第15話 水牛像争奪戦②

文字数 3,145文字

 夕陽(ゆうひ)は工場敷地の一番奥にある建物へ辿り着く。
 間違いなく鴻巣(こうのす)はこの建物へと入っていった。

 空は随分と暗くなっていた。
 空に広がった真っ黒な雲からは、今にも一雨降ってきそうだった。

 倉庫の方向からは、駆けつけた〈管理局〉が鳴らしているのだろう。緊急車両のサイレンが響き渡っている。
 倉庫から離れたこの場所でも、騒音と感じる程度には五月蠅かった。

 建物には立ち入り禁止の警告が張られていた。しかし鍵はかかっていない。
 扉を開けて中へ入ると、後ろ手で途中まで閉める。
 研究開発棟だろうか。入り口横には、中身を抜かれたドライチャンバーの残骸が放置されていた。
 
 室内は埃がたまり、空気は淀んでいる。
 階段を駆け上がる音が聞こえた。
 その足音は夕陽を誘っているようにも感じた。

 スーパービジョンはまだここまで辿り着いていない。
 ”水牛の像”を彼らに渡すわけにはいかない。
 夕陽は臆することなく、モデルガンを構えて建物奥へと進み、階段を上る。

 アクシデントもあったが、ことは上手く運んでいる。
 全てを明らかには出来なくとも、何かしらの収穫はあるはずだ。
 これから先、夕陽の調査を進めていく上で、絶対に知っておかなければいけない情報が手に入るかも知れない。

 夕陽は1人微笑んで、入り組んだ研究施設跡を迷うことなく進んでいく。
 2階奥。『長時間試験室』と書かれた部屋。

 夕陽がその重い扉に手をかけ引くと、乾いた音が響く。
 ――銃声。
 そう感じた瞬間手を引っ込める。
 銃弾が開けかけの扉を掠めたらしく火花が散った。

 ――今のは死ぬかと思ったな。
 火花が見えたのは目の高さ。もう一歩前へ踏み出してたら頭をぶち抜かれるところだった。
 夕陽はそう考えると思わずおかしくなって笑ってしまった。
 いろいろ計画は立ててきたけど、最後は結局綱渡りだ。

 顔を出したら撃たれる。
 鴻巣は2発目を外すほど間抜けじゃないだろう。

 夕陽は扉の後ろに隠れたまま、モデルガンの銃身でタイミングを計るようにして扉を軽く3度叩く。
 それから扉を蹴り開けて突入。

 モデルガンを構えたまま内部を確認。
 鴻巣の姿はなかった。

 奥の部屋からガラスの割れる音。
 彼女は外へと逃げ出しただろう。

 夕陽は室内を観察。
 窓のシャッターは全て取り外されていて、雨雲から漏れた僅かな明かりが入り込んできていた。
 明かりに照らされて見える、床に残る重い物体が置かれていたであろう痕跡が、この部屋が本当に『長時間試験室』だったことを示している。

 背後から足音が聞こえる。
 ちょうど良いタイミング。
 あまりに出来すぎたシナリオだ。

 でも問題はここから先がどうなるか。

 夕陽はモデルガンをホルスターへと収めると、左手に”水牛の像”を持つ。
 大きな2本の角と、首筋の盛り上がった部分が特徴的な赤茶色をした像。
 それは夕陽の手には少し大きかったが、それでもしっかりと手のひらの上で支えられた。

 部屋の奥へと進んだ夕陽は、入り口の方へと向いて来客を向かい入れる。

「あら、守屋(もりや)さん。
 もしかして私を助けに来てくれましたか?」

 部屋に入ったのは守屋だった。
 スーツ姿の彼は相変わらず髪はボサボサのままで、濁った瞳で夕陽の姿を見て、それからその手にある“水牛の像”を見た。
 彼はゆっくりと、手にしていた銃を構える。
 銃口が、夕陽の頭へと向けられた。
 無言のままの彼へと対して、夕陽は言葉を投げる。

「さっき鴻巣さんに撃たれかけたんです。
 あと少しで当たるところでした。
 ――それで、守屋さんはどうして私に銃を向けているんですか?
 私、淵沢(ふちさわ)夕陽です。忘れたわけではないですよね?」

 守屋は一歩前に出ると銃の安全装置を解除した。
 その様子を見て夕陽は小さく微笑む。

「状況を説明して頂いても?」

 その言葉に、ついに守屋は沈黙を破った。
 冷たく。感情なく。ただ警告だけを口にした。

「その像を床に置いて、以降その存在を忘れろ」

「どうしてですか?
 〈管理局〉が探し求めている“水牛の像”ですよ?」

「命令だ。
 理由を知る必要はない」

 守屋の淀んだ瞳は、真っ直ぐに夕陽を見据えていた。
 指先が拳銃のトリガーへとかけられ、指示に従わなければ撃つと意思表示がされる。
 それでも夕陽は笑って見せた。
 右手で“水牛の像”を指さして告げる。

「これを手にすると、精霊のようなものが見えるそうですね。
 守屋さんには見えますか?」

「質問には答えない。
 言うとおりにしろ」

「大切なことですよ。
 本当に、何も見えませんか?」

 重ねられた問い。
 守屋は険しい顔を崩さずに短く返す。

「見えない」

「ですよね。
 でもこの精霊、一体どういう存在なのでしょうか?」

 夕陽は右手の人差し指を顎に当てて考える素振りを見せる。
 それに守屋は一瞬眉をひそめて問いただした。

「お前には見えるのか?」

「ええ。はっきりと見えますよ」

 夕陽は微笑んで答えた。
 守屋はそんな彼女へと対して、語気を強めて言う。

「その精霊についても忘れろ。
 今すぐに像を手放して、全て忘れるんだ」

「それは出来ません。
 私、本当のことを知りたくて探偵になったんですよ。
 こんなに気になることが目の前にあるのに、それを忘れてしまうなんて不可能です」

 銃を構えたままの守屋と、決して“水牛の像”を手放そうとしない夕陽。
 2人の間に沈黙が流れる。
 しかし、スマホの震動音が静寂を打ち破った。

「どうぞ、出ても良いですよ。
 安心してください。私はここに居ますよ」

 夕陽がニコニコ顔で言うと、守屋は左手で私物のスマホを持ち着信に応答した。
 夕陽には会話内容は聞こえない。守屋の応答だけが静かな室内に反響する。

「目の前に居ます。
 ――ええ、像を持ってる。
 ……」

 守屋は言葉を句切る。
 されど決断したかのように夕陽を一瞥すると応答した。

「――分かった」

 通話を終了して再び拳銃を両手で構える。
 夕陽はやはり笑ったままで問いかけた。

「私を殺すように命令されました?
 相手はどなたです?
 私物のスマホにかけてきたと言うことはオーナーではないですよね」

「お前には関係ない」

「えー。殺されるの私なので、関係ないってことはないですよ。
 それに守屋さん返答に迷いましたよね。
 本当は殺したくない。でも命令に従わないといけない理由がある。
 そうでしょう?

 是非相談してください。
 私、お役に立ちますよ。
 もし何らかの理由があって命令に従わないといけないなら、その理由を消してしまえば良い。そうでしょう?」

 微笑んで問いかけるように言う夕陽。
 そんな彼女の言葉を無視して、守屋は彼女の額へと照準を定めた。

「撃てませんよ?
 守屋さんは嘘つき探偵ですから。私を殺す覚悟なんて本当はありません。
 どうぞ、試しに引き金をひいて見てください」

 守屋を試すような言葉。
 夕陽の表情は何時にも増して明るく、薄暗い室内の僅かな明かりでその大きな瞳を輝かせ、守屋の姿を見据えていた。

 守屋は一瞬、視線を逸らしそうになる。
 だが彼も決断していた。
 再度真っ直ぐに夕陽の姿を見つめ、嗚咽するように言葉を吐き出す。

「淵沢。すまない」

 銃声。

 夕陽は瞬く光を見て、それから火薬の匂いが鼻孔を刺激したのを感じた。
 体中から力が抜け、重力に引かれて倒れる。

 夕陽は自分がどういう状況にあるか理解した。

 ――私、撃たれたんだ。

 それでも夕陽は笑顔を崩さない。
 これで良かった。
 どうしても知っておきたかったことを、知ることが出来たのだから。


 銃弾は正確無比に、夕陽の脳天を貫いていた。
 仰向けに倒れた彼女の頭から溢れた血が床に広がっていく。
 頭部を撃ち抜かれ即死したにもかかわらず、彼女の表情はまるで微笑んでいるかのようだった。

 
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