第5話 牝鹿像の謎②
文字数 7,389文字
途中2回ほど休憩を挟みながら、夕陽と飛鳥井の乗るプリウスは国包石材店のある町へとたどり着いた。片道3時間。既に昼過ぎとなっていた。
石材店の前を車で通過。
営業していることを確認。同時に夕陽は店先に置かれている石像を見た。
「仏像ですね。大きいです。3トンくらいありそう」
「でも展示されてる像はあまり多くは無いわね。
敷地も広くなさそう。
近くに停める?」
「そうですね。
近くの別のお店にお願いします。
石材店が見える位置だと良いですね」
車は2件隣、道路を挟んで反対側にある信用金庫に停められた。
来客も少なそうだし、しばらく停めていても怒られはしないだろう。
夕陽は仕事用のスマホを取り出すと、飛鳥井がメモした電話番号へと連絡を取る。
コールは2回ほどで、相手が電話に出た。
『国包 石材店です』
男性の声。夕陽は仕事用にちょっと大人しい声色を作って応じる。
「お仕事中失礼します。
私、栞探偵事務所の淵沢と言います」
『探偵事務所?』
男性の声が半音高くなる。
探偵事務所から連絡されることは多くないだろうから戸惑っているのかも知れない。
夕陽は冷静に告げる。
「はい。葛原 精機様より依頼を受けて、牝鹿 像の盗難事件について調査しています。
いくつかうかがいたいことが有りますので、本日これからお時間頂けますでしょうか」
『牝鹿――ああ、あの牝鹿像か。
特に予定も入っていないし、構わないよ』
男性は無感情に答えた。
無事にアポは取れたので夕陽は告げる。
「ありがとうございます。
近くまで来ていますので、直ぐにうかがえると思います。
では後ほど」
互いに挨拶を交わして通話を終了。
夕陽は相手の反応を見て告げる。
「探偵事務所からの電話に最初は驚いていましたけれども、受け答えは普通。
直ぐにうかがうと言っても慌てる様子は無いし、落ち着き払っていたので隠したいことはなさそうですね」
「それが確かめたかったの?」
「はい。大切なことです。
牝鹿像盗難の犯人かも知れませんし」
飛鳥井は示された可能性について「それもそうね」と相づちを打った。
牝鹿像について最もよく知る人物。そして石材店は当然、大型石像の運搬についてノウハウもある。
飛鳥井は車を出し、石材店へと向かった。
仏像の置かれた正面入り口を通り、2台しか無い駐車スペースに車を停める。
「なんかこう、いろいろな石像がたくさん置かれているのをイメージしていました」
「そうね。石像もあるけど、墓石の展示がメインみたい」
このご時世、石像よりも墓石の需要の方が多いのだろう。
店舗前の一番見栄えするスペースには墓石サンプルが並べられ、石像は片隅に追いやられている。
中小の仏像がいくつか、アニメキャラクターのような物もあり、動物を模した石像もある。
「牡鹿 像がありますよ!
葛原精機の牝鹿像と比べると小さいですけど」
「へえ。石なのに細かいところまでよく出来てるわね」
夕陽は牡鹿像の元へと歩みよって、大きな目を好奇心いっぱいに見開いて観察する。
高さ1メートル程度。静物でありながら、牡鹿の駆け出した瞬間を切り出したような造形で、荒々しく伸びる角も細部まで削り込まれている。
「美術品としても価値がありそうです」
「そうね。
でもおかしな点は無い、かな」
飛鳥井が指先で牡鹿像に触れてみるが、今のところ不審な箇所は見受けられなかった。
夕陽もその意見に対して大きく頷く。
「はい。ここにある石像は全部、普通の石像みたいです」
ざっと見ただけでそう結論づける夕陽。
外なので〈ツール〉という単語は口には出さないが、石像が〈ツール〉ではなさそうという共通認識は持てていた。
「さあ、話を伺いに行きましょう」
飛鳥井が先導して石材店の店舗へと向かう。
店舗の立て付けの悪いドアを横に開き入店すると、店主がそれを出迎えた。
長身で筋肉質な身体。肌は焼けていて褐色に近く、作業服を身につけ、頭にはタオルを巻き付けている。
まさしく職人と言った風な出で立ちだった。
歳は40代程度に見える。
「ええと、栞探偵事務所の淵沢さん?」
「はい。私が淵沢です。
こちらが同じ事務所の飛鳥井です」
夕陽に紹介されて飛鳥井も頭を下げる。
店主は飛鳥井が肩から提げているブックカバーを一瞬見やったが、探偵という職業は変なところもあるのだろうと勝手に納得して挨拶を返す。
「店主の国包です。
どうぞこちらへ」
2人は商談用スペースへと通された。
店舗内には小さな石像が並べられていて、夕陽はそれらに興味を持ったが国包との話を優先した。
席に座ると、私服にエプロン姿の女性がお茶を持ってくる。
年の頃は、店主と同じ程度と見て取れた。
「ありがとうございます。
奥さんですか?」
「ええ。家内です」
国包は見た目とは裏腹に、物腰柔らかく受け答えをした。
家内と紹介された女性は軽く会釈して、「どうぞごゆっくりしていってください」と言って店舗奥へと戻っていく。
飛鳥井は夕陽へと目配せして、本題に入ろうと牝鹿像の資料を取り出して机に置く。
「葛原精機に納入されたこちらの牝鹿像について伺いに来ました」
「盗まれたそうですね」
国包は資料を手にして、盗まれる前の牝鹿像の姿を拝む。
夕陽は問いかけに対して肯定を返し、順を追って話を進めようと尋ねる。
「まず、この牝鹿像製造時期について教えて頂いても良いですか?」
「この像を作ったのは14年前です」
国包は資料を見ること無く正確な数字を口にした。
飛鳥井が資料を確認して尋ねる。
「確かに資料ではそう記載されていますが、よく覚えていますね。
こういった石像の依頼は珍しいのですか?」
「思い入れのある、と言ったら語弊がありますが、この像は私の人生において大きな転機となるものでした」
「その辺りの話、詳しく聞きたいです」
夕陽が前のめりになって問う。
国包はそれに対して嫌な顔をせず、牝鹿像製造のいきさつについて述べ始めた。
「15年前。一人娘がいなくなりました。
それ以降仕事も手につかず、開店休業のような状態が1年続きました。
葛原精機の社長とは親戚関係にありまして、そんな状態の私を見かねた彼が、創業20周年を記念した像を造って欲しいと依頼してくれたのです。
決して安い金額では無いのに、私たち夫婦を気遣ってくれたのです。
そんな社長の心遣いに応えるように、1年ぶりに石像を制作しました。
それがこの牝鹿像になります。――盗まれてしまったのは、ただただ残念です」
国包が牝鹿像製造のいきさつについて語り終えると、夕陽は「なるほど」と頷く。
「それで片道3時間かかる葛原精機に、国包さんの石像が納められたわけですね」
重量2トンに迫る大型石像だ。
普通なら近くの石材店に依頼するところなのに、葛原精機はわざわざ遠く離れた国包石材店を指定した。
その理由を知ることが出来た夕陽は得心いったと満足げだった。
そのまま夕陽は問う。
「安い金額では無い、と言いましたけれど、実際おいくらくらいですか?」
「完全オーダーメイドですので、台座込みで500万円。
それに輸送料と設置工賃もかかります」
「結構しますね。
つまり石像にはそれなりの価値があった。
それって、盗む価値があると言って構わないのでしょうか?」
問いかけに国包はかぶりを振る。
「無いでしょう。
完全指定品ですし、細部は手彫りですがあくまで記念品で芸術作品ではありません。
自分と葛原社長にとってしか価値はないでしょう。
もし中古市場に出回ったとしても、500万はおろかその十分の一も値はつかないはずです」
金銭的価値はない。
だとしたら重量物をわざわざ持ち出す理由にはなり得ない。
だが夕陽は1つの可能性について尋ねる。
「石像の中に金銭的価値のあるものが埋め込まれていたりとかはないです?」
「それは無いでしょうね。
石像は大きな石の塊を削り出して作ります。
石材に空洞が無いかどうか、納入される前に検査されています。当時の購入記録を見れば直ぐに分かるでしょう」
「なるほど。
――ちなみに、国包さんが中に何かを埋め込んだりは、してないですよね?」
あくまで冗談ですよと言った風に夕陽が尋ねると、国包もその冗談を理解して朗らかに笑って見せた。
「してないですよ。
この種の石材は割れやすく、中に空洞をくりぬくのは難しいですし、一度開けた穴を綺麗に塞ぐのは至難の業でしょう。
割れてしまったら修復が難しいので、加工の際には細心の注意を払います」
「ですよね。
――あ、そういうことでしたか。なるほどなるほど」
夕陽は1人何かに納得する。
飛鳥井は彼女が何に気がついたのかさっぱり分からなかった。
国包の方も最初は首をかしげていたが、やがて「ああ、そうです。そういうことですよ」と頷く。
「どういうこと?」飛鳥井が問う。
夕陽は笑顔を向けながら説明した。
「牝鹿像です。
国包さんは1年間ノミを――で良いのでしょうか?」国包が頷くと夕陽は続ける。「ノミを握っていなかった。牡鹿像を造るとなると細い角を削り出さなければいけません。ですが石材は割れやすく加工が難しい」
「――それで角の無い牝鹿像を造ったってこと?」
飛鳥井が答えにたどり着くと、恥ずかしそうにして国包も頷いた。
「本当は雌雄の鹿を作るつもりでした。
まず牝鹿から取りかかって、鈍った腕を取り戻してから牡鹿を作る予定だったんです。
ですがまず完成した牝鹿像を見た時点で、社長がそれをいたく気に入って、「これが良い。これを飾りたい」と言い出したので、牝鹿像だけが納入される運びとなりました」
国包の言葉に夕陽は「やっぱり来て良かった」と微笑む。
どうして牡鹿では無く牝鹿像だったのか。
国包の回答はそんな夕陽の疑問を解決してくれた。
夕陽の個人的な疑問は解決したので、それからは仕事の方へと集中する。
「牝鹿像を制作中、何か変な点はありませんでしたか?
石材が加工しづらいとか、思っていたように削れないとか」
「腕が鈍っていたので加工は難儀しましたが、石材の方は問題ありませんでした。
大きな塊を買ってダイヤモンドカッターで切り分けていますが、その片割れで作った牡鹿像が店の前にあります。
あれを作ったのは牝鹿像を造ってからおおよそ1年後でしたが、その時には全く問題なく加工出来ました」
「なるほど。石材には問題なし。加工時にも問題は見当たらないと」
国包には夕陽と飛鳥井が何を確認したいのかさっぱり分からないだろう。
製造時に〈ツール〉であったか否か。当然、直接的には尋ねられない。
飛鳥井は別の可能性についても探るべく尋ねた。
「石材を運ぶのに使っているトラックを見せて頂けますか?」
「ええ、構いませんよ」
国包は立ち上がり、2人を店舗奥へと案内した。
店の敷地の裏手に当たる部分で、出荷待ちの墓石や、加工途中の石像が置かれている。
石材加工の弟子だろうか。若い職人が、墓石の土台を機械で削っていた。
「こちらがトラックです」国包はクレーン一体型のトラックを示した。
「トラックにクレーンがついているのですね。
牝鹿像もこれで?」飛鳥井が問う。
「いいえ。これですと最大積載量が3トンになります。
石像自体はのりますが土台もありましたので、これよりも大きいトラックをレンタルしました」
飛鳥井は回答に礼を述べる。
牝鹿像自体は2トン未満。それだけ運び出すならこのクレーン付きトラックで問題ないわけだ。
飛鳥井は周囲をざっと見て、特段怪しい石像が無いことを確認する。もちろん、牝鹿像は存在しない。
聞きたいことは聞けただろう。
飛鳥井はそう判断して、まだ何かあるかと夕陽に対して視線を向ける。
それを受けて、彼女は抑えていた好奇心を爆発させて国包へと問いかけた。
「他の石像を見せて頂いてもよろしいですか?
牝鹿像と同じ時期に作った物を見たいですが、そうでなくても一通り見たいです!」
国包に許可を貰い、夕陽と飛鳥井は作品を見て回った。
墓石がメインだが、石灯籠や水鉢なんかもある。
石像は少数ではあったものの、屋内には片手で持てるサイズ物も展示されていた。
細やかな造形が施されたそれは、石材であることを忘れさせる。
「ちなみにこのサイズの石像、オーダーメイドで発注するといくらになります?」
「材質によるね。
加工が容易な石材を使えば5千円程度。もちろん、指示が細かく及べば相応の作業費が発生する」
「ふむふむ。なるほど」
真面目に購入を検討しているらしき夕陽。
「欲しいの?」
「若干そういう気持ちもあります。
持ってみても良いですか?」
国包が頷いたのを見て夕陽は手頃な石像を持ち上げてみた。
当たり前だが軽くない。
石の塊だ。中身も詰まっている。
片手で持ち上げることは出来るが持ち運ぶのは辛そうだ。
少なくとも夕陽の非力な手では、長時間これを持ち続けるのは不可能だった。
「うーん、もっと軽い素材だったら良かったんですけど」
「そういう場合は、残念だけど石は止めた方が良いだろうね。
木とか、最近では3Dプリンタで樹脂やプラスチックを自由に成形したりも出来るし」
「そういう手がありましたか!
――あ、でもごめんなさい。そっちは商売敵になりますよね?」
「そうだけど、うちとしては墓石がメインだから。
こればっかりは木や樹脂では代わりにならないからね」
それはそうだと夕陽は笑った。
夕陽と飛鳥井は時間を作ってくれた国包へと礼を言い、名刺を渡して何か思い出したことがあれば連絡くださいと告げる。
夕陽は国包の名刺を受け取って、牝鹿像盗難事件に進展があったらまた連絡しますと、礼を言って店舗を後にした。
店舗から出ると、例の牡鹿像を再度調べる。
石材自体には問題はなかった。
それに、牡鹿の姿に加工されたこちらについても問題は見られない。
少なくとも夕陽と飛鳥井の目には、これは〈ツール〉では無いように見える。
それだけ確認すると車に乗って、2人は国包石材店を後にした。
「お昼、どうしよっか」
飛鳥井が問う。
夕陽は通りに目をやって、ちょうど見つけた看板を読み上げる。
「うな――ちなみに奢りですか?」
「自費よ」
「では蕎麦が良いです」
「わたしもそう思うわ」
うなぎ屋から離れた場所に蕎麦屋の看板が見て取れた。
飛鳥井は車をそちらの駐車場に停める。
時計は13時を回っていた。お昼のピークは過ぎているらしく、店内はがらりとしていた。
奥の席に座り、メニューを眺める。
飛鳥井はつけとろ蕎麦を注文し、夕陽はおろし蕎麦を頼む。
蕎麦が出てくるまでの間、2人は調査内容について話し合った。
「収穫は0ではないけど、淵沢さんの知りたかったことは調べられた?」
飛鳥井の問いに夕陽は頷く。
「とりあえず牝鹿の理由が分かったのは大収穫です。
ですが、私が本当に求めていたことに対する答えはありませんでした。
もしかしたら見落としてしまったのかも知れないですけど」
「どんなことが知りたかったのか、教えて貰って良い?」
「もちろんです。
今回の件だけではなく、最初の調査からずっと気になっている問題です。
どうして――」夕陽は〈ツール〉という単語を口に出さないよう言葉を選ぶ。「――例の物が産み出されるのか。それが気になっていました。
石材店について調べたのはその手がかりがあるのでは、と考えたからです。
ですが製造段階では問題なし。そして同じ材料で作られた石像も、同じ時期に作られた石像も、特に変化は無いようです。
となると、牝鹿像は葛原精機に飾られた状態で、突然変化が起こったことになります」
夕陽が知りたかったこと。〈ツール〉はどうして産まれるのかという、当然と言えば当然の疑問だ。
その説明を受けて、飛鳥井も首をひねって見せた。
「そうね。
どうして変化が起こるのか。
少なくともうちの探偵事務所には知らされていないわ。恐らく守屋さんも。
オーナーなら何か知っている可能性はあるかも」
「解析のお仕事をしていた際も、そういう話はありませんでした?」
「無かったわね。
それに、周りの人もそのあたり気にしてなかったみたい。
現状の把握と保管方法の策定。それだけが彼らにとっての目的なのよ」
夕陽は「うーん」と悩み始める。
悩んでいる風だがどこか楽しそうで、与えられた問題をどう解き明かしてやろうかと知恵を巡らせているようだった。
夕陽は思考を共有するように思っていることを呟く。
「この間もそうです。
横断旗入れ。以前までは誰も気がつかなかったことから、変化は春休み中に起こったと思われます。
もし牝鹿像もそうなら、立て続けに2件。変化が起こっていることになります。
でもそれって昔からの秘密なんですよね? そんなに頻繁に起こる現象なら誰かが気づいてもおかしくないですか?」
「そこなのよね」
飛鳥井は夕陽の問いかけも尤もだと頷いた。
彼女は続ける。
「あの町は最近何かがおかしい。
2年前からわたしたちの仕事は異常な程増えていた。
他の地域ではそうした傾向はない。つまりあの町でだけ、特異的に変化が頻発しているの。
淵沢さんを雇ったのも、そのおかげで人手が全く足りなかったからよ」
「そういう意味では、感謝しなければいけないんでしょうね」
夕陽は微笑んでそう答えた。
そこへ出来上がった蕎麦が運ばれてくる。2人はそれを受け取ると、手を合わせてから箸を割った。
食事を始める前に、夕陽は1つだけ飛鳥井に頼む。
「そうだ飛鳥井さん。
事務所に戻ったら、2年間分の調査資料見せて頂いて良いですか?
どんな物が見つかったのか、どんな依頼内容だったのか、とても興味があります」
「ええもちろん。
過去の調査を知れば次の調査に役立つはずだわ。
淵沢さんには即戦力になって貰うつもりだから」
「私もそのつもりですよ。
きっと、これからもっとお役に立って見せますからね!」
2人は食事を終え、それぞれ勘定を済ませて蕎麦屋を後にする。
車の運転席のドアを開けて、飛鳥井は夕陽へと問いかけた。
「近くに自動車用品店があったけど、初心者マーク買っていく?」
その提案に、夕陽は大きな瞳をいつも以上にキラキラと輝かせて頷いた。
「是非買いましょう!」
石材店の前を車で通過。
営業していることを確認。同時に夕陽は店先に置かれている石像を見た。
「仏像ですね。大きいです。3トンくらいありそう」
「でも展示されてる像はあまり多くは無いわね。
敷地も広くなさそう。
近くに停める?」
「そうですね。
近くの別のお店にお願いします。
石材店が見える位置だと良いですね」
車は2件隣、道路を挟んで反対側にある信用金庫に停められた。
来客も少なそうだし、しばらく停めていても怒られはしないだろう。
夕陽は仕事用のスマホを取り出すと、飛鳥井がメモした電話番号へと連絡を取る。
コールは2回ほどで、相手が電話に出た。
『
男性の声。夕陽は仕事用にちょっと大人しい声色を作って応じる。
「お仕事中失礼します。
私、栞探偵事務所の淵沢と言います」
『探偵事務所?』
男性の声が半音高くなる。
探偵事務所から連絡されることは多くないだろうから戸惑っているのかも知れない。
夕陽は冷静に告げる。
「はい。
いくつかうかがいたいことが有りますので、本日これからお時間頂けますでしょうか」
『牝鹿――ああ、あの牝鹿像か。
特に予定も入っていないし、構わないよ』
男性は無感情に答えた。
無事にアポは取れたので夕陽は告げる。
「ありがとうございます。
近くまで来ていますので、直ぐにうかがえると思います。
では後ほど」
互いに挨拶を交わして通話を終了。
夕陽は相手の反応を見て告げる。
「探偵事務所からの電話に最初は驚いていましたけれども、受け答えは普通。
直ぐにうかがうと言っても慌てる様子は無いし、落ち着き払っていたので隠したいことはなさそうですね」
「それが確かめたかったの?」
「はい。大切なことです。
牝鹿像盗難の犯人かも知れませんし」
飛鳥井は示された可能性について「それもそうね」と相づちを打った。
牝鹿像について最もよく知る人物。そして石材店は当然、大型石像の運搬についてノウハウもある。
飛鳥井は車を出し、石材店へと向かった。
仏像の置かれた正面入り口を通り、2台しか無い駐車スペースに車を停める。
「なんかこう、いろいろな石像がたくさん置かれているのをイメージしていました」
「そうね。石像もあるけど、墓石の展示がメインみたい」
このご時世、石像よりも墓石の需要の方が多いのだろう。
店舗前の一番見栄えするスペースには墓石サンプルが並べられ、石像は片隅に追いやられている。
中小の仏像がいくつか、アニメキャラクターのような物もあり、動物を模した石像もある。
「
葛原精機の牝鹿像と比べると小さいですけど」
「へえ。石なのに細かいところまでよく出来てるわね」
夕陽は牡鹿像の元へと歩みよって、大きな目を好奇心いっぱいに見開いて観察する。
高さ1メートル程度。静物でありながら、牡鹿の駆け出した瞬間を切り出したような造形で、荒々しく伸びる角も細部まで削り込まれている。
「美術品としても価値がありそうです」
「そうね。
でもおかしな点は無い、かな」
飛鳥井が指先で牡鹿像に触れてみるが、今のところ不審な箇所は見受けられなかった。
夕陽もその意見に対して大きく頷く。
「はい。ここにある石像は全部、普通の石像みたいです」
ざっと見ただけでそう結論づける夕陽。
外なので〈ツール〉という単語は口には出さないが、石像が〈ツール〉ではなさそうという共通認識は持てていた。
「さあ、話を伺いに行きましょう」
飛鳥井が先導して石材店の店舗へと向かう。
店舗の立て付けの悪いドアを横に開き入店すると、店主がそれを出迎えた。
長身で筋肉質な身体。肌は焼けていて褐色に近く、作業服を身につけ、頭にはタオルを巻き付けている。
まさしく職人と言った風な出で立ちだった。
歳は40代程度に見える。
「ええと、栞探偵事務所の淵沢さん?」
「はい。私が淵沢です。
こちらが同じ事務所の飛鳥井です」
夕陽に紹介されて飛鳥井も頭を下げる。
店主は飛鳥井が肩から提げているブックカバーを一瞬見やったが、探偵という職業は変なところもあるのだろうと勝手に納得して挨拶を返す。
「店主の国包です。
どうぞこちらへ」
2人は商談用スペースへと通された。
店舗内には小さな石像が並べられていて、夕陽はそれらに興味を持ったが国包との話を優先した。
席に座ると、私服にエプロン姿の女性がお茶を持ってくる。
年の頃は、店主と同じ程度と見て取れた。
「ありがとうございます。
奥さんですか?」
「ええ。家内です」
国包は見た目とは裏腹に、物腰柔らかく受け答えをした。
家内と紹介された女性は軽く会釈して、「どうぞごゆっくりしていってください」と言って店舗奥へと戻っていく。
飛鳥井は夕陽へと目配せして、本題に入ろうと牝鹿像の資料を取り出して机に置く。
「葛原精機に納入されたこちらの牝鹿像について伺いに来ました」
「盗まれたそうですね」
国包は資料を手にして、盗まれる前の牝鹿像の姿を拝む。
夕陽は問いかけに対して肯定を返し、順を追って話を進めようと尋ねる。
「まず、この牝鹿像製造時期について教えて頂いても良いですか?」
「この像を作ったのは14年前です」
国包は資料を見ること無く正確な数字を口にした。
飛鳥井が資料を確認して尋ねる。
「確かに資料ではそう記載されていますが、よく覚えていますね。
こういった石像の依頼は珍しいのですか?」
「思い入れのある、と言ったら語弊がありますが、この像は私の人生において大きな転機となるものでした」
「その辺りの話、詳しく聞きたいです」
夕陽が前のめりになって問う。
国包はそれに対して嫌な顔をせず、牝鹿像製造のいきさつについて述べ始めた。
「15年前。一人娘がいなくなりました。
それ以降仕事も手につかず、開店休業のような状態が1年続きました。
葛原精機の社長とは親戚関係にありまして、そんな状態の私を見かねた彼が、創業20周年を記念した像を造って欲しいと依頼してくれたのです。
決して安い金額では無いのに、私たち夫婦を気遣ってくれたのです。
そんな社長の心遣いに応えるように、1年ぶりに石像を制作しました。
それがこの牝鹿像になります。――盗まれてしまったのは、ただただ残念です」
国包が牝鹿像製造のいきさつについて語り終えると、夕陽は「なるほど」と頷く。
「それで片道3時間かかる葛原精機に、国包さんの石像が納められたわけですね」
重量2トンに迫る大型石像だ。
普通なら近くの石材店に依頼するところなのに、葛原精機はわざわざ遠く離れた国包石材店を指定した。
その理由を知ることが出来た夕陽は得心いったと満足げだった。
そのまま夕陽は問う。
「安い金額では無い、と言いましたけれど、実際おいくらくらいですか?」
「完全オーダーメイドですので、台座込みで500万円。
それに輸送料と設置工賃もかかります」
「結構しますね。
つまり石像にはそれなりの価値があった。
それって、盗む価値があると言って構わないのでしょうか?」
問いかけに国包はかぶりを振る。
「無いでしょう。
完全指定品ですし、細部は手彫りですがあくまで記念品で芸術作品ではありません。
自分と葛原社長にとってしか価値はないでしょう。
もし中古市場に出回ったとしても、500万はおろかその十分の一も値はつかないはずです」
金銭的価値はない。
だとしたら重量物をわざわざ持ち出す理由にはなり得ない。
だが夕陽は1つの可能性について尋ねる。
「石像の中に金銭的価値のあるものが埋め込まれていたりとかはないです?」
「それは無いでしょうね。
石像は大きな石の塊を削り出して作ります。
石材に空洞が無いかどうか、納入される前に検査されています。当時の購入記録を見れば直ぐに分かるでしょう」
「なるほど。
――ちなみに、国包さんが中に何かを埋め込んだりは、してないですよね?」
あくまで冗談ですよと言った風に夕陽が尋ねると、国包もその冗談を理解して朗らかに笑って見せた。
「してないですよ。
この種の石材は割れやすく、中に空洞をくりぬくのは難しいですし、一度開けた穴を綺麗に塞ぐのは至難の業でしょう。
割れてしまったら修復が難しいので、加工の際には細心の注意を払います」
「ですよね。
――あ、そういうことでしたか。なるほどなるほど」
夕陽は1人何かに納得する。
飛鳥井は彼女が何に気がついたのかさっぱり分からなかった。
国包の方も最初は首をかしげていたが、やがて「ああ、そうです。そういうことですよ」と頷く。
「どういうこと?」飛鳥井が問う。
夕陽は笑顔を向けながら説明した。
「牝鹿像です。
国包さんは1年間ノミを――で良いのでしょうか?」国包が頷くと夕陽は続ける。「ノミを握っていなかった。牡鹿像を造るとなると細い角を削り出さなければいけません。ですが石材は割れやすく加工が難しい」
「――それで角の無い牝鹿像を造ったってこと?」
飛鳥井が答えにたどり着くと、恥ずかしそうにして国包も頷いた。
「本当は雌雄の鹿を作るつもりでした。
まず牝鹿から取りかかって、鈍った腕を取り戻してから牡鹿を作る予定だったんです。
ですがまず完成した牝鹿像を見た時点で、社長がそれをいたく気に入って、「これが良い。これを飾りたい」と言い出したので、牝鹿像だけが納入される運びとなりました」
国包の言葉に夕陽は「やっぱり来て良かった」と微笑む。
どうして牡鹿では無く牝鹿像だったのか。
国包の回答はそんな夕陽の疑問を解決してくれた。
夕陽の個人的な疑問は解決したので、それからは仕事の方へと集中する。
「牝鹿像を制作中、何か変な点はありませんでしたか?
石材が加工しづらいとか、思っていたように削れないとか」
「腕が鈍っていたので加工は難儀しましたが、石材の方は問題ありませんでした。
大きな塊を買ってダイヤモンドカッターで切り分けていますが、その片割れで作った牡鹿像が店の前にあります。
あれを作ったのは牝鹿像を造ってからおおよそ1年後でしたが、その時には全く問題なく加工出来ました」
「なるほど。石材には問題なし。加工時にも問題は見当たらないと」
国包には夕陽と飛鳥井が何を確認したいのかさっぱり分からないだろう。
製造時に〈ツール〉であったか否か。当然、直接的には尋ねられない。
飛鳥井は別の可能性についても探るべく尋ねた。
「石材を運ぶのに使っているトラックを見せて頂けますか?」
「ええ、構いませんよ」
国包は立ち上がり、2人を店舗奥へと案内した。
店の敷地の裏手に当たる部分で、出荷待ちの墓石や、加工途中の石像が置かれている。
石材加工の弟子だろうか。若い職人が、墓石の土台を機械で削っていた。
「こちらがトラックです」国包はクレーン一体型のトラックを示した。
「トラックにクレーンがついているのですね。
牝鹿像もこれで?」飛鳥井が問う。
「いいえ。これですと最大積載量が3トンになります。
石像自体はのりますが土台もありましたので、これよりも大きいトラックをレンタルしました」
飛鳥井は回答に礼を述べる。
牝鹿像自体は2トン未満。それだけ運び出すならこのクレーン付きトラックで問題ないわけだ。
飛鳥井は周囲をざっと見て、特段怪しい石像が無いことを確認する。もちろん、牝鹿像は存在しない。
聞きたいことは聞けただろう。
飛鳥井はそう判断して、まだ何かあるかと夕陽に対して視線を向ける。
それを受けて、彼女は抑えていた好奇心を爆発させて国包へと問いかけた。
「他の石像を見せて頂いてもよろしいですか?
牝鹿像と同じ時期に作った物を見たいですが、そうでなくても一通り見たいです!」
国包に許可を貰い、夕陽と飛鳥井は作品を見て回った。
墓石がメインだが、石灯籠や水鉢なんかもある。
石像は少数ではあったものの、屋内には片手で持てるサイズ物も展示されていた。
細やかな造形が施されたそれは、石材であることを忘れさせる。
「ちなみにこのサイズの石像、オーダーメイドで発注するといくらになります?」
「材質によるね。
加工が容易な石材を使えば5千円程度。もちろん、指示が細かく及べば相応の作業費が発生する」
「ふむふむ。なるほど」
真面目に購入を検討しているらしき夕陽。
「欲しいの?」
「若干そういう気持ちもあります。
持ってみても良いですか?」
国包が頷いたのを見て夕陽は手頃な石像を持ち上げてみた。
当たり前だが軽くない。
石の塊だ。中身も詰まっている。
片手で持ち上げることは出来るが持ち運ぶのは辛そうだ。
少なくとも夕陽の非力な手では、長時間これを持ち続けるのは不可能だった。
「うーん、もっと軽い素材だったら良かったんですけど」
「そういう場合は、残念だけど石は止めた方が良いだろうね。
木とか、最近では3Dプリンタで樹脂やプラスチックを自由に成形したりも出来るし」
「そういう手がありましたか!
――あ、でもごめんなさい。そっちは商売敵になりますよね?」
「そうだけど、うちとしては墓石がメインだから。
こればっかりは木や樹脂では代わりにならないからね」
それはそうだと夕陽は笑った。
夕陽と飛鳥井は時間を作ってくれた国包へと礼を言い、名刺を渡して何か思い出したことがあれば連絡くださいと告げる。
夕陽は国包の名刺を受け取って、牝鹿像盗難事件に進展があったらまた連絡しますと、礼を言って店舗を後にした。
店舗から出ると、例の牡鹿像を再度調べる。
石材自体には問題はなかった。
それに、牡鹿の姿に加工されたこちらについても問題は見られない。
少なくとも夕陽と飛鳥井の目には、これは〈ツール〉では無いように見える。
それだけ確認すると車に乗って、2人は国包石材店を後にした。
「お昼、どうしよっか」
飛鳥井が問う。
夕陽は通りに目をやって、ちょうど見つけた看板を読み上げる。
「うな――ちなみに奢りですか?」
「自費よ」
「では蕎麦が良いです」
「わたしもそう思うわ」
うなぎ屋から離れた場所に蕎麦屋の看板が見て取れた。
飛鳥井は車をそちらの駐車場に停める。
時計は13時を回っていた。お昼のピークは過ぎているらしく、店内はがらりとしていた。
奥の席に座り、メニューを眺める。
飛鳥井はつけとろ蕎麦を注文し、夕陽はおろし蕎麦を頼む。
蕎麦が出てくるまでの間、2人は調査内容について話し合った。
「収穫は0ではないけど、淵沢さんの知りたかったことは調べられた?」
飛鳥井の問いに夕陽は頷く。
「とりあえず牝鹿の理由が分かったのは大収穫です。
ですが、私が本当に求めていたことに対する答えはありませんでした。
もしかしたら見落としてしまったのかも知れないですけど」
「どんなことが知りたかったのか、教えて貰って良い?」
「もちろんです。
今回の件だけではなく、最初の調査からずっと気になっている問題です。
どうして――」夕陽は〈ツール〉という単語を口に出さないよう言葉を選ぶ。「――例の物が産み出されるのか。それが気になっていました。
石材店について調べたのはその手がかりがあるのでは、と考えたからです。
ですが製造段階では問題なし。そして同じ材料で作られた石像も、同じ時期に作られた石像も、特に変化は無いようです。
となると、牝鹿像は葛原精機に飾られた状態で、突然変化が起こったことになります」
夕陽が知りたかったこと。〈ツール〉はどうして産まれるのかという、当然と言えば当然の疑問だ。
その説明を受けて、飛鳥井も首をひねって見せた。
「そうね。
どうして変化が起こるのか。
少なくともうちの探偵事務所には知らされていないわ。恐らく守屋さんも。
オーナーなら何か知っている可能性はあるかも」
「解析のお仕事をしていた際も、そういう話はありませんでした?」
「無かったわね。
それに、周りの人もそのあたり気にしてなかったみたい。
現状の把握と保管方法の策定。それだけが彼らにとっての目的なのよ」
夕陽は「うーん」と悩み始める。
悩んでいる風だがどこか楽しそうで、与えられた問題をどう解き明かしてやろうかと知恵を巡らせているようだった。
夕陽は思考を共有するように思っていることを呟く。
「この間もそうです。
横断旗入れ。以前までは誰も気がつかなかったことから、変化は春休み中に起こったと思われます。
もし牝鹿像もそうなら、立て続けに2件。変化が起こっていることになります。
でもそれって昔からの秘密なんですよね? そんなに頻繁に起こる現象なら誰かが気づいてもおかしくないですか?」
「そこなのよね」
飛鳥井は夕陽の問いかけも尤もだと頷いた。
彼女は続ける。
「あの町は最近何かがおかしい。
2年前からわたしたちの仕事は異常な程増えていた。
他の地域ではそうした傾向はない。つまりあの町でだけ、特異的に変化が頻発しているの。
淵沢さんを雇ったのも、そのおかげで人手が全く足りなかったからよ」
「そういう意味では、感謝しなければいけないんでしょうね」
夕陽は微笑んでそう答えた。
そこへ出来上がった蕎麦が運ばれてくる。2人はそれを受け取ると、手を合わせてから箸を割った。
食事を始める前に、夕陽は1つだけ飛鳥井に頼む。
「そうだ飛鳥井さん。
事務所に戻ったら、2年間分の調査資料見せて頂いて良いですか?
どんな物が見つかったのか、どんな依頼内容だったのか、とても興味があります」
「ええもちろん。
過去の調査を知れば次の調査に役立つはずだわ。
淵沢さんには即戦力になって貰うつもりだから」
「私もそのつもりですよ。
きっと、これからもっとお役に立って見せますからね!」
2人は食事を終え、それぞれ勘定を済ませて蕎麦屋を後にする。
車の運転席のドアを開けて、飛鳥井は夕陽へと問いかけた。
「近くに自動車用品店があったけど、初心者マーク買っていく?」
その提案に、夕陽は大きな瞳をいつも以上にキラキラと輝かせて頷いた。
「是非買いましょう!」