第42話 不思議なツール②
文字数 3,603文字
金属製の階段を昇る。
階段の上からは笹崎と守屋の足音。
当たり前の話だが、笹崎は後をつけられていると把握している。
それでもついてくるなと止めないのは、予期しない場所から不意打ちが飛んでくるよりは、何処に居るのか分かっていた方が良いからに他ならなかった。
夕陽は2人の後を追いながら、どうしたものかと思案する。
上手いこと守屋だけ救わなくてはいけない。
とはいえ、笹崎を直ぐに殺してしまうわけにもいかない。殺すにしても下準備が必要だ。
上方で扉の開く音。
夕陽は急いで後を追いかけて扉の元へ。
金属製の大きな扉を開けて外へ出る。
施設の屋上へ出た瞬間拳銃弾が飛ぶものの、それは変質した夕陽の右腕に受け止められて、裏返しになって床を転がる。
「逃げ場なんてありませんよ」
夕陽は声をかけるが、風の音が大きく笹崎には十分に伝わらなかった。
「それ以上よってくるな」と喚く笹崎。
夕陽は仕方なく一旦足を止める。
「私は質問に答えて欲しいだけです。
こんな無駄なことは辞めにしませんか?」
笑顔を見せる。
だが笹崎はそんな笑顔に怯えて、夕陽の提案を聞こうともしない。
風の音だと思っていた音が次第に大きくなる。
空に明かりが灯った。
ヘリコプターの灯火だ。
空気を裂く音が大きくなり、救命用ヘリが施設屋上に近づいてくる。
「止めた方が良いと思います。
危ないだけですよ」
夕陽は声を張り上げた。
施設屋上にはヘリポートなんて無い。明かりも落とされた施設屋上に、どうやって接近するつもりなのか。
それでも笹崎は諦めない。
発炎筒を足下に投げて周囲を照らす。
明かりを目標にして、ヘリはゆっくりと距離を詰めてきた。
「もう一度言いますけど、危ないですよ」
再度の忠告。
だがヘリが接近し、その爆音で夕陽の声はかき消された。
夕陽は1歩前へ出る。
笹崎が守屋へと銃口を突きつけたので足を止めるが、近づいてくるヘリの姿を冷めた目で見る。
あんなもので逃げられるわけがない。
そもそも、どうやって乗り込むつもりなのか。
施設屋上へ近づいたヘリだが、着陸せず、縄ばしごを降ろした。
笹崎はそれを掴もうと手を伸ばすが届かない。
ヘリが急減速し高度を下げたかと思うと、不安定にふらふらと揺れた。
守屋が持っている〈葛原精機の牝鹿像〉は、接近する物体の運動エネルギーを減衰させる。
超高速でブレードを回転させて飛行するヘリコプターが、まともに飛んでいられるはずがない。
再度接近を試みるヘリコプター。
その試みは失敗に終わった。
運動エネルギーの減衰によって考慮されない力が加わり、ヘリはエンジンから煙を吐き急降下を開始。
急斜面の続く谷底へと墜落した。
「だから危ないって――」
地面に落ちたヘリが爆音を上げる最中、守屋が笹崎の手を振りほどき、彼の身体を蹴り飛ばした。
屋上に尻餅をついた笹崎はリボルバーを構えてトリガーを引くが、銃弾は守屋に到達しない。十分距離が離れたことで、〈葛原精機の牝鹿像〉は有効に作用した。
「もう、危なっかしいなあ」
笑いながら夕陽は右手を突き出した。
神が右手に侵入。無数の手が爆発的に成長し、無防備になった笹崎を襲う。
手は笹崎には直接触れず、リボルバーをかすめ取り構造を裏返しに。
笹崎の目前で停止した手。子供のような小さな手のひらには、これも子供のような瞳が現れた。
無数の透き通った目に凝視される笹崎。
「大人しくして下さいね」
笹崎は夕陽の声が近くから聞こえて身体を震わせた。
そして震える手で、1発の銃弾を取り落とした。
夕陽の手が〈ツール〉特性を打ち消すより早く、床に落ちた銃弾。
それは見えない壁を作り出し、その壁は爆発的に拡散した。
見えない壁が押し寄せてきても夕陽は動じない。
無数の手は押し寄せる壁を粉々に砕いて無効化した。
「大人しくしてと言ったはずです」
夕陽は手を元に戻して、カバンから手錠を取り出した。
それを投げつけると、笹崎の両腕は拘束される。
「お、おいっ」
これでかたはついたと安堵した夕陽の耳に、守屋の悲鳴が届いた。
今度は何をしたのかと守屋のいた方向に目を向ける。
だが直ぐには見つけられなかった。声のした方向を詳しく見ると、屋上の縁に守屋の手がかかっていた。
先ほどの透明な壁に押されて、屋上からはじき出されたのだろう。
「何をやっているんですか」
走り出す夕陽。
守屋は「助けてくれ」と悲鳴を上げる。
縁の向こうは先ほどヘリコプターが落ちていった急斜面。谷底では赤々と炎が上がっている。
生身の人間が死ぬには十分すぎる位の高さだ。
守屋は指だけで縁を掴んでいたのだが、風に煽られ身体が揺れ、次第に指の力がなくなっていく。
駆けつけた夕陽が手を伸ばすと、強風が吹き、守屋はついに縁から手を離した。
「本当にこの人はもう!」
落下する守屋。
夕陽は思考を巡らせる。カバンの中に入れている〈ツール〉では守屋を引き上げられない。
咄嗟に右手を伸ばした。
神が姿を現す。
それは顔の半分を占める真っ黒な瞳で夕陽を見つめて指示を待つ。
神の力は、夕陽の右手から無数の手を伸ばし、触れた物全てを裏返しにする。
でもそれは、夕陽が望んだ事象を引き起こしているだけだ。
あの時、周りに存在する全てを殺してでも生き残りたいと願った。
願いに応じて神は力を与えたのだ。
だとすれば、別の力だって与えてくれるはずだ。
「あなたも神なら、私の望みを叶えてみせろ!」
伸ばした右手に神が宿る。
右手の指が小さな手に変化し、更にその指が手に。連鎖して無数の手が伸びていく。
爆発的な速度で成長する無数の手は、守屋の落下速度を上回った。
手が迫り、目をつむる守屋。
だが彼は、意を決して手を上へと伸ばした。
無数に枝分かれした手が、守屋の手を掴む。
夕陽の手に掴まれても、守屋の身体は裏返しにはされなかった。
無数の手は守屋の腕をしっかりと掴んで、上へ上へと引き上げる。
「全く、どれだけ足を引っ張ったら気が済むんですか」
屋上へと引き上げられた守屋。
夕陽の右手は縮んで元の形に戻っていた。
投げつけられた悪態に対して、守屋は自分の身体が無事なのを確認して言い返す。
「落ちたくて落ちたんじゃない」
「そうでないと困ります。
でも無事で何よりです」
夕陽が笑顔を見せると、ようやく守屋も自分が無事で済んだことに安堵した。
「お前の手は破壊しか出来ないんじゃなかったのか?」
「そうでしたけど、それ以外も出来るようにしました。
私、普通とは違う不思議な〈ツール〉なので。
――あ、逃げたらだめです」
夕陽は振り返り、逃走を図ろうとしている笹崎へと声を投げた。
彼は恐怖のあまりその場から動けなくなる。
夕陽が近づくと、笹崎はその場に尻餅をつき、怯えた表情を浮かべる。
そんな彼を笑顔で見て、夕陽は間近まで寄ると右手を突き出した。
人差し指を向けられる笹崎。
守屋にも笹崎にも、神の姿は見えない。
今夕陽が何かをしたのか、それともただ指さしただけなのか。それすら判別出来ない。
「おい。
聞きたいことがあるんだろ。だったらこのまま連れ帰るべきだ」
「まあそうですけど」
曖昧な返答をした夕陽。
夕陽は一旦右手を下げた。
笑顔のまま笹崎の顔をじっと見つめる。
「でも私、約束したんです。
ねえ笹崎さん。覚えていますか?
あなたは殺すと、約束しましたよね?」
再び掲げられる右手。
笹崎は恐怖に顔を歪めその場から動けなくなった。
「殺す必要が無いなら殺さないんだろ」
守屋が制止するように告げる。
便乗して、笹崎も「そうだ、殺さないでくれ」と懇願した。
「確かにそうです」
夕陽は頷いて見せる。
それから、とびきりの笑顔を笹崎へと向けて、言い放った。
「でも私、約束はしっかり守ります」
夕陽の伸ばした右腕が変化し、無数の手となって笹崎へ。
小さな手に体中を掴まれた笹崎は、引き裂かれ、内蔵、血管、神経に至るまで裏表逆にされる。
骨の折れる音。肉が裂ける音。気味の悪い音を響かせながら、その場に身体のパーツが巻散らかされていく。
悲鳴を上げる間もなくバラバラにされた笹崎。
残ったのは赤黒い液体と細切れにされた肉片。
骨も内臓も形を保つことなく、説明されなければそれが人間だったとは誰も思わないだろう。
右手を元に戻した夕陽は、笹崎のなれの果てを見下ろしてから、振り返って守屋へと一礼する。
「しばらくしたら事務所に顔を出します。
車両は全部持って帰ってくれて構いません。
しばらく1人にして頂けませんか?」
守屋はそんな彼女の顔を見て、1つ問う。
「本当に、1人にして良いのか?」
その問いに、夕陽は静かに頷いた。
笹崎の身柄は押さえられなかった。オーナーへとどう報告すべきかと悩みながらも、守屋は「分かった」と返すとその場を後にした。