第46話 エピローグ

文字数 4,772文字

「電話でしか伝えていなかったので、一応これも渡しておきます」

 荷物整理のために久しぶりに栞探偵事務所を訪れた夕陽。
 彼女は目の前に座る、不機嫌そうに口を真一文字に結んだ守屋へと封筒を差し出す。
 ”辞表”と記されたそれを、守屋は受け取ろうとはせず、夕陽の顔をちらりと見て言った。

「念のため確認するが、お前、まだ〈ツール〉をばら撒いたりしてないよな?」

 問いかけに夕陽は首をかしげて、それからしっかり頷いて見せた。

「してないですよ。
 する意味も無いですし。
 ――ああ。もしかして〈ツール〉回収の仕事が減らなくて困っています?」

 守屋は頷いた。

「元々お前が〈ツール〉をばら撒いていたから仕事が増えていたんだろ。
 だったらどうして〈ツール〉の発見報告が止まらないんだ」

 それはもっともな質問だった。
 夕陽も気になってはいた。
 〈黄色い香炉〉、〈カエル型分銅〉、〈豊穣神ラーレ〉に〈葛原精機の牝鹿像〉。
 夕陽が栞探偵事務所に就職してから発見した〈ツール〉たち。
 どれも夕陽が〈ツール〉化処理を施したわけではない。
 自然発生的に産まれた〈ツール〉だ。

「どうして〈ツール〉が産まれるのかはご存じでしょう?」

「〈ドール〉が〈ツール〉を産み出すんだろ?」

 守屋は応じる。そこまでは分かっている。
 そこで1つの可能性について尋ねた。

「誰かが〈ドール〉で〈ツール〉を作って回ってる?」

「もしそうだとしたら出現する〈ツール〉の特性に共通点があるはずです。
 〈ツール〉化される対象も偏りがあるでしょう。
 ――その辺りどうです?」

「そういうのはない」

 守屋は夕陽へとPC画面に表示されたリストを示す。
 退職しに来たのにと言いつつも、夕陽はそれをざっと眺めて、特性の共通点も、〈ツール〉化対象の偏りもないのを確かめた。

「となると偶発的に発生した〈ツール〉ですね」

「〈ドール〉関係なくか?」

「はい。そうです」

 夕陽は大きく頷く。
 だがそれはこれまで栞探偵事務所が突き止めてきた事実とは異なる。
 〈ツール〉は〈ドール〉によって産み出される。
 そのはずだった。

 守屋が説明を求めるように視線を向けると、夕陽も今更隠し事するつもりはないと話し始めた。

「〈ドール〉は依り代に宿ります。
 依り代が破壊された〈ドール〉は姿が見えなくなり、ゆっくりと自然消滅していきます。
 ここまではいいですか?」

「ああ。小谷川がそんな風に言っていた」

「なら後の話は簡単です。
 逆に、〈ドール〉のような存在が自然発生する場合があるようです。
 と言っても〈ドール〉ではないため、意思の疎通も目視も出来ません。
 それに依り代も持たないのでしばらくすると勝手に消滅します。
 でも〈ツール〉を作ることは出来る」

「それが発生する条件は?」

「信仰だそうです。
 イナンナに聞いたので間違いありません」

 信仰。守屋は復唱して、それが何を意味するのか思案する。
 そして1つの疑問を覚えて問いかけた。

「それはこの地域でだけ未だに〈ツール〉が増え続ける理由になるか?」

 夕陽は頷く。

「はい。なりますよ。
 この地域ではある時期から特異的に大量の〈ツール〉が存在するようになった。
 〈ツール〉の存在は隠されていましたが、異常現象の発生はネットや報道によって拡散されます。
 その結果、この地域では何かおかしな現象が発生し得ると思う人々が増えたわけです。
 それはすなわち、”人知を超えた超常現象”を願う一種の信仰となりました」

「それで信仰が集まり〈ツール〉が産まれていると?」

「そうなりますね」

 夕陽が笑みを浮かべて頷くと、守屋はしかめっ面で彼女の顔を睨んだ。

「つまり元をたどればお前のせいじゃないか」

「そうなります」

「責任持って回収しろ」

 守屋はぶっきらぼうに言ったが、夕陽は「前向きに検討します」とのらりくらりと躱して、辞表を一方的にデスクの上に置いた。

「ここを辞めてどうするつもりだ?」

 守屋は問う。
 高校卒業して探偵事務所に就職。3ヶ月も務めずに退職して、再就職はどうするつもりなのか。
 とはいえ夕陽には〈ツール〉売買で稼いだ十分な資産があるし、手元に残しているであろう強力な特性を持つ〈ツール〉を使えば、いくらでも金は稼げるであろう。
 特に回答にも期待せず問いかけたが、夕陽は笑みを浮かべると返す。

「大学に行こうと思います。
 元々ここに就職したのは本当のことを知るためでしたが、それも無事解決しましたし。
 のんびり受験勉強して、来年から大学生です」

 受験に際する不安は一切無いようで夕陽は笑っていた。
 守屋も彼女が真剣に受験に取り組めばどうにでもなるだろうなと、適当に「そうか頑張れ」と返した。

 オーナーからは夕陽の退職を引き留めるように言われていたが、彼女が自分で目標を定めた以上、その変更はあり得ない。
 大学を卒業してからスカウトするように伝えれば良いだろうと、守屋は辞表を拾い上げると中身を確認せずにオーナー提出用の箱に投げ入れた。

「オーナーは身分を偽って入社したのを知ってるのか?」

「入社後には伝えてますよ。
 そもそも身分を偽った覚えはないですけど」

「GTCとブラックドワーフを率いてただろ。
 〈ツール〉についても知っていた」

「そんな私的な内容について報告する義務はないですよ」

 あっけらかんと答えた夕陽は、逆に守屋。そして飛鳥井と仁木へと視線を向けた。

「私よりお三方の方が問題なのでは?
 守屋さんはお咎めなしですか?」

 守屋は視線を逸らして返す。

「笹崎確保で帳消しだ。
 堤が横流しした〈ツール〉も回収できたからな」

「それは良かったです。
 飛鳥井さんは、どうしてここにいるんです?
 鴻巣さんは元の職場に戻ったとうかがっていますが」

 問いかけられた飛鳥井は、作業の手を止めて立ち上がった。

「まだ〈管理局〉について調べなければいけない件が残っているので。
 オーナーからも理解を得ています」

「そういえば未解決の事件がありましたね。
 管轄が違うので堤さん脅すより他の地域の資料当たった方が効率良いですよ」

 何かを知っているような口ぶりの夕陽を、飛鳥井はじとっとした目で見つめる。
 一体何を何処まで知っているのか。
 聞いたって教えてくれない。
 そもそも彼女自身、自分の目的に関係ない事件については深く探っていないはず。
 それでも全くの0からスタートするよりは幾分かマシだ。

「淵沢さん、本当に探偵続けるつもりは無いの?」

「今のところはないです。
 困った時には連絡くれればお手伝いは出来ると思います。バイト代は高めですけど」

 金を取るのかと目を細めた飛鳥井。
 でもそれも当然だ。彼女だって慈善活動をしているわけではない。
 それに他人に頼ってばかりでは、いつまで経っても実力を評価されない。

「行き詰まったらその時は頼むかも」

「ええ。そうして下さい」

 最後に夕陽は仁木へと視線を向ける。
 元ブラックドワーフであるという情報を伏せて栞探偵事務所に入っていたが、大した問題ではないだろう。

「仁木さんは、この仕事向いていると思います。
 今後も頑張って下さい」

「おいおい、そりゃあないぜ」

 適当に扱われた彼は大げさに言って見せる。

「嫌なんです?」

「嫌じゃないさ。
 他に仕事もないしな。
 最近じゃあ〈ツール〉も1人で発見できてるし、確かに適職かも知れない」

 たまに空振りもあるがなと守屋が横から一言加える。
 夕陽はその空振りに終わった調査報告書を見て「電話ボックスの裏も調査しないからですよ」と妙に具体的な指示を出した。

「まあ冗談はともかく、居なくなるのは寂しいな。
 ユウヒちゃん――いや、ナナミちゃんって呼んだ方がいいかな?」

 仁木の問いに珍しく夕陽はむすっとした表情を浮かべた。

「もしかして本名気に入ってない?」

 夕陽は小さく笑って誤魔化してから告げる。

「気に入ってない訳じゃないです。
 ただ、石材店の娘に七海はおかしいと思ってるだけです。
 まだ夕焼けが綺麗だったから程度の理由でつけた名前の方が好感が持てます」

 夕陽は本名について納得いっていないようで、この話題は揉めそうだとは思いつつも、仁木は尋ねる。

「家族とは上手くやってる?」

「微妙なところですね。
 あの人達は優しくしてくれますけど、実際3歳までしか一緒に居なかったわけですし、そもそもその記憶すらありませんから、完全に他人ですよ。
 同居しようとも誘われてますけど断ってます」

 嫌っているわけではないが、かといって直ぐに家族として受け入れることも出来ない。
 夕陽にとって国包石材店で過ごした時期は極めて短く、その記憶も無い。
 10歳の頃から8年間過ごした児童養護施設のほうがずっと関わりが深い。

「でも少しずつ慣れていく努力はしてますよ。
 そうだ。見よう見まねでちょっとした石像を作ってみたんですよ」

 言って、夕陽は背負っていたリュックを降ろすと、そこから丁寧に梱包された2つの物体を取り出した。
 梱包を剥がすと、それは土台付きの動物の像で、片手の上に乗るくらいの大きさだった。

 牝鹿とワニの像。
 牝鹿の方は図鑑にのっているのをそのまま切り出したかのようだ。
 表面の質感などはあまり凝っているとは言えないが、造形の再現度は高い。

 ワニの方は後ろ足で立ち上がり口を開く大胆な形状だ。
 こちらの方が後に作ったのだろう。皮の細かい部分まで削り込み質感を出している。
 
 夕陽は牝鹿の方を手のひらで示す。

「やっぱり角を作るのは初心者には難しいので、牝鹿が正解ですよ。
 あ、守屋さんか飛鳥井さん。
 今ならこの私が作った石像、1つ100万円でお売りしますけどどうです?」

「職場に商売を持ち込むな」

 トラブルの元だと守屋は辟易とするが、飛鳥井は石像に顔を近づけて詳しく観察を始めた。
 そして1人、買い取りを提案されなかった仁木が苦言を呈する。

「俺に買い取り権限がないのは何故?」

「仁木さんの預金状況は把握しています。
 車を売らない限り現金で100万円は出せないはずです。
 車を手放すつもり無いですよね?」

「ごもっとも」

 全くその通りだと、仁木は豪快に笑った。
 お金があったとしても、初心者が作った小さな石像に100万円はつぎ込めないだろう。

「触っても良い?」

 飛鳥井は石像に対する興味を示して問いかける。

「触ったらお買い上げ頂きます」

 返答に飛鳥井は顔をしかめた。
 されど1つ100万? と再度確認して、夕陽が頷くと短く思案する。

「2つとも貰おうかしら」

 正気か?
 守屋は問おうとして、思いとどまった。

 飛鳥井がガラクタに200万円も支払うわけがない。
 何かこの石像には意味があると睨んでいる。

 それは何か?
 石で出来た動物の像。
 素人が作った、芸術的な観点から見てもできの良いとは言えない像。
 もしそれが価値を持つとしたら――

 作ったのは淵沢夕陽だ。
 彼女は右手に神を宿している。
 それは〈ツール〉の特性を移動することができるし、更には〈ツール〉を産み出す存在である〈ドール〉すら新しく産み出せる。

 この石像はどちらか?
 〈ドール〉の依り代であるかどうかは触ってみなければ分からない。
 そして、夕陽は「触ったらお買い上げ頂きます」と言った。

 ガラクタか、〈ツール〉か、〈ドール〉か。
 そしてそれに100万円の価値はあるのか。

「守屋さんどうします?
 私は守屋さんには牝鹿をお勧めしますけど」

 夕陽が飛鳥井に2つとも売ってしまって良いのかと確認する。
 守屋は悩んだ末に1つだけ尋ねた。

「100万の価値はあるんだろうな」

「はい。保証しますよ」

 夕陽はにっこりと笑う。
 守屋はそれを受けて結論を出した。
 
 淵沢夕陽は嘘が嫌いだ。
 彼女が100万円の価値を保証すると言うのなら、きっとそういうことなのだろう。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み