第29話 小谷川あさひの発見③

文字数 6,815文字

「なあ。これと一緒に持ち込まれた品なんだが、他の奴に売ったりしてないよな?」

 田舎の骨董屋には似合わない、金髪オールバックの男。
 〈ツール〉の裏取引を行う組織。ブラックドワーフのリーダー宇戸田だった。
 彼はサングラスをかけた目で、並べられた段ボールを見ながら言う。

「値段つけて並べてあったのを売ったよ」

「ほう。
 買ったのは何処の誰だ?」

「悪いけど客の情報は教えられんね」

 店主は宇戸田と彼の引き連れてきたガラの悪そうな男達にも怯むことなく返した。
 宇戸田は笑う。

「そりゃあそうだ。
 そう簡単に客の情報を流されちゃあ俺たちだって困りもんだ。
 だが1つだけ確認させてくれ。
 そいつ、米原の紅探偵事務所の人間じゃないよな?」

 探偵事務所の名前を出されて、店主は思わず息をのんだ。
 その反応で宇戸田は理解した。

「そうかい。
 〈ピックアップ〉の手に渡ったら諦めるしかねえな。
 まあとにかくだ。この段ボール箱、全部買い取らせてもらう。1箱10万だったな。
 金を」

 宇戸田が部下に命じると、50万円。段ボール5箱分の金が店主へと差し出される。
 店主は札束の枚数を確認して、段ボール箱ごと持っていって良いと言った。

「しかしどうしてこんなガラクタを買う?
 詳しい鑑定はしてないが、どれも贋作と模造品。中には全く無価値な品もある。
 自分なら値札が貼られる前に言い値で買い取ったりしないね」

「詮索は無用だ。
 それより確認したい。これを持ち込んだのは何処のどいつだ?」

「売り手の情報も渡せないよ」

 店主の言葉に宇戸田はそりゃそうだと笑った。
 彼らは段ボール箱を乗ってきた車に積み込むとそのまま店を後にする。

 店主には彼らの意図が分からない。
 可能性としては無知な人間に高値で買い取らせる。つまり詐欺の線が濃厚だ。
 よく出来た贋作ならそれも可能だ。
 実際、あの品々は鑑定知識のない老人があらゆる方面から騙されて買い集めたコレクションだ。

 注意喚起が必要だろうかと、店主は近隣の古物商へと情報共有のため、売り払った贋作たちについてリストを作成し始めた。

    ◇    ◇    ◇

 小谷川あさひによる祭壇建設は、5時間ばかりで完了した。
 庭に土を盛り形を整え、頂上には神柱。その前に供え物として藁束、大麦、そして今年植える稲の苗を捧げる。
 方角を確認し、太陽が沈まないうちに儀式を開始する。

 あさひは麻布で作った巫女服に着替え、祭壇前に跪くと藁束を掲げ、神柱に刻まれた賛歌を呪文のように唱える。
 発音があっているか分からないが、何かしらそれっぽい音は出せているはずだ。

 太陽が西の空に沈もうとしていた。
 オレンジ色の光が神柱に差し、やがて神柱自身が輝き始める。
 深く頭を垂れていたあさひは神柱の異変に気がつかない。
 そのまま呪文を唱え続ける。

 神柱から発せられる光は次第に大きくなり、太陽よりも強く発光した。
 あさひもあまりに強い光に異変に気がつき顔を上げる。

 神柱が神々しく輝く。
 光は柱となり真上へと放たれた。その光が収束すると、神柱の真上へと、2頭身の例の存在が姿を現した。
 光に満ちたそれはふわふわと空中に浮かんだまま、これまでずっと閉じていた目を開く。

 顔の半分ほどもある大きな瞳は、キラキラと輝いていて吸い込まれそうになるほど綺麗だった。
 それが真っ直ぐあさひへ向けられる。

 光が収まる。
 それでもその存在は神柱の上に居続ける。
 それはじっとあさひを見下ろして、口を開いた。
 
 何かの言葉が紡がれた。
 だがあさひには意味が追い切れない。
 実際の言葉を聞くのはもちろん始めてだ。
 ゆっくり話して貰えなければ、とても聞き取れない。聞き取れたとしても、古代の言葉の読み方。その本当のところは分からない。

 あさひは辞書を広げ、ゆっくり話して貰うにはなんと言葉をかけたら良いのか調べる。
 だがそれを待たずそれは再び口を開いた。
 先ほどより大きな声で。そして先ほどよりも早口に。

「なんて?」

 思わず聞き返してしまった。
 それはあさひの言葉に頷く。
 そして、近くにある稲の苗を指さした。

『ナンテ?』

 言葉。あさひの言葉を真似て放たれたそれの意味は、しっかりと理解できた。
 あさひは呼吸を整え、ゆっくりと確かに言葉を紡ぐ。

「稲穂」

 返答にそれは再び頷く。
 そして捧げ物としておかれている大麦の穂を指さした。

『ナンテ?』

「大麦」

 それの要求は明確だった。返答にも困らず、それが求める回答を返す。

 『ナンテ?』

「藁束」

 あさひの言葉にそれは頷く。
 そしてそれは、真っ直ぐにあさひの姿を指さした。

『ナンテ?』

「――小谷川、あさひ」

 人形は深く頷く。

『コタニガワアサヒ』

 それが復唱したので、あさひは何度も頷いて正しいと示す。
 そしてそれは、自分の姿を指さした。

『ナンテ?』

 今度の質問にあさひは答えられない。
 その存在がなんなのか、あさひには分からない。
 人形のような姿。
 その姿は当時の人々が作った神を示す像と似ているようにも見える。
 だが確証は無い。

 神なのか、精霊なのか、はたまたそれ以外の何かか。
 人間と神との橋渡しかも知れない。そうではなく、人間を管理するための存在かも知れない。
 あさひには答えが出せない。
 ゆっくりと手を上げたあさひは、それを指さして逆に問う。

「なんて?」

 それは首をかしげた。
 そして再び自分を指さして問う。

『ナンテ?』

 なるほど。
 あさひは心の中で頷く。
 それは自分が何者なのか答えさせようとしているのではない。
 あさひに対して、名前をつけるようにと要求しているのだ。

 そうとなればふさわしい名前を与えなければならない。
 あさひは考えて名前の候補を口にする。

「エンリル――いいえ。農耕関係の神となれば――」

 再考の末、名前を導き出す。
 あさひは真っ直ぐそれを指さして、その名前を告げた。

「イナンナ。
 ――恐れ多いかな?」

 不安に思ったが、それはあさひのつけた名前に対して大きく頷いた。

『イナンナ』

 自分を指さして復唱する。
 それからあさひの元へと近寄ってゆっくりと数節、言葉を紡いだ。
 最初は”小谷川あさひ”の名前。その後に単語が3つ繋がる。

 あさひには意味が追えない。
 文字が分かっても本当の読み方は分からない。推察するしか無いのだ。
 音節の数は分かっている。そこから何を伝えたいのか推察してそれらしい言葉を当てはめていく。

「今イナンナが求めていること。
 捧げ物? じゃないかも。藁束も受け取ってないし。
 だとしたら言葉――そうか」

 言葉を要求している。
 そう考えると先ほどの言葉の意味も拾いやすい。
 用意していた紙粘土を板に張り付け、芦の筆で文字を刻む。

「汝の言葉を授けよ――
 どう? 読める?」

 その文字列を見せると、イナンナは読み上げる。
 先ほど口にしたのとは最後の単語の読み方が異なる。でも2つは一緒。
 それにイナンナは板を受け取るとあさひへと示し、大きく頷いている。

「分かった。言葉を教えれば良いんだね。
 ちょっと待ってて、直ぐ準備するから」

 あさひは神柱を持って祖父の家へと入り、ノートと筆記用具を準備して、イナンナへと文字を、言葉を、その読み方を教え始めた。
 イナンナは一度教えられた事柄を決して忘れること無く、あさひが与えた知識を全て吸収していく。
 勉強は深夜を過ぎても続いたが、徹夜続きのあさひはいつの間にか眠ってしまった。
 その間もイナンナは祖父の家に残された本を手にして言葉を学び取っていく。

 翌朝、あさひは部屋に差し込む太陽の光で目を覚ました。

「あれ? ああ、そうだった。おじいさんの家で寝て――。
 変な夢を見た気がする」

 本物の発掘品。古代の神柱。そこから姿を現した2頭身の不思議な存在、イナンナ。
 どれもこれも夢現のようで、ぼんやりした頭ではどうにもはっきりと思い出せない。
 そんな状態のあさひへと、少女のような声が投げられた。

『おはようございます。小谷川あさひ殿』
 
「おはようイナンナ」

 目をこすりながらイナンナへと挨拶する。
 彼女はいつもの神柱の上では無く、あさひの周りをふわふわと浮かびながら漂っていた。

「あれ、挨拶教えたかな」

『本にて読みました』

「なるほど」

 眠い目をこすり、徐々に頭が覚醒していくと、あさひはある事実に気がつく。

「ああ。夢じゃなかったのか」

 全部実際にあったことだ。
 神柱も、イナンナも。そしてイナンナは祖父の家にあった蔵書を読み込んだらしく、発音は気になるものの、日本語の意味を理解して間違いなくあさひと会話が出来ている。

「いろいろ聞きたいことあるけど、先にご飯食べて良い?
 昨日の朝から何も食べてなかった」

『ええ、どうぞどうぞ』

「イナンナは何か食べる? 大麦とか、羊とか」

 あさひが気になって尋ねると、イナンナはかぶりを振って、しかし好奇心で瞳を輝かせて言った。

『わたくしはものを食べませぬ。
 食べませぬが、一度ウナギといふものを見てみとうございます』

 あさひはその要求に目を細める。
 イナンナの要求を聞かなかったらどうなるのか。
 この頼みを断ったら、神の怒りに触れるのではないか。
 しかし朝からウナギは重い。店もやっていないし、スーパーで買うのも面倒だ。

「それ、絶対ウナギじゃないとだめ?」

『別に構いませぬ。
 ただ興味を惹かれただけです故』

「それなら良かった。
 直ぐ済ませるから」

 買い貯めておいた固形携帯食と水という、極めて簡素な食事を済ませて、ようやくあさひの頭も本調子になってきて、イナンナの存在と向き合う。
 今は彼女は神柱の上でふわふわと浮かびながら、あさひの渡したタブレット端末で『初学者のための考古学』の動画を眺めていた。

「ごめん、動画は後にして」

『分かりました。
 どうぞ何なりとお申し付けくださいまし』

 イナンナは恭しく一礼してあさひの言葉を待つ。
 その言葉。そして態度から、どうもイナンナはあさひに仕える立場のようだった。
 あさひはまずイナンナについて問う。

「まず、イナンナは何者なの? 神様?」

『いいえ。
 わたくしは神によって産み出された神の遣い。
 神と人間の言葉を聞き、伝える存在であります』

「神の遣いか。なるほど」

 あさひの予想は当たらずとも遠からずといった具合だった。
 神そのものではないが、神と人間の中間に立つもの。

「ってことは、神様の言葉を聞けるよね?」

『無論でございます』

 その回答にはあさひの心も躍った。
 古代の神の言葉を聞ける機会など、そうそう有りはしない。

「ちょっと聞かせて貰って良い?」

『無論でございます。
 して、神殿はどちらに?』

 ああそうなるかと、あさひは肩を落とした。

「神殿に行かないとダメだよね?」

『はい。
 神は神官殿によって外へと連れ出されない限りは、神殿におります故』

「そっか。
 その神殿って、土に埋まってたり、壊れていたりしたらダメかな?」

『埋まっていては言葉が届きませぬ。
 多少壊れていても、鎮壇具が正しく埋葬され、神殿の形態を保っているのなら聞けましょう』

「あーそっか。だと、難しいかも」

 発掘された神殿は正しい形など保っていない。
 考古学的調査がされれば、神殿建立の記録が残る鎮壇具は間違いなく外に出される。
 発掘されて尚、神殿の形を保ち、鎮壇具の残る神殿は存在しない。
 新たに発掘して形を整えない限り不可能だ。

『では神の言葉は聞けませぬ。力になれず申し訳のうございます』

「ううん。無理なら気にしないで。
 ――ところで、ボクはどうしてイナンナの姿が見えるの?
 神柱には触って無いけど」

 気になったことを尋ねると、イナンナは頷いて返した。

『小谷川あさひ殿は――』

「あさひで良いよ。殿もつけなくていい」

『あさひはわたくしと信仰の契約を交わした巫女でありましょう。
 契約によってわたくしの所有者となりましたあさひに、わたくしの姿が見えるのは当然のことであります』

「ふむふむ。
 つまり今までは神柱を直接手で触れたものを便宜的に所有者と見なしていたけど、これからボクは無条件で所有者と認められるようになったってことだね」

『そうなります。
 どうぞなんなりとお申し付けください』

 あさひは神柱の、そして神の遣いイナンナの所有者となった。
 いろいろ聞きたいこともある。
 イナンナの知識を使えば、古代文字の解読どころか、当時の発音も、文化や王の名前、祭典の詳細まで、次々に明らかに出来るだろう。

 だがあさひはイナンナからの見聞だけでは考古学に名前を残せないと理解している。
 歴史研究とは客観的事実を明確にすることが目的と思われがちだが、それは大いなる間違いだ。
 客観的事実は歴史を描く道具の1つに過ぎない。

 それを理解しているからこそ、イナンナから口伝で客観的事実を知ろうとはしない。
 歴史的事実よりも、神の遣いという存在そのものについて。何故産み出されたのか。どう人類と関わってきたのか。そちらを明らかにする方がずっと有意義である。

「じゃあ聞くけど、これって一体何?」

 あさひが示したのは、昨日イナンナによっていくらでも水が入るようになったタンブラーだった。

『壺のように見受けられた故、多くの水を運べるよう神の加護の一部を与えました。
 問題ありましたでしょうか?』

「問題はないよ。
 ええと。つまり、イナンナには言葉を伝える以外にも、物に加護を与える力があると」

『そのようになりましょう』

「それってどんな風にでも出来るの? 数に限りは?」

『どんな風にもとなりますと、なりませぬと答えるほか無いでしょう。
 わたくしは農耕を司る神の遣いであるため、農耕より大きく離れる加護を与えることは出来ませぬ。
 数の点では、信仰の過多によりましょう』

「加護を与えるのには信仰が必要なんだ。
 ――でも信仰はさっきボクが捧げたばかりだよね?」

『あさひの正式なる信仰を授かったのは確かに先ほどです。
 されど信仰は形あるものだけにありませぬ。
 人々が生活の中で捧げる信仰も、神とその遣いであるわたくしたちの力と成りましょう』

「なるほど。
 生活の中での祈りなんかでも信仰になるんだ。
 でもそうなると世界中でイナンナのような存在が確認されてもおかしくなさそう。
 特に現地で何か発見されても不思議は――。
 ――いやそうか。物にも神が宿る多神教だから、一神教とは相容れないんだ。
 その点、日本ではアニミズム信仰が根付いてるから……」

 あさひは1人、イナンナのような存在が余所の国で発見されなかったのか。
 現地発掘作業中に観測されなかったのかおおよその理由を見つけた。

 当時の宗教はあらゆるものへ神が宿るとした多神教。
 しかし自然崇拝、精霊信仰などといった宗教様式は、近年では珍しい物になっている。

 更には唯一神を掲げる一神教。偶像崇拝を禁止する宗教とは決して相容れない存在だ。
 そのような宗教が主流となるような場所では信仰は集まらない。

 信仰は物質へ加護を与えるのに必要だが、同時にイナンナの存在を維持するためにも必要なはずだ。
 イナンナの神柱が発掘された地域は一神教が根強い。そこで彼女の姿を見ることは叶わなかっただろう。

 それが日本に来ると事情が異なる。
 古くからの八百万の神信仰。あらゆる物に神々が宿るという信仰が今でも民間に広く残る土地である。
 偶然にもそれはイナンナの神柱が作られた当時の宗教観と、極めて相性が良かった。

 数千年の時を経て掘り出された神柱は、遠く日本の地に運ばれて、そこで再び信仰によって命を与えられたのだ。

「でもこんなもの世に出したら大問題になりそう。
 明らかに物理法則に反しているし、取り扱いには気をつけないと。
 この壺とタンブラー以外は加護を与えていないよね?」

 確認をとるように尋ねると、イナンナは首を横に振って否定を示した。

『いいえ。
 同じ倉にしまわれていた物に加護を与えています』

「えっ!?
 勝手に加護を与えたの!?」

『信仰が余っておりました故、神の存在を人々に知らしめるために加護を与えもうした。
 悪いことをしたかしらん?』

「悪い、とまでは言わないけどさ。とにかく今後はボクの許可為しに加護を与えるの禁止。
 売っちゃった骨董品回収しないと。
 全部は無理でも、加護を与えた物だけなら買い戻せるはず。
 加護があるかどうかは、見たら分かるよね?」

『わたくしの加護でしたら、近くにあれば認知出来ましょう。
 わたくし以外の神の遣いが与えた加護については認知出来かねますのでご理解くださいまし』

「了解。
 とりあえず今はイナンナの加護だけ分かれば良いよ」

 あさひは神柱とタンブラーをカバンに入れて家を飛び出すと、軽トラを運転して骨董品を売り払った古物商の元へ向かった。
 社会を変えてしまうような品物の流出は食い止めなければいけない。

  
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