第6話 牝鹿像の行方

文字数 6,785文字

 夕陽と飛鳥井は運転を交替しながら帰路についた。
 片道3時間。夕陽は初めて運転するプリウスについて、児童養護施設にあった限界ギリギリのバンより数百倍良いと評価を下していた。

 事務所に戻る頃には夕方になっていた。
 仁木のランサーエボリューションも駐車場にあった。戻ってきているようだ。

 2人が事務所に入ると、守屋と仁木は食事スペースに資料を広げて待ち構えていた。

「おかえり。随分遅かったね」

「遠くまで行ってたから」

 飛鳥井は答えると、帰り道で作成していた資料を印刷して食事スペースに置く。
 紙1枚だが、とりあえず各自の資料は出そろった。
 所長である守屋が取り仕切り、報告会が開始される。

 まずは守屋が、葛原精機社長への聞き込みと牝鹿像について述べる。

「葛原社長は14年前に牝鹿像を購入。
 創業20周年を記念する物だが、どちらかというと親類の石材店のために発注したそうだ。
 その石材店夫婦の一人娘に不幸があって、仕事が手につかなかったのを見かねたらしい」

「石材店でも同じことを聞きました」飛鳥井が告げる。

 裏付けはとれたので守屋は話を先に進めた。

「そういう事情もあって、石像自体に大きな価値があるわけじゃない。
 石像へ保険をかけることもなかった。つまり自作自演の盗難事件でも無い。
 だが葛原社長はあの石像を気に入っていたらしい。
 戻ってこないなら再発注するつもりのようだ。
 ――石材店側が再発注を見越して盗んだ可能性もあるが」

 石材店へと調査に出かけていた飛鳥井へと視線が向く。
 飛鳥井は落ち着き払ってそれに答えた。

「可能性自体は否定しません。
 ですが店主の対応を見るに、その可能性は低いかと思われます」

 主観でしかない意見だが、守屋はそれについては重要では無いと特に証拠を求めることも無く、次の資料を提出する。
 それは監視カメラ映像の切り抜きだった。

「最終退社処理が行われたのは夜21時頃。
 その社員は帰宅の際、牝鹿像を確かに見ている。
 盗難が発覚したのは翌朝6時。警備会社の人間が、正門の解錠中に牝鹿像が無くなっているのに気がついた」

 監視カメラが映しているのは葛原精機正門だ。
 カメラは固定されていて、画角の中に牝鹿像は入っていない。あくまで正門を通過した人間を記録するための物だった。

 21時の映像記録には退社する社員が。明朝6時には正門を開ける警備会社社員の姿が映っている。

「この間に1件、正門を通過した記録があった。
 深夜3時頃だ。トラックが正門を通過して外に出た。
 警備システムは正規の方法で解除されている。警備会社も、社員が忘れ物をしたのだろうと判断していた。
 運転手と同乗者は顔を隠している。
 映っているのは2人だが、恐らく荷台にも1人か2人は居ただろう」

 映像記録に残されたトラック。
 クレーン付きの物で、運転手と助手席に人。顔は隠されている。
 荷台については幌がかぶせてあり見えないが、牝鹿像が乗っている可能性は非常に高いだろう。
 資料をさっと見て、夕陽が意見を口にした。

「国包石材店のトラックとは別の型ですね。
 ところで、正門を通過したのは本当にこの1件だけですか?」

 問いかけの意味を守屋は十分に理解した上で頷く。

「ああこの1件だ。
 つまり、トラックの出て行く映像だけ。入った記録は残されていない」

「ということは、葛原精機のトラックってこと?」飛鳥井が問う。

「そうだ。
 葛原精機は半導体製造機器運搬のため、トラックを数台所有していた。
 その内の1台が持ち出されたと判明している。
 盗難事件としては、牝鹿像よりもトラックの方が被害が大きくなるだろう」

 守屋の説明を聞いて飛鳥井は頷く。

「かなり計画的な盗難事件ね。
 葛原精機か、警備会社に協力者がいるかも」

「同意見だ。
 盗難については以上。続いて牝鹿像が〈ツール〉だったかどうかと言う点について」

 守屋は牝鹿像が盗まれて土台だけになった写真を提出する。
 事前情報通り、土台を取り囲むように柵。下は芝生となっていて、その更に外周は車両用のロータリー。

「社員は像には近づかなかったそうだ。
 車両の通るロータリーを横切らないようにと会社側から注意喚起があった。単純に危ないからだな。
 だから更に外周に整備された歩道を歩いて通勤する」

「そうでしょうね。
 それで、社員は異変を感じていたの?」

「聞き込み調査の結果だが――」

 守屋は歯切れ悪く、簡単にまとめた資料を提出する。
 書かれた文言はどれも抽象的で、牝鹿像に本当に問題があったかどうかは分からない。

「像へ近づこうとすると、身体が重くなるような感じがしたという意見があった。
 同じような意見だと、正門を通って社屋へ向かう――牝鹿像へと近づく方向だ――と、急に倦怠感を覚えたなどがある」

「身体が重くなる、倦怠感……。出社するのが嫌になったとかじゃなくて?」

 飛鳥井の言葉に守屋も中途半端な返答しか返せない。

「その可能性は否定できない。
 だが退社するときも、社屋から出て正門へ向かう途中、牝鹿像へと近づく方向を歩くときは身体が重く感じた、という意見もある。
 それに歩行者だけでは無く、車両でも同じだ。
 どうにも正門を通過してロータリーへ入ると、車が進みづらく感じたらしい」

 そこまで聞いて、夕陽が首をかしげながら可能性を示す。

「近づく物を重くする〈ツール〉? それとも単純に周囲の重力を増加させているとか?」

「さあ。そこまでは分からない。
 質問無ければ次は仁木の報告だ」

「あ、1点だけ確認させてください。
 土台は〈ツール〉では無かったんですよね?」

「ああ。調べたが、特異な点は認められなかった」

 守屋による土台の調査がどの程度の物かは分からないが、少なくとも牝鹿像を持ち出した集団は、土台の方を完全に無視した。
 〈ツール〉である可能性は低く見積もって問題ないだろうと、夕陽は納得して回答への礼を言うと「私からは以上です」と質問を打ち切った。

 続いて仁木が広げていた資料の中から2枚の写真をとりだして、机の真ん中へ置くと報告を始める。

「庭園整備業者へ聞き込みしてきた。
 こっちの写真が清掃前。こっちが清掃後。見た目に大きな違いは無い。
 清掃は半年に1度。ちょうど10日前がその日だった。
 ちなみに前回の清掃時には特に問題は見つからなかった」

 写真はどちらも牝鹿像のもの。
 1枚目は清掃前。しかし鳥の糞も蜘蛛の巣も無く綺麗な物だった。
 2枚目は清掃後。水洗いしたのだろう。像は濡れて、確かに1枚目よりも光沢があり綺麗になっていた。
 仁木は報告を続ける。

「問題は清掃中だ。
 水をかけようとしたところ、像から反発する力を受けるように失速した。
 高圧洗浄機でも同様で、十分な洗浄効果が得られないほどに水の勢いが弱くなったらしい。
 ホースの問題を疑ったが、像から離れていく方向については水は普通に出たらしい。

 その後手作業に切り替えたが、近づこうとすると強い反発力を感じたそうだ。
 とにかく、像へ接近を試みると押し返されるような状況だったらしい。
 ただゆっくり近づけば触れたし、触った状態で掃除する分には問題なかった。
 一応、そういう問題があったと葛原精機側には伝えたようだ」

「会社側に伝わって、それがどこかで〈管理局〉へと通じた訳ね。
 ――で、他には?」

 まさか1日かかって清掃業者しか調べてないわけ無いだろうと飛鳥井は問う。
 だが仁木と守屋は2人揃って首を横に振った。
 守屋が言う。

「残念ながら、警察に捕まって時間をとられた」

「警察?」夕陽が首をかしげる。

「栞探偵事務所が牝鹿像および葛原精機トラック盗難の容疑者として疑われているようだ。
 無理も無いだろう。
 調査依頼を受けてこれから調査するという直前に、何者かに盗みを働かれた。
 疑う理由は十分にある」

「誰かトラック運転できるんですか?」

「仁木と飛鳥井が中型免許を持ってる。
 仁木に関してはクレーン免許もある」

「運び出そうと思えば出来てしまったと」

 警察にとってみれば疑わしい存在であろう。
 それに〈ツール〉については秘密。牝鹿像に対してどのような調査を行う予定だったのか、具体的な話は何も出来ない。

「オーナーに頼んで、〈管理局〉側から警察に働きかけて貰った方が賢明では?
 牝鹿像が〈ツール〉だったことは間違いなさそうだし」飛鳥井が意見する。

「手は打った。
 しばらく警察も手出しは出来ないだろう」

「初期調査の時間を持ってかれたのは痛いけどね」

「で、お前達は?」

 守屋は飛鳥井へと調査報告を要求した。
 飛鳥井は夕陽へ視線を向けて、「報告してみる?」と問う。
 夕陽は無邪気に頷いて、紙1枚の資料を元にして喋り始めた。

「私たちは問題の牝鹿像が制作された国包石材店へ調査に行ってきました。
 所長さんの報告にあったように、牝鹿像は制作者と発注者にとっては思い入れのある作品だそうです。
 石像の購入金額は500万。ですが石像自体に特別な価値はないそうです。
 〈ツール〉でなければ盗む価値はなかった。もちろん、石像の中にお宝が隠されていたなんて話も無しです」

「まあそうだろうな」守屋が無関心そうに相づちを打つ。夕陽は続けた。

「現地で確かめてきたのは、同時期に作った他の石像。同じ石材で作られた牡鹿像。それ以外の石材店に並べられた石像、墓石や灯籠も含めてですが、全て〈ツール〉では無かったと言うことです」

「ちょっと待て」

 守屋が説明に対して挙手し、意義を申し立てる。
 夕陽は笑顔で発言を促した。

「国包石材店は片道3時間。
 現地での調査時間はほとんどとれなかったはずだ。
 どうして全て〈ツール〉でないと言い切れる」

 夕陽はその問いかけにきょとんとして、首をかしげながら返した。

「〈ツール〉であるかどうかは、見たら直ぐに分かりませんか?
 だって普通とは違う法則に従う物質ですよ。
 目の前にあれば異常に気がついて当然です」

 それが当たり前のように夕陽は言ってのけた。
 見れば分かる、なんて、〈ピックアップ〉の下っ端として働き続けてきた守屋には口が裂けても言えない言葉だ。
 〈ツール〉は通常の物質に溶け込み、人間の予想するのとは全く異なる変異を起こしている。
 1つ探し出すだけでも至難の業。
 それが石像ひしめく石材店で、全ての石像が〈ツール〉で無いと、ぱっと見てきた程度で言い切れるというのは冗談が過ぎる。

「お前は一目見れば〈ツール〉かどうか分かると言い張るつもりか?」

「言い張るも何も、その通りですよ」

 夕陽は笑ってそう返した。
 それから守屋が言葉を重ねる前に、口元に控えめな笑みを浮かべて、飛鳥井へと尋ねる。

「私と飛鳥井さんが最初に会ったとき、私はまず本について指摘しましたよね?
 でもそれだけではなく、もう1つについても指摘したはずです」

 飛鳥井は夕陽の方へと真っ直ぐに視線を向けた。
 夕陽を見たかったのでは無い。
 見られたくない物を、守屋と仁木から隠そうとしたのだ。
 その動きに夕陽は満足して、微笑んだまま守屋を見る。
 視線の先は、守屋の顔では無くその左手。薬指にはめられた指輪へと向いている。

「所長さん。
 私は面接で所長さんと初めて会ったとき、最初に見たのは顔では無く左――」

「それ以上はいい。
 お前の言いたいことはよく分かった」

「あらそうですか? 残念です。
 でも分かって頂けましたか? 私、観察力には自信があるんです」

 夕陽は満面の笑みを浮かべた。
 その笑顔から嘘つき探偵は逃げるように視線を逸らす。
 彼女は無邪気で、子供のように好奇心で溢れている。興味を持たれたら何もかも調べ尽くされてしまう。
 一目見ただけで〈ツール〉を見抜いてしまう彼女の才能は、恐れるに値するものだった。
 
 そんなことお構いなしで夕陽は報告を続けた。

「つまりですね、〈ツール〉と制作者、制作環境、制作時期、材料には一切関係がないということです。
 牝鹿の像は葛原精機のあの場所に飾られた状態で、何らかの原因があってツールとなった。
 ――これって何でだと思います? 〈ツール〉が産まれる理由はさっぱり分からないんです」

 問いかけは守屋に向いていた。
 だが彼もその質問に答えを出せずかぶりを振った。

「〈ツール〉の産まれる理由は知らない。
 オーナーに聞いてみても、答えてはくれないだろう」

 夕陽は「残念です」と微笑んで報告を終了した。
 全ての資料が出そろったが、守屋は顎に手を当てて目を細めるばかりで、牝鹿像盗難についてこれからの調査方針を決定できない。

「どれも大した手がかりにはなりそうもないな」

「え? そうですか?」

 夕陽は明るい口調で、資料の中から〈ツール〉の特性に関する物を引っ張り出して並べる。

「近づくと重くなったり反発されたり失速したりするんですよね?
 しかも人も車も、水ですらそうです。
 車用ロータリーを挟んだ歩道を歩いている人にも効果がありました。
 でも触れることは出来るから、清掃も盗難も出来ました」

 事実がつらつらと並べられる。
 守屋が「まずは結論から話せ」と促すと、夕陽は不手際を謝ってから告げた。

「これ、トラックの荷台に載せたとして、遠くまで運べますか?
 例えばこれを乗せたトラックが道路を走ったとして、対向車は無事で済みます?」

 投げかけられた疑問。守屋は直ぐに立ち上がって指示を飛ばす。

「仁木、3時以降の交通事故情報を調べろ」

「了解」仁木は二つ返事で自分の事務机へ向かいPCのキーボードを叩き始めた。。

「まだ近くに居るはずよ」

 飛鳥井は告げると、周辺の拡大地図を持ってきて食事スペースに広げる。
 地図上にはいくつもの赤い印が打ってある。

「あ、これってもしかして、〈ツール〉の見つかった場所ですか?
 そうだ飛鳥井さん。ここ2年分の調査資料って何処にありますか?」

「後にしろ」飛鳥井が口を開く前に守屋が突っぱねた。

「そうおっしゃるならそうします。
 ここが葛原精機ですね」

 葛原精機の本社にピンが立てられる。
 そして仁木がPCを持ってきながら、2本のピンを地図上に立てた。

「昨晩3時過ぎに2件の事故が起こってる。
 どちらも単独事故で、トラックとすれ違う直前にスピンしたらしい。
 こっちが3時20分。2件目が3時27分」

「トラックに近い側が急減速したんでしょうか?
 高速道路に向かってますね。
 何処かへ運ぶつもりでしょうが、それが何処でもしばらくは市内に置いておきたくないはずです。
 トラックも石像も目立ちますからね」

 夕陽が推論を述べると、飛鳥井も同意を示す。
 遠くに運び出したい。でも運び出せない。
 牝鹿像の〈ツール〉としての能力は、トラックの周囲で事故を引き起こしてしまう。
 いつトラック自体が巻き込まれるか分からないし、大事故が起これば調査の目から逃れられない。

「もう警察も動いていますし、トラックは変えないといけないでしょうね。
 隠しておくには倉庫が必要です」

「分かってる。
 貸倉庫を調べるべきだな」

 守屋は調査方針を示すと、スマートフォンで市内の貸倉庫を調べ始める。
 だが夕陽はじっと地図を見て、ぴんと伸ばした左手の人差し指で1点を指し示した。

「ここはどうです?
 トラックでは無理でも、船なら対向車なんか気にせず運び出せますよね?
 何しろ車間距離――船間距離かな? が十分に大きいです」

 指し示されたのは、市内の河口にある港。
 高速道路とは反対側になるが、葛原精機からは距離が近い。
 港の規模はそう大きくない。だが2トンに満たない石像ならば、運ぶ手段は用意できるはずだ。
 
「積み替えがあるので、人目につかない時間に運び出すはずです。
 船の準備が出来さえすれば、今夜辺りとか怪しいですね」

 夕陽は笑顔を守屋へと向けていた。
 夜間調査となれば残業は確定だ。
 サボタージュとオーナーの指示。守屋はどちらを選ぶのか。
 夕陽は笑顔のうちで彼を試していた。

 守屋は嫌そうな表情を浮かべつつ、飛鳥井へと指示を飛ばす。

「港へ連絡して倉庫の使用状況問い合わせを。
 深夜帯の搬入記録があれば提出させろ」

「了解。
 小さな港だから記録はとってないかも。
 張り込みも覚悟した方が良いわよ」

 意見を述べながらも飛鳥井は港へと電話をかける。
 その間、夕陽は守屋へと歩み寄り、大きな鳶色の瞳に仏頂面の男の姿を映し出して問いかけた。
 
「ねえ所長さん。
 ここ2年分の調査資料って何処にありますか?」

 問いかけに守屋は頭を抑え、「今どうしても必要か」と問う。
 夕陽は「もちろんです」と頷いた。

「倉庫にしまってある。
 ――いい。お前は動くな。とってくる」

 資料をとりに倉庫へ向かった守屋へと、夕陽は満面の笑みで「ありがとうございます。優しいですね、所長さん」と口にした。
 
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