第45話 本当のこと③

文字数 3,339文字

 平日の午前中とあって、東名高速道路の下りは混雑もなく流れていた。
 夕陽は特に急ぐ気にもなれず、大型トラックの後ろについて一定速度で車を走らせた。

 車でおよそ3時間。
 初心者マークをつけたアウディは目的地に辿り着いた。

 夕陽は車を降りて、大きくため息を吐く。
 どうして調査を怠ったのか。

 以前の電話口での反応からして妙だった。
 探偵事務所を名乗ったときに強い興味が示されていた。半音高くなったうわずった声。
 にもかかわらず、要件を告げると無感情に返答をされた。
 探偵事務所からの連絡に何かしらの期待があった。でもその期待は裏切られた。
 だとしたら何に期待していたのか?
 確認すれば良かったのにしなかった。

 あの時尋ねておけば、話はずっと穏やかにまとまったはずだ。
 それが結局、笹崎を引っ捕らえて、スーパービジョンを滅茶苦茶にし、〈管理局〉に大改革を引き起こさせてしまった。
 前向きに捉えるならば、狂った研究を根絶させたという見方も出来る。

 でも別に夕陽は研究を止めさせたかったわけではない。
 本来の目的のために必要だから行動したまでの話だ。

 そしてなにより、一度何食わぬ顔で出会ってしまったせいで、なんとも顔を合わせづらい。
 一体どんな顔して話せば良いのか。
 結局、電話もかけられず、直接ここまで来てしまった。

 会わない選択肢はない。
 本当のことを確かめなければならない。
 笹崎の残した資料は手に入れたが、まだ確定ではない。
 真実を明らかにする方法は分かっている。
 だからまず、会って話をしなければならない。

 夕陽は呼吸を落ち着けて、店舗の立て付けの悪いドアを横に開いた。
 ドアが開いたのを見て、奥の作業場から店主がやってくる。

 長身で筋肉質な身体。
 肌は焼け、作業服姿で頭にはタオルを巻いている。
 まさしく職人といった風な出で立ちの40代程度であろう男性。

 彼は夕陽の姿を見て笑顔を浮かべた。

「ああ、淵沢さん。
 お久しぶりです。葛原(くずはら)社長から連絡がありましたよ。
 牝鹿(めじか)像を見つけて下さったそうですね」

 職人――国包(くにかね)石材店の店主の言葉に、夕陽は控えめに頷く。
 牝鹿像を見つけたのは事実。嘘ではない。
 回収された牝鹿像は一時〈ストレージ〉に預けられていたが、運搬困難という理由によって破壊され、非〈ツール〉化が確認されると葛原精機に返却されていた。

「わざわざその話を伝えに?」

 店主が首をかしげる。
 だが夕陽が答えるより先に、彼は夕陽へと商談席へと腰掛けるように促した。
 店舗の奥へと声がかけられると、私服にエプロン姿の女性がお茶を持ってきた。

「奥様もご一緒によろしいですか?」

 夕陽はお茶を置いて立ち去ろうとした女性を引き留めた。
 彼女は柔らかな顔にちょっと困ったような表情を浮かべるが、夕陽が「お願いします」と重ねて頼むと、店主の隣に腰掛けた。

「それで、本日のご用件は?
 もしかしてまた石像が盗難に遭いましたか?」

「いえ、そういうわけでは。
 ――そういえば牝鹿像はどうするおつもりです?
 前足の片方が折れてしまっていましたけど」

 牝鹿像は〈ツール〉化解除のために、足の片方を折り取られていた。
 あのまま飾るのかと尋ねると、店主は朗らかに答えた。

「葛原社長から修復して欲しいと依頼がありました。
 社員からも要望があったようです。
 あの像を気に入って頂けたのは大変喜ばしいことです」

「以前、割れてしまったら修復が難しいとうかがいましたが、修復出来るのですか?」

「ええ。綺麗に折れているようなので、新しく足を作って継ぎ合わせる予定です。
 腕の見せ所ですよ」

 なるほど、足が丸々一本根元から折られたおかげで、そういう修復も可能なのかと夕陽は得心いった。
 会話が途切れると、店主は夕陽の顔を見て首をかしげる。
 結局何の要件で来たのかと。口に出さぬが尋ねている。

 夕陽は意を決して話を切り出した。

「ええと、牝鹿像を作成したのは14年前で間違いありませんよね?」

「ええ。そうです。
 前回お話ししたとおりです。
 当時の記録が必要ですか?」

 夕陽はその提案にかぶりを振って、話を続けた。

「あの牝鹿像は、国包石材店にとって特別な物だった。
 ――15年前に一人娘がいなくなった。ですよね?」

 問いかけに店主は頷く。
 隣で夫人が辛そうに顔を背けたが、夕陽は構うことなく確認をとる。

「この部分だけきちんと確認させて下さい。
 亡くなった、ではなく、居なくなった。行方不明で間違いないですか?」

 店主の表情は暗い。
 だが夕陽にとっては絶対に確かめなくてはいけないことだった。
 葛原精機の牝鹿像調査のためにこの国包石材店を訪れたときに、確かに彼は「一人娘がいなくなりました」と言った。

 どうして「いなくなった」と言ったのか。
 亡くなっていてもその表現は使うかも知れない。
 だが彼がわざわざ「いなくなった」と表現したのには別の理由があったはずだ。

「その通りですが、それが何か?」

 店主は暗い表情のまま問い返した。
 夕陽もいつまでも触れないわけにはいかない。
 既に場の空気は最悪と言ってよい状況にある。

「娘さんが行方不明になったのが3歳の頃。
 日本の法律では行方不明になってから7年で死亡扱いとなります。
 その頃には生きていれば10歳。今も生きているとすれば18歳」

 夕陽が話を進めていると、ついに堪えきれなくなって夫人が立ち上がる。
 店主もそれを見て、低い声で告げる。

「申し訳ありません。
 娘の話はこれ以上は――」

「ごめんなさい。
 それでも最後まで聞いて頂きたいです」

 夕陽は店主の言葉を遮って告げる。
 店主に目配せされて、夫人は座り直した。
 夕陽は本題に入る。

「別件の調査中に、15年前の誘拐事件に関する資料を発見しました。
 それには当時およそ3歳だった少女をこの地域から連れ去ったとの記録が残っていました」

 夕陽の言葉に、店主が勢いよく立ち上がる。

「娘は――、娘はどうなったんですか?」

 興奮気味の店主。
 夫人の方も、娘の安否を気にして夕陽の次の発言を待っている。

 夕陽は告げる。

「8年前――誘拐から7年と少し後ですね――神奈川県で記憶を失った身元不明の少女が発見されました。
 その頃には娘さんの死亡届が出されていたので、こちらまで身元調査が行われなかったようです」

「「無事なんですね?」」
 
 2人が同時に尋ねる。

「彼女は養護施設に預けられ、今年高校を卒業しています」

 夕陽が頷くて答えると、彼らは興奮した面持ちで手を取り合い、そして問う。

「娘は今どこに?」

 2人は結論を急ぐが、夕陽は一旦落ち着くように言ってから、まだ確認しなければならないことがあると説明した。
 
「彼女は身元を証明できる物を何1つ所持していませんでした。
 記憶も失っているので本人にもあなたたちの娘であるとは確認が出来ません。
 確かめるにはDNA鑑定が必要です。
 本日はその鑑定に協力して頂けるかどうか、窺いに来ました」

「協力します。何でも調べて下さって構いません」

 夫人の言葉に店主も大きく頷いて同意を示す。
 まあそうなるだろうなと夕陽は一息つく。

「では解析センターの予約を取ってありますので、奥様にご同行頂いてよろしいですか?」

「私も同行します」

 母親の方だけ居れば事足りるのだが、店主も同行を願い出た。
 別についてこられて困る話でも無いので了承して、夕陽は立ち上がる。

「では準備が出来たら車に。
 検体採取自体は直ぐに終わりますし、結果も早ければ本日中、遅くとも明日には判明するそうです」

 店舗の外へと向かう夕陽。
 その背中に店主が問いかける。

「あの、淵沢さんは、どうして私たちのためにここまでしてくれるのですか?」

 夕陽はゆっくり振り返ってどう答えたものかと思案する。

 十中八九結果は正しい。でもまだ分からない。
 検査結果が出てから告げても遅くはないはずだ。

 でも正直に伝えることにした。
 夕陽は嘘が嫌いだった。

「――その身元不明の少女というのが、私だからです」

 駆け寄って抱きつこうとする2人をかわして、夕陽は「検査結果がまだです」と主張する。

 ずっと探し求めていた「本当のこと」。
 ようやく夕陽は、それを手にすることが出来た。

 
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