第1話 本当のこと

文字数 6,617文字

 本当のことを知りたい。

 高校3年生となった淵沢夕陽(ふちさわゆうひ)を突き動かしたのはそんな感情だった。
 夕陽は嘘が嫌いだ。
 だと言うのに、自分の公的な記録はあまりに嘘まみれだ。

 名前、生年月日、本籍。全部嘘っぱち。
 そして夕陽が短い人生の中で得た最大の学びは、本当に知りたいことは誰も教えてくれない、と言うことだ。
 知りたければ自分で調べるしか無い。
 だから夕陽は探偵になろうと決意した。

 進学校だったこともあり就職する人間は少ない。
 それでも教師は、最大限彼女の希望通りになるように探偵事務所の求人を探してきた。
 夕陽はその内から1つを選び、就職面接に臨む。

 秋も深まった頃。
 真新しいスーツを着て、夕陽は2つ隣の町にある探偵事務所を目指した。
 ――『(しおり)探偵事務所』。
 バスの窓から見える、通りの向かい側にある古びたビルの2階の窓に、かちっとした書体でそう記されていた。

 バスを降りた夕陽を探偵事務所の人間が出迎える。
 
 長身で栗色の髪を肩まで伸ばした若い女性。くせっ毛気味の前髪は左目にうっすらとかかっている。
 そしてショルダーバッグをかけている――ように見えて、肩にかけているのはカバンでは無くブックカバーだった。革製で細やかな装飾がなされたそれに分厚い本が納められている。
 生真面目そうな雰囲気のある彼女は、若干垂れ気味の黒い瞳でメガネ越しに夕陽の姿を見て、一礼して挨拶する。

「初めまして。淵沢夕陽さんですね。
 お待ちしていました」

「はい! 淵沢夕陽です!
 本日はよろしくお願いしますね!」

 満面の笑み。明るい口調で夕陽はそう述べて頭を下げた。

「わたしは栞探偵事務所の飛鳥井(あすかい)です。
 こちらこそよろしくおねがいします」

 飛鳥井は就活生を受け入れるのが初めてとあって、夕陽の明るすぎる挨拶に面食らいながらも自己紹介を返す。
 それから「気になることがあれば何でも尋ねてください」と口にして、事務所まで先導する。
 歩きながら夕陽が尋ねた。

「今年はどれくらい入社希望者が居るのですか?」

「今のところ淵沢さん1人です」

「と言うことは私の信任試験と言うことですね」

「そうなりますね。
 ただ仕事柄誰でも雇えるわけではありませんから、こちらの基準に満たないのであれば入社0もあり得ます」

「はい。きっと厳しいでしょうと覚悟はして来ました。
 ですけど観察力には自信があります」

 飛鳥井は信号待ちのため足を止め、珍しいことを言うものだと夕陽の姿を見やる。

 背は平均よりやや低め。
 黒い髪を学生らしく両側で縛ってお下げにしている。
 両の目は鳶色。
 その大きな瞳はキラキラと輝いていて、好奇心旺盛な印象を受けた。

「観察力とはどういうものでしょうか。
 是非、ここまで気がついたことが何かあれば教えて頂きたいです」

 試すような飛鳥井の質問。
 夕陽は横断歩道を渡りながら「では飛鳥井さんについて」と前置きして、その大きな瞳に飛鳥井の姿を映す。

「変わった趣味をお持ちのようです。
 普通そのような立派なブックカバーは使いませんし、就活生の出迎えに持ち出す必要のあるものとは思えません」

「おっしゃるとおり。
 でもそれは観察力が優れているとは言いがたいわ。
 わたしのブックカバーがおかしいのは、誰の目にも明らかですもの」

 飛鳥井の指摘に対しても夕陽は朗らかに笑って返す。

「ええ。確かにそうです。
 では『誰の目にも』という言葉が出たので、目について考えてみましょう。

 普通メガネは視力を補う道具ですが。ファッションのためにつけることもあります。
 伊達メガネというものですね。
 目のお洒落と言えばカラーコンタクトなんてものも有ります。

 両方身につけている飛鳥井さんは、目元のお洒落にこだわりがあるように見受けられます。
 なのにどうして、左目に髪をかけているのでしょう?
 それも完全に隠すわけではなく、うっすらとです。

 もし伊達メガネとカラーコンタクトが目に関する何かを隠すためだとしたら?
 髪をかけているのは何かを隠すため。でも何かを隠していることも知られたくないので完全には隠さない。
 ……と、私は考えましたが、どうですか?」

 夕陽の推理が披露される間に、2人は栞探偵事務所の入るビルまでたどり着いていた。
 1階は駐車スペースになっていて白のプリウスが1台停まっている。
 そこを通り抜けて入り口の前で立ち止まった飛鳥井は振り向く。
 その表情には渋い笑みが貼り付けられていた。

「見事なものだわ。
 左目が斜視気味なの」

「あら。もしかして失礼なことを尋ねてしまいましたか?」

「良いのよ。わたしが言い出したことですもの」

 飛鳥井は取り繕って扉を開ける。
 扉の先は直ぐに階段で、狭い通路を1列になって上がった。

「面接は所長の守屋(もりや)が行います。
 こちらが事務室です」

 飛鳥井が事務所の扉を開ける。
 夕陽は中へ入ると大きな瞳を見開いて、事務所内の気になる物を観察していく。
 
 入り口から右側に事務用机が3つ。
 その内の1つに調味料入れが置かれている。赤と青の蓋をした調味料入れにはそれぞれ”醤油”と”ソース”と書かれたシールが貼ってある。

 事務室の左側には長机が置かれていて、簡素な丸椅子が3つ用意されている。
 布巾や給湯器が置いてあるから、こちらは食事スペースになるのだろう。

 食事スペースの奥には扉があって、“倉庫”と表記されている。
 反対側。右側奥の扉には”打ち合わせ室”と表記。

「所員さんは3人ですか?」

「ええ、わたしと所長と、あと1人。仁木(にき)という男性所員が居ます。
 本日は朝から調査のため出かけています」

「調査はよくありますか?」

「最近は外に出ることが多いです。
 仕事柄、外での仕事は避けられないと思った方が良いでしょうね」

「それは良いですね!
 私、いろいろなものを見て回るの大好きです」

「ええ。そのようですね」

 飛鳥井は他に無ければこちらへと、打ち合わせ室の方向へと招く。
 夕陽は「1つ良いですか?」と右手の指を立てて見せた。

「どうぞおっしゃってください」

 飛鳥井の反応を見て、夕陽は控えめな笑みを浮かべて尋ねる。

「所長の守屋さんはどのような方ですか?」

 その問いに飛鳥井は顔をしかめて、されど所長を悪く言わないようにと思考を巡らせて回答した。

「足を使って調査すると言うより、理論詰めで物事を解決するタイプの人間です。
 性格も淵沢さんとは正反対になると思います」

「なるほど。ありがとうございます!
 なんとなくですが、所長さんのことが分かりました」

「ええ。役に立てたなら何よりです。
 緊張は――してなさそうですね。では面接、頑張ってきてください」

「はい。
 頑張ってきます!
 飛鳥井さん。いろいろありがとうございました」

 夕陽は礼を述べて、飛鳥井に示された打ち合わせ室の扉をノックする。
 返事を待って入室。後ろ手に扉を閉める。

 打ち合わせ室はあまり広くない。
 部屋の真ん中に深い茶色をした木製の大きな机が置かれていて、向かい合うようにソファー席が2つ。
 奥側のソファーに座っていた仏頂面の男――所長の守屋へと、夕陽は一礼して挨拶した。

「淵沢夕陽です。
 面接よろしくお願いします」

 挨拶を受けて、守屋はゆっくり立ち上がり軽く頭を下げる。
 夕陽は大きな鳶色の瞳に守屋の姿を映した。

 左手の薬指には指輪。
 年齢は20代後半か30代前半程度。男性としては平均より若干高めの身長。
 黒髪のボサボサ頭で、やる気のなさそうな覇気の感じない目をしている。
 スーツは着慣れていない印象。とかく服装にはあまりこだわりのない人物のように映った。

「栞探偵事務所、所長の守屋(もりや)だ。
 座ってくれ」

 守屋は向かい側のソファー席を示した。
 夕陽は「失礼します」とそこへ腰を下ろして守屋と向かい合う。
 
 守屋は手元に用意した書類と夕陽の顔を見比べてた。
 ニコニコと笑みを絶やさない夕陽に対して口元を引きつらせながらも彼は問いかける。

「どうして探偵事務所に就職しようと考えたのか教えて貰えるだろうか。
 世の中に仕事はたくさんある。
 最終学歴が高校であろうと選択肢はいくらでもある。
 その中から、探偵という特殊な仕事を選ぼうとしている理由を知りたい」

「はい。
 私は本当のことを――自分自身が何者なのか知りたいと考えています。
 そのために調査の専門技能を身につけたいと思い、探偵事務所を選ばせて頂きました。

 もちろん、これまで観察力や調査能力を自分なりに磨いてきたつもりです。
 それはきっと御社の業務の役に立つはずです」

「役に立つのならば大変結構なことだろうと思う。
 それで質問の回答についてだが、”自分自身が何者か”知りたい?
 それはどう言った意味で?」

「言葉通りの意味です。
 履歴書は見て頂けたでしょうか?
 私は児童養護施設の出身です」

「そのようだな」

 守屋が相づちを打つと夕陽は続ける。

「およそ10歳の頃です。
 私は○○市淵沢町の川辺に浮いているのを発見されました。
 私にはそれ以前の記憶がありません。
 なので行政によって名前や生年月日が決められて児童養護施設に預けられました」

「その過去が知りたいと。
 だがそれは探偵になったとして突き止められるものか?」

「はい。
 求人情報を拝見させて頂きましたが、御社の調査範囲には淵沢町も含まれているとのことでした。
 この地域に根ざした御社で探偵として働くことは、私が何者なのか突き止めるのに大いに意味があると考えています」

 夕陽の回答に守屋は軽く相づちを打って、それからは高校生活についてや将来のビジョンについてなど尋ねる。
 守屋は質問の度に夕陽が底抜けに明るく元気に返すのに辟易として、質問を切り上げると後ろの棚に置いてあった道具を机の上に持ってきた。

「他の探偵事務所がどうなのかは分からないが、少なくともこの事務所では物事の変化に対する観察力が要求される。
 それを試させて貰おう」

「はい。観察力には自信があります」

 夕陽が満面の笑みを浮かべると、守屋は3つのカップと小さなスポンジのボールを目の前へと並べた。

「注意してボールの行く先を観察してくれ」

「はい。分かりました」

 守屋はボールにカップをかぶせる。
 ボールの入ったカップが1つ。入っていないカップが2つ。
 慣れた手つきでそれがシャッフルされる。
 夕陽はボールの入ったカップを目で追うのではなく、全体を俯瞰して見続けていた。
 シャッフルが終わると、守屋はカップから手を離して問う。

「さあ、ボールは何処にある?」

 問いかけに、夕陽は申し訳なさそうに微笑んでから答えた。

「ごめんなさい。
 先に言っておくべきでした。私、この手品のタネを知っています。
 そして守屋さんがボールをすり替えた瞬間も見えていました。

 ですから最初にボールを入れたカップという問いでは右になりますが、今ボールがある場所は、という問いに対しては真ん中になります」

「そうだな。その通りだ」

 守屋は真ん中のカップを手前に倒した。そこにはスポンジのボールが確かにある。
 残りの2つを倒すがそちらは空っぽだった。

「一応もう1問用意してある」

「是非挑戦させて頂きたいです」

 夕陽がキラキラとした目で残った道具を見ると、守屋はそれを手にした。
 筒状の缶の蓋を開けて、その中から指先で何かを摘まんで拾い上げる。
 拾い上げられたのは青色の模様があるビー玉で、それは夕陽の目の前に突き出された。

「このビー玉の模様をよく覚えて欲しい」

「はい。手に取ってもよろしいですか?」

「いいや、見るだけだ。目は悪くないな?」

「はい、良い方です。
 もう覚えました」

 夕陽はビー玉を大して見ることも無くそう言った。
 守屋はもう良いのか? と確認をとるが、夕陽が頷くので構わずビー玉を缶の中へと落とす。
 そしてガラス製の器を用意すると、缶の中身をそこへとぶちまけた。
 無数の色とりどりのビー玉が、ジャラジャラと音を立てていっぱいに広がる。
 守屋は器を軽く揺すってビー玉を混ぜると問いかけた。

「先ほど見せたビー玉を見つけて欲しい」

「はい。それです」

 夕陽は迷うこと無く右手を突き出して器の中身を指さした。

「今度は触って良い。1つだけ選び取ってくれ」

 夕陽は守屋の反応を見てにっこりと微笑むと、手を伸ばしてビー玉を1つだけ拾い上げた。
 
「そうですよね。
 はい。これです」

 緑色の模様のあるビー玉が夕陽の手に拾い上げられる。
 守屋は口元を歪めながら困惑したように問う。

「色が違わないか?」

「違いますね。驚きです」

 夕陽はそう言うと躊躇無くビー玉を机の上に落とした。
 机に落ちたビー玉は、衝撃を受けて跳ね返った瞬間に色が暗い茶色に変化する。

「ぶつかると色が変わるんですね。
 どういう仕組みなのでしょう?」

「仕組みまでは知らなくて良い。
 とにかく、観察力があるのは分かった」

 守屋はビー玉を夕陽の手から回収し、ガラスの器に広げられたものと合わせて缶にしまうと立ち上がった。

「面接はこれまでだ。結果は追って高校へと連絡させて貰う」

「はい。お忙しいところお時間頂きましてありがとうございました」

 夕陽はお辞儀して礼を述べると、守屋の返答を受けて退室した。
 事務机で書類仕事をしていた飛鳥井が出迎え、微笑む。

「お疲れ様です。
 面接はどうでしたか?」

「変わったビー玉を見せて頂けて楽しかったです」

「あれに気がついたの?」

 きょとんとして尋ねる飛鳥井に、夕陽は笑顔いっぱいにして大きく頷く。

「はい。とてもびっくりしました。
 危うく面接中なのに声を上げてしまうところでした」

「よく堪えましたね。
 ではバス停までお送りします。
 結果は1週間以内に連絡できると思います」

「はい。良い結果だと嬉しいです」

「そうね。わたしもそう思うわ」

 飛鳥井に送られて、夕陽はバスに乗った。
 そのバスが行ってしまうまで飛鳥井は待って、事務所へと戻る。

 事務室には守屋。
 仏頂面のまま自分の席に座り、夕陽の履歴書を穴が開くほどに睨み付けている。
 そんな彼を見て飛鳥井がため息をつくと、背後で事務室の扉が開く。

「就活生は!?」

 駆け込んできた大柄な男が声を上げる。
 茶色に染めた短髪で、目はほっそりとしている。
 彼の大柄な身体は筋肉質でよく鍛え上げられていた。

 栞探偵事務所の所員。仁木だ。
 彼は飛鳥井がかぶりを振ったのを見て嘆く。

「生の女子高生に会えるチャンスが!!」

「会えなくて正解です」

「でも採用するんだろ?」

 仁木は飛鳥井の横を通り過ぎると、守屋の元へ向かい尋ねる。
 されど守屋はそれに肯定的な返答をせず、回答を濁した。

「しないの?
 いまいちな手品はともかく、ツールを見破ったのでしょう?
 あの子の観察力は本物よ」

「手品はいまいちじゃない」

「だとしたら尚更でしょ」

 飛鳥井はぴしゃりと言いつける。
 それでも守屋の表情はぱっとせず、夕陽の採用に関して肯定しようとしない。

「何が不満だったんだ?
 若すぎるから?」

 仁木が問いかけても守屋は答えない。
 それに飛鳥井が畳みかける。

「人手が足りないのは分かってますよね?
 ここ1年半ずっと手一杯で、雑用でも人が欲しい状態よ。
 オーナーからも人をとるように指示を受けてますよね?」

 事実を突きつけられても守屋は頑なに結論を出そうとしなかった。

「不満があるならその理由を示して。
 明確な理由があるのなら無理に採用しろとは言いません」

 そこまで言われても守屋は回答を拒んでいたが、ついに痺れを切らした飛鳥井が事務机をドンと叩くと口を割った。

「……性格に問題がある。
 不必要な程に陽気すぎる。声も大きいし、秘密を守れる人間かどうか不透明だ」

「なるほど。一理あるわね」

 飛鳥井は一度理解を示しながらも、されどそれは全くもって問題が無いことだと付け加える。

「でも何を考えてるか分からないむっつり顔の、ろくに意思表示しない根暗よりずっとマシだわ」

 その言葉が自分を指し示していると守屋は理解しているが、怒ったりしない。
 飛鳥井の言葉通り、感情を表に出さない表情を浮かべたまま、手にしていた夕陽の履歴書を机の上へと放り出した。

「採用すれば良いんだろ。
 お前が教育係だ。
 責任はとらないからな」

「それで結構。
 さあ仕事がたまってるわ」

 飛鳥井は言うが早いか夕陽の履歴書をかっさらって自席へ戻り、採用通知の作成を始めた。
 
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