第19話 次の一手①
文字数 7,135文字
守屋は昼過ぎに事務所へ戻ると、食事中の所員達を無視してデスクで作業を始める。
午前中のうちに提出されていた報告書へと目を通し、問題なければオーナーへと送付するファイルのリストへと加えていく。
その内の1つ、妙な記載があった報告書を見て、守屋は夕陽を呼んだ。
ちょうど食事を終えた彼女は守屋のデスクへとやってくる。
「どうかしましたか?」
呼び出しを受けたのに笑顔を浮かべて夕陽は問う。
守屋は報告書を示して答えた。
「なんだこの〈豊穣神ラーレ〉ってのは」
「〈ツール〉名称です。
開花を促進するので豊穣神。
ラーレはチューリップのことです」
「ならチューリップでいいだろ」
「ですが折角名前をつけるならかっこいい方が良いと仁木さんが」
「ふざけた意見をまともに取り合うな。
まあいい。今回はこれで構わないが、次からもっとわかりやすい名前をつけろ」
「はい、気をつけます」
夕陽はニコニコ顔で返答して、守屋から「もういい」と態度で示されてもその場を動かなかった。
彼女は話しかけて欲しそうに笑顔を向け続けている。
一向に動こうとしないのを見て、守屋は観念して口を開いた。
「まだ話したいことがあるのか?」
「あら?
報告したいことがあるのは所長さんではないですか?
ヤマフジ園に行ってきたのでしょう?」
PCを操作していた守屋の指が止まる。
直前のアポイント。事前準備はなし。施設長にも秘密にするよう言ったはずだ。
「私、とても嬉しいです。
ついに所長さんが私に興味を持ってくれましたから」
夕陽はご機嫌で、守屋の行動については大歓迎と言った様子だった。
守屋は問う。
「何故ヤマフジ園に行ったと思う」
「簡単です。
施設長さんへと、私宛のお客さんが訪ねてきたらこっそり連絡するように頼んであります」
「あのジジイ」
守屋は悪態をつく。
確かに施設長は守屋の来訪を秘密にすると承知したはずだ。
それなのに情報は筒抜けになっている。
だが考えてみれば当たり前。
施設長にとって、守屋と夕陽。どちらとの約束が大切かと問われたら、迷うことなく夕陽を選ぶだろう。
「あ、でも安心してください。
聞かれたことはちゃんと答えて良いですって伝えてあります。
ただ残念なのは、児童養護施設を調べてもあまり面白い情報は得られないことです。
私はあそこで8年過ごしましたが、求める答えは得られませんでしたから」
夕陽の言葉に守屋はなんとも言えない表情を向ける。
真っ直ぐに夕陽の瞳を見据えて、彼女の真意を汲み取ろうとするが上手くいかない。
夕陽の表情からは何を考えて居るか読み取れない。
全てバカみたいに明るい笑顔に塗りつぶされて、些細な感情など消されてしまう。
ヤマフジ園で収穫がなかったわけでもない。
だがそれを夕陽へと話す必要もない。
守屋はそう判断していた。
「それで、何処まで調べてきました?
何か聞きたいことがあれば1つだけお答えしますよ」
上機嫌な夕陽がそう提案した。
守屋は瞬時にいくつかの案を浮かべる。
児童養護施設で気になったことと言えば、夕陽が入所して間もなく描いたという絵。
しかしそれについては後回しにした。
それよりもまず、夕陽自身がどういう存在なのか確かめておきたかった。
「ならきくが。
今ここでこの距離からお前を拳銃で撃ったとしよう。
お前は死ぬのか?」
「はい。当たり所にもよるとは思いますけど、死ぬと思います」
夕陽は迷いなくそう答えた。
守屋は追求する。
「だがお前は1度撃たれているのに今も生きている」
「そうですね。
では例え話をしましょう。結末がどうなるのか是非考えて欲しいです」
守屋が頷くのを見て、夕陽は話し始めた。
「凄腕のマジシャンがいたとします。
彼は両手両足を拘束され、金庫に閉じ込められ、その状態で水に沈められても、難なく生還して見せます。
さて、この人が休日突然何者かに連れ去られて、両手両足を縛られ、金属製の箱に詰められ、海に沈められたとします。
この場合、生きて脱出できると思いますか?」
バカみたいな問い。
小学生だって分かる質問だ。
守屋はつまらなそうにしながら答える。
「出来ない」
「理由は?」
「マジシャンだから生還できるわけではない。
事前に脱出できるよう細工をしてあったから生還できた。
休日に何の準備もなく、自分で用意していない環境に閉じ込められたら、脱出は不可能だ」
「その通りです。
これ以上の説明が必要ですか?」
夕陽は微笑んで問いかけた。
守屋はかぶりを振って、夕陽が言いたいのであろう内容を口にした。
「要するにあの時は事前に準備を整えていたから、撃たれても死んだように見せかけて生き延びることが出来た。
今はその準備が出来ていないから撃たれたら死ぬ。
そういうことだな」
「若干相違ありますが、大筋では間違っていないです」
「是非その若干の相違と、可能なら手品の種も教えて欲しい」
守屋はしかめっ面したまま要求した。
だがそれを夕陽は微笑んで一蹴する。
「所長さんがもっと私に興味を持ってくれたら、その時答えさせて頂きますね」
守屋は拒否された回答について問いただそうとはしなかった。
その代わりに、仁木と飛鳥井が守屋のデスクを囲い説明を求める。
「ユウヒちゃんが撃たれたってどういうことだ?」
「昨日の一件についてまだ説明を受けていません」
守屋は顔をしかめ面倒くさそうにして見せたが、2人の問いかけを拒絶しなかった。
夕陽へと秘密が露呈した以上、いつかは話さなくてはいけないことだ。
「これから話そうと思ってたところだ」
「そうなの?
なら是非どうぞ」
飛鳥井に促されると、守屋は言われるがまま説明を始めた。
〈ストレージ〉堤との関係について。
彼から夕陽を殺すように命じられて彼女を撃ったことについて。
夕陽が銃撃から生き延びたことも、堤が夕陽のモデルガンに撃たれて肩を負傷したことも、外せば死ぬはずの〈契約の指輪〉が外されたことも、包み隠さず説明がなされた。
「淵沢さんは何をしたの?」
飛鳥井に問い詰められる夕陽。
彼女は笑顔を崩さず、とぼけたように言った。
「準備ですかね」
「そうでしょうけど――いえ、いいわ。
答えたくないのなら無理に言わなくても。
それよりもオーナーへの報告は済んでいるの?」
飛鳥井が守屋へと問う。
守屋はかぶりを振った。
「今のところ報告するつもりはない」
「自分の悪事をばらすわけにはいかないから?」
「それもある。
だがそれ以上に、堤を〈管理局〉へと突き出したら、あいつから辿れるはずのスーパービジョン上層部の情報を得られなくなる。
栞探偵事務所も標的にされるだろう」
「だからといってオーナーに何の説明もなしって訳にはいかないでしょ」
飛鳥井は報告すべきと考えているが、守屋は真っ向からそれに反対する。
堤の問題は、彼1人捕まえれば済む問題ではない。
堤ですら”水牛の像”の秘密を知らなかった。
しかし彼へと指示を出した人間は、秘密の片鱗に触れているはずだ。
「今回の一件は個人的な問題だ。
業務外の出来事なのだから報告の義務はない」
守屋は言い切る。
飛鳥井も、守屋の言葉に同意するわけではないが報告できない理由は理解できる。
オーナーから調査指示があった〈ツール〉について、守屋は見つからなかったと虚偽の報告をして堤へと渡していた。
それが明るみになれば守屋は解任。栞探偵事務所の解散もあり得る。
飛鳥井としてもこの場所を失うわけには行かない。
「どうなっても知らないわよ。
――で、堤から得たい情報って結局なんなの?」
飛鳥井の問いには夕陽が答えた。
「直近知りたいことは“水牛の像”の秘密です。
スーパービジョンは明らかにその価値を分かった上で”水牛の像”を回収しようとしていました。
〈管理局〉も同様に、”水牛の像”に特別な価値を見出していました。
それがどう言った秘密なのかをまずは明らかにしなければなりません」
「それはそうね。
でも堤は知らなかった。だから更に上の人間とコンタクトをとりたいと」
「そうなります。
スーパービジョン関係者になるとは思いますが、同時に〈管理局〉関係者である可能性も高いです。
堤さんみたいに”副業”している人も少なくないでしょう。
そうでなければ本来秘密のはずの〈ツール〉に関する情報が、今ほど外に出た状態にはならないはずです」
「不届き者がいたものだわ」
「全くです。
そこで質問ですが、“水牛の像”の秘密を知っていそうなのは、やっぱり〈管理局〉の本部クラスでしょうか?
〈アナリシス〉あたりには共有されていない情報ですよね?」
元〈アナリシス〉の飛鳥井は、確信は持てないと控えめに頷く。
「少なくともわたしはそう言った情報に触れなかったわ。
〈ストレージ〉幹部の堤も知らないとなると、どうしても〈管理局〉クラス。
それか〈ラボ〉かしら」
〈ラボ〉は正式名称を科学研究局という。
〈管理局〉に属する組織の1つで、〈ツール〉を使うことで人類の役に立てないか研究する組織だ。
〈ラボ〉の名前に守屋の視線が反応した。
その僅かな動きを夕陽は見逃さず、彼へと好奇心いっぱいに瞳を向けて問う。
「何かご存じみたいですね」
「些細なことだ」
「でも所長さんも本当のことを知りたいと思っていますよね?
でしたら些細なことでも共有すべきです」
「だったらまずお前の些細じゃない秘密を共有したらどうだ」
「それは追々します。
せっかちな人は嫌われますよ。
そういうわけですから、どうぞ所長さんが気がついたことを教えてください」
どっちがせっかちだと守屋は悪態をつきつつも、夕陽の視線から逃れるように飛鳥井の方を見て口を開く。
「以前、堤へと〈ツール〉を引き渡した際の話だ。
堤が「これは〈ラボ〉へと提供する」と言っていた」
「それ、業務として回収した〈ツール〉? それとも――」
「後者だ」
守屋は飛鳥井の言葉を先読みして答えた。
「いやそれおかしくないか?」仁木が異論を唱える。
「〈ラボ〉は〈管理局〉傘下だろ。だったら正式な手順を踏んで〈ストレージ〉から研究用の〈ツール〉を受け取れば良い話だろ?」
仁木の言葉は最もだった。
不当な手段で手に入れた〈ツール〉を、正式な機関である〈ラボ〉へと渡してしまったら、その所在管理がややこしくなる。
出所不明の〈ツール〉を研究に使用したなどと報告書には書けないはずだ。
「それってどんな〈ツール〉だったか覚えていますか?」
夕陽の問いに、守屋は否定を示した。
「覚えてない。
どうせあいつに引き渡すから大して調べもしなかった」
「あら残念です。
では堤さんから引き渡しを要求された〈ツール〉のリスト頂いてよろしいですか?」
守屋は嫌そうにしながらも、データの入ったカードを夕陽へと差し出した。
「準備が良いですね」
「告発するときに必要だからな」
夕陽は礼を言ってカードを受け取る。
「とりあえずスーパービジョンが求めていた〈ツール〉の傾向は追えますね」
夕陽はそれで満足したようだった。
しかし堤と〈ラボ〉の関係については謎が残ったままだ。
飛鳥井が考えをまとまるように言葉を紡いでいく。
「〈ラボ〉なら〈ストレージ〉の保管している〈ツール〉のリストへアクセス出来る。
堤は〈ツール〉引き渡しには携わるはず。
〈ラボ〉は研究機関として正式に認められているのだから、わざわざ不当な手段を用いて〈ツール〉を回収する必要はない」
「本当にそうですか?」
飛鳥井の言葉に夕陽が疑問を呈した。
考えをまとめていただけの飛鳥井はその問いかけを歓迎して、夕陽へと疑問点があるなら教えて欲しいと発言を促す。
「〈管理局〉は本来、通常の物理法則を無視してしまう〈ツール〉を世に出さないための組織ですよね?
でも同時に〈ツール〉にはこれまでの常識を覆す物理的事実の発見や発明に繋がる可能性がある。
だから〈ラボ〉は特別に研究を認められている。
この場合、〈管理局〉が無制限に〈ラボ〉へと研究許可を出すと思いますか?」
夕陽の言葉に対して、珍しく守屋が直接問われたわけではないのに自発的に回答した。
「そうはならない。確実に制限がかかる。
〈管理局〉の最重要の関心は〈ツール〉を世に出さないことだ。
研究はあくまで〈ツール〉でしか到達できない極めて重要な実験のみに許可されるはず」
守屋の言葉に夕陽も納得したように頷く。
「私もそうあるべきだと思います。
だとすれば、〈ラボ〉が正規以外の〈ツール〉供給手段を用意していてもおかしくないと思いませんか?」
その問いに、飛鳥井は俯いて考え始めた。
正規の手段では極限られた数の〈ツール〉しか研究に使えない。
となれば、非正規の方法を使ってでも〈ツール〉を集めるだろうか?
「研究内容が分からないから判断出来ないわ」
「そうですね。問題はそこです。
〈ラボ〉は内部にも存在を伏せられている組織ですから、何をしているのか分からない。
――でも普通の研究ではなさそうな気はします。
だってそうですよね?
申請を出しても認められないような――そもそも申請すら出せないような研究であれば、不当な手段で〈ツール〉を集める理由にも納得がいきます」
申請すら出せないような研究。
守屋はそれがどんな研究なのか思案した。
法に触れるもの?
人類史に不可逆の影響を与えてしまうようなもの?
〈ラボ〉が通常どのような研究をしているかも分からないから規模感がつかめない。
夕陽が言い出した以上、何らかのイメージがあるのだろうと守屋は彼女へと尋ねる。
「例えばどんなものだ?」
「人体実験とか」
けろりと夕陽がとんでもないことを口にした。
守屋は眉を潜め、仁木も息をのむ。
だが一番の反応を見せたのは飛鳥井だった。
飛鳥井は殺気だった目で夕陽を見据えて問う。
「それ、何か根拠があるの?」
夕陽はかぶりを振る。
「いいえ。完全に憶測で喋りました。
ですが可能性は0ではありません。
異常な外傷を負った変死体が見つかる事件も起きてますし」
「あの事件を知っているの?」
「どの事件です?」
夕陽はおどけたように問い返した。
飛鳥井はそんな彼女の顔を刺すように見つめたが、笑顔の奥にある感情は読み取れない。
飛鳥井は追求に無駄な労力を割くのを止めて、守屋へと訴えた。
「〈ラボ〉を調べるべきだわ」
「そうは言っても直接の関係はない。
〈アナリシス〉か〈ストレージ〉なら可能性はあるだろうが」
飛鳥井は不服そうに口元を歪める。
彼女は元〈アナリシス〉。栞探偵事務所に移ってこなければ、〈ラボ〉との接点を持てたかも知れない。
しかし今となっては過去の話だ。
「〈ラボ〉が好みそうな〈ツール〉を用意して釣り出せば良いのでは?」
夕陽が案を出すと、守屋が疑問を呈した。
「”水牛の像”で釣り出せると思ってるのか?」
「あれ自体は〈ツール〉ではないので難しいと思います。
堤さんもあれだけ持っていっても取り次ぎはしてくれないでしょうし。
もう少し好みに寄せた〈ツール〉を用意した方が良いかもしれません」
「どうやって用意するつもりだ」
「私たちは〈ピックアップ〉ですよね?
探し出せば済む話では?」
「都合良く見つかればな」
守屋は夕陽の意見に否定的だった。
それを受けて夕陽は次案を出す。
「でしたら買ってくれば良いです」
「買うって、〈ツール〉だぞ。
どこから買うつもりだ」
「ブラックドワーフです。
〈ツール〉を売買しているんですよね?」
夕陽の視線は仁木へと向いていた。
彼は頷いて、「買っちゃいけないなんて法律はない」と言い切る。
法的にはそうだ。
何しろ〈ツール〉の存在は公にされていない。法律に売買禁止などと書けるはずがないのだ。
「〈ピックアップ〉の一員として完全に間違ってる」
守屋はなおも夕陽の意見を否定した。法的に問題なくても倫理的に大問題なのは明らかだ。
だがそれには夕陽もからかうように返した。
「所長さんがそれを言います?」
これまで堤へと〈ツール〉を横流ししていた守屋は押し黙った。
口を塞ぎふてくされたように夕陽を睨む。
夕陽はそれを笑顔で受けて、守屋の言い分を考慮して返す。
「所長さんの言うことも一理あります。
私も職を失いたくはないですし。
ですが”水牛の像”が偽物であることは、堤さんが口を割ったらバレてしまいます。
と言っても、私たちが堤さんの正体に気がついたと知れたら、何を用意しても〈ラボ〉の人は会ってくれないでしょうけど。
その辺りは堤さんを信じるしかありませんね」
夕陽は守屋から受け取っていたデータカードを見せて「まずはこれを調べてみます」と言って自分の席へと戻る。
守屋にも特に今すぐ出来る行動があるわけでもない。
堤への干渉は時期尚早。〈ラボ〉は連絡先さえ分からない。オーナーには昨日の出来事は報告できない。
完全に手詰まりで、この件について直ぐに動き出せる状況ではない。
飛鳥井と仁木もそれを理解して、自席へ戻ると報告書作成作業の続きに取りかかった。
守屋はこれまで自分を支配していた堤について。
飛鳥井は〈ラボ〉が行っている研究について。
夕陽は”水牛の像”の秘密について。
それぞれがスーパービジョンを、そして〈ラボ〉を調査する理由を有していた。
仁木にとっても、堤の悪事を明らかにしてやりたいという気持ちがある。
しかしその日には誰も良い案が浮かばなかった。
〈ラボ〉と接触したいが、その手段がない。
答えは見えない状況だった。
だが誰にも見えないところで、夕陽だけは着々と次の一手の準備を進めていた。
午前中のうちに提出されていた報告書へと目を通し、問題なければオーナーへと送付するファイルのリストへと加えていく。
その内の1つ、妙な記載があった報告書を見て、守屋は夕陽を呼んだ。
ちょうど食事を終えた彼女は守屋のデスクへとやってくる。
「どうかしましたか?」
呼び出しを受けたのに笑顔を浮かべて夕陽は問う。
守屋は報告書を示して答えた。
「なんだこの〈豊穣神ラーレ〉ってのは」
「〈ツール〉名称です。
開花を促進するので豊穣神。
ラーレはチューリップのことです」
「ならチューリップでいいだろ」
「ですが折角名前をつけるならかっこいい方が良いと仁木さんが」
「ふざけた意見をまともに取り合うな。
まあいい。今回はこれで構わないが、次からもっとわかりやすい名前をつけろ」
「はい、気をつけます」
夕陽はニコニコ顔で返答して、守屋から「もういい」と態度で示されてもその場を動かなかった。
彼女は話しかけて欲しそうに笑顔を向け続けている。
一向に動こうとしないのを見て、守屋は観念して口を開いた。
「まだ話したいことがあるのか?」
「あら?
報告したいことがあるのは所長さんではないですか?
ヤマフジ園に行ってきたのでしょう?」
PCを操作していた守屋の指が止まる。
直前のアポイント。事前準備はなし。施設長にも秘密にするよう言ったはずだ。
「私、とても嬉しいです。
ついに所長さんが私に興味を持ってくれましたから」
夕陽はご機嫌で、守屋の行動については大歓迎と言った様子だった。
守屋は問う。
「何故ヤマフジ園に行ったと思う」
「簡単です。
施設長さんへと、私宛のお客さんが訪ねてきたらこっそり連絡するように頼んであります」
「あのジジイ」
守屋は悪態をつく。
確かに施設長は守屋の来訪を秘密にすると承知したはずだ。
それなのに情報は筒抜けになっている。
だが考えてみれば当たり前。
施設長にとって、守屋と夕陽。どちらとの約束が大切かと問われたら、迷うことなく夕陽を選ぶだろう。
「あ、でも安心してください。
聞かれたことはちゃんと答えて良いですって伝えてあります。
ただ残念なのは、児童養護施設を調べてもあまり面白い情報は得られないことです。
私はあそこで8年過ごしましたが、求める答えは得られませんでしたから」
夕陽の言葉に守屋はなんとも言えない表情を向ける。
真っ直ぐに夕陽の瞳を見据えて、彼女の真意を汲み取ろうとするが上手くいかない。
夕陽の表情からは何を考えて居るか読み取れない。
全てバカみたいに明るい笑顔に塗りつぶされて、些細な感情など消されてしまう。
ヤマフジ園で収穫がなかったわけでもない。
だがそれを夕陽へと話す必要もない。
守屋はそう判断していた。
「それで、何処まで調べてきました?
何か聞きたいことがあれば1つだけお答えしますよ」
上機嫌な夕陽がそう提案した。
守屋は瞬時にいくつかの案を浮かべる。
児童養護施設で気になったことと言えば、夕陽が入所して間もなく描いたという絵。
しかしそれについては後回しにした。
それよりもまず、夕陽自身がどういう存在なのか確かめておきたかった。
「ならきくが。
今ここでこの距離からお前を拳銃で撃ったとしよう。
お前は死ぬのか?」
「はい。当たり所にもよるとは思いますけど、死ぬと思います」
夕陽は迷いなくそう答えた。
守屋は追求する。
「だがお前は1度撃たれているのに今も生きている」
「そうですね。
では例え話をしましょう。結末がどうなるのか是非考えて欲しいです」
守屋が頷くのを見て、夕陽は話し始めた。
「凄腕のマジシャンがいたとします。
彼は両手両足を拘束され、金庫に閉じ込められ、その状態で水に沈められても、難なく生還して見せます。
さて、この人が休日突然何者かに連れ去られて、両手両足を縛られ、金属製の箱に詰められ、海に沈められたとします。
この場合、生きて脱出できると思いますか?」
バカみたいな問い。
小学生だって分かる質問だ。
守屋はつまらなそうにしながら答える。
「出来ない」
「理由は?」
「マジシャンだから生還できるわけではない。
事前に脱出できるよう細工をしてあったから生還できた。
休日に何の準備もなく、自分で用意していない環境に閉じ込められたら、脱出は不可能だ」
「その通りです。
これ以上の説明が必要ですか?」
夕陽は微笑んで問いかけた。
守屋はかぶりを振って、夕陽が言いたいのであろう内容を口にした。
「要するにあの時は事前に準備を整えていたから、撃たれても死んだように見せかけて生き延びることが出来た。
今はその準備が出来ていないから撃たれたら死ぬ。
そういうことだな」
「若干相違ありますが、大筋では間違っていないです」
「是非その若干の相違と、可能なら手品の種も教えて欲しい」
守屋はしかめっ面したまま要求した。
だがそれを夕陽は微笑んで一蹴する。
「所長さんがもっと私に興味を持ってくれたら、その時答えさせて頂きますね」
守屋は拒否された回答について問いただそうとはしなかった。
その代わりに、仁木と飛鳥井が守屋のデスクを囲い説明を求める。
「ユウヒちゃんが撃たれたってどういうことだ?」
「昨日の一件についてまだ説明を受けていません」
守屋は顔をしかめ面倒くさそうにして見せたが、2人の問いかけを拒絶しなかった。
夕陽へと秘密が露呈した以上、いつかは話さなくてはいけないことだ。
「これから話そうと思ってたところだ」
「そうなの?
なら是非どうぞ」
飛鳥井に促されると、守屋は言われるがまま説明を始めた。
〈ストレージ〉堤との関係について。
彼から夕陽を殺すように命じられて彼女を撃ったことについて。
夕陽が銃撃から生き延びたことも、堤が夕陽のモデルガンに撃たれて肩を負傷したことも、外せば死ぬはずの〈契約の指輪〉が外されたことも、包み隠さず説明がなされた。
「淵沢さんは何をしたの?」
飛鳥井に問い詰められる夕陽。
彼女は笑顔を崩さず、とぼけたように言った。
「準備ですかね」
「そうでしょうけど――いえ、いいわ。
答えたくないのなら無理に言わなくても。
それよりもオーナーへの報告は済んでいるの?」
飛鳥井が守屋へと問う。
守屋はかぶりを振った。
「今のところ報告するつもりはない」
「自分の悪事をばらすわけにはいかないから?」
「それもある。
だがそれ以上に、堤を〈管理局〉へと突き出したら、あいつから辿れるはずのスーパービジョン上層部の情報を得られなくなる。
栞探偵事務所も標的にされるだろう」
「だからといってオーナーに何の説明もなしって訳にはいかないでしょ」
飛鳥井は報告すべきと考えているが、守屋は真っ向からそれに反対する。
堤の問題は、彼1人捕まえれば済む問題ではない。
堤ですら”水牛の像”の秘密を知らなかった。
しかし彼へと指示を出した人間は、秘密の片鱗に触れているはずだ。
「今回の一件は個人的な問題だ。
業務外の出来事なのだから報告の義務はない」
守屋は言い切る。
飛鳥井も、守屋の言葉に同意するわけではないが報告できない理由は理解できる。
オーナーから調査指示があった〈ツール〉について、守屋は見つからなかったと虚偽の報告をして堤へと渡していた。
それが明るみになれば守屋は解任。栞探偵事務所の解散もあり得る。
飛鳥井としてもこの場所を失うわけには行かない。
「どうなっても知らないわよ。
――で、堤から得たい情報って結局なんなの?」
飛鳥井の問いには夕陽が答えた。
「直近知りたいことは“水牛の像”の秘密です。
スーパービジョンは明らかにその価値を分かった上で”水牛の像”を回収しようとしていました。
〈管理局〉も同様に、”水牛の像”に特別な価値を見出していました。
それがどう言った秘密なのかをまずは明らかにしなければなりません」
「それはそうね。
でも堤は知らなかった。だから更に上の人間とコンタクトをとりたいと」
「そうなります。
スーパービジョン関係者になるとは思いますが、同時に〈管理局〉関係者である可能性も高いです。
堤さんみたいに”副業”している人も少なくないでしょう。
そうでなければ本来秘密のはずの〈ツール〉に関する情報が、今ほど外に出た状態にはならないはずです」
「不届き者がいたものだわ」
「全くです。
そこで質問ですが、“水牛の像”の秘密を知っていそうなのは、やっぱり〈管理局〉の本部クラスでしょうか?
〈アナリシス〉あたりには共有されていない情報ですよね?」
元〈アナリシス〉の飛鳥井は、確信は持てないと控えめに頷く。
「少なくともわたしはそう言った情報に触れなかったわ。
〈ストレージ〉幹部の堤も知らないとなると、どうしても〈管理局〉クラス。
それか〈ラボ〉かしら」
〈ラボ〉は正式名称を科学研究局という。
〈管理局〉に属する組織の1つで、〈ツール〉を使うことで人類の役に立てないか研究する組織だ。
〈ラボ〉の名前に守屋の視線が反応した。
その僅かな動きを夕陽は見逃さず、彼へと好奇心いっぱいに瞳を向けて問う。
「何かご存じみたいですね」
「些細なことだ」
「でも所長さんも本当のことを知りたいと思っていますよね?
でしたら些細なことでも共有すべきです」
「だったらまずお前の些細じゃない秘密を共有したらどうだ」
「それは追々します。
せっかちな人は嫌われますよ。
そういうわけですから、どうぞ所長さんが気がついたことを教えてください」
どっちがせっかちだと守屋は悪態をつきつつも、夕陽の視線から逃れるように飛鳥井の方を見て口を開く。
「以前、堤へと〈ツール〉を引き渡した際の話だ。
堤が「これは〈ラボ〉へと提供する」と言っていた」
「それ、業務として回収した〈ツール〉? それとも――」
「後者だ」
守屋は飛鳥井の言葉を先読みして答えた。
「いやそれおかしくないか?」仁木が異論を唱える。
「〈ラボ〉は〈管理局〉傘下だろ。だったら正式な手順を踏んで〈ストレージ〉から研究用の〈ツール〉を受け取れば良い話だろ?」
仁木の言葉は最もだった。
不当な手段で手に入れた〈ツール〉を、正式な機関である〈ラボ〉へと渡してしまったら、その所在管理がややこしくなる。
出所不明の〈ツール〉を研究に使用したなどと報告書には書けないはずだ。
「それってどんな〈ツール〉だったか覚えていますか?」
夕陽の問いに、守屋は否定を示した。
「覚えてない。
どうせあいつに引き渡すから大して調べもしなかった」
「あら残念です。
では堤さんから引き渡しを要求された〈ツール〉のリスト頂いてよろしいですか?」
守屋は嫌そうにしながらも、データの入ったカードを夕陽へと差し出した。
「準備が良いですね」
「告発するときに必要だからな」
夕陽は礼を言ってカードを受け取る。
「とりあえずスーパービジョンが求めていた〈ツール〉の傾向は追えますね」
夕陽はそれで満足したようだった。
しかし堤と〈ラボ〉の関係については謎が残ったままだ。
飛鳥井が考えをまとまるように言葉を紡いでいく。
「〈ラボ〉なら〈ストレージ〉の保管している〈ツール〉のリストへアクセス出来る。
堤は〈ツール〉引き渡しには携わるはず。
〈ラボ〉は研究機関として正式に認められているのだから、わざわざ不当な手段を用いて〈ツール〉を回収する必要はない」
「本当にそうですか?」
飛鳥井の言葉に夕陽が疑問を呈した。
考えをまとめていただけの飛鳥井はその問いかけを歓迎して、夕陽へと疑問点があるなら教えて欲しいと発言を促す。
「〈管理局〉は本来、通常の物理法則を無視してしまう〈ツール〉を世に出さないための組織ですよね?
でも同時に〈ツール〉にはこれまでの常識を覆す物理的事実の発見や発明に繋がる可能性がある。
だから〈ラボ〉は特別に研究を認められている。
この場合、〈管理局〉が無制限に〈ラボ〉へと研究許可を出すと思いますか?」
夕陽の言葉に対して、珍しく守屋が直接問われたわけではないのに自発的に回答した。
「そうはならない。確実に制限がかかる。
〈管理局〉の最重要の関心は〈ツール〉を世に出さないことだ。
研究はあくまで〈ツール〉でしか到達できない極めて重要な実験のみに許可されるはず」
守屋の言葉に夕陽も納得したように頷く。
「私もそうあるべきだと思います。
だとすれば、〈ラボ〉が正規以外の〈ツール〉供給手段を用意していてもおかしくないと思いませんか?」
その問いに、飛鳥井は俯いて考え始めた。
正規の手段では極限られた数の〈ツール〉しか研究に使えない。
となれば、非正規の方法を使ってでも〈ツール〉を集めるだろうか?
「研究内容が分からないから判断出来ないわ」
「そうですね。問題はそこです。
〈ラボ〉は内部にも存在を伏せられている組織ですから、何をしているのか分からない。
――でも普通の研究ではなさそうな気はします。
だってそうですよね?
申請を出しても認められないような――そもそも申請すら出せないような研究であれば、不当な手段で〈ツール〉を集める理由にも納得がいきます」
申請すら出せないような研究。
守屋はそれがどんな研究なのか思案した。
法に触れるもの?
人類史に不可逆の影響を与えてしまうようなもの?
〈ラボ〉が通常どのような研究をしているかも分からないから規模感がつかめない。
夕陽が言い出した以上、何らかのイメージがあるのだろうと守屋は彼女へと尋ねる。
「例えばどんなものだ?」
「人体実験とか」
けろりと夕陽がとんでもないことを口にした。
守屋は眉を潜め、仁木も息をのむ。
だが一番の反応を見せたのは飛鳥井だった。
飛鳥井は殺気だった目で夕陽を見据えて問う。
「それ、何か根拠があるの?」
夕陽はかぶりを振る。
「いいえ。完全に憶測で喋りました。
ですが可能性は0ではありません。
異常な外傷を負った変死体が見つかる事件も起きてますし」
「あの事件を知っているの?」
「どの事件です?」
夕陽はおどけたように問い返した。
飛鳥井はそんな彼女の顔を刺すように見つめたが、笑顔の奥にある感情は読み取れない。
飛鳥井は追求に無駄な労力を割くのを止めて、守屋へと訴えた。
「〈ラボ〉を調べるべきだわ」
「そうは言っても直接の関係はない。
〈アナリシス〉か〈ストレージ〉なら可能性はあるだろうが」
飛鳥井は不服そうに口元を歪める。
彼女は元〈アナリシス〉。栞探偵事務所に移ってこなければ、〈ラボ〉との接点を持てたかも知れない。
しかし今となっては過去の話だ。
「〈ラボ〉が好みそうな〈ツール〉を用意して釣り出せば良いのでは?」
夕陽が案を出すと、守屋が疑問を呈した。
「”水牛の像”で釣り出せると思ってるのか?」
「あれ自体は〈ツール〉ではないので難しいと思います。
堤さんもあれだけ持っていっても取り次ぎはしてくれないでしょうし。
もう少し好みに寄せた〈ツール〉を用意した方が良いかもしれません」
「どうやって用意するつもりだ」
「私たちは〈ピックアップ〉ですよね?
探し出せば済む話では?」
「都合良く見つかればな」
守屋は夕陽の意見に否定的だった。
それを受けて夕陽は次案を出す。
「でしたら買ってくれば良いです」
「買うって、〈ツール〉だぞ。
どこから買うつもりだ」
「ブラックドワーフです。
〈ツール〉を売買しているんですよね?」
夕陽の視線は仁木へと向いていた。
彼は頷いて、「買っちゃいけないなんて法律はない」と言い切る。
法的にはそうだ。
何しろ〈ツール〉の存在は公にされていない。法律に売買禁止などと書けるはずがないのだ。
「〈ピックアップ〉の一員として完全に間違ってる」
守屋はなおも夕陽の意見を否定した。法的に問題なくても倫理的に大問題なのは明らかだ。
だがそれには夕陽もからかうように返した。
「所長さんがそれを言います?」
これまで堤へと〈ツール〉を横流ししていた守屋は押し黙った。
口を塞ぎふてくされたように夕陽を睨む。
夕陽はそれを笑顔で受けて、守屋の言い分を考慮して返す。
「所長さんの言うことも一理あります。
私も職を失いたくはないですし。
ですが”水牛の像”が偽物であることは、堤さんが口を割ったらバレてしまいます。
と言っても、私たちが堤さんの正体に気がついたと知れたら、何を用意しても〈ラボ〉の人は会ってくれないでしょうけど。
その辺りは堤さんを信じるしかありませんね」
夕陽は守屋から受け取っていたデータカードを見せて「まずはこれを調べてみます」と言って自分の席へと戻る。
守屋にも特に今すぐ出来る行動があるわけでもない。
堤への干渉は時期尚早。〈ラボ〉は連絡先さえ分からない。オーナーには昨日の出来事は報告できない。
完全に手詰まりで、この件について直ぐに動き出せる状況ではない。
飛鳥井と仁木もそれを理解して、自席へ戻ると報告書作成作業の続きに取りかかった。
守屋はこれまで自分を支配していた堤について。
飛鳥井は〈ラボ〉が行っている研究について。
夕陽は”水牛の像”の秘密について。
それぞれがスーパービジョンを、そして〈ラボ〉を調査する理由を有していた。
仁木にとっても、堤の悪事を明らかにしてやりたいという気持ちがある。
しかしその日には誰も良い案が浮かばなかった。
〈ラボ〉と接触したいが、その手段がない。
答えは見えない状況だった。
だが誰にも見えないところで、夕陽だけは着々と次の一手の準備を進めていた。