう。鮮やかな花々があれば尚よろしい。

 石柱の本当の謎を突き止めるため、あさひは家を飛び出し、軽トラックで近くのホームセンターを目指した。

    ◇    ◇    ◇

ツール発見報告書
管理番号:KK00334
名称:小型大容量貯水タンク2号
発見者:小谷川あさひ
影響:B
保管:C
特性:容積以上に液体を貯蓄可能
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