第10話 国際展示場②
文字数 10,144文字
「インディ・ジョーンズか?」
「どちらかというとシャーロック・ホームズのこてこてのコスプレに見える」
守屋と飛鳥井は、集合場所にやって来た夕陽の姿を見てそれぞれ所感を述べる。
ワンピースにライトベージュのケープを羽織り、頭にはハンチング帽。
丸眼鏡をかけて、髪型はいつも通りのおさげにされていた。
「考古学サークルに入ったばかりの大学1年生をイメージしてみました」
「恐らく、お前のイメージは現実と乖離している。
そんな大学生はいない」
守屋は断定的に告げ、それから手を差し出した。
「領収書出せ」
「あら、良いんですか?
まさかこの衣装まで出るとは、ギリギリを攻めた甲斐がありましたね!」
ギリギリを攻めるなと守屋は苦言を呈するが、夕陽が肩に提げていたトートバッグから経費精算の書類を取り出すと受け取った。
遅れて仁木もやってくる。
ラフな作業着のような格好。カウボーイ帽をかぶり、やはり丸眼鏡をかけている。
「お前たちの認識は間違っているからな。
飛鳥井を見習え。日曜日だぞ。普通に私服で来れば良いんだ」
守屋の言うとおり飛鳥井は私服姿だった。
周囲に溶け込めるように色使いを穏やかにして、どちらかというと地味な印象。
だが目立ちたくないのだからその服装は正解だった。
守屋の方は相変わらずスーツ姿ではあるが、喫茶店に籠もるには私服よりもこちらの方が都合が良い。
しかし周囲を見渡すと日曜日だけあって一般客の数が多い。
彼らは思い思いの格好をしていて、髪を派手に染め上げている人も居れば、明らかに普通では無い服装をしている人も居る。
ゴシックロリータだったり、大きなぬいぐるみを服に縫い付けていたり、ルネサンス期の欧州の服装だったり、実に様々だ。
それを見て守屋はハンドメイド展が同時開催されていることを思い出す。
扱う分野は広く、アクセサリーやぬいぐるみから、本格的な衣装まで展示されている。
そちらが目的で来る人間にとっては、普通の店では売られていないような服装こそが正しい服装なのだろう。
そう考えてみれば夕陽の服装など可愛い物だ。
多少浮いては見えるだろうが、大学に1人や2人居ても「そういう奴も居るだろ」くらいで流される範疇に収まっている。
「ともかく、最終日だ。
業者探しには細心の注意を払え。
調査報告書は明日以降で良いが、書く内容は考えておくように」
それだけ事務的に指示して、守屋は1人喫茶店へと向かった。
各員も本日の持ち回りを確認し、展示会場に入っていく。
◇ ◇ ◇
午前中の調査が終わり、昼食を済ませ、午後一の再調査も完了。
結局今日も3人の調査では闇業者は見つからなかった。
〈管理局〉側にも発見の報告はない。〈ツール〉回収の報告は僅かに上がっていたが、大したものはなさそうな様子であった。
前日の約束通り、夕陽と仁木は揃ってブースの見回りを始める。
まずは骨董市の開催されているエリアへ。
日曜日だけあって人の数は多い。
ブースの方も、最終日を見越して売り物をストックしていたのだろう。まだまだ売りに出される骨董品がそれぞれのブースに展示されている。
「今日はよろしくお願いします、先生」
仁木が冗談めいて言うと、夕陽は笑って返す。
「ダメですよ。
大学生とOBという設定です。
もっとOBらしく振る舞ってください」
「なるほど。
じゃあユウヒちゃん、まずはどの辺りを見に行くんだ?」
仁木が態度を変えると、夕陽もそれに合わせて朗らかな口調で告げる。
「まずは発掘品のエリアから行きましょう。
ちょっと確認したいことがあります」
「はっはっは。
ユウヒちゃんは本当に発掘品が好きだなあ!」
妙なテンションになる仁木へと、夕陽は「そういうキャラで行くんですね! 分かりました!」と順応して見せて、2人揃って発掘品の販売ブースの並ぶ通りを歩く。
夕陽は動物の像を軽く調べて行くが、生憎彼女の求める物はそこになかった。
結局発掘品のブースを通り抜け2人は別のブースを見て回る。
そして夕陽が、質流れ品を販売するブースの前で立ち止まった。
「あら。何でしょう」
「どうした?」
何かに引っ張られるようにして、夕陽はブースへと吸い込まれていく。
そして店主が居座る机の前まで進むと、1つの品物に視線を向けた。
柱だ。
6角形をした石柱で、大きさとしては幅15センチ、高さ25センチほど。
ひび割れや削れた部分もあるが、表面には何やら記号のような物が並んでいる。
「これ、見せて貰っても良いですか?」
腕を組み眠たげにしていた店主だが、声をかけられると頷き、夕陽側にある台の上へとその石柱を置いた。
台には『品物に手を触れないでください』と注記されている。
夕陽は顔だけ近づけてその石柱を調べる。
「豊穣……流れ? 川かな……季節……種子?」
「読めるのか?」
夕陽が石柱の文字を見て呟いたのに対して仁木が尋ねる。
夕陽はかぶりを振った。
「いくつか解読できる文字はありますけど、無理ですね。
辞書が無いととても。あったとしても読めるかどうか分かりませんけど」
解読を諦めた夕陽は、ルーペを取り出して石柱に刻まれた文字の様子を確かめていく。
「これ、シュメール時代の神柱ですね。神を讃える歌を刻んだ宗教的遺物です。
もし本物であれば博物館に収められるべき代物ですよ」
「本物だったら、な。
生憎違うよ」
店主の老人が低い声で言う。
ルーペを覗いていた夕陽も頷いた。
「そうですね。楔形文字の切削面を見ると明らかです。19世紀――いえ、20世紀に入ってから作られた物でしょうか」
「そのようだね」
老人が答える。
仁木は驚いたような表情を浮かべた。
「見ただけでそんなことまで分かるのか?」
「前提知識があればそれなりに見れますよ。
そもそもシュメールが属するオリエント文明が近代文明によって”再発見”されたのは18世紀の終わり。ナポレオンのエジプト遠征がきっかけです。
発掘が行われたのは19世紀に入ってから。
ただこの時期の発掘は、どちらかというと列強による博物館の展示品集めに近い側面がありました。
考古学的な発掘が本格的に行われるのは20世紀に入ってからです。
この神柱の価値区分を考えると、模造品が作られたのは20世紀以降だと、なんとなく推察できるわけです」
「へえ。何事にも理由はつくもんだ」
仁木は感心したようにして、それから夕陽からルーペを借りて神柱を見る。
確かに切削面の劣化具合が、太古の昔に作られたようには見えない。それに分かってから見ると、石柱のひび割れや削り取れた部分なども、人為的に加工されているとしか見えなかった。
「ちなみにお値段は?」夕陽が問う。
「100万」
老人の回答に夕陽も「わーお」と驚いた。
かなり新しい模造品にも関わらず100万。石を削っただけなのにだ。
「価格の根拠をうかがっても?」
「作られたのは20世紀初頭。第1次世界大戦収束後だ。
この時期に作られた石柱と言うだけでそれなりの価値はある。
それに刻まれた文字もおおよそ正しく解読できるようになっている。
ただそれらしく加工したのではない。実物を元に丁寧に作られた贋作だ」
「なるほど。実物の精巧なコピーなので価値を持つと。
ところで気になったんですけど、これのオリジナルは何処にありますか?
日本のオリエント博物館にはありませんでした。神柱についての資料を調べたことがありますが、このような文言の物はなかったと記憶しています」
「それが分からない。
これのオリジナルは何処にも存在していない。
だからこそこいつには、今となっては本物に迫る価値があるわけだ」
「オリジナルが存在しない?
コピーしたと言うことは発見はされていた。でも報告はされず、贋作だけが作られた。
なるほど。100万は安く感じてきました」
「そう感じて貰えたら何よりだ。
しかしお嬢さん、詳しいね」
「はい。博物館巡りが趣味で、考古学に興味があるので」
夕陽がそう笑っていると、老人は黄色い歯を見せて笑った。
「ああ。そういう格好をしているよ。
で、買うかい?」
夕陽は目を細めて真剣に考える。
100万円だ。経費で落とすとなれば相応の理由が求められる。
しかしこの神柱はその理由を持ち合わせていない。
〈ツール〉ではないのだ。
だが〈ツール〉であったとしてもそれは問題だ。
〈ツール〉として買えば、所有は栞探偵事務所になる。更に〈ストレージ〉に引き渡されて、手の届かないところへと行ってしまう。
この神柱はどちらかというと個人所有したい代物であった。
「ねえ仁木さん。
100万円キャッシュで持ってたりします? 返す気はないです」
「持ってないし返されないなら遠慮しておきたい」
「ですよね。
経費で落とせる物でもなさそうです」
〈ツール〉ではないことを仁木へも伝える。
そうで無いならば買えないと、仁木は顔をしかめて示した。
「ごめんなさい。ちょっとこれ、手が出ないです。
ちなみに何処で手に入れたか教えて頂けます?」
「岐阜県にコレクターがいてな。
そいつが孫娘の大学進学のために金が入り用だからとかで質入れした。
まあ、俺にとっちゃ古くからの知り合いだ」
「へえ、紹介して頂いても?」
「いや。先月亡くなったよ」
「あらごめんなさい。そういうことでしたか」
古くからの知り合いが質入れした物が、こうして売りに出されている。
どんな事情があったのか考えるべきだったと夕陽はちょっとばかり反省して、それから自分の名刺を渡した。
所属と住所は偽装されているが、電話番号は本物だ。
「これ名刺です。
もし同じようなものが手に入ったら連絡頂きたいです。その時は是非買わせて貰いますから」
「ま、構わんがね。
世の中にこんな物を欲しがるのはあのジジイだけだと思っていたが、そうでも無いらしい」
老人は名刺を受け取ると、レジにしていた金庫へとしまい込んだ。
夕陽は「よろしくお願いしますね」と微笑んで、礼を言ってからブースを立ち去った。
2人はまた通路を歩きながらブースを見ていく。
仁木は夕陽へと尋ねる。
「さっきの石、そんなに欲しかったのか?」
「はい。個人的にですが、興味がありました」
「でもツ――例のものではないんだよな」
「違いましたね。
だからこそ気になったというか、手に入れたかったんですけど、100万円は直ぐには出せなかったです」
「そうだよなあ。
例のものだったとしても、100万は高すぎる」
仁木がなんとなく呟いた言葉に、夕陽はにやりと笑って尋ねた。
「相場をご存じで?」
「ああ、そうだな。
ブラックドワーフのやりとりを知ってるから」
ブラックドワーフ。
本来秘匿されているはずの〈ツール〉を取り扱う組織の1つだ。
どちらかというと小型中型の〈ツール〉を対象に、売買して利益を上げることを目的とした組織である。
夕陽は更に尋ねた。
「ブラックドワーフさんって、例えばどんな物を扱っているんですか?
あの横断旗入れとか、カエルの置物みたいな物を売っているんですか?」
「いいや、もっと使いやすい物だよ。
――そういえば妙だったな。
こっちで発見するのは妙に使いづらかったり、効果がいまいちな物が多かったけど、あそこが扱ってたのは便利というか、使いやすいというか、形と特性が上手くかみ合ってたんだよな」
「へえ。例えば?」
「パンがふっくら仕上がるオーブントレイとか、水をあげなくて良い植木鉢とか、勝手に綺麗になるスプーンとか、ひんやりしてるクーラーボックスとか」
「便利ですね。
それってどこから調達されてたんですか?」
「さあ。そこまでは分からん。
ま、たまに〈シュレディンガーの調味料入れ〉みたいなお遊びグッズも扱ったりしてたけどな」
「あれ買ったものだったんですか?」
問いに対して、仁木は大げさに手を振って否定する。
「いやいやいや。
買ってないよ。ただバカな所属員がヘマして捕まったときに持ってたってだけさ」
「なるほど。
それを個人所有してたと。
あ、あそこのブース、怪しいです」
唐突に、夕陽は立ち止まってブースを指さした。
裏口側に面した大通り沿い。4小間を使っていて、商談スペースとバックヤードを備えている。
扱っている品物はカメラや時計など、精密機器ばかりだった。
「ええと、ちなみにどの辺が怪しいんだ?」
「店番している人の態度とか、カメラの陳列の仕方とか、精密機器なのに風の吹き込む出口近くに構えて居るとか、細かいところでいくつか。
ちょっと調べてみませんか?」
「おう、そうしよう。
どうする? 正面から行くか?」
「私はそうします。
仁木さん、バックヤードこっそり覗けませんか? どうにも何か隠しているような気がします」
念のため事前に資料を確認。
会社名も出店記録も問題ない。それなりの歴史がある古物商で、扱う品物にも嘘偽りは無い。
事前チェックでは問題ないと判断された企業だ。
仁木が裏手へと回っていくのを見届けて、夕陽は正面から手の空いていた店員へと声をかける。
「このカメラ、触らせて貰っても良いですか?」
「ええ良いですよ」
夕陽は雑多に並べられていたフイルムカメラの中から、中盤フイルムを使う、大きなカメラを手に取った。
一眼でも二眼でもない。それどころかファインダーがついていない。
レンズの交換は出来ず、ピント合わせも目測合わせだ。露出計なんて便利機能も当然の如く非搭載。
それでも外観はハッセルブラッドめいた堅牢な造りで、ただの安物では無い雰囲気を漂わせている。
シャッターを巻き上げて試しに1枚切ってみるが、シャッター音異常なし。
バルブ設定にして再度シャッターを切る。正面からレンズを覗いて、カビが無いことと、絞り機構の正常動作を確認。
「ちゃんと動きますね。
外付けのファインダーがついていないのが残念ですけど、これ、こんな場所に置いて良いんですか?
そこのローライフレックスD型みたいに、ケースに入れて展示すべき代物では?」
「いや、目測ピントだし、機構も大したもの無いから」
「そうですか。確かに、おっしゃる通りかも知れません」
夕陽はレンズに刻まれた”Biogon”の文字を見て微笑む。
ドイツの名門光学会社カールツァイスが作り出した究極の超広角レンズ、ビオゴン。
このレンズを使うためだけに開発されたカメラがこのSWCだ。
レンズが本体なのでカメラ機構については妥協が尽くされている。
されど完動品ともあれば、こんな場所に雑多に並べて良い代物ではない。
ケースに入れられたローライフレックスD型プラナー3.5よりもずっと価値があるものだ。
「一応、値段確認して貰って良いですか?」
「構いませんよ」
店員はストラップ通しにかけられていた管理番号を読み取った。
そして出てきた値段に驚愕したのか、預かったSWCをケースのある棚の方へ置き直す。
「ごめんなさい。
あれ、37万円でした。お買い求めになりますか?」
「いいえ。ちょっとこんな場所に置かれていたのが気になっただけです。
他のカメラ、見せて頂いて良いですか?
あ、これなんか可愛いですね!」
夕陽は笑顔を見せながら、ジャンク品のコーナーに並んでいたカメラを右手の人差し指で指し示す。
「カメの形をしたカメラですか。ダジャレですね。
甲羅じゃ無くてお腹側にレンズがあるなんてびっくりです。レンズカビてますし、凄い使いづらそう。機械の設計として完全に間違っている感が押し寄せてきます!」
「あっはっは。そうでしょう。
面白いんですよ」
「ジャンク品は一律500円なんですね。
このカメラ、頂きます。領収書はいらないです」
支払いを済ませてジャンク品のカメ型カメラをトートバッグにしまう。
それから夕陽はその店員へと尋ねた。
「バルナックあります?」
「え? ちょっと分からないですね。ごめんなさい、担当の者と変わります。
――今忙しいみたいですけど、少々お待ちを」
やっぱりだ。専門知識が足りていない。
確信して、夕陽は近くの陳列棚を示しながら、その店員へと作業を矢継ぎ早に押しつける。
「あ、ここにありましたね、バルナックライカ。担当の方呼ばなくて大丈夫ですよ。
その代わりに、ここの列、片っ端から値段調べて貰って良いですか?
エルマーも見たいです。このレンズと同じ名前が書いてある奴です。そこに並んでいます。綺麗な順に並べて頂けますか?」
交替する隙を与えず、この場に拘束する。
怪しい店員を1人留めておけば、後のことは仁木がきっと上手いことやってくれるだろう。
◇ ◇ ◇
仁木はブースの裏手へと回り、バックヤードの入り口を確かめる。
遮光カーテンによって遮られていて、流石にそこから堂々と覗くのははばかられる。
だが所詮は展示会用のブース。
簡単に組み立てられて、簡単に解体できるように作られている。
後ろの壁に背を軽く預けて、後ろ手にドライバーで壁に切れ込みを入れる。
薄い板で作られた壁には簡単に穴が開いた。
後は静音ドリルで穴を広げ、マイク付きの小型カメラを差し込むだけだ。
スマホを操作している振りをして、中の映像を確認する。
女性が1人映し出された。
着替え中かとにわかにテンションが上がりかけたが、仁木は心を静めて注意深く彼女の様子を確認する。
女性は背が高く、美しく整った顔立ちをしていた。
表情は冷たく、目はほっそりとしている。雰囲気は飛鳥井にも似ているが、それよりもクールで知的な印象を受けた。
スーツ姿のその女性は、何やら手に持った物を示している。
『これが今回の商品だ』
イヤホンから彼女の声が響く。
落ち着いた感情の起伏を感じない声。
カメラの位置を調整して手にした物へと向ける。
――何だあれ? コブのある、ラクダ? いや、角がある。水牛か?
仁木にはそれ以上の情報は拾えない。
ちょうど手のひらに乗せられるサイズ感の、赤茶色をした、恐らく土器で出来た水牛の像。
『これは特別な〈ツール〉だ。これを手にした者にのみ、精霊の姿が見える』
女性は誰かに説明するように淡々と言葉を紡ぐ。
仁木は心臓の鼓動が速くなり、イヤホンを通話に切り替えると声量を極限まで落として報告する。
「こちら俵原商会ブース。怪しい品の取引を発見。
正面にユウヒちゃんが張ってる。至急応援頼む」
展示会の場で〈ツール〉の闇取引が行われる。その噂は本当だったのだ。
だが妙だった。
精霊の姿が見える? そんな〈ツール〉が今までにあっただろうか?
それは〈ツール〉ではなく、別のオカルト的存在なのでは無いか? 仁木は更に探るべく聞き耳を立てる。
女性と話しているらしい、取引相手の男が尋ねる。
『よく分からんが、その精霊が何をしてくれるんだ?』
『我々もその点を調査中だ。
しかし、人形のような存在がこの〈ツール〉から出てくるのは間違いない。
そしてこの存在は、〈ツール〉に興味を示すようだ』
〈ツール〉に興味を示す精霊?
ますますもって思考が追いつかなくなってきた。
されど〈ツール〉に興味を示す存在。つまり、〈ツール〉を見つけ出せる存在だ。
それは栞探偵事務所としても、〈管理局〉としても是が非でも手に入れたい物であることだけは疑いようのない事実だ。
『ボス、報告があります』
唐突に、別の若い男の声。
『商談中だ。後ではダメか』
『それが、妙な格好をした女がこちらを試すような質問を重ねていて』
『〈管理局〉の人間か?
――失礼、望まない客が来たようだ』
『そのようだ。俺は先に帰らせて貰うぜ。厄介ごとはごめんだからな。
その〈ツール〉については上に確認しておく』
『ああ。是非頼む。では我々もこれにて』
仁木はイヤホンを叩き守屋へ現状を確認。
まだ増援は到着していない。
女性は水牛の像を箱にしまい込み、逃げる準備を進めている。
「ちっ、仕方ねえ。こっちで片付ける」
バックヤードの入り口へ向かい、遮光カーテンを開けると同時に銃を――持っていなかった。
代わりに腕を上げ、水牛の像を持つ女を指さした。
「そこまでだ。お前らGTCか? それともスーパー――」
女性は躊躇せず仁木へと向けて一歩踏み込む。
仁木も応戦の構えをとったが、女性の踏み込みからの蹴りが予想以上に素早く、腹部に一撃を見舞われる。
「ごっふ」
「栞探偵事務所のチンピラか。
相手が悪かったな」
「何を――」
仁木は踏みとどまり、反撃すべく前に出た。
だが大振りな動きは見透かされ、突き出した拳は避けられて、襟元を掴まれて投げられる。
宙を半回転して床へと背中から叩きつけられ、肺の中の空気を吐き出す。
女性は手早く手錠を仁木の右手にかけ、もう片方を物品棚へと取り付けた。
「こんのっ」
「もう決着はついている。大人しくしたまえ」
左手を振るうが、それも掴まれる。女性は物品棚から養生テープをとると、仁木の両手をぐるぐる巻きにして固定した。
「てめえ、何しやが――」
「黙ったほうがいい。私もここで君を殺したくない」
仁木の口に養生テープが貼り付けられる。
声も出せず、助けを呼べない。
だがそんなところに、遮光カーテンを開けて夕陽が姿を現した。
「仁木さん、大丈夫ですか?」
状況が理解できてないのか、倒れている仁木を心配する夕陽。
「道を開けろ」
女性が言うと、夕陽は倒された仁木の姿を見て咄嗟に判断。
即座に道を譲った。
箱を抱えて逃げていく女性。
夕陽は追いかけようともせず、仁木の元へと駆け寄って左手の養生テープをとった。
彼は自分の手で口元のテープを剥がすと声を上げる。
「ユウヒちゃん、何で止めなかったの!」
「仁木さんが勝てないのに私が勝てるわけ無いです。
モデルガンしか持ってないので実質丸腰です」
「それで脅せば良かったじゃないか」
「本物か偽物かなんて見たら直ぐ分かります。
それより守屋さんに女性の特徴と、扱っていた〈ツール〉について詳細を伝えないと。
この会場には〈管理局〉側の人間が大勢居ます。
焦って追いかけるよりも、正確な情報を共有したほうが勝算は高いです。
では私も外に出てきます」
仁木は頷いて、夕陽を見送ると守屋へと詳細な情報を伝えていった。
即座にその情報は〈管理局〉側と共有され、展示会に動員されていた全ての調査員がその女性と、水牛の像回収へ向けて動き出した。
◇ ◇ ◇
ビッグサイト南館。業者用搬入口で、飛鳥井は来客を待っていた。
向こうから走ってきたのは、スーツ姿の女性。
すらりと背が高く、整った顔立ちをしていた。彼女は走ってきたというのに顔色1つ変えず、飛鳥井の姿を見て速度を緩めると、両手で抱えていた箱を小脇に抱えて立ち止まった。
「飛鳥井さん? 久しぶりかしら」
「そうなるわね。
鴻巣 さん、その箱を置いて立ち去るなら、特別に見逃してあげてもいいわよ」
鴻巣と呼ばれた女性は、無表情のまま返す。
「生憎、これを渡すことは出来ない。
それともここで〈砂の目〉を使って私を止めてみせる?」
飛鳥井は一歩前へと踏みだし、ブックカバーから本を取り出した。
その本を右手で掴み、独特の構えを見せる。
「あなた程度ぶちのめすだけなら、〈鉄の書〉で十分よ」
「相変わらずの単細胞。
そんなだから〈アナリシス〉をクビになったのよ」
「GTCに鞍替えしたあんたよりマシよ」
飛鳥井は更に一歩踏み出す。
対して鴻巣は懐に手を入れて、ガラス製の置物を取り出した。
手のひらに乗るような、小さな白鳥をかたどったガラス細工だった。
「〈ツール〉?
それで〈鉄の書〉を止められるとでも?」
「止める必要はない」
何が起こるか見定めようと飛鳥井は目を凝らしてガラス製の白鳥を見据えた。
その瞬間、視界から白鳥が消えた。
白鳥だけではない。鴻巣の姿もまた消えていた。
ガシャン。
「なっ――」
背後でガラスの割れる音。
思わず振り向くと、鴻巣が業者用搬入口から外へと飛び出していた。
――使用者と、像と目のあった人間の位置を入れ替える〈ツール〉。
気がついた時にはもう遅かった。
追いかけて搬入口を開けて外に出るが、既に車両が走り出している。
「こちら飛鳥井。
GTCのリーダーと接触。
水牛の像は回収できず。
相手は2tトラックにて逃走中」
車両の後ろ姿を写真に収めたが、ナンバーは隠されている。何処まで役に立つかは不明だ。
それよりも戻って床に落ちて砕けたガラス像を確認。
粉々になっている。もう〈ツール〉として機能することは無いだろう。
飛鳥井は〈鉄の書〉で壁を殴りつけ、悪態を吐いた。
「あの根腐れ女。覚えてなさいよ」
◇ ◇ ◇
ツール発見報告書
管理番号:KK00290
名称:湿性カメカメラ
発見者:淵沢夕陽
影響:C
保管:C
特性:しっとりと指先で感じる程度の湿度を保つ
管理番号:KK00291
名称:転置スワロフスキー
発見者:飛鳥井瞳
影響:B
保管:C
特性:目のあった生物と所有者の位置を入れ替える(破壊済み)
「どちらかというとシャーロック・ホームズのこてこてのコスプレに見える」
守屋と飛鳥井は、集合場所にやって来た夕陽の姿を見てそれぞれ所感を述べる。
ワンピースにライトベージュのケープを羽織り、頭にはハンチング帽。
丸眼鏡をかけて、髪型はいつも通りのおさげにされていた。
「考古学サークルに入ったばかりの大学1年生をイメージしてみました」
「恐らく、お前のイメージは現実と乖離している。
そんな大学生はいない」
守屋は断定的に告げ、それから手を差し出した。
「領収書出せ」
「あら、良いんですか?
まさかこの衣装まで出るとは、ギリギリを攻めた甲斐がありましたね!」
ギリギリを攻めるなと守屋は苦言を呈するが、夕陽が肩に提げていたトートバッグから経費精算の書類を取り出すと受け取った。
遅れて仁木もやってくる。
ラフな作業着のような格好。カウボーイ帽をかぶり、やはり丸眼鏡をかけている。
「お前たちの認識は間違っているからな。
飛鳥井を見習え。日曜日だぞ。普通に私服で来れば良いんだ」
守屋の言うとおり飛鳥井は私服姿だった。
周囲に溶け込めるように色使いを穏やかにして、どちらかというと地味な印象。
だが目立ちたくないのだからその服装は正解だった。
守屋の方は相変わらずスーツ姿ではあるが、喫茶店に籠もるには私服よりもこちらの方が都合が良い。
しかし周囲を見渡すと日曜日だけあって一般客の数が多い。
彼らは思い思いの格好をしていて、髪を派手に染め上げている人も居れば、明らかに普通では無い服装をしている人も居る。
ゴシックロリータだったり、大きなぬいぐるみを服に縫い付けていたり、ルネサンス期の欧州の服装だったり、実に様々だ。
それを見て守屋はハンドメイド展が同時開催されていることを思い出す。
扱う分野は広く、アクセサリーやぬいぐるみから、本格的な衣装まで展示されている。
そちらが目的で来る人間にとっては、普通の店では売られていないような服装こそが正しい服装なのだろう。
そう考えてみれば夕陽の服装など可愛い物だ。
多少浮いては見えるだろうが、大学に1人や2人居ても「そういう奴も居るだろ」くらいで流される範疇に収まっている。
「ともかく、最終日だ。
業者探しには細心の注意を払え。
調査報告書は明日以降で良いが、書く内容は考えておくように」
それだけ事務的に指示して、守屋は1人喫茶店へと向かった。
各員も本日の持ち回りを確認し、展示会場に入っていく。
◇ ◇ ◇
午前中の調査が終わり、昼食を済ませ、午後一の再調査も完了。
結局今日も3人の調査では闇業者は見つからなかった。
〈管理局〉側にも発見の報告はない。〈ツール〉回収の報告は僅かに上がっていたが、大したものはなさそうな様子であった。
前日の約束通り、夕陽と仁木は揃ってブースの見回りを始める。
まずは骨董市の開催されているエリアへ。
日曜日だけあって人の数は多い。
ブースの方も、最終日を見越して売り物をストックしていたのだろう。まだまだ売りに出される骨董品がそれぞれのブースに展示されている。
「今日はよろしくお願いします、先生」
仁木が冗談めいて言うと、夕陽は笑って返す。
「ダメですよ。
大学生とOBという設定です。
もっとOBらしく振る舞ってください」
「なるほど。
じゃあユウヒちゃん、まずはどの辺りを見に行くんだ?」
仁木が態度を変えると、夕陽もそれに合わせて朗らかな口調で告げる。
「まずは発掘品のエリアから行きましょう。
ちょっと確認したいことがあります」
「はっはっは。
ユウヒちゃんは本当に発掘品が好きだなあ!」
妙なテンションになる仁木へと、夕陽は「そういうキャラで行くんですね! 分かりました!」と順応して見せて、2人揃って発掘品の販売ブースの並ぶ通りを歩く。
夕陽は動物の像を軽く調べて行くが、生憎彼女の求める物はそこになかった。
結局発掘品のブースを通り抜け2人は別のブースを見て回る。
そして夕陽が、質流れ品を販売するブースの前で立ち止まった。
「あら。何でしょう」
「どうした?」
何かに引っ張られるようにして、夕陽はブースへと吸い込まれていく。
そして店主が居座る机の前まで進むと、1つの品物に視線を向けた。
柱だ。
6角形をした石柱で、大きさとしては幅15センチ、高さ25センチほど。
ひび割れや削れた部分もあるが、表面には何やら記号のような物が並んでいる。
「これ、見せて貰っても良いですか?」
腕を組み眠たげにしていた店主だが、声をかけられると頷き、夕陽側にある台の上へとその石柱を置いた。
台には『品物に手を触れないでください』と注記されている。
夕陽は顔だけ近づけてその石柱を調べる。
「豊穣……流れ? 川かな……季節……種子?」
「読めるのか?」
夕陽が石柱の文字を見て呟いたのに対して仁木が尋ねる。
夕陽はかぶりを振った。
「いくつか解読できる文字はありますけど、無理ですね。
辞書が無いととても。あったとしても読めるかどうか分かりませんけど」
解読を諦めた夕陽は、ルーペを取り出して石柱に刻まれた文字の様子を確かめていく。
「これ、シュメール時代の神柱ですね。神を讃える歌を刻んだ宗教的遺物です。
もし本物であれば博物館に収められるべき代物ですよ」
「本物だったら、な。
生憎違うよ」
店主の老人が低い声で言う。
ルーペを覗いていた夕陽も頷いた。
「そうですね。楔形文字の切削面を見ると明らかです。19世紀――いえ、20世紀に入ってから作られた物でしょうか」
「そのようだね」
老人が答える。
仁木は驚いたような表情を浮かべた。
「見ただけでそんなことまで分かるのか?」
「前提知識があればそれなりに見れますよ。
そもそもシュメールが属するオリエント文明が近代文明によって”再発見”されたのは18世紀の終わり。ナポレオンのエジプト遠征がきっかけです。
発掘が行われたのは19世紀に入ってから。
ただこの時期の発掘は、どちらかというと列強による博物館の展示品集めに近い側面がありました。
考古学的な発掘が本格的に行われるのは20世紀に入ってからです。
この神柱の価値区分を考えると、模造品が作られたのは20世紀以降だと、なんとなく推察できるわけです」
「へえ。何事にも理由はつくもんだ」
仁木は感心したようにして、それから夕陽からルーペを借りて神柱を見る。
確かに切削面の劣化具合が、太古の昔に作られたようには見えない。それに分かってから見ると、石柱のひび割れや削り取れた部分なども、人為的に加工されているとしか見えなかった。
「ちなみにお値段は?」夕陽が問う。
「100万」
老人の回答に夕陽も「わーお」と驚いた。
かなり新しい模造品にも関わらず100万。石を削っただけなのにだ。
「価格の根拠をうかがっても?」
「作られたのは20世紀初頭。第1次世界大戦収束後だ。
この時期に作られた石柱と言うだけでそれなりの価値はある。
それに刻まれた文字もおおよそ正しく解読できるようになっている。
ただそれらしく加工したのではない。実物を元に丁寧に作られた贋作だ」
「なるほど。実物の精巧なコピーなので価値を持つと。
ところで気になったんですけど、これのオリジナルは何処にありますか?
日本のオリエント博物館にはありませんでした。神柱についての資料を調べたことがありますが、このような文言の物はなかったと記憶しています」
「それが分からない。
これのオリジナルは何処にも存在していない。
だからこそこいつには、今となっては本物に迫る価値があるわけだ」
「オリジナルが存在しない?
コピーしたと言うことは発見はされていた。でも報告はされず、贋作だけが作られた。
なるほど。100万は安く感じてきました」
「そう感じて貰えたら何よりだ。
しかしお嬢さん、詳しいね」
「はい。博物館巡りが趣味で、考古学に興味があるので」
夕陽がそう笑っていると、老人は黄色い歯を見せて笑った。
「ああ。そういう格好をしているよ。
で、買うかい?」
夕陽は目を細めて真剣に考える。
100万円だ。経費で落とすとなれば相応の理由が求められる。
しかしこの神柱はその理由を持ち合わせていない。
〈ツール〉ではないのだ。
だが〈ツール〉であったとしてもそれは問題だ。
〈ツール〉として買えば、所有は栞探偵事務所になる。更に〈ストレージ〉に引き渡されて、手の届かないところへと行ってしまう。
この神柱はどちらかというと個人所有したい代物であった。
「ねえ仁木さん。
100万円キャッシュで持ってたりします? 返す気はないです」
「持ってないし返されないなら遠慮しておきたい」
「ですよね。
経費で落とせる物でもなさそうです」
〈ツール〉ではないことを仁木へも伝える。
そうで無いならば買えないと、仁木は顔をしかめて示した。
「ごめんなさい。ちょっとこれ、手が出ないです。
ちなみに何処で手に入れたか教えて頂けます?」
「岐阜県にコレクターがいてな。
そいつが孫娘の大学進学のために金が入り用だからとかで質入れした。
まあ、俺にとっちゃ古くからの知り合いだ」
「へえ、紹介して頂いても?」
「いや。先月亡くなったよ」
「あらごめんなさい。そういうことでしたか」
古くからの知り合いが質入れした物が、こうして売りに出されている。
どんな事情があったのか考えるべきだったと夕陽はちょっとばかり反省して、それから自分の名刺を渡した。
所属と住所は偽装されているが、電話番号は本物だ。
「これ名刺です。
もし同じようなものが手に入ったら連絡頂きたいです。その時は是非買わせて貰いますから」
「ま、構わんがね。
世の中にこんな物を欲しがるのはあのジジイだけだと思っていたが、そうでも無いらしい」
老人は名刺を受け取ると、レジにしていた金庫へとしまい込んだ。
夕陽は「よろしくお願いしますね」と微笑んで、礼を言ってからブースを立ち去った。
2人はまた通路を歩きながらブースを見ていく。
仁木は夕陽へと尋ねる。
「さっきの石、そんなに欲しかったのか?」
「はい。個人的にですが、興味がありました」
「でもツ――例のものではないんだよな」
「違いましたね。
だからこそ気になったというか、手に入れたかったんですけど、100万円は直ぐには出せなかったです」
「そうだよなあ。
例のものだったとしても、100万は高すぎる」
仁木がなんとなく呟いた言葉に、夕陽はにやりと笑って尋ねた。
「相場をご存じで?」
「ああ、そうだな。
ブラックドワーフのやりとりを知ってるから」
ブラックドワーフ。
本来秘匿されているはずの〈ツール〉を取り扱う組織の1つだ。
どちらかというと小型中型の〈ツール〉を対象に、売買して利益を上げることを目的とした組織である。
夕陽は更に尋ねた。
「ブラックドワーフさんって、例えばどんな物を扱っているんですか?
あの横断旗入れとか、カエルの置物みたいな物を売っているんですか?」
「いいや、もっと使いやすい物だよ。
――そういえば妙だったな。
こっちで発見するのは妙に使いづらかったり、効果がいまいちな物が多かったけど、あそこが扱ってたのは便利というか、使いやすいというか、形と特性が上手くかみ合ってたんだよな」
「へえ。例えば?」
「パンがふっくら仕上がるオーブントレイとか、水をあげなくて良い植木鉢とか、勝手に綺麗になるスプーンとか、ひんやりしてるクーラーボックスとか」
「便利ですね。
それってどこから調達されてたんですか?」
「さあ。そこまでは分からん。
ま、たまに〈シュレディンガーの調味料入れ〉みたいなお遊びグッズも扱ったりしてたけどな」
「あれ買ったものだったんですか?」
問いに対して、仁木は大げさに手を振って否定する。
「いやいやいや。
買ってないよ。ただバカな所属員がヘマして捕まったときに持ってたってだけさ」
「なるほど。
それを個人所有してたと。
あ、あそこのブース、怪しいです」
唐突に、夕陽は立ち止まってブースを指さした。
裏口側に面した大通り沿い。4小間を使っていて、商談スペースとバックヤードを備えている。
扱っている品物はカメラや時計など、精密機器ばかりだった。
「ええと、ちなみにどの辺が怪しいんだ?」
「店番している人の態度とか、カメラの陳列の仕方とか、精密機器なのに風の吹き込む出口近くに構えて居るとか、細かいところでいくつか。
ちょっと調べてみませんか?」
「おう、そうしよう。
どうする? 正面から行くか?」
「私はそうします。
仁木さん、バックヤードこっそり覗けませんか? どうにも何か隠しているような気がします」
念のため事前に資料を確認。
会社名も出店記録も問題ない。それなりの歴史がある古物商で、扱う品物にも嘘偽りは無い。
事前チェックでは問題ないと判断された企業だ。
仁木が裏手へと回っていくのを見届けて、夕陽は正面から手の空いていた店員へと声をかける。
「このカメラ、触らせて貰っても良いですか?」
「ええ良いですよ」
夕陽は雑多に並べられていたフイルムカメラの中から、中盤フイルムを使う、大きなカメラを手に取った。
一眼でも二眼でもない。それどころかファインダーがついていない。
レンズの交換は出来ず、ピント合わせも目測合わせだ。露出計なんて便利機能も当然の如く非搭載。
それでも外観はハッセルブラッドめいた堅牢な造りで、ただの安物では無い雰囲気を漂わせている。
シャッターを巻き上げて試しに1枚切ってみるが、シャッター音異常なし。
バルブ設定にして再度シャッターを切る。正面からレンズを覗いて、カビが無いことと、絞り機構の正常動作を確認。
「ちゃんと動きますね。
外付けのファインダーがついていないのが残念ですけど、これ、こんな場所に置いて良いんですか?
そこのローライフレックスD型みたいに、ケースに入れて展示すべき代物では?」
「いや、目測ピントだし、機構も大したもの無いから」
「そうですか。確かに、おっしゃる通りかも知れません」
夕陽はレンズに刻まれた”Biogon”の文字を見て微笑む。
ドイツの名門光学会社カールツァイスが作り出した究極の超広角レンズ、ビオゴン。
このレンズを使うためだけに開発されたカメラがこのSWCだ。
レンズが本体なのでカメラ機構については妥協が尽くされている。
されど完動品ともあれば、こんな場所に雑多に並べて良い代物ではない。
ケースに入れられたローライフレックスD型プラナー3.5よりもずっと価値があるものだ。
「一応、値段確認して貰って良いですか?」
「構いませんよ」
店員はストラップ通しにかけられていた管理番号を読み取った。
そして出てきた値段に驚愕したのか、預かったSWCをケースのある棚の方へ置き直す。
「ごめんなさい。
あれ、37万円でした。お買い求めになりますか?」
「いいえ。ちょっとこんな場所に置かれていたのが気になっただけです。
他のカメラ、見せて頂いて良いですか?
あ、これなんか可愛いですね!」
夕陽は笑顔を見せながら、ジャンク品のコーナーに並んでいたカメラを右手の人差し指で指し示す。
「カメの形をしたカメラですか。ダジャレですね。
甲羅じゃ無くてお腹側にレンズがあるなんてびっくりです。レンズカビてますし、凄い使いづらそう。機械の設計として完全に間違っている感が押し寄せてきます!」
「あっはっは。そうでしょう。
面白いんですよ」
「ジャンク品は一律500円なんですね。
このカメラ、頂きます。領収書はいらないです」
支払いを済ませてジャンク品のカメ型カメラをトートバッグにしまう。
それから夕陽はその店員へと尋ねた。
「バルナックあります?」
「え? ちょっと分からないですね。ごめんなさい、担当の者と変わります。
――今忙しいみたいですけど、少々お待ちを」
やっぱりだ。専門知識が足りていない。
確信して、夕陽は近くの陳列棚を示しながら、その店員へと作業を矢継ぎ早に押しつける。
「あ、ここにありましたね、バルナックライカ。担当の方呼ばなくて大丈夫ですよ。
その代わりに、ここの列、片っ端から値段調べて貰って良いですか?
エルマーも見たいです。このレンズと同じ名前が書いてある奴です。そこに並んでいます。綺麗な順に並べて頂けますか?」
交替する隙を与えず、この場に拘束する。
怪しい店員を1人留めておけば、後のことは仁木がきっと上手いことやってくれるだろう。
◇ ◇ ◇
仁木はブースの裏手へと回り、バックヤードの入り口を確かめる。
遮光カーテンによって遮られていて、流石にそこから堂々と覗くのははばかられる。
だが所詮は展示会用のブース。
簡単に組み立てられて、簡単に解体できるように作られている。
後ろの壁に背を軽く預けて、後ろ手にドライバーで壁に切れ込みを入れる。
薄い板で作られた壁には簡単に穴が開いた。
後は静音ドリルで穴を広げ、マイク付きの小型カメラを差し込むだけだ。
スマホを操作している振りをして、中の映像を確認する。
女性が1人映し出された。
着替え中かとにわかにテンションが上がりかけたが、仁木は心を静めて注意深く彼女の様子を確認する。
女性は背が高く、美しく整った顔立ちをしていた。
表情は冷たく、目はほっそりとしている。雰囲気は飛鳥井にも似ているが、それよりもクールで知的な印象を受けた。
スーツ姿のその女性は、何やら手に持った物を示している。
『これが今回の商品だ』
イヤホンから彼女の声が響く。
落ち着いた感情の起伏を感じない声。
カメラの位置を調整して手にした物へと向ける。
――何だあれ? コブのある、ラクダ? いや、角がある。水牛か?
仁木にはそれ以上の情報は拾えない。
ちょうど手のひらに乗せられるサイズ感の、赤茶色をした、恐らく土器で出来た水牛の像。
『これは特別な〈ツール〉だ。これを手にした者にのみ、精霊の姿が見える』
女性は誰かに説明するように淡々と言葉を紡ぐ。
仁木は心臓の鼓動が速くなり、イヤホンを通話に切り替えると声量を極限まで落として報告する。
「こちら俵原商会ブース。怪しい品の取引を発見。
正面にユウヒちゃんが張ってる。至急応援頼む」
展示会の場で〈ツール〉の闇取引が行われる。その噂は本当だったのだ。
だが妙だった。
精霊の姿が見える? そんな〈ツール〉が今までにあっただろうか?
それは〈ツール〉ではなく、別のオカルト的存在なのでは無いか? 仁木は更に探るべく聞き耳を立てる。
女性と話しているらしい、取引相手の男が尋ねる。
『よく分からんが、その精霊が何をしてくれるんだ?』
『我々もその点を調査中だ。
しかし、人形のような存在がこの〈ツール〉から出てくるのは間違いない。
そしてこの存在は、〈ツール〉に興味を示すようだ』
〈ツール〉に興味を示す精霊?
ますますもって思考が追いつかなくなってきた。
されど〈ツール〉に興味を示す存在。つまり、〈ツール〉を見つけ出せる存在だ。
それは栞探偵事務所としても、〈管理局〉としても是が非でも手に入れたい物であることだけは疑いようのない事実だ。
『ボス、報告があります』
唐突に、別の若い男の声。
『商談中だ。後ではダメか』
『それが、妙な格好をした女がこちらを試すような質問を重ねていて』
『〈管理局〉の人間か?
――失礼、望まない客が来たようだ』
『そのようだ。俺は先に帰らせて貰うぜ。厄介ごとはごめんだからな。
その〈ツール〉については上に確認しておく』
『ああ。是非頼む。では我々もこれにて』
仁木はイヤホンを叩き守屋へ現状を確認。
まだ増援は到着していない。
女性は水牛の像を箱にしまい込み、逃げる準備を進めている。
「ちっ、仕方ねえ。こっちで片付ける」
バックヤードの入り口へ向かい、遮光カーテンを開けると同時に銃を――持っていなかった。
代わりに腕を上げ、水牛の像を持つ女を指さした。
「そこまでだ。お前らGTCか? それともスーパー――」
女性は躊躇せず仁木へと向けて一歩踏み込む。
仁木も応戦の構えをとったが、女性の踏み込みからの蹴りが予想以上に素早く、腹部に一撃を見舞われる。
「ごっふ」
「栞探偵事務所のチンピラか。
相手が悪かったな」
「何を――」
仁木は踏みとどまり、反撃すべく前に出た。
だが大振りな動きは見透かされ、突き出した拳は避けられて、襟元を掴まれて投げられる。
宙を半回転して床へと背中から叩きつけられ、肺の中の空気を吐き出す。
女性は手早く手錠を仁木の右手にかけ、もう片方を物品棚へと取り付けた。
「こんのっ」
「もう決着はついている。大人しくしたまえ」
左手を振るうが、それも掴まれる。女性は物品棚から養生テープをとると、仁木の両手をぐるぐる巻きにして固定した。
「てめえ、何しやが――」
「黙ったほうがいい。私もここで君を殺したくない」
仁木の口に養生テープが貼り付けられる。
声も出せず、助けを呼べない。
だがそんなところに、遮光カーテンを開けて夕陽が姿を現した。
「仁木さん、大丈夫ですか?」
状況が理解できてないのか、倒れている仁木を心配する夕陽。
「道を開けろ」
女性が言うと、夕陽は倒された仁木の姿を見て咄嗟に判断。
即座に道を譲った。
箱を抱えて逃げていく女性。
夕陽は追いかけようともせず、仁木の元へと駆け寄って左手の養生テープをとった。
彼は自分の手で口元のテープを剥がすと声を上げる。
「ユウヒちゃん、何で止めなかったの!」
「仁木さんが勝てないのに私が勝てるわけ無いです。
モデルガンしか持ってないので実質丸腰です」
「それで脅せば良かったじゃないか」
「本物か偽物かなんて見たら直ぐ分かります。
それより守屋さんに女性の特徴と、扱っていた〈ツール〉について詳細を伝えないと。
この会場には〈管理局〉側の人間が大勢居ます。
焦って追いかけるよりも、正確な情報を共有したほうが勝算は高いです。
では私も外に出てきます」
仁木は頷いて、夕陽を見送ると守屋へと詳細な情報を伝えていった。
即座にその情報は〈管理局〉側と共有され、展示会に動員されていた全ての調査員がその女性と、水牛の像回収へ向けて動き出した。
◇ ◇ ◇
ビッグサイト南館。業者用搬入口で、飛鳥井は来客を待っていた。
向こうから走ってきたのは、スーツ姿の女性。
すらりと背が高く、整った顔立ちをしていた。彼女は走ってきたというのに顔色1つ変えず、飛鳥井の姿を見て速度を緩めると、両手で抱えていた箱を小脇に抱えて立ち止まった。
「飛鳥井さん? 久しぶりかしら」
「そうなるわね。
鴻巣と呼ばれた女性は、無表情のまま返す。
「生憎、これを渡すことは出来ない。
それともここで〈砂の目〉を使って私を止めてみせる?」
飛鳥井は一歩前へと踏みだし、ブックカバーから本を取り出した。
その本を右手で掴み、独特の構えを見せる。
「あなた程度ぶちのめすだけなら、〈鉄の書〉で十分よ」
「相変わらずの単細胞。
そんなだから〈アナリシス〉をクビになったのよ」
「GTCに鞍替えしたあんたよりマシよ」
飛鳥井は更に一歩踏み出す。
対して鴻巣は懐に手を入れて、ガラス製の置物を取り出した。
手のひらに乗るような、小さな白鳥をかたどったガラス細工だった。
「〈ツール〉?
それで〈鉄の書〉を止められるとでも?」
「止める必要はない」
何が起こるか見定めようと飛鳥井は目を凝らしてガラス製の白鳥を見据えた。
その瞬間、視界から白鳥が消えた。
白鳥だけではない。鴻巣の姿もまた消えていた。
ガシャン。
「なっ――」
背後でガラスの割れる音。
思わず振り向くと、鴻巣が業者用搬入口から外へと飛び出していた。
――使用者と、像と目のあった人間の位置を入れ替える〈ツール〉。
気がついた時にはもう遅かった。
追いかけて搬入口を開けて外に出るが、既に車両が走り出している。
「こちら飛鳥井。
GTCのリーダーと接触。
水牛の像は回収できず。
相手は2tトラックにて逃走中」
車両の後ろ姿を写真に収めたが、ナンバーは隠されている。何処まで役に立つかは不明だ。
それよりも戻って床に落ちて砕けたガラス像を確認。
粉々になっている。もう〈ツール〉として機能することは無いだろう。
飛鳥井は〈鉄の書〉で壁を殴りつけ、悪態を吐いた。
「あの根腐れ女。覚えてなさいよ」
◇ ◇ ◇
ツール発見報告書
管理番号:KK00290
名称:湿性カメカメラ
発見者:淵沢夕陽
影響:C
保管:C
特性:しっとりと指先で感じる程度の湿度を保つ
管理番号:KK00291
名称:転置スワロフスキー
発見者:飛鳥井瞳
影響:B
保管:C
特性:目のあった生物と所有者の位置を入れ替える(破壊済み)